『Z世代のための日本戦争史講座』★『「ハーグ、ジュネーブ条約」を無視して捕虜を虐待、 死刑を指示した東条首相の『武士道は地に墜たりー目には目、歯には歯を』★『陸軍反逆児・田中隆吉の証言』①

2015/05/27 2015/07/16『終戦70年・日本敗戦史(87)』記事再録
敗戦直後の1946年に「敗因を衝くー軍閥専横の実相』「敗戦秘話・裁かれた歴史」で陸軍を糾弾、東京裁判でも検事側の証人に立った田中隆吉の証言
「ドーリットル空襲」
七月下旬であったと記憶する。オーストラリアのシドニー湾に突入し、壮烈無比なる戦死を遂げたわが海軍の特殊潜航艇の勇士の遺骸が極めて丁重に取り扱われ、白木の棺に収めた上に愛用の軍刀をも副えて日本に送り届けられた。さすがに日没する所なき国と誇るジョンブルである。私は天晴れであると心中密かに感嘆した。
これより先、わが陸軍部内では、四月十八日、ノースアメリカンに塔乗して、航空母艦ホーネット号より発進し、わが本土を爆撃したあと支那大陸に逃れ、燃料遂に尽きて、武運つたなく、我軍の占領地域内に降下した数名の若きアメリカの将校下士官に対する処置についていろいろ協議した。
この処置は本来、大本営が決定するのであるが、この頃になって、厳重なる処分を行うことに決定した模様であった。私は局長会報の席上でその反対の理由を力説して、東条首相の反省を促した。
「彼等はアメリカの純帥府の命によって日本を爆撃したものである。爆撃が終ってわが軍の手に捕えられればすでに捕虜である。捕虜は捕虜として取扱うべきものである。これを死刑に処することは武士道に反する」と主張した。云うのがその主旨であった。
この時、東条首相はこの意見に同意した。しかし理由は異なる。「アメリカには多くの同胞が抑留されている。今この将校、下士官を死刑に処することは、この抑留同胞を虐待させることにはならないか」と言った。
厳刑論者の主張する所は彼等が某国民学校の無心の児童一名を機銃掃射して射殺したのは人道に反するというのである。しかし、それは表面であって、これによってアメリカ国民、特に女性に恐怖心を起こさせ、その反対によって日本本土爆撃を断念させることにつながるという主張だった。
ドイツの青島要塞の前進陣地を攻撃したわが部隊は、地形が険わしかったため、多数の死傷者を生じた。しかし、終にこれを占領した。そのときドイツ側は堅固な陣地に拠っていたために一名の死傷者も出さなかった。我軍が近接するや突入直前に手を挙げて降伏した。わが軍はその寸前まで怒りに燃えていたにも拘らず、その怒を押え、このドイツ兵に対し何等の暴行を加うることなく、捕虜として待遇した。我軍の武士的態度は痛くドイツ側を感激させたものである。
捕虜の待過に関しては、日本政府が調印し、その後批准した国際条約「ハーグ、ジュネーブ条約」によって規定されている。勝敗は兵家の常である。勝つも負くるも、三千年来の伝統たる武士的態度を以て終始してこそ大日本民族である。
しかし、ついに厳重なる処分を行うことに決した。この天皇への上奏は大本営の所管だが、上奏文案には陸軍省各局長の連帯を必要とする。私は連帯に反対したために処刑は伸び伸びとなった。
私の不在中に古参課員が代印を押した。私はこれを取消させた。最後に軍務局の主任課員が来て、すでに大本営は内奏を終って、あとは正式の上奏をするばかりになので曲げて捺印してもらいたいという。ことここに至っては私の反対は意味をなさぬ。私は印を逆さまの「中田」と押して言うった。「印は押したが反対はどこまでも反対だ」と。
敵の爆撃に対しては、わが軍は正々堂々の陣を張り、防空施設を完備し、反撃を以て封殺すべきである。既に爆撃を終り、航続能力と戦闘能力を失って、降下せした敵を捕らえて、これを死刑に処し、敵国民に恐怖心を抱かせるのは大人のすることではない。無知の民衆の私刑ならば、やむを得ないかもしれないが、陸軍最高統帥府において何が故にこのような暴挙に出たのか今に至るも私には不可解の謎である。
2万カイリの太平洋を超えて、はるばる日本に来襲せるアメリカの青年軍人は、わがシドニー湾攻撃の特殊潜航艇の勇士と何等かわる所はない。その取扱いは丁重であるべきである。
日露戦争では、ロシア軍は我軍に十万の死傷者を出すに損害を与えた、旅順要塞のロシア軍が力尽きてわが軍に降伏するや、ステッセル将軍以下の将兵は侃刀を許され、武人の名誉を保たせた。しかし、このアメリカの若き勇士はその後上海に送られ厳重なる処分を受けた。わが「ラジオ」はこれを全世界に向って放送した。ああ、武士道はついに地に墜たり。
以上は『太平洋戦争における惨劇の発端ー「敗戦秘話・裁かれた歴史」より

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