『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』-戦時特別任務➁
2015/03/02
『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』-戦時特別任務➁
フィンランド革命党と手を握り、ロシアの後方攪乱に着手。
このようにストックホルムがいかに任務遂行に不便なところかを訴えた後、さらにペテルブルグ以来、一つの目標としたところの革命主義者との関係の件についても、こう書いている。 -
「また小生が当地に来りし所以は他の大なる目的のための関係を求めんとあるにありしは既に度々申し上げしと考える所なり。次にこれについてはその糸口を求め、之と連絡を取りたるも、彼らは欧州各地に散在しある次第にて、今では当地はかえってその必要を失い、欧州の中央に出ずることこそ、これらとの関係にも便利となる事に侯。
一から十までストックホルムなる土地は、小生の行務上に少しも便利を感ぜず、むしろその不便なるに大いに手数相掛り居候。よって伏して願くはその実情篤と御熟考被下便利なる方法を取られんことを願上候。小生は他国に手を延ばし居ればこそ少しは事柄も分るようなもの、ストックホルムに居っては世間の事は何も分らず相成る事にて、その辺の事情御察相成度候。
かって開戦後オーストリアに赴けとの命を受けし節、少し心当りあるスイスに立寄りて然る後、赴任せんと返電せしは右の関係を付けんとするためなりしに、参謀本部では直に情けなくもこのツンポ座敷に追込まれ侯ため、大に苦心しこの大切の時機と存じ大に気をもみ、諸所を駆け廻り綱を求め僅かに今日ある次第に侯。
日本にてはストックホルムに重きを置かるる必要少しも無之と小生は存侯故に(二字不明)する所の関係の綱さえ誰か受取人有之候えば、ストックホルムよりはさらに便利なる地において敏活に仕事をすることができる次第にて、実は何故にストックホルムが必要なるかは如何にして考え当らず候。十一月一日(三十七年) 長岡少将閣下 明石元二郎
ー戦時特別任務-
日露戦争において明石将軍が担った使命は、二つに大別できる。適国側の内情を探査する特別勤務以外に、戦時騒乱の虚に乗じて、反政府、革命党員の理想の実行を支援し、これによって在満ロシア軍を牽制し、ロシアの国力、軍事力の削減をはかることにあった。これは至難の事業であったが、ヨーロッパ圏内に何らの活動的基盤をもたぬ当時の情況の中で、明石大佐は大胆、綿密にこれを実行したのである。
ストックホルムに着任した明石は、その日ただちにフィンランド憲法党の首領としてかねてその名を知るカストレンに手紙を出して会談を求めた。カストレンは弁護士で、革命党中の元老である。しかしカストレンへの使者は、期待に反して空しく帰り、目指すカストレンはたしかにいたが、明石なる日本軍人から書面を受けとる理由はなく、たぶん人ちがいであろうと突返されたいきさつを話した。
大佐は落胆しつつ、ホテルの一室で次なる画策を計画していると、夕刻、思いがけぬ客がきた。彼は山高帽をかぶり、白い髭を生やした堂々たる紳士で、用心深く一つの封書を差出した。その封書中には、カストレの親友、コンニー・シリヤクスなる名刺があった。彼は実にカストレンに代って訪れたシリヤクスその人であり、元は裁判所判事、弁護士をつとめ、現在は著述家でロシア革命党の別働隊として編成したフィンランド反抗過激党の首領であった。
彼はいう「貴名をもって過日はベルリンより、先刻は使をもってカストレンのもとに遣わされた書状を受取りました。しかし貴下に対し、カストレンを紹介したのは誰ですか、またさっきの貴下の使いは果して安全なる人物なのですか、現在の戦時下で、絶対安全を期すべきものとして、不本意ながら先刻の封書をお返しした次第です。どうかご諒解願いたい」
明石大佐はこれに応えその意志を伝えた。
シリヤクスは語を次いで「同志の会合については、カストレンも私も大いに望むところだ。ただしホテルでは危険なので他にその場所を求めなければならない。明日午前11時ホテル前で待っていて下さい。同時刻には必ずホテル前に停止する馬車があります。私はその馬車内で待っていますから、貴下はただちにこれに同乗して下さい。ご覧のように当地は目下連日の雪ですから、幌を下し、人目をさけ、安全に会合地点に行くことができるでしよう」
こうして翌日、二人は同乗して会合場に馬車を走らせ、カストレンの隠れ家に行った。室内に入ると、その正面に露国皇帝ニコライ二世の署名のある追放状をかかげ、その一一方には明治天皇の肖像を、他にはデンマーク皇太子の自筆の署名ある写真をかかげてある。
デンマーク皇太子はロシア皇太后の弟であり、民衆を抑圧するロシア宮廷に反感を持ち、姉皇太后を通じてしばしばツァーに苦言した。シリヤクス、カストレンらも、この皇太子に進言して意見書を提出したこともある。
カストレン、シリヤクスとの初の会合では、明石大佐は希望として二つの条件を提示した。その一つは、日露開戦という時局に対する反政府党(ロシア・ボルシェビキなど)の方針は如何、二つ目は、露国国内の情報を得たいーーというのであった。
シリヤクスはロシア政事上のことならば喜んで知る限りを告げるが、スパイのことは、わが党の体面にも関するから、それまで引受けるのは甚だ困難であると答えた。
しかし、カストレンはこれを抑えて「まあしばらく待ち給え、私には心当りもあるから、友人に話して見よう」彼はただちに電話で、スウェーデンの参謀大尉アミノフと協議し、やがてアミノフ大尉とクリンゲルスチェルナ中尉の努力により、少尉ベルゲンをロシアに派遣することとなる。またこれらの諜報に従事する人々に支出する為替や手紙などの信頼すべき媒介者として、アミノフの友人でストックホルムの豪商のリントベルクを知ることとなった。
戦時諜報勤務の端緒は、はじめこのような好意的な方法で行われたが、しかし勤務者が増大するにつれて、もっぱらビジネス的にこれを行った。しかもスパイ活動は危険きわまりない仕事であり、寒い冬の夜半に木の下で長時間、立ち尽くしたこともあれば、あるいは一日会合しえたのに、その席上にふいにあるロシア将軍の来訪をうけ、進退に窮したこともあった。
さらにロシアの一将校はこのスパイ活動のため、開戦後逮捕され自殺した。ある者は牢獄に投げ込まれ、平和回復の少し前に追放されたまたある者は憲兵に引致されたのち、その消息を絶ってしまった。これらの人々を、明石大佐は終生忘れなかった。
資金の調達-山県有朋は「明石という男は恐ろしい男だ」と驚嘆
スパイ活動には、莫大な資金を必要とする。日本政府はこのため若干の送金をしたが、とうてい足りない。資金さえあれば、この難事業は必ず遂行できると確信していたのは大佐ひとりであった。
当時の参謀本部トップが回顧して語るところによると、「明石に大金をあたえても、果たしてしてできるかどうか。半信半疑ながら、なんとしてもロシア革命を支援しての後方攪乱し、皇帝に痛撃を与えたいとのわらをもつかむ一念から大金を送った」という。
それは意外に効果をあげた。日露戦争の天王山の最中にて、ロシア国内は暴動、反乱、革命、騒乱が相次いで、そのためロシアからの日本への遠征軍も牽制され、極東への派兵も思うに任せない状態となったのを見て、日本政府首脳も参謀本部の将軍たちもはじめて、明石大佐の非凡な手腕に感嘆しないものはなかった。山県有朋は「明石という男は恐ろしい男だ」といったといわれる。
一方、明石大佐は、その希望のとうていいれられない状況に、1時、帰国しようかとまで決心した。参謀本部からは、補充大隊長で満足するならば心あたりもあるから、と申し送った。これはもちろん、開戦間もないストックホルム時代のことである。しかし、戦局は次第に、大佐の思うところに進んでいった。まず自ら〝籠の烏〟と称していたストックホルムの閉された窓から出て、パリやロンドンを本拠とする希望だけは容れられた。
ロンドンよりの書簡にはー
……この地にては万事自由にて鳥の籠を離れたるごとき心地いたし侯、第一書簡の安心だけでも大した愉快に候、田村帰朝につき種火と泣言の伝言はいたし侯へども、当地に来り稲垣より御伝言を承れば、補充大隊長にはどこか世話ができるかも知れぬゆえ、帰りたければこのロに世話すべしとの御伝言恐入り候、
いや只今はなかなか面白く相成り、なかなかもって安売は仕らざる決心に御座候……。これは資金さえあれば、前進の目安もほぼ定まり、その胸中の画策を実現するのは、決して困難でないことを語ったものである。これはいうまでもなく、ロシアの革命党を中心とする連合運動を起きしめ、一方にはフィランドの左傾派をして武力をもって蜂起させる計画が、シリヤクスその他の不平党幹部とのあいだに画策された結果であった。
つづく
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