前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日中北朝鮮150年戦争史(31)★現代史復習『日清戦争は日本が完勝したが、実質は清国軍が戦闘能力なしの「鵜合の集団」『張り子のトラ」だったこと。現在の『中國人民軍』は果たして近代化し、最強装備になっているか、北朝鮮の軍事力は核弾頭搭載ミサイルの脅威のレベルは如何!

      2016/09/13

 

 日中北朝鮮150年戦争史(31)★現代史復習、

日清戦争の陸海戦でほぼ日本は完勝した。それは日本軍が強かったというよりも、

清国軍が弱すぎた、軍隊というよりも「鵜合の集団」であったためだ。

封建的・非近代的な清国軍に対して近代化した日本国民軍との『文明の戦争』といってよい。

日本の「連戦連勝」は川上操六参謀次長らのインテリジェンスによる、

長い周到な準備と訓練の成果にほかならず、当然の結果であった。

ちなみに

Wikiによると、日清戦争での兵力は日本240,616、清国は630,000で約3倍である。

日清戦争の両軍の戦死者は、日本側は戦死 1,132、戦傷死 285、病死 11,894、戦傷病 3,758である。清国側は死傷 35,000と約2倍である。

日清戦争の軍神第1号・木口小平の「死んでもラッパを話しませんでした」に象徴されるようにイザと決戦となった段階で、突撃精神の『死を恐れない日本兵』「死を恐れて、大将以下将校、兵隊ともども一斉に逃げ出して城はもぬけの殻となる清国軍(中国軍)の愛国心の違いで有った。

『張り子とトラ』が一挙にばれた清国軍の実態は、現在の『人民軍』では近代化し克服されているのか、どうか。その実態については完全に秘密のベールにつつまれており、「核保有を主張して核実験を強行している北朝鮮の軍事力についても、120年前の日清戦争当時とあまり変わりないここけおどしの軍事行動なのか、精査する必要がある。

 

清国兵は満州の各地から召集された雑多な素質の何千という軍隊であった。

彼らの多くは、畑からまっすぐに徴募された者や、街頭からかき集め

られた乞食などで、奉天で二週間の訓練を受けては前戦へ送り出された。

≪以下は大浜 徹『明治の墓標―日清・日露、埋もれた庶民の記録』秀英出版 1970年

奉天三十年(上) (岩波新書) (新書) クリスティー (著), 矢内原 忠雄 (翻訳) 1938年による》

 

日本の勝利は、この日をめざしての長い準備と訓練の成果にはかならず、清国の雑多な兵と比べるとき、その「連戦連勝」も当然なことと首肯されよう。

清国兵は、クリスティーによると、満州の各地から召集された雑多な素質の何千という軍隊であった。彼らの多くは、畑からまっすぐに徴募されてきたばかりの者や、街頭からかき集められてきた大きな身体の乞食などで、奉天で二週間の訓練を受けては前戦へ送り出された。

クリスティーが営む病院のすぐ後の大きな兵営で、兵士が一隊また一隊とどうにか恰好をつけられて送り出されていったのである。

そこでは、これまで鉄砲を見たこともない若者の手に小銃が渡され、扱い方を教える時間もなければ教師もいなかった。

同一の型式の武器が十分に揃わなかったので、古く錆びた、銃口から装てんする小銃を支給された隊もあり、昔の支那の火縄銃や、はなはだしきは弓矢をあてがわれた者すらもあり、多くの者は旧式の短い刀と、端に赤い総(ふさ)のついている青い木槍とで武装されていたのである。この長槍隊の主な教練は、ひらめく槍を突き出して「ヅアー」と叫びつつ、一斉に突撃することであった。

 

それは「刺せ」という意味であるが、大きな声を立てるのは敵を怖れさすためであった。このような兵士が、奉天から鴨禄江まで、一列につらなってとぼとぼと行軍していったのであるが、クリスティーにはその姿が近代的な砲火の餌食となるしかない「憐れな被誘拐者」の群におもわれた。

しかし、兵士らは、クリスティーの思いなどにとらわれることすらなく、短期の訓練が終ると派手な実用向きでない軍服、胸と背とに大きな円い的のついた真紅のジャケツを着て、よろこびいさんで定められた運命へと行進して行く。

彼らは、十人ごとに赤い旗をひるがえした棒を担いでおり、近づきつつある戦争についての一般的な見解は、「日本が小癪(こしゃく)にも叛逆した、勿論、支那はこれを鎮圧せねばならぬ。お安い御用だ」という程度のものであった。

兵士の主力をなしたのは、ずつと北の地方から生まれて始めて出て来た満州族の予備兵で、平時は給料だけもらってなにも働かない者たちであった。これら予備兵もしくは満州族の部隊は、すべて狂信的、盲目的なる排外思想の持主で、その真偽を問わずいろいろな咄(はなし)で敵愾心を煽られていた。そのため、当の戦争の敵たる外国人であろうと、たまたま出会った他の外国人であろうと、区別の見さかいがなかった。

 

彼らは支那人(中国人)をさえ軽侮の目で見おろしており、自分たちの当然の餌食と考えていたのである。彼らのことを、一人の憐れな宿屋の主人は、クリスティーに言った。

 

「彼等は私の穀物をみんな食い尽した。彼等は私の薪を全部燃やしてしまった。彼等は私の皿をみんな破ってしまった。彼等は私の家を壊してしまった。私が空の両手を開いて見せて、もう何もやるものがないと言ったら、彼等は私を打った!」

 

そして、人々は「支那兵はそう悪くない。悪いのはあの怖ろしい満州族だ!」と息をひそめていいあっていたという。民衆から憎悪の目でむかえられた兵士は敗北するしかない。兵士の上には自然の報復がすぐに落ち、まもなく兵士たちは往く先き先きで、食料の欠乏に悩んだ。清国兵は、日本兵と戦うより前に、すでに敗れていたのである。

清国兵士、「憐れな被誘拐者」らは、民衆の支持すら得られないまま、日本軍の鉄砲の好餌となるだけであった。戦争が近代戦への過渡期の戦いであったことをクリスティーは、記録している。

 

1895年3月30日ロシア紙「ノーヴォエ・ヴレーミャ」「なぜ弱いか清国軍(中国軍)―腐敗、烏合の衆の実態」

中国から帰ってきたばかりのオブルチェフ氏がノーヴォスチ紙上で今回の旅の印象を述べている。その印象は,中国の威信と勢力を裏付けるものではなく,中国が今後、日本との戦争に敗れることをオプルチェも氏は確信している。

中国は兵学においていかなる進歩もしていない。そして,それを説明するためにオブルチェフ氏は.1つの例として「立派な人間は兵士にならない」という中国のことわざを引いている。

このことわざを裏書して,中国で兵士になるのは多分,「実際,一番役立たずで,正業を厭(いと)い、軍隊の給料をもらってぶらぶらしている方を好むような連中」なのだろう。「こういった兵士は」と,オブルチェフ氏は言う-「当然のことながら大砲の的になることを好まない。敵方であろうと自国民であろうと、かまわず住民を略奪する方を選ぶ」好機のあり次第,戦場から逃げ出し,絶体絶命の状況,つまりこっそり逃げ出すこともできず.また捕虜になることは敵に処刑されるかもしれないので恐ろしいという状況になるまで戦おうとしない。

 

中国軍の道徳面と軍事面での水準の低さをいっそう低くしているのは.平和時での軍の平時編成要員のうち3分の1から半数までの登録が書類上のものでしかないという事情だ。長官たちは国庫から全定員分の給料と食料を受け取るが私腹をこやすために節約をし,定員全体の半分から3分の2しか維持しない。

閲兵や行軍のときは,ボロを着ているさまざまな浮浪者に急場しのぎに服を着せ.武器を与えて,不足している人数を補う。このような軍隊が.なんらかの訓練を受けている常備の要員よりさらに低劣なのは言うまでもない。

わたしが陳西陝西省(せんせいしょう)の楡林(ユイリン)府の近くを旅行していたとき、この地の指揮官が部隊を補充するのに十分な数の浮浪者を.司令部の閲兵までに見つけられなかったことがあった。その結果,背任行為が明るみに出たため.この男は懲罰を逃れるために,中国人特有の平然さでもって自分ののどをかき切り死んでしまった」

オブルチェフ氏の観察によれば.中国の文官制度もその他の社会制度も,これと同じくらい悪いか,あるいは全く役に立たない。これでは筆者としても,中国の勝算は日本の勝算とは全く比べものにならないくらい低いものと考えざるを得ない。日本では進歩に対して,中国人とは違った態度で取り組んできたからだ。

 

⑲「日清戦争の真実」-日本軍対中国軍の圧倒的な違い

http://www.maesaka-toshiyuki.com/blog/86.html

 

・支那の兵隊は、給料を「売命銭」という。「命を売る銭」です。 ・兵隊は「お前今日は売命銭をいくらもったか」「20銭しかもらわない」 などと申し合って、戦争に行く。ちょっと戦線まで出て行ってボンボンボン と打って、もう二十銭分働いたから帰るというような状況。

  • 日本は国民皆兵で出征兵士は『国のため生きて帰るな』と故郷を
  • バンザイで送り出された日本兵とは戦闘意識がまるで違う。
  • 軍神第1号・木口小平の「死んでもラッパを話しませんでした」に象徴されるようにイザと決戦となった段階で、突撃精神の日本兵に恐れをなして、中国兵は一斉に逃げ出して城はもぬけの殻となる。
  • 『小日本、あんなちっぽけな国』と見ていた西太后は、李鴻章の軍備を却下し、巨大な別邸『頤和園』(世界文化遺産)の建設費にあてた。

『日中韓対立のルーツを知るために」ー『日清戦争始末』(明治30年刊)、徳富蘇峰の「風雲漫録」(日清戦争従軍記)を読もうhttp://www.maesaka-toshiyuki.com/war/216.html

 

日中北朝鮮150年戦争史(29)★現代史復習、記事再録『外国の新聞が報道した

120年前の日清戦争の「三国干渉」の内幕と【腐敗した清国軍の実態】ー南シナ海紛争と同じ中国人民軍の実態!

http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/19575.html

 - 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『リーダーシップの日本近現代興亡史』(226)/日米戦争の敗北を予言した反軍大佐、ジャーナリスト・水野広徳(上)」『 松山で下級武士の子として生まれるが、一家離散に』★『海軍軍人になり、日本海海戦で活躍』★『「此一戦」の執筆を空前のベストセラーとなる』★『 日米戦争仮想記「次の一戦」で、匿名がバレて左遷』★『第一次大戦中の欧米へ視察旅行へ、』★『再び大戦終了後の欧州視察へ、思想的大転換、軍備撤廃主義へ』

 日米戦争の敗北を予言した反軍大佐、ジャーナリスト・水野広徳② &nb …

no image
『リーダーシップの日本近現代史(16)記事再録/「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など 外国紙は「日韓併合への道』をどう報道したか③<朝鮮は日本の評判を傷っけるようにプロパガンダ工作し、朝鮮人を日本の暴虐の犠牲者として印象づけている

      2015/09/0 …

no image
速報(450)《日本女性のロール・モデルになるか―キャロライン・ケネディ氏》 『ソ連末期に似てきた? 習近平政権に迫る「限界」』

 速報(450)『日本のメルトダウン』   ●《日本女性のロール・モデ …

no image
国際ジャーナリスト・近藤健氏が<2016年アメリカ大統領選挙>について語る≪60分ビデオ)

  近藤健氏は元毎日新聞ワシントン支局長・外信部長・元国際基督教大学教 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(199)ー『先日101歳で逝去され中曽根康弘元首相の戦略とリーダーシップ』★『「戦後総決算」を唱え、国内的には明治以来の歴代内閣でいづれも実現できなかった行財政改革「JR,NTT,JTの民営化」を敢然と実行』★『「ロン・ヤス」の親密な日米関係だけでなく、韓国を電撃訪問し、日韓関係を一挙に改革し、胡耀邦氏と肝胆合い照らす仲となり、日中関係も最高の良好な関係を築いた、口だけではない即実行型の戦後最高の首相だった』』

中曽根康弘元首相の戦略とリーダーシップ    前坂 俊之(ジャーナリスト) 中曽 …

no image
日本メルトダウン脱出法(896)日中韓パーセプションギャップ『中華思想』『恨の思想」は超えられない」●『中国は日本を誤解しているのか』●『歴史を反省せずに50年、習近平の文化大革命が始まった』●『韓国各紙、オバマ氏の広島訪問に不満 韓国人慰霊碑訪れず』

  日本メルトダウン脱出法(896) 消費増税延期で消費、金利、為替、株価はこう …

no image
記事再録/知的巨人たちの百歳学(141)-民俗学者・渋沢秀雄(90 歳)の「健康長寿10訓」『一怒一老、一笑一若』『少肉多菜 少塩多酢 少糖多果 少食多齟 少衣多浴 少車多歩 少煩多眠 少念多笑 少言多行 少欲多施』です。

知的巨人たちの往生術から学ぶ③ 前坂 俊之     朝日の[ …

『Z世代のための日本の革命家No.1の高杉晋作講座③』★『英国外交官アーネストサトウは高杉を「魔王」と評した』★『2012年は高杉晋作の奇兵隊創設から150年目』★『明治維新に火をつけたのは吉田松陰の開国思想だが、その一番弟子・高杉の奇兵隊による破天荒な行動力、獅子奮迅の活躍がなければ明治革命は実現しなかった』

2015/04/05/の記事再録再編集 2015年4月2日5時前に、明治維新のト …

『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑲ 』★『戦略情報の開祖・福島安正大佐ー 明石元二郎の指導する「明石工作」は日英同盟を結んだ英国諜報局とは極秘の「日英軍事協商」を結び諜報の全面協力体制を築いた。福島安正、宇都宮太郎(英国駐在武官、宇都宮徳馬の父)がバックアップして成功する』

    2016/03/01  &nbs …

  今から約10年前の2012/07/12/  日本リーダーパワー史(279)記事再録『日本沈没は不可避か』-鈴木大拙の一喝②感情的な行動(センチメンタリズム)を排し、合理的に行動せよ

  2012/07/12  日本リーダーパワー史(279) …