<歴史張本人・坂西利八郎の日中歴史認識>講義⑤」「中国軍(清国軍)の驚くべき内幕ーもらった「売命銭」分しか戦わない。
2015/01/01
日中両国民の必読の歴史の張本人が語る
「目からウロコの<日中歴史認識>講義」⑤
袁世凱の政治・軍事顧問となった坂西利八郎
(在中国25年)が「中国軍(清国軍)の驚くべき内幕」」を語る⑤
<支那の兵隊は、給料のことを「売命銭」という。すなわち命を売る銭です。
兵隊たちは「お前今日は売命銭をいくらもったか」「二十銭しかもらわない」
などと申し合って、戦争に行く。ちょっと戦線まで出て行ってボンボンボン
と打って、もう二十銭分働いたから帰るというような状況です。
(一方、国民皆兵で出征兵士は『生きて帰るな』と故郷をバンザイ
で送り出された日本兵とは戦闘意識がまるで違うのです)>
以下は坂西利八郎が1927年(昭和二)二月十八日に「大阪毎日新聞社講堂」
で行った講演の全文。<「日中友好の捨石、秘録 土肥原賢二」芙蓉書房
昭和47年」に収録>
三民主義の出現
ところが、南方には孫文が唱えたところの三民主義というのがまだあります。北方には何にも主義はなく、ただ戦さをしている「赤を討つ」ということはありますが、その赤のなくなった今日も赤を討つといっている。
南方では三民主義を実行する。三民主義なるものは共産主義に似たものでありますが共産主義ではない。支那では均産主義といっておりますが、その均産主義というのは、支那ではずっと古い昔からあることであります。
上代の井田の制の如きも一種の均産主義であります。支那人の理想とするところはこの均産主義に似た主義で、今日の三民主義もこれに類している。民族の発達―われわれは被圧迫民族である、帝国主義を倒してわれわれはこの圧迫から脱しなければならない、すべて政治というものは人民がやらなければいけない、官吏の選択にしろ国会議員の選択にしろ人民がやらなければならぬというのが民権主義であります。
民の生活を豊かにする、それについては均産でなければならぬというのが民主主義、これが孫文の唱えた三民主義であります。この三民主義は、あるいは不合理であるかも知れぬが、兎に角、南方はこの主義を実行するために戦さをするという意義をも多少含んでいる。北方には、まだ何々主義というものを唱えたものがないのであります。
いわば無主義、無意味の軍をお互いに起しているのである。無主義、無意味であるに拘わらず、それでも根気よく戦さをしているのは、何かといえば戦さをする人の知識が足らないからで、又、兵隊が殆んど労働的に戦さをしているからであります。
驚くべき支那の兵隊と戦争―近代の軍隊ではない
兵隊の給料は普通六元、そのうちから米代を差引きます。そうすると実際は一カ月に一元の現ナマがはいるかはいらんかという状況であります。それさえもらえぬことがあります。戦さの時にはその給料に割増をつけることになっているが、割増どころかほんとうの給料でさえ払わない。
そこで兵隊の方が、だんだん日を経るに従って利巧になりました。兵隊は、給料のことを彼等の仲間で「売命銭」と申しております。すなわち命を売る銭です。兵隊たちは「お前今日は売命銭をいくら貰ったか」「われわれは今日は二十文しか貰わない」あるいは「二十銭しか貰わない」といったようなことを申し合って、戦きに行くのですから、ちょっと戦線まで出て行ってボンボンボンと打って、もう二十銭分働いたから帰るというような状況が各地にある。(笑声)
ですから真面目に命令はちゃんと出している。ある時は電報で出しますが、その命令は兵隊の間に行われるわけがないのであります。
それでありますから、昨年の奉天山西の戦争の際、山西軍の一師団が、何万という奉天軍のために囲まれて約三ヵ月も持耐えましたので、その山西軍の師団長は大変偉い師団長だと世間からもてはやされたばかりでなく、敵である張作霖からも厚き礼遇を与えたものですが、ところが今の式で兵隊が戦争をやっているのでありますから、命令は敢然として出ますけれども、ほんとうの兵隊さんはこっちから菜っ葉を持って行ってやると、城内では生のものが乏しいから、向うからは城壁の上から煙草を吊り下して菜っ葉の代りに煙草をやる。ほんとうの戦さは少しもしない。(笑声)
これはあまり極端な例でありますが、そういうことも時々あったということです。この式の戦きでありますから、大砲の弾丸をぶっ放せば、弾丸は真面目に飛んで行って、途中で失敬はしませんが、人間のからだが砲丸についてゆくのでないから、城は落ちない。
また支那の家は、泥とレンガでありますから、なかなか砲丸のためには焼けない。ただ鉄道を断たれるということが心配であったのでありますが、前に申した琢州は四つある門のうち、南門は始終開いておって、そこから自由に交通をしておった、ために三ヵ月完全に保ったのです。支那では知恵のあるものならば、まじめに戦はできない。
敵も、味方もどっちも無主義である。戦をしてもその結果、えられるものはものはない。そんなことで死ぬというようなことは馬鹿らしい。ただ五十銭か一元貰ったらいい。一元なんか滅多にくれませんが、二十銭か五十銭くれるのでそれに相応した戦さをする。
こういう根性が起るのは無理からぬことであります。軍隊がある位置に進んで行きましても、大いに富んだ地方に行けばいいこともありますが、一つの城に向ってこつこつやっているのでは儲かりが少ない。ですからなお戦さが延びるわけです。
要するに、今日はそういう状態になっておりますから、支那は壊れて行くというより外には仕方がないのであります。仮に袁世凱というような大頭が、自分の手足を十分に持って、多数の人の上に立っておった時には、その人のために数多の手足が敏活に働いた。且つ人間が大きかったから、その人のある地を占める面積も広かった。
大頭のー人が「うん」といえばその「うん」が支那の二十二省ある内で、二十二省におよばないにしても、十八省におよぶとか十五省におよぶとか、若干の広い面積におよんだのでありますが、只今は大頭がだんだんになくなって、その勢力は、或は三省或は五省、八省というようにだんだん小さくなった。
こんな風では、結局は、支那の二十二省の内の1省の中で、また群雄割拠で騒ぐかも知れないのであります。支那の前途はこうお考えおきを願いたい。私はそう考えているのであります。
つづく
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