★➉外国人観光客へのおすすめベスト第1位ー「世界文化遺産.醍醐寺」のすべて―『 慶長3(1598)年の春、豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」を契機に 秀吉と秀頼によって金堂や三宝院、山上では開山堂や如意輪堂などが再建された。』●『三宝院の秀吉が設計した庭園。天下の名石『藤戸石』がある。』
★➉外国人観光客へのおすすめベスト第1位ー「世界文化遺産.醍醐寺」のすべて➀
慶長3(1598)年の春、豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」を契機に
秀吉と秀頼によって金堂や三宝院、また、山上では開山堂や如意輪堂などが再建された。
醍醐寺のパンフレットによると
真言宗醍醐派の総本山。醍醐寺は貞観16(874)年に弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝(しょうぽう)が創建した。山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った聖宝は、白髪の老翁の姿で現れ理源大師・聖宝た地主神・横尾明神(よこおみょうじんより)、こんこんと水(醍醐水)が湧き出るこの山を譲り受け、准底(じゅんてい)・如意輪( によいりん)の両観音を刻み、山上に祀った。それが醍醐寺の始まりである。
開創後、醍醐・朱雀・村上の三代にわたる天皇の深い帰依によって山上に薬師堂、五大堂、山下に釈迦堂、法華三昧堂、五重塔などが次々に建立され、山上山下にまたがる大伽藍が完成した。通称、山上を上醍醐、山下を下醍醐と呼んでいる。
以後も、皇室をはじめ貴族や武士の支援を得て、三宝院をはじめとする諸院や種々のお堂が建立され、真言密教の中心的寺院として多くの信仰を集めている。
しかし、長い歴史のなかで何度も火事にあい、応仁・文明の乱では五重塔を残して下醍醐は焼失、上醍醐も荒廃。ながらく復興に至らずにいたが慶長3(1598)年の春、豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」を契機に秀吉と秀頼によって金堂や三宝院、また、山上では開山堂や如意輪堂などが再建された。
江戸時代に入ると、醍醐寺歴代座主が居住する三宝院が、幕府より当山派修験の本山であると明確に位置づけられた。そのことにより、山への信仰が高まり、一時衰退していた修験道も再び活気を取り戻していった。
明治維新後の「神仏分離令」や「修験道廃止令」などの数々の法難で大打撃を受けたが、歴代座主の尽力により、開山以来、醍醐の教えは燈し続けられ現在に至っている。
一千百有余年の歴史をもつ醍醐寺は、日本仏教史上枢要な位置を占め、長年護り続けられてきた寺宝類の多くは国宝、国の重要文化財の指定を受けている。平成6(1994)年にはユネスコの「世界文化遺産」に登録された。
★➉外国人観光客へのおすすめベスト第1位ー「世界文化遺産.醍醐寺」のすべて②
三宝院の秀吉が設計した庭園。天下の名石『藤戸石』がある。
同寺パンフレットによると
醍醐寺の塔頭の一つである三宝院は、定賢、義範、範俊の三人の師から法を授かった醍醐寺第14世塵主・勝覚僧正が、平安時代の永久3(1115)年に創建したもので、その後、鳥羽法皇の御願寺になった。
室町時代には3代将軍・足利義満の猶子である満済准后(醍醐寺第73世座主)が、三宝院を醍醐寺の中心的な役割を担う本坊にした。満済の活躍は醍醐寺だけに止まらず、公武の調整を図りながら室町幕府の義満、義持、義教の将軍を補佐した。
その影響力は絶大で、6代将軍・義教をくじ引きで争いなく誕生させるなど、
安定した室町時代を陰で支えたことなどで知られる。
しかし、満済准后没後には京都を中心に応仁の乱(1467-1477年)が起こり、醍醐寺はもちろん、三宝院も大きな被害を受け、それ以降、本格的な復興をげることができずに130年以上の時が過ぎていった。
慶長年間に入った頃、豊臣秀吉と親交のある義演准后(醍醐寺80世座主)は、慶長3(1598)年春、秀吉によって催された「醍醐の花見」を契機に、醍醐寺の復興を秀吉に願い出た。
秀吉は「醍醐の花見」の後には紅葉狩り、また翌春には、後陽成天皇の行幸を仰いでの花見を計画していたことから、義演准后の願いを快く引き受けた。三宝院や伽藍の復興は秀吉亡き後も秀頼に引き継がれ、その援助のもと、復興された。
特に、三宝院の庭園は、秀吉自らが縄張りし、覇者の証とされた名石「藤戸石」を聚楽第から運び込むなど、天下人の庭として知られている。
現在、庭園は特別名勝・特別史跡に指定されている。 また、表書院の東側の一段高い建物は純浄観、さらにその奥には本堂があり、快慶作の本尊・弥勤菩薩、真言宗を開いた弘法大師・空海、醍醐寺を開いた理源大師・聖宝が祀られている。
★➉外国人観光客へのガイド「.醍醐寺」のすべて④秀頼の作った西大門から入り広大な伽藍に向かう。
関連記事
-
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究⑧』★『児玉源太郎の電光石火の解決力④』★『明治32年1月、山本権兵衛海相は『陸主海従』の大本営条例の改正を申し出た』★『この「大本営条例改正」めぐって陸海軍対立が続いたが、児玉参謀次長は即座に解決した』
2017/06/01 日本リーダーパワー史(8 …
-
-
知的巨人たちの百歳学(172)記事再録/「みんなで『百歳学入門』へ・超高齢社会を元気に長生きする『長寿脳』を鍛えるために』★『『定年なし、年齢差別なし、老人観の全く違う米国では65~74歳はベビーオールド(赤ちゃん老人)、75~84歳まではリトルオールド(小さい老人)、84~94歳はヤングオールド(若い年寄り)、95歳以上がリアルオールド(真の高齢者)』』
2009/06/06 /みんなで『百歳学入門』へ &nb …
-
-
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < チャイナ・メルトダウン(1057)>『劉暁波弾圧/獄死事件と、約120年前に日清戦争の原因となった「上海に連れ出して殺害した国事犯・金玉均暗殺事件」を比較する』★『中国・北朝鮮には<古代中華思想>による罪九等に及ぶ族誅(ぞくちゅう)刑罰観が未だに続いている』
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < チャイナ・メルトダウン(1057) …
-
-
終戦70年・日本敗戦史(80)戦後70年―決して忘れてはならないマッカーサー、蒋介石の寛大な処置③
終戦70年・日本敗戦史(80) 戦後70年―決して忘れてはならない敵国の寛大 …
-
-
速報「日本のメルトダウン」(496)「尖閣諸島巡る日中対立、解決の道遠く」「中国人の大半は、実は自国に失望している」
速報「日本のメルトダウン」(496) <日中衝突の未来は?> &nb …
-
-
『Z世代のための日本政治がなぜダメか、の講義』①<日本議会政治の父・尾崎咢堂が政治家を叱るー『売り家と唐模様で書く三代目』①『自民党の裏金問題の無責任・C級コメディーの末期症状!」
2019/04/21日本リーダーパワー史(2 …
-
-
日本メルトダウン脱出法(854)「偶然ではない!トランプとオバマの政策はそっくりだ」●『「斬首作戦」に慌てる北の独裁者、核発射の危険性も』●『真剣に考えた方がいい100歳まで生きるリスク』●『インタビュー:消費増税強行、かなりのリスク=浜田内閣官房参与』
日本メルトダウン脱出法(854) 偶然ではない!トランプとオバマの政策はそ …
-
-
『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座(41)』★『日露戦争開戦の『御前会議」の夜、伊藤博文は 腹心の金子堅太郎(農商相)を呼び、すぐ渡米し、 ルーズベルト大統領を味方につける工作を命じた。』★『ルーズベルト米大統領をいかに説得したかー 金子堅太郎の世界最強のインテジェンス(intelligence )』
2021/09/01 『オンライン講座/日本興亡史の研究 …
-
-
世界史の中の『日露戦争』⑥『朝鮮分割論』<日露戦争開戦37日前>『ニューヨーク・タイムズ』 1903年12月31日
『日本世界史』シリーズ 世界史の中の『日露戦争』⑥-英国『タイムズ』 米 …
-
-
「鎌倉材木座チャンネル」★「地球の命・太陽が沈む瞬間はわずか30秒の絶景サンセット』★『春一番(?)が吹き荒れた鎌倉材木座海岸』
鎌倉材木座海岸からの絶景サンセット(2023年2月17日午後5時15分) 春一番 …
