前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

●★5『 京都古寺巡礼のぶらり旅!』『秀吉ゆかりの「京都醍醐寺」全動画案内30分(9/3)』―わが 『古寺巡礼』で深く感動した古刹、庭園です②』 金堂、不動堂、祖師堂ななどゆっくり散歩

      2016/09/30

 『 京都古寺巡礼のぶらり旅!』

『秀吉ゆかりの「京都醍醐寺」全動画案内30分』―わが

『古寺巡礼』で深く感動した古刹、庭園です②』

 金堂、不動堂、祖師堂ななどゆっくり散歩

 

醍醐寺のパンフレットによると

 

真言宗醍醐派の総本山。醍醐寺は貞観16(874)年に弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝(しょうぽう)が創建した。

山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った聖宝は、白髪の老翁の姿で現れ理源大師・聖宝た地主神・横尾明神(よこおみょうじんより)、

こんこんと水(醍醐水)が湧き出るこの山を譲り受け、准底(じゅんてい)・如意輪( によいりん)の両観音を刻み、山上に祀った。

それが醍醐寺の始まりである。

 

開創後、醍醐・朱雀・村上の三代にわたる天皇の深い帰依によって山上に薬師堂、五大堂、山下に釈迦堂、法華三昧堂、

五重塔などが次々に建立され、山上山下にまたがる大伽藍が完成した。通称、山上を上醍醐、山下を下醍醐と呼んでいる。

以後も、皇室をはじめ貴族や武士の支援を得て、三宝院をはじめとする諸院や種々のお堂が建立され、真言密教の中心的寺院と

して多くの信仰を集めている。

しかし、長い歴史のなかで何度も火事にあい、応仁・文明の乱では五重塔を残して下醍醐は焼失、上醍醐も荒廃。

ながらく復興に至らずにいたが慶長3(1598)年の春、豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」を契機に秀吉と秀頼によって

金堂や三宝院、また、山上では開山堂や如意輪堂などが再建された。

 

江戸時代に入ると、醍醐寺歴代座主が居住する三宝院が、幕府より当山派修験の本山であると明確に位置づけられた。

そのことにより、山への信仰が高まり、一時衰退していた修験道も再び活気を取り戻していった。

明治維新後の「神仏分離令」や「修験道廃止令」などの数々の法難で大打撃を受けたが、歴代座主の尽力により、

開山以来、醍醐の教えは燈し続けられ現在に至っている。

一千百有余年の歴史をもつ醍醐寺は、日本仏教史上枢要な位置を占め、長年護り続けられてきた寺宝類の多くは

国宝、国の重要文化財の指定を受けている。平成6(1994)年にはユネスコの「世界文化遺産」に登録された。

 

醍醐寺の塔頭の一つである三宝院は、定賢、義範、範俊の三人の師から法を授かった醍醐寺第14世塵主・勝覚僧正が、

平安時代の永久3(1115)年に創建したもので、その後、鳥羽法皇の御願寺になった。

室町時代には3代将軍・足利義満の猶子である満済准后(醍醐寺第73世座主)が、三宝院を醍醐寺の中心的な役割を担う本坊にした。

満済の活躍は醍醐寺だけに止まらず、公武の調整を図りながら室町幕府の義満、義持、義教の将軍を補佐した。

その影響力は絶大で、6代将軍・義教をくじ引きで争いなく誕生させるなど、

安定した室町時代を陰で支えたことなどで知られる。

しかし、満済准后没後には京都を中心に応仁の乱(1467-1477年)が起こり、醍醐寺はもちろん、三宝院も大きな被害を受け、

それ以降、本格的な復興をげることができずに130年以上の時が過ぎていった。

慶長年間に入った頃、豊臣秀吉と親交のある義演准后(醍醐寺80世座主)は、慶長3(1598)年春、秀吉によって催された

「醍醐の花見」を契機に、醍醐寺の復興を秀吉に願い出た。

 

秀吉は「醍醐の花見」の後には紅葉狩り、また翌春には、後陽成天皇の行幸を仰いでの花見を計画していたことから、

義演准后の願いを快く引き受けた。三宝院や伽藍の復興は秀吉亡き後も秀頼に引き継がれ、その援助のもと、復興

された。

特に、三宝院の庭園は、秀吉自らが縄張りし、覇者の証とされた名石「藤戸石」を聚楽第から運び込むなど

、天下人の庭として知られている。

現在、庭園は特別名勝・特別史跡に指定されている。 また、表書院の東側の一段高い建物は純浄観、

さらにその奥には本堂があり、快慶作の本尊・弥勤菩薩、真言宗を開いた弘法大師・空海、醍醐寺を開いた理源大師・聖宝が祀られている

 - 人物研究, 健康長寿, 湘南海山ぶらぶら日記

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(948)-『日中関係150年史』★『 アジアが世界の中心となる今こそ,100年前に <アジア諸民族の師父と尊敬された大アジア主義者・犬養毅(木堂)』★『アジアの共存共栄を目ざした犬養毅を パールバックはガンジーらとともに高く評価した』

日本リーダーパワー史(948) 人気記事再録<21世紀の新アジア・グローバル主義 …

no image
世界のプリマドンナ「オペラの女王」・三浦環

一九二〇年(大正9)3月、三浦環はローマの国立コンスタンチ歌劇場で「蝶々夫人」に …

no image
日本リーダーパワー史(249)<道州制導入の橋下維新党は竜馬よりも西郷隆盛の超リーダーシップを見習え②

日本リーダーパワー史(249)   <道州制導入の橋下維新党は竜 …

no image
日本天才奇人伝⑤近代の巨人・日中友好の創始者・岸田吟香伝②荒尾精ら情報部員を支援、中国各地で情報収集

日本天才奇人伝⑤       近代の巨人・日中友好の創始者・岸田吟香伝② <陸軍 …

no image
★新連載<片野 勧の戦後史レポート>①「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)①『婦人参政権の獲得 ■平和なくして平等なし』(市川房枝の活躍)

  「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)① 片野 勧(フリージャーナリス …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(25)『南シナ海、尖閣諸島での紛争は戦争に発展するのか』★『中国は壊滅的打撃受け、今までの発展が水の泡に 米中開戦のシミュレーション、ランド研究所が公表』●『「中国への対応は日本が決めること」と米専門家 エスカレートする中国の尖閣侵入、米国はどう見ているのか』●『日本の甘い対応に増長する中国、危うし東シナ海 自民党は「一触即発」事案を検証し、法改正につなげ』

  日中北朝鮮150年戦争史(25) 南シナ海、尖閣諸島での紛争は戦争に発展する …

no image
★『オンライン/天才老人になる方法➄』「世界天才老人NO1・<エジソン(84)の秘密>とは』ー『発明発見・健康長寿・研究実験、仕事成功10ヵ条」★『 生涯の発明特許数1000以上。死の前日まで勉強、研究、努力 を続けた』

     2014/07/16 &nbs …

 『オンライン講座・日本リーダーパワー史研究・山県有朋とは一体何者か!』★『国葬で菅元首相が読み上げた弔辞で紹介された山県有朋が一躍トレンド入りをした』★『政党政治の父・原敬は藩閥政治の元凶・山県閥をどう倒したか』(服部之総の「原敬百歳」を読む)

日本リーダーパワー史(289)「政党政治の父・原敬は藩閥政治の元凶・山県有朋をど …

no image
日本の「戦略思想不在の歴史」⑵(記事再録)-日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか②『「モンゴル帝国は計6回も日本に使者を送り、外交、貿易、 属国化を迫ってきた』『日本を攻めようにも風涛艱険で、 モンゴル軍が安全に進攻できるところではない』

「モンゴル帝国は計6回も日本に使者を送り、外交、貿易、 属国化を迫ってきた』『日 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(139)再録/-日米の歴史、認識コミュニケーションギャップ・相互理解の難しさ①<ー1860年の日米通商条約から150年目―>『 初めて見るキッスに仰天!気味が悪い』『 アメリカ・こんな無礼な国はないぞ』『大統領選挙を理解できず、入札とおなじとみる』

   2010/06/09  の記事再録 …