『「申報」からみた「日中韓150年戦争史」(68)『(日清戦争開戦2ヵ月後「罪言―中国の敗因は旧弊悪習を改め、汚職官吏を除くこと」
2015/01/01
『「申報」からみた「日中韓150年戦争史」
日中韓のパーセプションギャップの研究』(68)
1894(明治27)年10月5日 光緒20年甲午9月7日『申報』
『(日清戦争開戦2ヵ月後―「罪言―中国の敗因は
旧弊の悪習を改め、汚職官吏を除くこと」
この以下の記事を読んで感じるのは、
① 100年変わらざる今の中国共産党一党独裁支配における汚職体質である。これは中国の1000年以上にのぼり連綿と続くもので、習近平国家主席がいかにがんばっても変えることはできない支配層、官僚の腐敗汚職構造体質である。
➁ 明治の日本の発展はリーダーたちが鎖国を破り、西欧の近代的な政治社会体制を学び、科学的、合理的な思考方法にいち早く切り替えたことである。
いま、日本の大学生の内向き志向は強く消極的で、海外留学組は最低に落ち込んであり、米ハーバード大への留学生をみても中国留学生が100人以上、韓国人が50人、日本人はわずか0-10人と圧倒的な差がついている、という。
20年後の世界で活躍する若者のこうした向学心の衰退をみるにつけ、≪超高齢化・少子化>日本の将来が不安になってくる。(前坂俊之)
客がいた。彼は6,7年前旅支度をして日本に渡り.かの国の士大夫と交際して樽酒を酌み交わし,琴を弾いて歌い,互いにやりとりして.ほしいままに陸海両軍の制度,武器製造の場所,陣営のいかに堅固なるか,海岸のいかに重要な地を占めているかをっぶさに見聞することができた。
帰って友人と談論して言うには,「わが国と日本は同じくアジアにあり,文字や顔形も同じで,一切の制度や文章もまたわが中国と昔は甚だしく異なるものではなかった」と。
同州の誼(よしみ)として.両国の和平はもとより間隙があってはならないことを論じて言う.
「礼物をやりとりして長く和らぎむっまじくすれば,内は謀反をなくし,外は強い隣国の侵略を防ぐだろう。ところがもしいったん和平を失えば,ただ外国に折あらばと隙をうかがう気持を抱かせるのみならず,両国の強弱の情勢も明らかに現すだろう。なぜならば.中国の人民が日本に10倍し,中国の兵隊の数はまさに日本の20倍であるといっても,中国の兵制はまだすべての旧套が改められてはいない。昔.人並みはずれた勇猛な兵を用いて国に仇する外敵を削
り平らげると言っていたが,もしいったん外国と交戦すれば.おそらく昔勇猛と称された兵は手を束ねてなにもできないに違いない。そして地方の軍務を司る大官はただ軍糧を搾取して自らを肥やし,毎日酒色にふけり,夜を日は継いで楽しみ飽きることを知らない。
甚だしいものは年中軍営におらず.訓練のなんたるかを全く知らない者がある始末だ。日本では兵士の数は少ないけれども.将兵とも実によく心を1つにしている。そもそも兵を統べる大官は学校出身者であり,学成って後西洋に赴いて身を軍に投じ,訓練苦労を重ねて辞さない。このように10年,20年して.必ず兵士より武官となり,その後速やかに本国に帰り,軍令は手中にあるごくしっかりと握られ,号令は風のように速やかに行われる。
山県有朋・榎本武揚のような今の官爵高く一方面の軍略に当たる者は.皆かつてヨーロッパにあって軍籍にあり武器を担っていた者だ。そして武官だけがそうだったわけではなく,文官もまた同様だった。
聞くところによると明治維新のとき.子爵の伊藤博文はヨーロッパの国情を詳かに学ぼうとしてその門に入る糸口を見つけられず深く苦しんでいた。そこで西洋の宮人の某氏を頼って卑しい職に当たり.10余年を経て初めて日本に帰り,今は堂々たる首相だ。
このように臥薪嘗胆し,深く謀をめぐらして,初めて長い間の弊害をすべて取り除き,重く国勢を張ることができたのだ。試みに尋ねてみよう.中国にはこれができるか,できないか。
だから私から見れば,中国はただ隣国と誼を結んでむつまじくし,決して軽々しく戦争を始めるべきではない」と。
客が言ったのはこのようだった。このとき同席して聞いていた友人の中には.その言を軽蔑して常識に背くとする者がおり,笑って考え過ぎだとする者もいた。中には気違いじみているとみなして「こんなことを
言う者は,他日ひとたび戦争となれば,心変り、して日本人の術中に陥り,日本のための漢奸となるだろう」と言う者さえもあった。
客はついにただ黙ってしまい,官を辞して隠退し,書を著して,みだりに中国と外国のことをロにしなくなった。ところが今年,日本と朝鮮のことが起こるに及んで,中国はちっぽけな島国がわが藩属を侵すがままなことに甘んぜず,大兵を整え大将を派遣し.船隊を連ねて東に渡り義によって言葉を尽くしたが,かの国はなおほしいままに横行し.全く信義を忘れていた。
そこで天子は大いに怒り,勅令を下して開戦したのだ。初めは敵兵の数も多くなく,わが軍にくじき破られ,わが軍は平壌を救い収めて平陽に至り,勝ちに乗じて長駆し,すぐにもソウルを収め回復しようとしていた。急ぎの知らせで勝利を報告すると,国中が歓喜した。そこで先の客の言を常識に背くとしたり.考え過ぎであるとした者は群をなしてののしり,先の人を指して本当
の漢奸として言うには,「昔かつて中日の兵力の強弱は同じでないと言っていたが,今そうではないではないか」と。その人は隠棲先でこれを聞いてますます恐れ,あえて1語もロに出すことはなかった。
ところがしばらくして日本兵の数はますます多くなり,その数は10余万をもって数えるほどに達した。一方,中国軍の陸路によって進軍する者はただ時を延ばしてちゅうちょしているだけでなく,そもそも数も多くはなかった。
そこで平壌は失われ,左総兵は殉死したと告げられた。甚だし壷は義州がすでに陥落し.わが軍は退いて九連城・鳳皇城に至ったということだった。ああ,
ああ.どうして倭奴の勢いの盛んなことがあのようであり,わが軍の恐れはばかることがついにこのようになってしまったか。
客はそこで仰天して痛く悲しみ嘆き,つまずき長息して寝食を忘れること数日。やがて決然として立ち上がり筆をとってしきりふもに揮い,大いに議論を発して言うには,「これは日本軍の勢いの盛んなためでもなく.またわが軍の怯儒なためでもない。実に役所の悪習がもたらしたものだ。そもそも中国の官吏は必ずしも敵人に通じているわけでもなく,必ずしも国家を害する木くい虫でもない。これはただ,居るところの地位は人格を変え.栄養は肉体を変えるという
ことによるもので.ふだん高い地位におり,声色・玩好の楽しみをきわめているからだ。文官はぜいたくに安逸に暮らし,財を命のように愛し.国の謀や外国の情勢を知らない。
ただ単に列に連なっているだけの人だとそしられたり,いたずらに官禄を食んでいるだけの人と譲られてもしかたがない人たちなのだ。両軍が交戦し砲火が天にとどろくような事態に直面すると,なお恥を忍んで生き永らえようとして.甘んじて巨額の金を費やして軍費を償い,戦争を速やかに終結させ,一時逃れに目前の危険を免れようと思うだけだ。武官は粗野で無学で,行軍の道程,大砲の決り,船を走らせる一般的な規則を語らせても,・全く知るところがなく.耳をふさいで聞こうともしない。ただ妓女をそばに侍らせ.花を見.歌を歌わせ,舞を舞わせ,金を湯水のように使う。意気はおごって荒々しいが.その使っている金はどこから来ているのだろうか。
それはもとより兵士や民間人からはぎ取ったもので.かの盗泉に等しい者どもである。こうした人に,なおよく敵を殺し果敢に戦場に力を合わせることを望み得ようか。今は過去のことはとがめずにおこう。
望むところは,聖天子が聡明ですぐれて賢く,照らし輝くこと神のごとくであって,このようなむさぼる官吏や意気地のない大将をことごとく除き,重く天子の大権をふるい,古い習慣を改めないために衰え弱ったものをきれいさっぱり洗い流し,まず官界を正しく整えさせ,清廉な者を傷つける汚職官吏を除き去っていただきたい。次には,軍隊を整え,西洋の良法を集め.勤め用いて慣らすようにし,強力にこれを実行すれば,10年にして見るべき効果が現れることは期待できる。そうなれば,ただ倭奴が猛獣のように暴れ回ることも決してなくなるだけでなく.西洋諸大国を超えることも決して困難ではないだろう。なんとすばらしいことではないか。なんとすばらしいことではないか」と。客の論説はすでに成り,もたらして執筆者に示された。
執筆者は言う.「これもまた,杜牧の罪言である」と。今,このことを実行できていないとはいっても.この言葉はなくてはならない。そこで取急ぎ印刷に付し,「罪言」と題した次第だ。
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