『「日中韓150年戦争史」 パーセプションギャップの研究』(70)『(日清戦争開戦3ヵ月後)中国か変法自強すべきを諭す」(申報)
2015/01/01
『「申報」からみた「日中韓150年戦争史」
日中韓のパーセプションギャップの研究』(70)
1894(明治27)年10月22日 光緒20年甲午9月24日『申報』
『(日清戦争開戦3ヵ月後―中国か変法自強すべきを諭す」
ああ,天下の憂いはすべて防備の隙をついて訪れる。昔の海上の防衛は東南に重点を置いていたが.今は西北に重きを置いている。海上貿易の禁が解け.諸外国が中国の門をたたいて貿易を求めるようになってから久しいが,その間彼らは精巧な技巧や,すぐれた技術をわれわれに見せびらかし.経済的・軍事的にすぐれた道具をもってわれわれを侮辱し.ときにはほしいままに陰謀を企ててわれわれの儀土を犯そうとしてきた。彼らの本心は推し量ることができな
いが.彼らがしばしばわれわれをペテンにかけてきたことから,その片鱗は見てとることができる。
われわれの垣根を取り除いたからには必ずや母屋の奥をうかがうだろうという,そのあくなき欲望はこのようである。思うに.事態の変化がこうまで急であり.時代がこうまで難局を迎えるのは.皆この数十年のうちのできごとだ。だいた
い開閉以来,神からの恩恵の多さと文物の豊かさという点において中国の右に出る国などなかった。しかし,西洋の強国が四方を取り巻くこの状況は.堯舜,周公,孔子の防ぐことのできないものだ。現在でさえこのような有様なら.将来はいったいどこまで事態が悪化するか知れたものではない。
時局の変化の応じない限り,長く維持することはできないのだ。だから時宜を得た処置が必要とされるのだ。大昔,中国が栄えた時代には,たとえ困難が多くとも国を保つことはできたし.たとえ憂いが起こったとしても皇帝が力を尽くした。
しかし,現在われわれは未曾有の局面に適通しており.未曾有の大計画を展開
せねばならない。そうであればこそ.変法自強の手綱を緩めるようなことがあってはならない。今,試みに中日両国を比較しながら論じてみよう。
日本は,東の海の端の辺部なところに位置する弾丸のように小さな島国だ。その面積は中国の2.3省を合わせた広さにも及ばず.土地の大きさ.人民の多さ,財力の豊かさ,産物の豊富さと,いずれをとっても中国の比ではない。しか
し,この数十年というもの,日本はその古い習慣をことごとく放棄して,専ら西洋諸国の長所を学び,西洋のやり方を模倣し,西洋の学問を尊び.兵の訓練.艦船の購入,機械の生産,財政の運営など,専ら西洋人の言うことに従っている。
西洋人自身も彼らの変法があまりも性急であるのを笑ったものだが,彼らはそれを意に介さず,毅然とした態度でこれを遂行した。はたして,月日を追うごとにこの動きは盛んとなり,ヨーロッパ諸国から購入する艦船・機器・弾薬は数えきれないほどになった。
10年の間.苦心して国の計画を実現したのは,わが中国にまでその触手を伸ばすためだったのだ。日本は国が小さく民が貧しいため,皆自分に蓄えがないことを自覚している。
近年では外国から物を買ったことから費用がかさみ,ますます乏しい状態にあったけれども.長いこと日本と商取引をしている者が言うには,西郷隆盛を平定して以来というもの,日本は治世に努め.その国庫にはすでに4000万金を蓄積しているとのことだ。おそらく有事の際に備えて長いこと配慮をめぐらせてきたのだろう。
しかるに中国は.ぼんやりとしてそれを知ることもなく.のんびりと構えて備えるところがなかった。開戦以来今に至るまで,日本は他国の軍艦をすでに20隻余りも購入しており,わが国の艦船は三菱の船が軍隊を棲んですさまじい勢いで続々と往来するのを1隻とて阻止することができなかった。わが国はわずか4隻を借りて軍隊を輸送するだけで,南にある招商局の船は,ただ海上に停泊させるに任せて1度も使用していない。
フランス人との和議が結ばれると,すぐに「10年以内は.外国から武器を購
入してはいけない」との勅令が出た。また,アメリカ人が爆薬を隠し持っていたという一件があって以来,「今後は外国の武器を輸入してはいけない」という勅令が下され,倉庫に保管する際には必ず各省の督撫の証明を受けて初めて搬入が可能となる有様だった。
こんなことだから,有事の際にあわてて外国系商社へと詰めかけて武器を買お
うとしても.供給ができず,粗悪品を高値で売りつけられるということになる。在庫品がないのだからどうしてより好みでさようか。ましてや売手の側で私腹を肥やそうとしているとなればなおさらだ。そして.戦場に臨んでは機を逸し.軍を進めては事を台なしにしてしまうという最悪の事態に立ち至るのだ。こんなことはすべて,あり得べき事態た備えて緩んだたがを締め直し.非常時に備えて物事を整えておくといった周到さに欠けていることに起因するものと言えよう。
日本の大臣たちは「実事求是」の精神を持し,務めをなすにあたっては苦労を厭わない。黒田が各国を巡り,伊藤が西洋の政治を学んだというのは.いずれも長い年月に及ぶことだった。彼らは共に,軍隊にあっては士卒に先んじて身を風雨にさらし.部下と甘苦を共にしている。
機械工場や兵器工場での製造は,昼夜を問わず監督がゆきとどいており.だれも怠けようとせず.製品の良質なものと粗悪なものとをより分け,射程距離の遠近を調べてからこれを軍隊に配るのだから,その大砲の砲弾は遠くまで一律に命中し,むだ玉は全くないということになる。
一方の中国では.大臣たちは経営管理もすべて人任せ。文官ばかりか.武官までもがゆったりと落ち着き,飲食や遊戯にうつつをぬかし,普段は職務をおろそかにしている始未だから.どんなにか物事がいい加減になっているか知れよう。有事の際ともなれば救いがたい事態に立ち至ろうというものだ。
日本が最近建設している学校は.専ら西洋のやり方に倣ったものであり,そこで教える軍事技術,行軍の方法.陣地設営の技術はどれも実用に照らし合わせたもので.うわべだけの教養を尊んだりはしない。日本が豊富に人材をそろえて,彼らを必要時に備えているゆえんである。
中国ではそうではない。すべての州・郡・府・県の諸学は教官を立ててはいるものの,彼らは皆定職のない下級官吏で取るに足らない者たちとみなされている。軽率に無知な者を教官の職につけてしまうため.長い年月がたっても,ここで1人の立派な学生が養成されたという話はついぞ聞いたためしがない。
その学宮【公立の学校】の中は草が茂って道もふさがれるありさまで,1人でも学生がここに来たという話をかつて耳にした覚えがない。書院【私立の学校】で担当教師を招いて.毎月時文や経文,詩賦などの授業をしたところで,結局うわべだけの教育に過ぎない。およそ担当教師になるような人物というのは,自分の上に立っ当局の人々の成功の度合によって身の処し方を決め.自分が教えた子弟の中からどのくらい合格者が出るかでもって出処進退をはかる輩だ。
彼らは私情にとらわれてうわべだけを取り繕う。学生に対してはなんの足しにもならず,人材に対しては,なお役に立たない。
中国では,通常時文【八股文】によって士人の採用を審査しているが,しかし.いざ官吏となり身をささげて民を治めるとなれば.そんなものがなんの役に立つというのだろうか。習ったことは実際の役には立たず,実際の役に立つことは得意とするところではない。
時文を廃止しない限り.すぐれた人材をすくい上げようにもすべがない。結局.中国で変法を行うというのならば,まず何よりも学校が振興されねばならない。具体的には.沿海の直隷と各省にそれぞれ水師学堂.武備学堂.芸術学堂を設
置し,次第にこれを内地へも普及させていくべきだ。学生には幼少のときに習ったことを,成長してから必ずやその成果をすべて実用へと直結させる。
このほか,軍艦に乗っている者は船を動かすことに熟達し,銃砲を扱う者は撃ち方を熟知し,軍中全員が陣営の組み方を心得.歩調を整えたり隊列を編成したりといったことについては当然ふだんから訓練し,さらに,砲台を築いたり陣営を建設するにあたっては技術の枠を凝らすというのであれば,いかなる敵もすでに恐れるには足らない。
しかし.もし時は太平の時代なりなどと構えて,一切を無用のものとみなし,営兵にはろくに訓練も施さず,軍隊の兵員数が定員を割っても実際はやつれた老人を数に充て.あるいはさらに人員を削減して.1人にいくつもの仕事を受け持たせて舵取りと水夫とを兼業させていれば,いざ有事の際に召集をかけたところで市井の民衆を戦場に送り出すようなものだろう。砲台は壊れるに任せ,大砲はさびるに任せ.以前から力を結集し巨額を投じて建設してきたものは,後人たちが他人に惑わされて廃止してしまう。
兵卒は将校を知らず,将校は兵卒を知らない。こんなことでどうして勝利を望めようか。今変法を求めるのであれば.まず旧来のやり方を廃止し.措習を捨て去り,資格によって人材を限定することなく,英傑の士は序列にかかわらず抜擢していかなくてはならない。また,法律規則にがんじがらめになることなく,六部【中央官庁】が温存してきた旧例を一掃して,これをきれいさっぱりなくしてしまわなければならない。
関連記事
-
-
<イラク戦争とメディア> 『グローバルメディアとしてのアラブ衛星放送の影響』―アルジャジーラを中心に(下)ー
静岡県立大学国際関係学部紀要「国際関係・比較文化研究第2巻第2号」〈2004年3 …
-
-
終戦70年・日本敗戦史(100)【再録】太平洋戦争下の新聞メディア-60年目の検証 ①「マス・コミュニケーション研究No66」(2005 年2月)
終戦70年・日本敗戦史(100) 太平洋戦争下の新聞メディア―60年目の検証① …
-
-
日本リーダーパワー史(824)『日本は今、「第3の国難<日本沈没>の危機にある。』 ★『明治の奇跡・日露戦争を勝利のスーパープロデューサーは児玉源太郎である』★『「国難にわれ1人立たん」の決意で参謀本部をになった児玉の責任感こそ見習うべきで時であろう。』
日本リーダーパワー史(824)『明治裏面史』 ★ ① 明治の奇跡・日露 …
-
-
『トランプ大統領と戦う方法論⑰』★『明治の国家参謀・杉山茂丸の国難突破・交渉力を見習え」➃』★『軍事、外交は、嘘(ウソ)と法螺(ほら)との吐きくらべで、吐き負けた方が敗れる』★『杉山35歳は一片の紹介状も持たず単身渡米して金融王・モルガンを煙に巻き、1億3000万ドル(約1900億円)の融資に成功した。』★『その時のタンカの切り方』
2024/11/15/記事再編集 2014/08/09 /日本リーダ …
-
-
『Z世代のための<日本安全保障史>講座③」★『明治の富国強兵/軍国主義はなぜ起きたのか』★『明治政府が最初に直面した「日本の安全保障問題」は対外軍備を増強であり、ロシアの東方政策に対する侵略防止、朝鮮、 中国問題が緊急課題になった』★『現在の対中国・韓国・北朝鮮問題の地政学的ルーツである」
2015/11/25/日本リーダーパワー史(612)日本 …
-
-
『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』⑤『ロシア革命への序曲、血の日曜日、戦艦ポチヨムキンの反乱など本格的な武力闘争へ』
『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』⑤ 『ロシア革命への …
-
-
片野勧の衝撃レポート(59) 戦後70年-原発と国家<1945 ~52> 封印された核の真実④-隠されたヒロシマ・ナガサキ②
片野勧の衝撃レポート(59) 戦後70年-原発と国家<1945 ~52> 封印 …
-
-
『Z世代の日本ための日本インド友好史①』★『インド独立の原点・日本に亡命帰化しインド独立運動を指導したラス・ビハリ・ボース (新宿中村屋ボース』
2015/01/01日本リーダーパワー史(415)再編集 <歴史読本(2010年 …
-
-
『オンライン/75年目の終戦記念日/講座』★『1945年終戦最後の宰相ー鈴木貫太郎(78歳)の国難突破力が「戦後日本を救った」』★『その長寿逆転突破力とインテリジェンスを学ぶ』
2015/08/05 日本リーダーパワー史(5 …
-
-
『ウクライナ戦争の終わらせ方の研究①★『独裁者・プーチンが核兵器発射で脅している戦争を終わらせるのはなお難しい』★『太平洋戦争を鈴木貫太郎首相と昭和天皇の<阿吽の呼吸>で玉音放送で終結させた国難突破力は世界史にも例がない』
日本リーダーパワー史(746)歴代宰相で最強のリーダーシップを発揮したのは第2次 …