「Z世代のための日本宰相論」★「桂太郎首相の日露戦争、外交論の研究①」★『孫文の秘書通訳・戴李陶の『日本論』(1928年)を読む』★『桂太郎と孫文は秘密会談で、日清外交、日英同盟、日露協商ついて本音で協議した①』
2025/01/24
2011/08/29 日本リーダーパワー史(187)記事再編集
以下に紹介するのは100年前の桂太郎と孫文との秘密会談に同席した戴李陶の『日本論』(1928年)の「桂太郎論」である。
桂太郎は日本の総理大臣では最長の在任期間(第一次内閣1901(明治34)6月―1906年(同39)1月)であり、その間に、日露戦争に勝利するという最大の成果を上げた。しかし、日本での評判は低く、2流の宰相と位置づけられている。ところが、孫文、戴李陶の評価は全く逆の最高である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B4%E5%AD%A3%E9%99%B6
<戴李陶の『桂太郎論』(1928年)より>
私は叙述にも批判にも一切の遠慮を排して、歯に衣を着せずに書くつもりだから。 民国二年(1913年、大正3)2月、総理中山先生(孫文)=当時は鉄道大臣の肩書き=がわざわざ日本を訪問された。その際、私は総理の秘書として随行し、六十日にわたる滞在中、すべての講演、宴会、交渉に、全部立ち会った。その一つ一つのいきさつを、今でもこと細かに記憶している。
というのは、通訳を全部、私がつとめたので、いつでも二度聞く、二度話す機会があったからである。その後は、対日交渉を総理が私に当らせるようになったので開くのも話すのも一度きりとなり、そのため記憶が最初のときよりうすい。
民国二年(1913年、大正3)のときは、東京滞在が四十日、その間、とくに記憶に留めたいのは、ほかでもない、中山先生と桂太郎公爵(1848-1913⊥)との会見である。桂太郎といえば、よく知られているように、日本の軍人政治家中もっとも有能であり、またもっとも長く政権を握った人物である。日本に内閣制度が誕生して以来、かれほど長く総理をつとめた人物はいない。
伊藤博文と比較してみると、伊藤は組閣三度、在任期間は合わせて六年十ヵ月であるのに対し、桂太郎は組閣は同じく三度だが、在任期間の総計は七年十ヵ月に達している。第一次の桂内閣は、明治三十四年六月から三十八年十二月まで続いた。この数年間に、かれは日英同盟と日露戦争という二つの大問題を手がけた。外交史をふりかえってみればわかるように、イギリスは百年来「栄誉ある孤立」を標榜して、いかなる国とも同盟関係を結んだことがなかった。そのイギリスが百年来の伝統的政策である「栄誉ある孤立」を棄てて、日本との同盟に踏み切ったのは、もちろん、これが民族の興廃と国家の存亡とに関する重大事であると認めたからである。
日本側からすれば、不平等条約の束縛から解放されてまだ十年にも満たぬ東方
の一新興国が、世界一の強大な帝国と攻守同盟を結び、さらに世界一の大陸国家(ロシア)を破るという輝かしい歴史を築いたのである。まさに日本民族奮闘の最大の成果というべきだ。それにとどまらず、この大事件は全世界を震憾させたといっても過言ではない。
日本の戦勝の結果、東方民族は西方民族に勝てないという催眠術から解かれて、全東方民族の動きががぜん活発になった。これを起点として、世界に民族革命の新しい潮流が起こった。
また、英仏協商と三国協商も、ロシア敗戦の結果として生まれたのであり・五年にわたり、二千万の犠牲者を出した第一次世界大戦、それにともなうロシア、ドイツ、オーストリア、トルコの四大帝国の崩壊も、すべてここを起点としている。
ことの是非は別として、初舞台の四年七ヵに桂太郎があげた成果は、世界史上空前の偉観であった。桂太郎の事績として世間に知られているところは、およそ以上である。だが、一般には知られていないが、かれは日露戦争後の計画として、驚くべき腹案をもっていたのである。
かれの高い見識、鋭い洞察力、臨機応変の才覚は、たしかに最近の日本の政治家など及びもつかぬものがあった。中国で辛亥革命が成功したとき、かれはわざわざ中山先生のもとに使者を送り、親近の意を表している。
中山先生の日本訪問に際しては、たまたま、第三次内閣の総理であったかれは、ひそかに中山先生と二回にわたって密談をとげた。この二回の密談では、双方とも腹蔵なく意見を交換したといえる。これ以来、かれと中山先生とは、互いに深い敬愛の念を抱き、互いに大きな期待を寄せるようになった。
桂太郎の訃報に接したとき、中山先生はため息をもらして、「もはや日本には、ともに天下を語るに足る政治家はいなくなった。今後、日本に東方政局転換の期待をかけることはできない」といった。
また桂太郎は死の直前、つき添っていた、ある親しい人物に、「孫文の袁世凱打倒を援助して、東方民族独立の大計を達成することができなかったのは、わが一生の痛恨事である」と語ったという。
二人のことばに込められた感慨から、桂太郎の胸中を察し、その気魄を感じとることができよう。一人は帝国の軍閥の領袖、一人は民国をひらいた革命の領袖、一方は軍国主義の権化、他方は三民主義の指導者、この対極的な二人が、どうしてこれほど相互理解を深めえたのか。
それは、かれらの相互理解と相互信頼とが、学術思想あるいは国家思想の上ではなく、東方民族の復興を中心とする世界政策の上にあったからである。
桂太郎と中山先生との密談は極秘密談は、のべ15、6時間に及んだが、そのときの桂太郎の発言の要旨は、ほぼ次のようなものであった。
①桂太郎の発言の要旨は、
「清朝政府の時代は、もちろん東方の危機が極点に達した時代であるが、同時に失望が極点に達した時代でもあった。あの腐敗した朝廷と政府には、存立発展の可能性は見出しようもなかった。しかるに西方からの圧迫は強まるばかり、とりわけ、軍国主義の大陸国ロシアは強大無比の武力によって北方から、海上の覇王イギリスは強大無比の経済力によって南方から、それぞれ圧迫を加えてきた。
当時の日本は、自力で生存を図る以外に道はなかった。自力生存のためには、イギリスとロシアの双方に同時に抵抗することは、絶対にできない。さいわい、アジアにおけるイギリスとロシアは利害が鋭く対立していたので、われわれはこの対立を利用して、イギリスと同盟を結び、僥倖(ぎょうこう)にもロシアを破ることができた。
ロシアという敵は、東方にとって最大の敵ではなかったが、もっとも急を要する敵だった。ロシアを破ることによって、当面の危機は救われたが、こうなると、東方がイギリスに独占される恐れが生じた。日本の海軍力はイギリス海軍の敵ではないし、日本の経済力はイギリスの足もとにも及ばない。自分は日露戦争までは、日英同盟を実現すべく極力つとめたが、日露戦争の結果がすでに明らかとなった今では、もう日英同盟の役割は完全に終わった。
つづく
関連記事
-
-
『オンライン死生学入門』★『中江兆民(53歳)の死に方の美学』★『医者から悪性の食道ガンと宣告され「余命一年半」と告げられた兆民いわく』★『一年半、諸君は短いという。私は極めて悠久(長い)と思う。 もし短いと思えば五十年も短なり。百年も短なり。生命には限りがあり、死後には限りなし」(『1年半有』)』
2015/03/19/『中江兆民(53歳)の死生学』記事転 …
-
-
知的巨人の百歳学(153)記事再録★『昭和経済大国』を築いた男・松下幸之助(94歳)の名言30選」/★『松下の生涯は波乱万丈/『経済大国サクセスストーリー』● 『企業は社会の公器である』 ● 『こけたら立たなあかん』● 『ダム経営は経営の基本である』● 『経営は総合芸術である』●『無税国家」は実現できる』●『長生きの秘けつは心配すること』
2016/12/23 記事再録/『明治から150年― 日 …
-
-
近刊紹介「痛快無比!ニッポン超人図鑑ー<奇才・異才・金才80人の面白エピソード>」<新人物文庫、1月10日刊行>
『痛快無比!ニッポン超人図鑑』<奇才・異才・金才80人の面白エピソ …
-
-
『オンライン100歳学講座』★ 『日本一の大百科事典『群書索引』『広文庫』を出版した物集高量(朝日新聞記者、106歳)の回想録」★『大隈重信の思い出話』★『大隈さんはいつも「わが輩は125歳まで生きるんであ~る。人間は、死ぬるまで活動しなければならないんであ~る、と話していたよ』
国語学者・物集高量(106歳)の思い出話は超リアルだよ。 大隈さん …
-
-
日本メルトダウン脱出法(844)『米海軍トップが新たな戦略構想を発表ー「情報」をさらに重視し、ロシアと中国を警戒』●『尖閣諸島防衛、やってはいけないこと、やるべきことー安易な自衛隊投入は国の破滅、まずは海保の強化を』●『中韓露にも遅れる日本、3Dプリンター軍事転用を急げ 兵站が脆弱な日本には必須技術のはず』● 『「田中角栄は米国につぶされた」説は正しいのか? ロッキード事件「米国謀略」説を当時の取材統括者が否定(古森義久)』
日本メルトダウン脱出法(844) 米海軍トップが新たな戦略構想を …
-
-
<イラク戦争とメディア>『グローバルメディアとしてのアラブ衛星放送の影響』―アルジャジーラを中心にー(上)
静岡県立大学国際関係学部紀要「国際関係・比較文化研究第2巻第2号」〈2004年3 …
-
-
日本リーダーパワー史(694)『ブレブレ」『右往左往』「他力本願」の無能なリーダーが日本沈没を加速させているー日本の決定的瞬間『西南戦争』で見せた大久保利通内務卿(実質、首相)の『胆力』『不言実行力』「不動心」を学ぶ①
日本リーダーパワー史(694) 『ブレブレ」『右往左往』「他力本願」の日本の無能 …
-
-
★『オンライン70歳講座』★『今からでも遅くない、70歳からの出発した晩年の達人たち』★『農業経済 学者・近藤康男(106歳)ー70才の人生の節目を越えて、以後40冊以上の超人的な研究力』★『渋沢栄一(91歳)-不断の活動が必要で、計画を立て60から90まで活動する,90歳から屈身運動(スクワット)をはじめ、1日3時間以上読書を続けた』
百歳学入門(88)農業経済 学者・近藤康男(106歳)ー70才の人 …
-
-
日本のメルトダウン(532) 「ニューエコノミーを目指す中国の奮闘」(英FT紙)◎「アメリカで叫ばれ始めた「台湾放棄論」―
日本のメルトダウン(532) ◎「荒れる …
-
-
速報(38)『日本のメルトダウン』53日目ー『浜岡原発を即ストップせよー山田孝男記者(毎日)がんばれ!』
速報(38)『日本のメルトダウン』53日目 ◎『浜岡原発を即ストップせよー山田孝 …