前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(160)『3・11<第3の敗戦>からの復活は可能か?ー明治維新の志士は20歳の若者』

      2017/06/21

日本リーダーパワー史(160)
『3・11<第3の敗戦>からの復活は可能か?ー
日本をチェンジせよー明治維新の志士は20歳の若者たち』

                      前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
21世紀の地球・自然環境の大異変、22世紀には世界人口100億人には達するという人口爆発、グローバルな国際関係の猛スピードのパワーシフトという大転換の中で、船長不在で漂流を続ける日本丸は船底の亀裂から海水が流れ込み、1000兆円の借金で、転覆寸前の状態である。
しかも、3・11核自爆が船内であり、一層の混迷状態が続いているが、船長以下、乗組員のサボタージュは沈没をよそに、より激しくなっており、亡国から『第3の敗戦』不可避な情勢になっている。
徳川幕府の崩壊(明治維新の誕生)→大東亜戦争の敗戦(高度経済成長による経済大国への出発)→3・11『日本メルトダウン』でえあり、その先にこれまであったような明るい未来→21世紀の日本復活?は可能なのだろうか。
残念ながら、3回目の奇跡の復活は諸条件を考えた場合は非常に難しいと思う。なぜか! 

① 少子超高齢化社会で、変革を担うべき若者青年が少なすぎる。
② 人口の4人に1人が65歳以上のお年寄りで、老害を社会全体に与えていること。
③ これからの日本は世代間格差、世代間闘争の時代に入る。金も力ももった老害が日本社会の活性化の阻害になる。老害こそ戦犯である。その面で、各界を停滞させた老人、老害は一斉に責任をとって総退陣すべきであろう。
④ また、今の20代、30代の若者、青年そのものにかつての明治維新を興した志士たちの変革パワーや、1945年の敗戦後に、日本の社会、政治を変革した若者のようなエネルギーが感じられない。中東のフェイスブック革命をおこした青年のエネルギーのようなものがないのが残念である。
⑤ その日本の各界に占める大きな老害、制度崩壊とこれをぶち壊す若者のチェンジエネルギー不足が、日本の沈没の原因でもあり、日本の第3の復活の困難さを示している。
⑥ 今回の日本のメルトダウンの原因の1つが教育制度の失敗であり、原発事故、官僚の腐敗体質も『東大・教育の犯罪、失敗』であることは、識者の以前から指摘していたことだが、ああらゆる分野での総懺悔と見直しこそもとめられる。太平洋戦争での敗戦のように、日本全土が徹底した破壊、殺戮され、最後には2発の原爆が投下されたように目に見える破壊・原爆死ではなく、この3・11放射能長期被曝下という『静かなる戦争、それによる目に見えないガン死』だけに、敗戦を自覚できないことが、決定的な敗戦、亡国になっていくという恐ろしい現実にわれわれは直面している。

 

⑦ ここでは、明治維新は誰がおこしたのか、志士たち若者のエネルギーと第3の敗戦からの復興のマンパワーを考えてみたい。
 
230年間続いた徳川幕藩体制を打ち破ったエネルギーは明治維新の若い志士
たしかに、明治維新への起爆剤となったのは日本の辺境からのエネルギー、薩摩藩や長州、土佐からの危機意識のあらわれですし、最も大きいのは吉田松陰とその20歳代以下の若き俊英たちの爆発です。
松陰自身が黒船で脱国しようと国禁を犯して、斬首刑になったのは29歳です。松蔭は25歳の時に、松下村塾を主宰し、この時の教え子たち、20歳以下の俊英たちが倒幕の志士として活躍し、明治維新を起こし、半数は倒れ、残りが明治政府のリーダーとなっていますね。松蔭が松下村塾で教えたのはわずか3年ほどなのに、その感化力、革命のエネルギー注入力は驚くべきですね。いずれも20歳前後の若い志士たちで、明治の驚異ですよ。
門下生の筆頭は明治維新政府で実質、初代宰相となった木戸孝允(44歳没)、奇兵隊を作り長州藩を倒幕に押しやった高杉晋作(27歳で没)を初め、松蔭の精神をもっと色濃く引継いでいた久坂玄瑞(蛤御門の変で24歳で討死)、伊藤博文(14歳で松下村塾に入る)、山県有朋(17歳で松下村塾入門)、吉田稔麿(23歳没)、品川弥二郎、山田顕義、前原一誠らの俊英たちが松蔭の精神で火の玉となって倒幕、維新の革命にまい進したのです。
松蔭が火をつけた尊皇攘夷、倒幕の嵐は燎原の火となって全国に飛び、松蔭の非業の最期によって一層燃え上がり、その遺志をついで高杉、久坂、吉田なども革命の途中で斃れたが、次々にバトンタッチされていったのです。
その点では、明治維新は松蔭率いる少年隊の革命なんですね。世界の革命の歴史を見ても、革命家の年齢は相当若いと思いますよ。まあ、老人による革命なんてありませんしね。ところが、昨今の風潮をみると、時代的には100年逆戻りしてお犬将軍・綱吉のペットブーム、徳川元禄時代の浮世風呂ならぬスーパー銭湯ブームとにており、老いも若きもどっぷり保守化して、一億総保守化ですから、変われば変わるもの、時代の流れでしょうがね。
明治維新のダイナミズムは志士たちの年齢の若さと、黒船来航以来のアジア各国と同じように侵略されて、植民地にされるという対外危機意識、それを免れるために積極的に技術、制度を導入して近代化して対抗しようという知的好奇心、猛烈な学習態度ですね。
 明治維新時〔1868年〕の関係者の年齢をみると、高齢なのは「維新の三傑」といわれた西郷隆盛は40歳、大久保利通38歳、木戸孝允35歳で、明治天皇は若干16歳です。
この三傑に並ぶのが板垣退助、大隈重信、江藤新平、陸奥宗光、榎本武揚、幕府は勝海舟、福沢諭吉ら、
このあとを継いで、明治政府のリーダーとなった伊藤博文(初代総理大臣)27歳、山縣有朋(首相・(陸軍建設者)30歳、黒田 清隆(2代目首相)28歳、松方正義(首相、財政の父)33歳、西郷従道13歳、西園寺 公望(首相)18歳 山本 権兵衛(首相、海軍の父)16歳 桂 太郎(首相、日露戦争当時の指導者)20歳、児玉源太郎(日露戦争参謀総長)16歳、東郷平八郎(日本海海戦当時の連合艦隊司令長官)20歳、高橋 是清(首相、財政の神様)14歳、陸 奥 宗 光24歳です。その後の日本の企業、産業を興した渋沢栄一(日本資本主義の父)28歳、岩崎 弥太郎(三菱財閥創設者)31歳、中上川 彦次郎(三井財閥中興の祖14歳)、近代では最大のジャーナリスト・徳富蘇峰は5歳といった具合にいずれも若い。

明治4年、岩倉具視43歳、木戸孝充、大久保利通、伊藤博文らを中心としたヨーロッパ、アメリカを1年以上回って「 岩倉欧米使節団 」 の平均年齢は 30歳 ほどです。

海外に大きく目を開いたこの使節団の意味は大変大きいものがある。一国のリーダーがこんなにたくさん長期間にわたって西欧先進国に派遣して、謙虚に学ぼうとして対外異文化コミュニケーションをやった国はない。これが明治の成功の要因になりましたね。今で言うと、大胆に外資を導入、外国人の優秀な頭脳を招聘して、お雇い外国人として、国際感覚を磨き、世界の中での日本の位置を客観的に学んだのです。

一国の革命、旧体制の破壊、建設、プロジェクト、新体制の完成までの過程には超えなければならぬ階段がいくつもあります。役割分担と、活躍する人物はバトンタッチしながらリレーされていくものですよね。
そうですね。明治の革命が成功した理由は破壊と建設との成就者のバトンタッチが上手くいったことです。徳川幕藩体制を破壊した強力なの革命家の西郷隆盛は、西南戦争(1877年)で敗北し、49歳で自決してしまいます。廃藩置県など西郷の絶対的な権力なくしてできない旧体制の破壊をやり遂げています。今の道州制の導入は豪腕でないとできませんよ。明治政府の実権を握った両雄の1人り大久保利通も翌10年、48歳で暗殺されます。木戸孝允も同年に43歳で病死している。つまり、維新からわずか10年で、維新を達成した大立者3人がそろっていなくなるんですね。破壊者の退場です。これで重石が取れて後輩たちは自由にやれるようになり、明治政府、新体制の建設に取り組んだわけです。

建設の第2段階に入り、伊藤、山県らはしゃにむに国家建設に西欧の近代国家作りを学んで、内閣制度の発足(1885年)に取り組んだんですね。
この世代交代、バトンタッチが大変うまくいったのが、明治維新モデルの成功の秘訣です。戦争を指導し、いずれも海外体験をつんでの自らの非力をさとったリーダーたちが、日本の近代化、改革を血のにじむ思いで考え、実行したのです。
こうして、30年、ひたすら「富国強兵」「殖産振興」でやってきて、国運を賭けた、乾坤一滴の大勝負の日露戦争1904年(明治37年)2月 – 1905年9月)では、明治天皇52歳,伊藤65歳、山縣68歳、 山本 権兵衛54歳、桂太郎58歳、(日露戦争当時の首相)児玉52歳、東郷平八郎56歳、戦費を集めるのに国際金融市場で活躍した高橋 是清50歳です。
革命と戦争の体験の中で、極東の小国の悲哀をなめながら、追いつけ、追い越せ出で鍛え、磨き上げられてきたインテリジェンスと判断力を備えたベテランの指導者、リーダーが適材適所で力を発揮したチームプレーによって奇跡的な勝利をえたのです。当時の覇権国・イギリスからの日英同盟というバックアップが、何よりもつよい味方となったのですよ。
これが太平洋戦争の敗戦時にはどうなったのか、開戦に引きずり込まれ、ストップできなかったリーダーの東条英機をはじめ戦争を指導した人間は大体50歳歳代ですよ。明治のリーダーとくらべても、ごりごりの視野の狭い軍人たちで対中認識、対米知識の不足、国際的な視野や知識が決定的に欠如しています。中国に対する根拠なきおごり、米国に対してもその力の差を認識することなく、大和魂の精神主義1本槍となっていた。経験不足ですね。
現場で暴走したのは下剋上によって若手の陸軍軍人、将校たちです。これを甘やかして暴れ馬にしたのは無能は老害とかした大将たちで、明治の指導者の見識、判断力、若手の暴走を一括するリーダーシップは持ち合わせていなかったのが、自滅につながったのです。軍神となった東郷平八郎、海軍の最長老の東郷の艦隊決戦主義のご判断は、正しく老害となって、日露戦争の日本海海戦の大勝利を帳消しにしたんですね。歴史の因果と、年齢の関係、歴史の不思議をかんじます。
日本人の革新力、イノベ-ションを考える場合に、西欧の市民革命ではなく、日本型の革命である明治維新を達成した志士たちの年齢を見る必要があるよね。

 - 人物研究 , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(171)『勝海舟の国難突破力⑧ 徳川幕府崩壊史ー現在と対比して国難リテラシーを養うー

   日本リーダーパワー史(171)   『勝海舟の国難突破 …

no image
日本リーダーパワー史(227)<日本最強の山本権兵衛―全身これ肝。炯眼人を知りて、克く任じ、豪胆事に当りて、善く善ず』

日本リーダーパワー史(227)       <坂の上の雲の真実― …

『オンライン講座・習近平中国の研究②』★『強中国夢』③(中華思想単独覇権主義)をめざす習近平共産党政権はー孫文の「覇道」「王道」 の認識を間違えており、習近平も 同じ誤りの道を暴走している。<孫文「大アジア主義」の演説全文を再録>③『 100年前に孫文は『今後日本が世界の文化に対して、西洋覇道の犬となるか、あるいは東洋王道の干城となるかは、日本国民の慎重に考慮すべき」と警告した。』

   2016/07/31日本リーダーパワー史(722) ★ …

no image
日露300年戦争(3)『露寇(ろこう)事件とは何か』―『普通の教科書では明治維新(1868年)の発端をペリーの黒船来航から書き起こしている。 しかし、ロシアの方がアメリカよりも100年も前から、日本に通商・開国を求めてやってきた』

  『元寇の役』に継ぐ対外戦争『露寇事件とは何か」   普通の教科書で …

no image
まとめ>吉田茂について『昭和戦後(1945年〜)の自民党日本政治は吉田茂と吉田学校の生徒(池田勇人、佐藤栄作)がつくった

 <まとめ>吉田茂について   『昭和戦後(1945年〜)の …

no image
日本リーダーパワー史(978)ー「米中貿易5G戦争勃発」★『五四運動から100年目、文化大革命(1989年4月)から30年目の節目の年。その五四運動百周年記念日の数日後に米中関税交渉が決裂したことは、「歴史の偶然なのか、必然なのか」気になる!?』

「米中貿易5G戦争勃発」 米中関税交渉はついに決裂し5月13日、米国は第4弾の追 …

「トランプ関税国難来る!ー石破首相は伊藤博文の国難突破力を学べ④』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテリジェンス』『ルーズベルト大統領をホワイトハウスに訪ねると、「なぜ、もっと早く来なかったのか、君を待つていたのに」と大歓迎された』★『米国の国民性はフェアな競争を求めて、弱者に声援を送るアンダードッグ気質(弱者への同情)があり、それに訴えた』

  2021/09/03  『オンライン …

no image
「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件(4)「柳原白蓮 炭鉱王の夫を捨てて、新しい愛人の許へ」(朝日)

  「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件(4)   …

日本リーダーパワー史(842)★『新刊「世界史を変えた『明治の奇跡』(インテリジェンスの父・川上操六のスパイ大作戦、海竜社 2200円+税)を出版』★『「明治大発展の国家参謀こそ川上操六』★『一大国民劇スペクタクル「日露戦争」は川上操六プロデューサー、児玉源太郎監督、主演は川上の薫陶をうけた情報参謀の福島安正、柴五郎、明石元二郎、海軍は山本権兵衛、東郷平八郎、秋山真之らオールキャスト』

 日本リーダーパワー史(842) このほど、「世界史を変えた『明治の奇跡』(イン …

no image
日露300年戦争(1)-『徳川時代の日露関係 /日露交渉の発端の真相』★『こうしてロシアは千島列島と樺太を侵攻した』

徳川時代の日露関係     日露交渉の発端(ロシアの千島進出と樺太) 以下は『日 …