★「本日は発売(2023年6月9日)「文芸春秋7月号」<100年の恋の物語のベストワンラブストーリーは・・>山本五十六提督の悲恋のラブレター』②★『山本五十六の家族との最後の夕餉(ゆうげ、晩御飯)のシーン』★『久しぶりの家族六人一緒の夕食で山本も家族も何もしゃべらず無言のまま』★『日本ニュース『元帥国葬」動画(約5分間)』
★『東郷神社や乃木神社にならって、山本神社を建てようという運動が起きたが「神様なんか、一番イヤがるのは山本自身ですよ」と米内光政は断固として拒否した』
涙なくして読めない人物史』(12)記事再録
山本五十六の長男が回想する父との最後の夕餉(ゆうげ)
昭和十六年(1941年)12月8日の真珠湾攻撃。
連合艦隊司令長官・山本五十六が家族に密かに別れを告げるため、瀬戸内海・柱島の連合艦隊司令部から急きょ上京し、東京・青山南町の自宅に寄って、一夜をすごしたのは12月3日である。
5日後に日米戦争を山本が仕掛けることは家族は知る由もなからたが、これが父との最期の別れになるのでは、と長男義正はうすうすと感じていた。
その日の夕食は異例であった。
妻・礼子は肋膜炎(ろくまくえん)で床にふせていた。
いつも食事は台所横の六畳の部屋ときまっていたが、山本は女中に命じて、「お膳を運びなさい」と礼子の病室に運ばせた。
礼子は起き上がり「こんなかっこうで、すいません」とわびた。
久しぶりの家族六人一緒の夕食が重くるしい雰囲気の中で始まった。
山本は何もしゃべらず、うつむきがちに黙々と箸を動かす子供たちを時々じっと見つめていた。オカシラつきのタイには誰も手をつけなかった。
家族の会話もなく、無言の食事の後、子供たちはすぐ部屋に引きこもった。
義正は父の部屋で目にした、墨で書かれた日米の現状についての書類と、この食事を重ね合わせて、日米戦争の切迫を強く感じて、その夜は眠れなかった。
翌朝、義正はカバンを持って学校に出がける際に、はじめて父の見送りを受けた。
「行ってまいります!」
「行ってきなさい」
義正は父の熱い視線と心を背中にジリジリと感じながら、「決してふりむくな!」「この時の父の姿は一生忘れないだろう」と心に言い聞かせながら歩いた。
義正にとってこれが生きている父を見た最後になった。
義正が父の思い出や家庭生活について振り返って書いた『父・山本五十六1その愛と死の記録』 (光文社・昭和四十四年刊)に描かれた最後の夕餉と別れの名シーンである。
山本は晩婚で、大正七年(1918)8月、三十五歳のときに、三橋康守の三女礼子と結婚した。長男義正(大正十一年十月生)、長女澄子(同十四年生)、二女正子(昭和四年生)、二男忠夫(同七年生)と四人の子供をもうけた。
山本は海外勤務や艦上生活が長く、家庭は留守がちだったが、子供たちによく手紙を書き、クリスマスカードは欠かさずよこしていた。
子ぼうのうな山本は子供たちにせがまれると「ホイキタ!」と逆立ちをしたり、豆をボンと空中に放り上げてバクッと口で食べたりする芸を見せて喜ばせていた。
<上の写真は得意の逆立ちをする山本五十六(米国勤務時代)>
太平洋戦争が2年目に突入した昭和十八年四月二十日、「自宅に早く帰れ」という連絡で、義正が早退して高校から急いで戻ると、父の親友・堀悌吉(ていきち、退役中将)が待っていた。
堀は一瞬、口ごもり、「山本が前線で戦死した。軍刀の柄頭を握ったままの姿勢で、立派な壮烈な戦死だった。
「明日正式の発表がある」と義正に告げた。
夫の戦死を知らされた妻礼子も、堀が感嘆するほど冷静であった。
■山本五十六の国葬
連合艦 隊司令長官・元帥山本五十六が米軍の暗号解読によってソロモン諸島で戦死したの は昭和十八年五月のことである。 山本の死は極秘にされ、日本に遺体が送られたあと発表され、国民に大きな衝撃を 与えた。
山本は昭和に入って三人目の国葬となったが、戦死者としては初の国葬者 であった。 昭和十八年六月五日、国葬は挙行されたが、ちょうど九年前のこの日は東郷平八郎 の国葬があった日であり、偶然の一致にしては意味深長であった。
この日、霊枢は水交社前に待っていた砲車の上に移され、海軍軍楽隊の奏する「命 を捨てて」の曲にのって出発、東候英機首相らが拝礼、全国民はラジオ中継によって 一斉に黙とうを捧げた。
午後八時からは、四分間、山本元帥のナマの声がラジオで放送された。その内容は、昭和九年十一月にあったロンドン海軍軍縮会議で日本全権として出席し、日英間に開通した無線電話の試験通話で日本に呼びかけたものの再放送であった。
「私は海軍少将・山本五十六でございます。いかなる困難に遭遇しましても、この困難 に打ちかって進むことが、日本国民の有する伝統的精神でなければなりません」
当時ののるかそるかのきびしい戦争状況にピッタリの言葉であった。 葬儀委員長は米内光政であり、山本の柩は戦艦「武蔵」の乗組員によって水交社前 から砲車に乗せられた。
山本と同じ越後長岡出身で、元検事総長の小原直が会長をしている「山本元帥顕彰会」は、東郷神社や乃木神社にならって、山本神社を建てようと運動しており、米内らに強く働きかけた。 しかし、米内は、断固として反対した。
「神様なんかにされて、一番イヤがるのは山本自身ですよ」 と言い、一歩も引かなか った。結局、山本神社は実現しなかった。
国葬では喪主をつとめる義正は、頭をさっぱりしておかねばと思い、散髪屋に行ってバリカンでくりくりの丸坊主に刈りあげた。
表に出て歩きながら、急に父との想い出がよみがえり、涙が噴き出した。義正は道端にしゃがみこんで号泣した。
二十二歳の義正が喪主をつとめ、父の位牌を胸に葬列の中を歩いた。
義正は東大に進み、在学中に志願して海軍に入隊、予備少尉となり、戦後は東大に再び復学して卒業後は、北越製紙に就職した。
義正も父と同じく三十五歳で結婚、二人の子供ができた。
「父ほど真実が語られなかった人は少ないのでは……」との思いから、子供の日に映じた父の姿を記録して昭和四十四年に出版した。感動の書に仕上がっている。
<以上は別冊歴史読本88号「事典に載らない日本史有名人の子供」(2004年7月刊、新人物往来社、174-175P掲載 前坂俊之執筆)
関連記事
-
-
『オンライン/新型コロナパンデミックの研究』-『時代は、時代に後れる者を罰する』(ゴルバチョフ)ー今、冷戦崩壊に次ぐ、2020年の「withコロナ」時代、「地球温暖化・第3次デジタル世界大戦」に突入した。この時代の大変革に乗り遅れた国家、企業、個人は,明日の世界で生き残れないだろう。
『時代は、時代に後れる者を罰する』ー …
-
-
百歳学入門(153)元祖ス-ローライフの達人「超俗の画家」熊谷守一(97歳)③『(文化)勲章もきらいだが、ハカマも大きらいだ。ハカマがきらいだから、正月もきらいだという。かしこまること、あらたまること、晴れがましいこと、そんなことは一切きらい』
百歳学入門(153) 元祖ス-ローライフの達人・「超俗の画家」の熊 …
-
-
『Z世代への遺言』★『『2009/1/21/オンライン最終講座・静岡県立大国際関係学部教授・前坂俊之(65歳)最終講義』★『ガラパゴス日本の没落』★『『グローバリズムで沈没中の<ガラパゴス・ジャパン>は2030 年、生き残るか』』
国際コミュニケーション論・最終講義(15回)2009 /1/21 前坂俊之 …
-
-
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑲ 『日本の最も長い日(1945年 8月15日)をめぐる死闘―終戦和平か、徹底抗戦か④』
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑲ 『日本の最も長い日―大日本帝国最後の日( …
-
-
★『青い地球は誰のもの、青い地球は子どものもの、青い地球はみなのもの、人類のもの、地球の生物のもの、トランプのアメリカ、習近平の中国、安倍さんの日本のものではありません』
『青い地球は誰のもの、青い地球は子どものもの、 青い地球はみんなの …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・メディア・ウオッチ(199)』-「劇場アニメ『この世界の片隅に』を感銘、庶民には大変説得力のある反戦映画です」●『『この世界の片隅に』監督が語る、映画に仕込んだ“パズル”(上) 片渕須直・『この世界の片隅に』監督インタビュー』●『映画「君の名は。」が中国でも支持される秘訣 作品力だけでなく、数多くの仕掛けがあった』
『F国際ビジネスマンのワールド・メディア・ウオッチ(199)』 < F氏のコ …
-
-
『Z世代のための<日本安全保障史>講座①」★『1888年(明治21)の末広鉄腸の『安全保障論①』★『1888年(明治21)、優勝劣敗の世界に立って、日本は独立を 遂げることが出来るか』★『各国の興亡は第1は金力の競争、第2は兵力の競争、 第3は勉強力の競争、第4は智識(インテリジェンス)の競争である①』★『トランプ1国孤立主義で世界秩序は大変革期(大軍拡時代)に突入した』
2021/06/17 オンライン講座/日本興亡史の研究』 2015/11/23& …
-
-
★『Z世代のための日本人セレブの歴史研究』★『192,30年代に芸術の都・パリで世界一の『プレーボーイ』は誰でしょうか?』★『滞仏三十年、使った金は約500億、花の都パリで豪遊したバロン-サツマこと薩摩治郎八ですよ」
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/10/11/am700) 2009/12/ …
-
-
「核のゴミ」放射性廃棄物の地層処分の研究の現状を日本原子力研究開発機構・野村茂雄理事が会見動画(90分)(6/10)
「核のゴミ」放射性廃棄物の地層処分の研究の現状と課題に …
-
-
日本メルトダウン脱出法(786)「パリ同時多発テロ事件の裏に隠された悲劇の本質 」●「 実証:日本企業がリードする革新的テクノロジー」●「少しずつよい方向へ動き出した慰安婦問題 日本にとって事態が好転、その5つの根拠とは」
日本メルトダウン脱出法(786) 「パリ同時多発テロ事件の …

