『リーダーシップの日本近現代史』(96)記事再録/『日本国難史に見る『戦略思考の欠落』(30) 『川上参謀総長のインテリジェンスと人事抜擢の要諦』日露戦争前、田中義一(後に首相)をロシアに派遣,徹底調査を命じた(1)
2016/01/14日本リーダーパワー史(637)記事再録
前坂俊之(ジャーナリスト)
川上参謀総長の指示で、ロシアに渡る前、田中義一は明治29年10月27日付きで参謀本部第二部員に転じた。
参謀本部に転ずると共にドイツ語の学習を始めた。当時の優秀将校の出世コースであるドイツ留学を希望しためだ。ところが翌30年、川上参謀総長直々にロシア行の内命を受けることになった。これは田中義一大尉自身の生涯を運命づけたのみならず、日本自体の運命にとっても歴史的な影響を与えた人事であった。
田中はロシアの国策である満韓侵略(満州,韓国)の遠大な野望とその牙(キバ)と爪(ツメ()を徹底的に研究して、極東平和のためにロシアあくなき侵略を防ごうとして、一生をこの解決に注いだといって過言ではない。
日露戦争、在郷軍人会の創立、二個師団増設問題、青年団の創立、シべリヤ出兵、対満洲、対中国政策等すべてルーツははこのロシア派遣にその端を発している。
さて、日清戦後の、満韓におけるロシアの暴状、国是とも見るべきその侵略に対応するには、先ずロシアの実情を探究しその軍事能力をチェックすることが、陸軍としては喫緊不可欠であった。では、この重大な任務を与えてロシアに派遣すべき将校の人選は誰にするか、当時参謀本部首脳部、川上にとっても大きな問題であった。
ところがある日、参謀本部第二局長田村恰与造大佐が部員の田中大尉をよんで、
『どうだ、ドイツを止めて、一つロシアに行かんか。』とやぶから棒の勧誘があった。
田中大尉は即座に『私じゃ荷が勝ち過ぎます。』 といって辞退したので、田村大佐は『なぜか』と反問すると大尉は『ロシアとは早晩戦争せにゃなりません、従って派遣される奴は十分その任に耐える者を御選びになるべきで、私よりまだ右翼がたくさんおりますよ』と答えた。
田村大佐もそれ以上は勧めなかった。というのは、当時、栄達を望む青年将校の目標はドイツ留学であり、ドイツ留学は、参謀将校から将官になる関門でもあった。
田中大尉もドイツ留学の順番の来るのを待っていたのである。
ロシア行は重大な任務であるにせよ、出世街道の最短コースではないから、田村大佐もそれ以上、勧められなかった。
しかしこの任務は陸軍大学校の序列が右翼であるというだけで、誰にでも出来るという仕事ではない。田中をおいて他に適当な候補者なしとする田村大佐は一切を参謀総長川上操六に申し出た。
川上総長もかねてその人選には苦慮していたので、「これは最適な人選だ」と膝を打って賛成した。
が、辞退されると困るので強引に引受けさせようと考えて日清戦争中、大尉を最も信頼していた当時西部都督の山地元治将軍に片棒をかつがせた。
ある日、田中大尉は川上総長の私宅に招かれた。訪問すると、座に山地将軍もいた。総長は『大庭(二郎)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%BA%AD%E4%BA%8C%E9%83%8E
山梨(半造)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E5%8D%8A%E9%80%A0
がすでにドイツに行っているから、君も行きたいだろうが、ロシア行は君より他に適任者がない、決心してロシアに行ってくれ、参謀本部はすでにそう決めた。』
とロシア派遣の内意を半ば命令式に伝え、同席の山地将軍も口を極めて勧めたので、かねて多少は覚悟していた田中もこの先輩の言に深く感激して、即座にロシア行を決心したのであった。
後年、田中義一は当時の事情を次のように語っている。
「私の友人等は、皆ドイツに留学を命ぜられ、私もまたその一人であったが、ある日、参謀総長の川上大将に招かれ、『ドイツに差達する者は何人でもいるが、ロシアに行く者がいない。しかも、おそかれ早かれロシアとは戦争せねばならぬ間柄であることは君も既に承知の通りだ。従って対ロ作戦計画は一日も早く確立して置かねはならぬ。
そのためにロシアの実情を知ることは、実に焦眉の急務である。だが、これは誰にでも彼にでも出来る仕事ではない、そこで君を選抜した訳だ。ドイツに行きたい気持はわかるが、この際、一つ奮発してロシアに行って、その国情、軍隊の実際を、詳細に調査研究して、作戦計画の種子を作ってもらいたいのだ。』
一大尉に過ぎぬ我輩に対して腹の底から打ち明けてロシア行を勧められた。同席の山地将軍もドイツ留学などと比較にならぬ重大任務を引受けるのは、軍人の光栄ではないかといって、激励された。
当時、全国民は、三国干渉に憤慨して敵がい心に燃え、臥薪嘗胆、対ロ報復を絶叫していた際であるから、与えられる任務は固より当面の急務に達いないが、微力な我輩に果して出来るかどうか、責任は重大だし、事は極めて困難だし、又ドイツに留学すれば、軍人としては一応順調に進んで行けるのを止めるのだし、いささか首をひねらざるを得なかった。
しかし人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜんやで、事の成る成らぬは別として我輩は両将軍の知己の言に感激してロシア行を承諾した。ただし、仕事が仕事だから、一般の留学生同様の拘束を受けるのでは困るので、経費その他特殊の取扱いを受けたいと予め承認して戴いたのである。」
また、内山小二郎大将は次の如く語った。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%B1%B1%E5%B0%8F%E4%BA%8C%E9%83%8E
「私は、日清戦争後、公使館附武官として、ロシアに駐在していたが、明治29年1月、フランスに転勤を命ぜられた時、ロシアに留学生を派遣する必要ありと考え、当局に意見書を提出した。
そのためであるや否やはわからぬけれども21年に田中君が来ることになったので、私の意見が実現したばかりでなく、その人選もまら最も宜しきを得ているので、私は非常に結構だと喜んだ。
田中君は赴任の途次、パリに立寄り私を訪ねてくれたので、下宿のことから、隊附の必要であることなどに就いて、種々気づきを話して注意をしたものである。」
ロシア差遣の内命を受けた田中大尉は、それからロシア語の習得に精進しながら出発の準備を整え命令の発表を待った。
ところが、英独仏露等の相つぐ支那要地略奪、さらにロシアの露骨極まる満韓侵略は、禍乱がいつ突発するか予断を許さぬ情態を続出したのでロシア差遣は延び延びになっていたが、翌31年5月18日付「御用有之露国二被差達」との辞令を漸く受けた。
田中大尉の壮途にむけて川上総長が贈った写真には、墨痕あざかに「謹而呈 田中兄 川上操六拝」と、自署がしてあった。
のちに評論家・横山健堂(曹洞宗大学教授)は「参謀総長と大尉とでは、非常に身分が違っていて、殊に階級差別の極めて厳格だった当時の陸軍で、-こんなていちょうな字句はちょっと想像出来ぬ。」といっているが、総長の期待の程を知るべきであろう。
その川上参謀総長は田中大尉の苦心惨澹を極めた報告を待たず、翌明治32年5月、病のために死去した。その前には山地元治将軍が、大将のロシア差遣の発令を見ずして30年10月長逝し、再び川上参謀総長亮去の悲電をロシアで受取った大尉の悲痛は想像に余るものがある。
以上は「田中義一伝」(上)原書房 1981年(1958年刊行の復刻版
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