前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

<歴史クイズ> 明治政財界裏面史に登場する桂太郎と新橋芸者お鯉との恋

   

明治政財界裏面史に登場する桂太郎と新橋芸者お鯉との恋
前坂 俊之(ジャーナリスト)
桂太郎(弘化4年~大正2年)政治家、軍人。1次から3時まで内閣を組織。陸軍軍制のドイツ化に尽力。日露戦争を遂行、大正政変により3次内閣をそい辞職。
おこい(明治13-昭和23)本名安藤照子。東京四谷の漆問屋に生まれる。14歳で新橋芸妓となる。第15世市川羽座衛門と離婚したのち、桂太郎の愛妾となる。

安藤照子という名を知っている人は少ないであろう。しかし、明治、大正にかけて「桂公のお鯉さん」といえば知らぬ者はなかった。お鰻さん(本名・安藤照子)は新橋の名妓として名をはせていたが、ときの宰相桂太郎との運命的な出会いのきっかけは、明治三十七年(「九〇四)二月に起きた日露戦争であった。
 桂は大きなサイズチ頭で、明けてもくれても戦争の成り行きに神経をすり減らしていた。
「これでは体が続くまい。何とか気分転換をはかってやる方法はないものか」元老たちは桂の体を心配した。なかでも山県有朋が一番心をくだいた。そして、名案として、なじみのお鯉の顔が浮かんだ。さっそく、山県は浜町の常盤家に2人をよび、引き合わせた。 「これがお役者さんへお嫁に行き、帰ってきたお鯉さんだ。ひいきにしてくれ」 と山県は桂に紹介した。
「まあ、山県の御前さま。お役者、お役者とおっしゃるのがお百姓と聞こえますわ」と、お鯉はあでやかに笑った。お鰻の顔を見ていた桂は、ほう、なかなかおもしろい」とニコニコ顔になり、相づちを打った。お鯉が気に入ったのである。
 ところが、お鯉はウンといわない。後日、井上馨、児玉源太郎ら名士が常盤家に集まり、お鯉も呼んだ。女将が桂の御前さま。ロシア相手に談判されるのに、たかが女一人、ジカ談判なさればよいじゃありませんか」とハッパをかけ、児玉も「ヤレヤレ」と声援した。
庭池のほとりで、桂は静かに聞いた。「どうだ。イヤなのかね」「イヤではございません。伊藤の御前にしろ、人をおもちゃになされるのは困りますわ。生涯のことも考えて下さるんでなければゴメンです」「わかった。おもしろいことを言うね」
 こうして、彼女は桂公の愛妾お鯉になって以来、赤坂榎坂町に住んだ。日露戦争も終盤になり、桂はげっそりとやつれ、食べたものを吐くこともあった。かな子夫人は病気保養で留守がちなため、お鯉が首相官邸に日本間を作り、住み込んで、桂の身の回りの世話をした。この日本間は〝お鯉の間と呼ばれた。
 明治三十七年八月、日露戦争もいよいよ大諦め。官邸では連日、講和について激論がたたかわされていた。ある夜、榎坂の宅へ桂が疲れ切った表情で現われた。
 「調べものがある」とカヤをつり、中に机を持ち込んで書類を見ていた。ちようど午前一時ごろ「オィ、お鯉、俺だよ、あけてくれ」と伊藤公が現れた。
 桂が急いで立ち上がったため、カヤが倒れロウソクの火が移って、火事となったが、お鯉が手にヤケドを負いながらなんとか消し止めた。
 その夜、日露講和で、桂の意見どおりに話がまとまり、伊藤がそのことを伝えにきたのだ。「本当か。それじゃ松方(正義)も大山(巌)も承知したのか」。
六十五歳の伊藤と五十九歳の桂が抱き合って喜び、オイオイ泣いた。歴史的な瞬間にお鯉が立ち合ったのだ。この間、桂がどんなに心身をすり減らし苦労していたか、お鯉は一番よくわかっていた。
 しかし、講和を知った国民は憤激、官邸や国民新聞社を襲撃し、焼き打ちにした。「お鯉の手で国賊桂を殺せ」との脅迫状も舞い込み、榎坂の家にも暴徒が乱入し、焼かれてしまう。
 桂は身をひそめるため、お鯉と別れ、執事に手切れ金一万円を持って寄こした。お鯉は桂をうらみ、その一万円をつっ返した。その後、お鯉は生活費にもこと欠いたが、杉山茂丸が間に入り、ふたたびよりを戻し、もとどおりにおさまった。
 お鯉が明治政財界裏面史で大きな役割を果たしたもう一つの事件は、日糖再建である。明治四十二年に起きた日糖事件で、日糖重役二人、国会議員二十三人が贈収賄で有罪となった。このあと、藤山雷太が社長となったが、膨大な借金で再建は暗礁に乗り上げた。 藤山はお鯉に頼み込んで、桂との面会を希望した。しかし、桂がウンと言わない。だが、お鯉の助力でやっと桂に面会できた藤山は、「滞納した税金の支払いを猶予してもらいたい」と頼み込んだ。
 大蔵大臣を兼務していた桂は「よろしい」と支援を約束、日糖再建のきっかけとなった。以後、藤山も財界で大物となる。桂はのちに「お鯉の芝居で日糖が立ち直った」と述懐した。 

桂は大正二年(一九一三)十月十日、六十七歳で亡くなった。お鯉は仏門に帰依し、その後尼僧になった。桂からはお鮭に遺産として三万八千円が贈られた。 

お鯉がふたたび新聞紙上に窺われたのは、昭和九年の法相小山松吉をまき込んだ、いわゆる「お鯉事件」である。偽証罪で有罪となったお鯉は、目黒の羅漢寺の尼僧となり、昭和二十三年(一九四八)八月、六十九歳で数奇な生涯を終えた。

              
 

 - 人物研究 , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
  ★5日本リーダーパワー史(781)―『日中歴史対話の復習問題』明治以降、日中韓(北朝鮮)の150年にわたる紛争のルーツは 『朝鮮を属国化した中国」対「朝鮮を独立国と待遇した日本(当時の西欧各国)」 との対立、ギャップ』②★「中国側の日本観『日本の行動は急劇過ぎる。朝鮮は末だ鎖国状況で、 日本はともすれば隣邦(清国、台湾、朝鮮)を撹乱し、 機に乗じて奪領しようとする」(李鴻章)』★『現在の尖閣諸島、南シナ海紛争、北朝鮮問題に続く日中パーセプションギャップのルーツの対談』

★5日本リーダーパワー史(781)―   明治以降、日中韓(北朝鮮)の150年に …

no image
『野口恒の震災ウオッチ②』東日本大震災の復興策にも生きる「浜口梧陵」の業績ーー復興策の生きた教材-

『野口恒の震災ウオッチ②』   東日本大震災の復興策にも生きる「浜口梧 …

no image
百歳学入門(244)-『人助けのスーパーマン/尾畠春夫さん(78歳)の行動力とその人生哲学に心を打たれた。これぞ<本物人間>と比べて、わが偽善の人生を反省する』

  玄関前に「山口に行ってきます」と書き置き…2歳児発見“スーパーボラ …

『Z世代への日本政治家論』★日本リーダーパワー史(291)原敬のリーダーシップ「富と名誉は諸君の取るに任せる。困難と面倒は自分に一任せよ」③

日本リーダーパワー史(291)原敬のリーダーシップ「富と名誉は諸君の取るに任せる …

「オンライン・日本史決定的瞬間講座⑪」★『電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の75歳からの長寿逆転突破力②』★『戦時下は「渇しても盗泉の水をのまず 独立自尊の心証を知らんや」と隠棲し茶道三昧に徹する』★『雌雄10年、75歳で「電気事業再編成審議会会長」に復帰』★『池田勇人と松永安左エ門の「一期一会」』★『地獄で仏のGHQのケネディ顧問』』

  渇しても盗泉の水をのまず 独立自尊の心証を知らんや 戦時下には社会 …

「Z世代のための日本リーダーパワー史研究』★『「電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の75歳からの長寿逆転突破力①』★『昭和戦後の日本が敗戦によるどん底から奇跡の復活を遂げたのは松永安左エ門(95歳)が電力増産の基盤(水力発電ダム)と9電力体制を万難を排して実現したことで高度経済成長が実現した』①

   2021/10/05「オンライン・日本史決定的瞬間講座 …

日本リーダー/ソフトパワー史(658)『昭和の大宰相・吉田茂のジョーク集』①「歴代宰相の中で一番、ジョーク,毒舌,ウイットに 富んでいたのは吉田茂であった。

日本リーダーパワー史(658) 『昭和の大宰相・吉田茂のジョーク集』① 歴代宰相 …

『オンライン/ベンチャービジネス講座』★『日本一の戦略的経営者・出光佐三(95歳)の長寿逆転突破力、独創力はスゴイよ②』★『「ライオンでも鼻のなかに蚊が一匹はいったら、クシャミくらいするでしょう」』★『金の奴隷となるな、人問がしっかりしておれば、金は自然に集まってくる』

前坂 俊之(ジャーナリスト) 軽油を給油する下関からの海上油輸送が軌道にのった1 …

no image
  ★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1054)>『ロシアゲート事件の議会調査で解任されたコミーFBI前長官が証言』★『落合信彦氏「トランプはFBIに追われ大統領職を放り出す」』●『  目の前に迫ったトランプ退任、ペンス大統領就任 予算教書で明らかになった”まさか”の無知無能ぶり』

  ★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1054)> …

no image
現代史の復習問題/日中韓150年史の真実(10)ー日清戦争の原因の1つとなった朝鮮の防穀令事件とは一体なにか』★『この朝鮮流の詐術外交(数字のごまかし、引き延ばし、ころころ変わる外交交渉)に手こずってきた歴代内閣は強硬手段をちらつかせた。』

  2016/04/24  記事再録日本リーダーパ …