日本リーダーパワー史(69) 辛亥革命百年⑨孫文の神戸上陸と頭山満②
日本リーダーパワー史(69)
辛亥革命百年⑨孫文の神戸上陸と頭山満②
前坂 俊之(ジャーナリスト)
犬養、山本首相を説得す
南北統一の局面は、頭山翁の予言の通り、わずか一年余を持続し得たに過ぎず、大正二年、民党対袁世凱の抗争(第二革命)が起った。その原因は前年の長坂武、方経、林慶、沈乗堂の暗殺事件、大正二年三月の宋教仁暗殺事件であ
る。殊に宋教仁は孫文、黄興に次ぐ民党の領袖で、政党内閣の強硬な主張者として袁世凱に睨まれていたのである。しかもその暗殺の背後に袁世凱、趙乗釣(国務総理)があることが明かであったので、孫文、黄興以下は愈々袁世凱と両立しない覚悟を定めたところへ、袁世凱と五国財団との間に善後借款二千五百万テールが調印された。これが導火線となって七月十二日、李烈鈎が江西湖口で討蓑革命の火蓋を切ったが、僅かに五十日を持続したのみで、散々の失敗に終り、孫文も日本に亡命した。
この時に一問題が起ったのである。すなはち政府においては、袁世凱に気がねして孫文の上陸を許可しない方針を決したのである。頭山翁はこれに反対で、窮鳥を殺すことは武士道に反すると、寺尾をして山本総理(権兵衛)に進言せしめた。寺尾は翁の旨を体して大いに論じたが、山本は承知しない。そこで翁は折から伊豆長岡で静養中だった犬養毅の帰京を求め、改めて山本に交渉せしめた結果、孫文は辛うじて上陸することが出来た。犬養からの上陸許可に決したという電報が、神戸に出迎へていた古島一雄、萱野長知らの手に達したのは、古島らが桟橋に人らうとしていた時だった。

寺尾を山本の許にやって、そんな詰らぬことはせぬやうにと言はせた。所が山本は剣もホロロのことを言ったと、寺尾が怒って帰って来た。自分は孫文も今では相当のものであり、殊に支那の今後は南方にあると思う。それを山本が追払ふなどは不都合千万と思った。その頃、犬養は健康を害して長岡に行っていた。自分は「用事ある、すぐ帰れ」と電報を打った。犬養は急いで帰って来たから、実は孫のことで、寺尾をもって山本に三度も話させたが、山本は実に言語道断なことを言う。
ソツチ(君)は山本と親しく交つとると聞くから、ソツチ(君の事、筑前の方言)行って、自分の考へも伝へて孫文をいよく世話するかせぬか聞いて呉れ、山本の本心を突き止めて呉れと話した。犬養は早速突き止めてみようと引受けた。翌朝報告に来た。「山本はさういうことは言はぬよ。その寺尾という奴が議論する奴で余り喋るから、さう聞いたのか知れぬが、さういうことは言わぬ。自分も世話はする積りでいる」といつたというのだ。
然し犬養が帰る時に山本が「迷惑なことは迷惑ぢやね」といったそうだから、寺尾には確かに剣もホロロのことを言ったに違ひない。兎も角それで孫も上陸が出来、自分の隣りに居を構へた。山本は巡査を三人ばかり孫文の家に置いて世話をした。孫文は英国が露骨に嫌いじゃやった。孫文がいうには、何が何でも英国くらゐ悪い奴はいない。世界中で一番貪慾で、虚偽の塊りは彼奴ぢやから、日本の陸海軍の力を強くされるだけして貰って、日支一緒になって印度を独立させて、徹底的にやっつけなくてはならぬ。
後はそれからのことで、それには米国を英国から引離さねばならぬ。然し英国は悪賢い奴ぢやから離れぬかも知れぬ。その時は露国の力を借りて米国も一緒にやつつけねばならぬと言っていた。自分は孫文と全く同意見で英国から先にやつつけ、亜細亜の健全な復興をして、正義人道を布かうという考へであった。そこでそれを大隈に大いに言って聞かせた。自分は大隈に「戦争すれば何億何十億と際限ない金が要る上に、人命をも賭けなければならぬ。それで支那に対するには、常に戦争以上の金を打ち込んで、今微弱なうちに日本が認めてやって、外債を起しても打ち込んでやって、人も入れられるだけ入れ、日本と支那とは物心共に一如にして、各国を後ろに従へ、彼を認めさせるようにする。そうして赤ヒゲ共の開いた口が塞らぬやうにするがよい。貴方がやりきれば助けるがどうか」といった。大隈は「私もそう思っております」と答へた。
然し彼は大風呂敷は拡げるが、実は五百万円か千万円位のことしかしきらぬ。若し自分が彼に話したようにすれば、清洲くらいは空気銃一発放すことも要らぬ。
松方幸次郎らの侠気
孫文の亡命に際し、神戸の現場にあって奔走した古島、萱野、松方幸次郎らの苦心談も頭山翁を囲じょうする日本志士が、日支の将来を想ふて如何に努力したかを語るものとして採録に値する。
萱野長知のいわゆる孫文盗み出しの顛末を左に。
伊予丸の着いている波止場へ行くと電報が来ていた。見ると犬養の電報で、政府は用意したという。そんなら頭山先生の決心が役に立ったのだと嬉しかった。これより先き、孫は東京の態度が判らぬから、台湾沖の船中から電報を打って来た。それを先生の許に携行して「孫が亡命して来るが、神戸で内密に会いたいという。どうしましょう」というと、頭山翁は「それは困っているだらう、いづれ文無しで来るだらうから幾らか持って行け。それから上陸の用意をしないと。アメリカへやつたらいかん。君は早く神戸へ行け」というので、私は神戸へ来たのである。
船に着いて船長-郡勘次郎-に「孫文に会はせる」というと「今はいかん、もう少ししてから来て呉れ」という。暫くすると私を孫文を隠している船室に案内した。そこで東京で斯く斯くの話、頭山翁が行けというからやって来たといふと、孫文は非常に喜んで「是非上陸させてくれ、アメリカに行っては何の指図も出来ない。今後の世話に困るから是非日本に上るようにして呉れ」という。
そこで三上(豊夷)と打合せて松方(幸次郎)に相談すると、松方も「是非日本に上げなくてはいかん。毛唐に渡したら駄目だ」といふ。どうするかと聞くと「孫文を泥棒しよう、それ以外にはない、実は今袁世凱から軍艦二隻の注文を受けている。若し私が孫文を助けたということになると、川崎造船所は破綻だ、だから私は孫文を泥棒するのだ、窮鳥懐に入る、事立に至れば仕方がないぢゃないか」といふのである。
やがて松方のいうままに暗闇の中を孫文の手を引いて船倉に出ると、ランチが横着けになっていて、そのところに松方がいる。ランチに移ると松方は大阪の方へ向つて行く。二十分ばかり走ったかと思ふと、今度は造船所の方へ取って返し、やがて造船所のゴミ捨場に着けた。
そして松方が暗がりの中を山なす、石炭ガラを踏み分けて孫文の手を取り、私が尻を押してやって、やつと造船所の裏門に出た。自動車に乗るわけにゆかぬから、徒歩で諏訪山の酉常盤に着いたのが夜の十二時だった。山の一軒家で、こゝなら大丈夫といって匿まって呉れた、古島君等は向い合せの一力にいた云々翁の隣家に寓居した孫文は、それから約四年の間、亡命生活を送った。
一切の費用は安川敬一郎が引き受けた。毎月1万円を提供したということである。孫文年譜を案ずるに、孫はこの時代において、革命のやり直しを目標として「中華革命党」を組織し(大正三年七月八日)宋慶齢と結婚し(同年十月)袁世凱の帝政運動に反対して第3革命(大正四-五年)を発縦指示したのであるが、その背後には慈母の如き頭山翁の庇護があったわけである。
参考文献「頭山満翁正伝(未定稿)1943年版」(昭和56年、葦書房)
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