日本リーダーパワー史(170)『勝海舟の国難突破力⑦ー『英雄・偉人・大バカ・軍人・凡人・みな屁なチョコよ』
2015/01/02
日本リーダーパワー史(170)
『勝海舟の国難突破力⑦
『英雄・偉人・大バカ・軍人・凡人・みな屁なチョコよ』
<「ナアニ、明治維新の事は、おれと西郷とでやったのサ>
前坂 俊之(ジャーナリスト)
以下は「海舟座談」の一節である。明治31年6月というと勝海舟74歳の大気炎である。この半年後に、勝は亡くなる。徳川幕府の幕を引き、西郷と共に明治維新を実現した近代日本をつくった『国難を救った恩人』である。
「ナアニ、明治維新の事は、おれと西郷とでやったのサ。西郷の尻馬にのって、明治の功臣もなにもあるものか」
と、歯に衣きせぬ海舟先生の『英雄論』「幕末、明治維新の直話」は江戸っ子のたんかを切る、歯切れのいい講談を聞いてるようで、爽快無比。いまのちびっこ政治家探偵団に聞かせたい。
また、新聞の政治部ロートルに、昔の政治家の聞き書き、経済部のロ―トルにも、創業経営者の聞き書きをぜひやってもらいたいね。
明治三十一年六月三十日の「海舟座談」
ナニ、書物を読んだものなんて何にもなりゃあしない。太閤でも、信長でも、北条などをごらんナ。伊達政宗は六十二になるまで、隙さえあれば、天下を取るつもりであったよ。すると、もう治ってしまったから、それから稽古をしたよ。ナこ、家康だって、この方のほうが、よッぽど本を読んでいるぜ。
俺なんざぁ、若い時は、本が嫌いで、手紙でも書きはしなかったよ。もともとは、剣術道のほうだからネ。四年ほど押込められてる時に、ひまでしょうがないから、読出したのサ。

朝は西洋サ、畳は漢書、夜は日本の雑書で、たいてい読んだよ。漢文はいまでも読めないよ。西洋学者だから、字引で読むのサ。四年やった時に、そう思ったよ。もう四年もやれば、よほどの学者になるわ。本読みになるのは、楽なものだと、そう思ったよ。だから、本を読んだだけで威張っている体験のない学者なんざ、何もできないよ。
剣術の前は禅学サ。それでも、いまのような禅学ではないよ。剣術でも技には限りがあるから、その上は心法だ。至誠を明らかにせおばならぬ。後には、つまらないことをしたと思ったが、ことに当った時、役に立ったよ。こうやっていて斬りつけられたことなどは、たびたびあったが、いつでも、こちらは抜いたことはない。始終、手捕りにしたよ。だが、先生がたが、その真似をしたら、すぐに斬られてしまうよ。
その字引は、弘化四(1847)年秋としてあるだろう。ヂウ、パルマという和蘭と仏蘭西の対訳であったのに、ヘンデルキが日本語を入れたのサ。日本語は通詞や、唐通詞に聞いたのサ。第一世ナポレオン騒ぎで国へ帰れず、長崎へ二十年もこもっている間にしたのサ。
長崎へ留学の時は、外国から来るものには、みなワシが会ったのサ。そして鼻息を窺う役目だから。ちっぽけな船の船長だが、船長だから対等の交際でネ。それで、何もかも打ちあけて話したよ。
へソデルキが、「お前は日本の海軍を起す人だが、海軍には金がいるから、そのつもりで財政のことを知らねばならぬ」と言うたから‥それで財政財政と言うのサ。
ナニ、ワシなどは足がきかないし、やむことをえず、こうしているのサ。若いうちには、できるものでないよ。しかし先生がたの騒ぐのをみても、少しも驚かないよ。このほう自身もそうやってきたのだからネ。「ハハア、あすこをやっている」と思うだけサ。それで、ワシは言うのサ、「若いうちは、それでなければならないから、なんばでも騒ぎなさい。しかしそれでいいと思わないようになさい」と言うのサ。
こうやって話をすると、諸君が寄って、いろいろ相談して、名説を考えて、明日やってくる。すると、ワシはこれを謹聴して、「なるほど、いかにも御名説だ」と言うと喜んで帰るよ。すると、よッぽど馬鹿な人だといって笑われるよ。それごらんナ。機があるものだもの、機が過ぎてから、なんといったって、それだけのことサ。
家康が大坂へ出陣したのは七十一だよ。ナニ、あれくらいの城を遠巻きにでもすれば 落ちてしまうのだが、それでもわざわざ自分で出かけるじゃあないか。
こないだも、張作霖などがやって来て、「今度は、陸軍省のほうで、たいそう、鄭寧にしてくれた」と言って喜ぶから、ワシはひどく疳癪に障ったから、「ナニ、馬鹿ナ」 と言って、怒ってやった。
戦争をして勝つと、チャンチャン(中国人を侮蔑した用語・チャンコロの意味)だとかなんとか言って、いたじゃアないか。先生がただってその仲間だろう。世界に輝かすとか、なんとか言ったんだろう。いまでは、また、支那支那という。そんなことで、何があてになるものか。
朝鮮を独立させるといって、天子(明治天皇)から立派なお言葉が出たじゃアないか、それで、いまじゃア、どうしたんだエ。
慶喜公(徳川慶喜)が、「お前は何年でやるかエ」と言われたから、「そうです、まず、あれのしたことは道理があると言われるのは、十五年、もっともだといわれるのは二十五年、四十年たたなければなりませぬ」と言ったら、「途方もないことを言う」と言ったよ。四十年たってごらんナ。息子の代になれば、何でどうしたのだか、忘れてしまって、その綱(すじ)ばかり残るよ。
維新の大業だって、まず五十年サ。どうして、そう早くできるものか。憲法などというのは、上の収の圧制を抑えるために下から言い出したものサ。そ
れを役人等が自分の都合に真似をしただけのことサ。
君がただって、親仁(おやじ)の野蛮な血が半分残ってる。それからまた半分残る。野蛮と文明の間の子だよ。どうしてそう早く変るものか。蘭学では、いまの人はあまり知らないが、豊後の臼杵に三万石ばかりの家老で、帆足万里というがある。あれは、なかなかの学者で、えらいものだよ。
漢文でへンリー……というを書いた。二十人ばかり書生をおいたよ。おかみさんが立派な人だったが、こういう縁側に三味線弾きなどを呼んで、弾かせて聞いてるのを、少しもかまわない。書生等が、昼、まっ裸で寝ているのを見図って、アパパとただ笑っていたということだ。
耶蘇教(キリスト)のことは、長崎にいる時分にも放ってやったよ。瓦解の前に、仏蘭西の宣教師で、ドレーキだったけ。天堂建立を願ったので。日本人を入れなければ、宜しいという也で、てさせた。すると、日本人がたのをみな捕えたところが、ドレーキが、ひどく怒って、掛け合に来たそうな。夜遅くだったが、ドンドン戸を叩いて人が来た。ドレーキがこうこうで、大変だというから、「ナニ馬鹿なことがあるものか、おい返してしまえ。明日、外の用事があって、英吉利(イギリス)の公使へ往くから、その節お話をすると言って、返してしまえ」と言つた。
そこで、明くる日、英吉利公使のところへ行って、ドレーキを呼んでもらった。その前に、牢へ這入ったものをみンな出してしまって、百両ずつやったものだから、みンな礼に行ってらあネ。
それはまだ表向になっておらぬから、私は下ルーキにそう言うた、「昨晩は、お出下すったそうなが、折悪しく失礼致しました。今日、外の用事で、ここまで参りましたから、ここでお目にかかりますが、あれは、真に当方の過(あやまり)でございますから、みンな解放してしまいました」と言うた。
すると、驚いて、「どうして、あなたはそういうことをなさいます」と言うから、「ナニ、私は外に知りません、宗教のことも存じませんが、もし横浜中のものが、みなあなたがたを信じてしまえば、いたしかたがありません。天堂へ這入るのを押えたところが、効がありませんから」と言うたら、たいそう、油をかけたよ。
それから、ドレーキが非常に骨を折って、おれのほうの肩を持ったよ。そこで、談判をしたから、外のこともずっと通った。その時、諸外国の公使はみんなおったッけ。
サトウがその節の書記生だから、よく知ってるよ。それで、こちらでは悪ものだが、あちらでは、たいそう、通りが善いよ。チャンと、記録に載っているということだから。アア、パークスとはたいへん、仲が好くていちばんひいきにしたよ。ドレーキが手紙をよこしたのが、あるよ。
ナニ、ああいうのは、その党が固まっているから、ごく、為しいいよ。しかし、西郷などは、言葉が通ずるから、何も困ることはない。外国人のほうは、ずいぶん、骨が折れるよ。
それで、明治政府になってから、捕えたのサ。その時、西郷が相談するから、「ナニ黙許するのだよ」と言ってやった。
マー、西洋では、いつも礼賛堂へ行ったよ。たいそう、褒められたよ、世話をしてくれた親仁(おやじ)がごく熱心だったから、その息子などといっしょに行くとネ、ホーリー、ゴースト、ホーリー、ゴーストで国めて祈ってるよ。
息子が、親仁の祈ってるのを指をさして、オレの顔ヲ見て笑うのサ。
初めて軍艦が来たのを見にいったよ。十八の時でネ。今の壮士サ。六、七人連れでいったよ。その時は、たいへんな騒ぎサ。ポーハタン、ミシシッピッピの二艦と、その外は帆前船サ。
あれは、米国に行った時に、よく詞べたが、第一世ナポレオンがヘレナ島に流されてから十七年目に、欧米各国の公使が寄って、相談をしたのサ。だんだん食えなくなるので、東洋のほうに貿易を閲こうということに決議になって、英仏がまずやって来た。このころは、支那、印度(インド)が目あてサ。すると、支那で林則徐という攘夷家がおって、亜片(アヘン)の騒ぎから戦争が起って、か
れこれしているうちに、亜米利加(アメリカ)は、後尾であったが、あちらからずッと日本へ来たので、先が後になり、後尾が先になったのサ。
その前に、和蘭オ(ランダ)からも、手紙が来ているけれども、信じやしない。これはこう言うて、はめるのだと思ってるのだもの。どうして大きなものだからネ。小藩の人をごらんナ。二、三千人だから、今日布令が出ても、明日はすぐに分かる。そして、利口だよ。気が利いてらあネ。大藩になると、一月も二月も通りはしないよ。それで、馬鹿だから。
また利口もできるが、その利口は大きいよ。支那などにできる人物は、恐ろしい大きなものだよ。
牛荘から来たものに聞いてみたら、日本に来る綿が八百万円。豆がたいへんだ。豆腐の豆までそうだよ。
三十年前、長崎で調べておいたが、貿易は二つだ。日本はどうしても、フリーハンドルではできねよ。さきから、さきから取次いで売るのでなければならぬよ。まず茶でも糸でも、ごらんよ。まことに僅かなものだよ。支那では、官から奨励したのでもなんでもないが、あソなにできる。支那の官吏はむしろ物産の邪魔をするくらいのものだよ。
ナニ、ワシは一人も同志はないよ。同志というのが嫌いだから、今朝も、いろいろ伊藤(博文)のことを言うから「そう言いなさんな」と言ったのサ、「お前でも、おれでも、二十年も侯爵様なら、たいてい、世に後れらあネ。お前でも、そンなことを、伊藤のところへ行って言うたか」と言うと、「言わぬ」と言った。それだもの、みンな誉める人ばかりに取巻かれていれば、そうなるよ。
ワシなどは、もと、とンと、望(徳望)がなかったものだからネ。貧乏でねエ。メシだって、一日に一度くらいしか食べやしない。それで十分だもの。
ナアこ、それがいいのサ。おれなどは、早く西行やー休のようになれば善かったと思ってるのサ。馬鹿らしい、つまらねエことに引かかってしまった。初めから隠居のできる人は、それがいいのサ。
これでも、五十年も政治の飯を食ったから、少しは知ってらあネ。今日いろいろに言うて来る人があっても、みな昔と同じことサ。ワシのほうで、陳腐
だと思ッてるよ。
ナアに、この単物(ひとえもの)のように、旧いのでも、糊をつけて、ピンとさせておくのサ、人も少しピンとすればいいのサ、モ少し騒げばいいのにと思うのサ、グズグズに衰えるよりは、いいよ。
橋本左内のことは、そンなことを言うものサ。そう書かねと、本が売れぬからネ。小柄は、ワシの先生だが′西洋のことは、みな、ワシが言うてやったのサ。
字引の写したのも、インキは自分で造ったのサ。
ペンもあちらでは、鷲 (がちよう)だがネ。おれは家鴨(あひる)の羽根を
もら・て、灰汁で煮て、作ったよ。
田中が夕べ来た。「お前は何になるのだ」というたら、「総理大臣だ」というから、それは、善い心掛だ、ワシが請判(うけばん)をするといって、証文を書いてやった。名あてが、閣魔様、地蔵様、勝安芳保証としてやった。たいそう悦んで帰ったよ。
長崎にいた時は、アア、フルベッキはまだいなかった。二番目の書生が、加藤弘之や、津田サ(真道)。それがあンな大家になった。
引渡の時も、西郷が来たというから、安心したのサ。イヤ危ないから二大隊率いてゆけなどと言われたが、「ナアニ、一人で沢山だ」といって、十四日に往った。それで、じきに纏ってしまった。
それで、三、四日もたってから、勝はひどい奴だといって、争ったが、もう済んことだ、しかたがない。だんだんと静まったよ。あちらでも、伏見戦争の後で、たいそう議論があった。それを、西郷が一人、ずヅと機に乗ってやってきた。グズグズすると、縛られてしまうよ。それに、あの機に乗ってやってきたから、どうして、いかんともすることができな
枢密院顧問官だもの。用があれば出るのサ。だが、ワタシには少しも分からないよ。それで、みンなの立つほうに立つのサ。マアやかましく言えは、○○などがいうのだが、近ごろは、まるで仏様だよ。ナニ、あれが支那へ行って馬鹿にされちゃア困らあナ。ああやっていれば、学者だといって、名高いがネ。
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