前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日中朝鮮150年戦争史(49)-副島種臣外務卿(外相)の「明治初年外交実歴談」➀李鴻章との会談、台湾出兵、中国皇帝の謁見に成功、『談判をあまりに長く引き延ばすので、 脅してやろうとおもった』

      2019/03/18

 日中朝鮮150年戦争史(49)

副島種臣外務卿(外相)➀

李鴻章との会談、台湾出兵、中国皇帝の謁見

に成功、「談判をあまりに長く延ばすので、

脅してやろうとおもった」

Wiki副島種臣

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%AF%E5%B3%B6%E7%A8%AE%E8%87%A3

 

○清水君 李鴻章に御合ひになりましたのは何時頃でございますか。

○副島伯 これは台湾人が琉球人を殺したことがある。

其前に琉球は日本の版図(国土)になって居る、即ち琉球人は日本国民であったもんであるから仇討をしなければならぬ。

仇討をするに付ては、政府が仇討が出来ぬければ、薩摩が一手で討つなんと云ふことぢやつたから、何もさうするには及ばない、

政府で討つべきものであるから必ず討つことにすると云ふ諭して見た所が、其評議の席へは三條公は固より出て居られた。岩倉公は留守であったが、西郷が居る、勝安房が海軍卿の名で来て居った。

又川村伯等も来て居られた。

そこで現在の船だけで台湾に渡ることが出来るかと云ふことになった所が、勝は、十分とはいかぬけれども渡れと云ふ仰せであるならば渡りますと云ふ答であった。

所が出兵することになると支那があぶないと云ふ論が出た。

そう云ふ人等は支那はまだ余程強い国と思って居ったらしい。併し私は支那は決して気支(きずか)はないと云ふ説であった。西郷も異説であった。

 

けれども多数は支那があぶないと云ふものであるから、支那の承諾を得るやうにと云ふことであったが、其前に宇和島の伊達公が支那と結ばれた条約に日清両国互に相助け合ふと云ふやうな事が書いてある。

そこで支那のやうな国と手を携へ助け合ふたのは詰らぬと云ふ議論がやかましくあったけれども、何もかも私が引受けて、支那に一度行って話をしようと云ふことで、それから支那に参るやうになった。

○曽田井君 それは明治何年でございますか。

○副島伯 明治六年になる。

○富井君 共時に初めて李鴻章などに御合になったのですか。

○副島伯 さうです。

○高橋君 それから台湾に兵隊を送ったのでございますか。

○副島伯  まだ話がはさまつて居る。それから支那に参った時に謁見論が初つて居った。是は康煕帝の時に露西亜の使節が謁見例になって面倒になって居った。

即ち階下で座礼をさせられたので、丁度此時分も支那では支那の流儀で礼をさせると云ふので、各国はいやがつたが、支那の流儀であると云ふことであって、かつまた。全権公使、弁理公使、代理公使も上下なしに早う行ったものが上席、そこで私は大使で行ったから大使の体面を保たなければならぬ。

そこで是は余程、むづかしかつたけれども、各国が談じ合ふて支那を承知させるが宜しいとなって来た。

そこで談判をしたが中々長く引延ばす。私は初めから支那の流儀も幾許は知って居ったが、行って見て果して然りと思った。

私は全権大使と云ふので賢良寺と云ふ所に旅籠を設けられて食事などは向ふの賄ひであるけれども、私は公用のあるもんであるから、談判の出来た上では支那の飯も食ふけれども、それまでは食はぬと云ふので、此方からコックを数人連れて行ったから、書記官以下の者には支那の御馳走を食はしたけれども、私1人は別にして食って居った。

それから何処へ御見物に御案内するとか、何とか云ふて来るけれども、談判の済むまでは此坐を動かないと云ふて、ちょっともわき目も振らなかった。

それが二三月頃から七月頃までであった。

さうして余り長う延ばさうとするもんであるから果てがないに依て、一つおどしてやらう、おどすばかりでない都合に依ったら軍艦を二艘持って居るから、【芝罘】(チーフ)位は打破って呉れやうと思った。最もその時、随従して居られたのは有名なる樺山資紀伯等であった。土佐の者では林有造等であった。

そこで斯く談判を延ばすに於ては、日本大使は永らく遊んで居ることは出来ぬに依て、最早明日締る積りであると言って置いて、口ばかりではいかぬから、樺山君等に先づ荷造をして立たせた。

さうすると直ぐ恭親王が詫びに来られて、それから談判を開くことになって、斯く永らく引ずって置くと水掛論になって三年でも五年でも捌けはせぬと思ふたに依て、柳原書記官に命じて薫毛昶と云ふ者に合ふて、先づ三箇條彼等に向つて問はせた。

第二番に◎(さんずいに奥)門はポルトガルに呉れきってあるか、なお支那領であるか此儀を御尋ねすると、とんでもない所からやった。

さうしたれば呉れきってはないと云ふ。然らば朝鮮は條約の締結は各国に自由に許してあるが、和親の権を許してあるか、

若し許してあらば和親破るれば戦となり、戦さに負ければ亡ぶると云ふことは御承知であるぢやらうと問はせた。其頃、私は交際が上手になって居ったから、支那が亜米利加にやった書簡を米国公使ロー氏から貫って居った。

 

其書簡には和戦両条支那輿からぬと云ふことが書いてある。そこで亜米利加(アメリカ)には斯様に御答になったさうで、此のところに写しがあると云ふので、柳原をしてそれを彼等に示させたもんだから、そこで和戦南条興からぬと云ふことになった。

それから台湾の生蕃、これも初めは貴国の管轄と思ふて居った。思ふて居ったが台湾人が我国民-琉球と言はず我国民と言ふた。

其時には琉球の議論はさせぬ積りであったから、私が言ふた通り柳原も言ふとるに違ひない。我国民を殺したから此仇を討たねばならぬ。

然るに先年、亜米利加人(アメリカ人)が台湾の牡丹社に殺された。其の時に亜米利加は牡丹社を討ったが支那政府は黙諾されてござった。

さうして見れば支那の管轄と経も支那の憶利が及ばぬ所であるから、各国が勝手にしても宜い場所であらうとやった。

それで台湾も管轄外と云ふことは承知せぬとか何とか言ふたけれども、今の亜米利加の征伐した一条で詰まられたやうで承諾をしましたと云ふて来た。

それが済むと恭親王、文中堂から三日ばかり滞在して呉れるやうにと言ふて来て、それから謁見するやうになった。その時に日本刀を支那では怖がるから日本刀だけは脱して呉る~やうにと云ふことであった。

そこで日本は礼儀の図である。再の前へ出る時には必ず刀を帯びて出なければならぬ。若し支那帝に無礼を加へて宜いと云ふ恩召ならば脱して出ませうと云ふたら、イヤ無礼はどうぞ御断りをすると云ふことであった。それで帯刀の帯刀のまま立礼しました。

それで日本の大使が第一席、それから各国の全権公使、弁理公使、代理公使の席順で謁見することになった。それが済んでから総理衛門に挨拶を述べる。

就ては皇帝から食事を差上げたいと思われるが如何でござるちうと、露公使と英吉利公使は談じ合ったかして、此暑さであるから御断りしたうござると云ふた。

さうすると文中堂が日本大使もさうでござるかと云ふたから、イヤ皇帝の御招なら日本大使は喜んで頂戴を致すと答へた。

すると、英公使と露西亜公使は失策したと言ふて尻突合って居ったやうな事である。それからして李鴻章が君父を辱しめぬと云ふもんであるから、どんな敬礼でもしなければならぬと云ふて、帰る時には支那で打つたことのない祝砲を打つ。

それからガンボート一般で太活まで送って来た。私は其頃、西洋の事ちうても余計にも知らず、唯自分の流儀で人の眞似をせぬ積りであったもんだから、それが一つ支那全体に貫通したやうにある。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究 , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン/ベンチャービジネス講座』★『日本一の戦略的経営者・出光佐三(95歳)の長寿逆転突破力、独創力はスゴイよ②』★『「ライオンでも鼻のなかに蚊が一匹はいったら、クシャミくらいするでしょう」』★『金の奴隷となるな、人問がしっかりしておれば、金は自然に集まってくる』

前坂 俊之(ジャーナリスト) 軽油を給油する下関からの海上油輸送が軌道にのった1 …

no image
「日韓衝突の背景、歴史が一番よくわかる教科書」①★『福沢諭吉の「脱亜論」ですべては解明されている』150年前から日本が悪いという「反日の恨(ハン)の思想」の民族意識は今後ともかわらないのでは」

日本リーダーパワー史(765) 今回の金正男暗殺事件を見ると、130年前の「朝鮮 …

no image
 ★『アジア近現代史復習問題』福沢諭吉の「日清戦争開戦論」を読む』(8)「北朝鮮による金正男暗殺事件をみると、約120年前の日清戦争の原因がよくわかる」●『京城釜山間の通信を自由ならしむ可し』(「時事新報」明治27年6月12日付』★『情報通信の重要性を認識していた福沢』●『朝鮮多難の今日、多数の日本人が彼地に駐在するに際して、第一の必要は京城と我本国との間に通信を敏速にすること』

 ★『アジア近現代史復習問題』 福沢諭吉の「日清戦争開戦論」を読む』(8) 「北 …

no image
★よくわかる日本原子力導入の歴史ー『日中原子力テクノロジー再考』・山口直樹(北京日本人学術交流会、北京大学)

    第32回北京日本人学術交流会   原子力を …

「知的巨人の百歳学」(144)ー『世界最長寿のギネス芸術家は平櫛田中ではないのか!?』★『日本超高齢社会』のシンボル・彫刻家・平櫛田中翁(107歳)の気魄に学ぶ

「知的巨人の百歳学」(144) 『超高齢社会』のシンボル・彫刻家・平櫛田中(10 …

Z世代のための『バガボンド』(放浪者、漂泊者、さすらい人)研究』★『永井荷風の散歩人と野垂れ死考① 『どうしても撮れなかった荷風老。大のジャーナリスト嫌い』の話

 前坂 俊之 (カヌーイスト)     Book …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(21)世界史『西欧列強の植民地争奪合戦』 の中での日清戦争勃発〈1894年)③清国(中国)との交渉は『無底の釣瓶(つるべ) を以て井戸水をくむが如く、いつも その効なく、無益に終わる」(パークス英公使)

 日中北朝鮮150年戦争史(21) 世界史『西欧列強の植民地争奪合戦』 の中での …

『新型コロナウイルスのパンデミックの影響で2020年慶応大学入学式(当初は4月1日,3日に予定)は9月入学式(学部・大学院)に、4月入学者も参加する形で開催することを検討している』★『2017年度慶應大入学式ー清家篤塾長の式辞(動画)』★『2019年度慶応大入学式-長谷山彰塾長の式辞(動画)』★『福沢諭吉先生』の旧居、福沢記念館(大分県中津市留守居町)(動画)』★『日本近代化の父・福沢諭吉に関する論考、雑文一覧 』

 前坂俊之(ジャーナリスト) 新型コロナウイルスのパンデミックの影響で2020年 …

no image
速報(323)『日本のメルトダウン』『南相馬市で1kg当たり200万~600万ベクレルものセシウム東京の葛飾区水元公園も120万~30万』

速報(323)『日本のメルトダウン』   ●『南相馬市で採取された黒い …

『リーダーシップの日本近現代史』(339)<大経営者の『座右の銘』―人を動かすトップリーダーの言葉>『明治以来の日本経済を昭和戦後期に<世界1、2位の経済大国>にのし上げた代表的な起業家たち80人のビジネス名言・金言・至言を一挙公開』

 2011-04-29 記事採録  新刊発行<『座右の銘』― …