前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『リーダーシップの日本近現代史』(120)/記事再録☆『今年は中国建国70周年だが、中国革命の父は毛沢東ではなく、孫文である」☆『その孫文を全面支援した宮崎滔天を中国に派遣して日本に亡命させて来いと指示したのが犬養毅(木堂)です』★『中国革命のルーツは・・犬養木堂が仕掛けた宮崎滔天、孫文の出会い』

   

日本リーダーパワー史(116) 中国革命のルーツは・・犬養木堂が仕掛けた宮崎滔天、孫文の出会い

  2018/01/22/記事再録

辛亥革命百年(18)犬養毅の仕掛けた中国革命・滔天と孫文との出会い

 前坂俊之(ジャーナリスト)

 
 
宮崎滔天は、二〇人の農民をつれてシャムに渡った。
 
ところが、時期がおくれて現地の日本移民会社は解散していた。シャム農務相や現地日本人の援助はあったが、移民の大部分は適当な職をえられず、大半風土病におかされるという惨憺たる有様であった。
それでも、彼はシャム移民事業の有利なことを説くために帰国し、広島移民会社を訪ねたりしている。しかし、一緒にシャムに行ったのは、末永節(筑前)・平山周(福岡)・前田九二四郎である。
 
そのとき妻の槌に送った手紙には、次のようにある。
「貧乏の事に至っては元是身に付いたる病気にて仲々一寸には直り不申、御苦心の程を察すれば腹裂くるはかりに候へども、しばらく辛抱仕りおり候。実際貧苦に身を没し居るものゝ苦しみは云ふまでなき処に候へども、最愛の妻子をこの貧困にゆだねて出て行く夫の心も又大分苦しきものにて候。昨日維新豪傑談なる書を読みて梅田源次郎の物語りに至って我同情を寄せ大いに慰め申候……」。
 
しかし、移民事業は惨憺たるものだった。彼もコレラに罷って九死に一生をえている。しかし、彼はシャム(タイ)の山林事業を有望とみて、それを説くために翌年ふたたび帰国する。ところが、もっとも信頼していた兄弥蔵が死亡した。
 
弥蔵は商館の番頭に身をやつしながら孫文の輩下と連絡をとっていた。二兄の死で悲観しながら、しかし彼はシャム殖民事業をといてまわる。妻への手紙(一八九六年10月19日付)に、こういっている。ここに犬養との出会いがはじまる。
 
「殖民の事は犬養毅が中心となって成立に力を尽し居申候。今朝は同人の紹介にて小村外務次官に面会してシャムの形勢を話し、殖民政策の必要を説きたり。
小村次官も大に同感を表せられ、賛成の事を明言せり。彼等もシャムの東方政策上重要の争点なることは知り居るものゝ如し。犬養の外楠本正隆・尾崎行雄等大に尽力することトなり、四、五日内進歩党本部に於て代議士六、七名集り
シャムの事情を聞くとの事也。談話が下手で極困り居候……」。
 
宮崎が犬養に会ったのはこの時がはじめてであった。これが辛亥革命のスタートになる。
 
 
『三十三年の夢』にはこう書いている。

「兎に角、余は改進党嫌なりき。而して木翁(犬養毅)は現に其党の一人なるが故に、余は進んで之と会見するを欲せずして、屡々友人(可児長鋏)の勧告を拒めり。然れども彼はロを極めて其人物を賞説し、心を尽して余を勧誘せり。是に於て余が心終に動けり。乃ち南万里と相携へて木翁を其寓に訪ふ。天縁なる哉。余が方針の一転機は此時に在」。
 
一転機というのは、シャムの山林事業のために会いながら、犬養から叱られた。「其顔ではちっとも金儲けは出来ぬよ。さッぱり中止したが好い」といわれ、「金儲けも一生の事業だ。金儲けして而して後に天下の事をやる。
成程正当の順序の様だが、さう甘くゆくもんじゃない。がらにないこたァ中止が好い。中止して直に本職に掛かるが好い。ナニ、天下の事は分業法でやるさ。儲かってゐる奴の分から使って行くさと。鳴呼、彼は余が志望を知るや知らずや。可児君は切りに余が膝をつつけり。余は遂に志支那にあることを告げ、且つ援助を与へられんことを乞へり。彼曰く、諾、暫く昼寝でもして待って居たまへと。一語泰山よりも重し。乃ち二兄の死により消耗せる余が志願うは頓に復活せり。余は失望の谷を出でて再び希望の天地に入ることを得たり。木翁は余が心的再生の母なる哉」。
 
つまり、宮崎を支那(中国)への志を正面から受け止めて、師父となったのは犬養木堂だったのである。
 
 
一八九七年(明治30)、木堂の斡旋で、宮崎と南万里と可児長鋏の三人は外務省から支那実情視察に派遣されることになった。彼は、内幸町の下宿で「昼寝」をしているうちに商品北芳の因叢面に報い、頭山満に四〇円借りて上野桜木病院に入院したり、大森で静養したりして、一人出発がおくれたが、とにかく香港で落合った。
香港・広東などでは革命派(一八九二年孫文が結成した興中会の会員)の人びとに会っている。そして、孫文がやがて日本に来ることを聞いて、旅行を中止して帰国する。横浜について陳白を訪れると、そこにすでに孫文が着いていた。孫文は彼のことも弥蔵のこともよく知っていた。
「余の喜びや知るべきな。但其挙止動作の漂忽にして重みなき処、人をして
にわか失望の心を生ぜしめぬ。……以為らくモット貫目なくてはと。鳴呼余や東洋的観相学の旧弊に陥りて自ら覚らざるものなり」。
しかし、すぐさま彼は孫に魅せられる。
 
そこで、「東都に入りて先づ木翁に謁し、告ぐるに孫君のことを以てすれば、彼は好い土産ものだ、兎に角逢って見ようぢゃないかといふ。更に外務省に至り、小村次官に謁して事情を告ぐれは、兎にかく、報告書を作れと云ふ。乃ち革命結社の現物(孫文のこと)を捉へ来りたれは、直接逢ふて話しをして呉れと答ふるに、彼は吃驚七そんな事して貰ってはと云ふ。然れども官員様は官員様なり。余等は余等なり。如何に官員様が驚きたまふとて、余等は余等の為す所をなさざる可からず。終に木翁(犬養毅)・平翁〔平岡浩太郎〕の高義によりて東京に一軒を構へ、南万里のお雇語学教師の名義を以て、孫・陳二君と同居することとなれり」。(『三十三年の夢』)
 
 小村次官は反対であったが、犬養が大隈外相(第二次松方内閣)を説き、外務省勅任参事官尾崎が府知事と談判して、東京府の「開市場外僑居証」(滞在ビザ)(一八九七年一〇月三日付)をえた。こうして、犬養の庇護のもと、宮崎滔天
と孫文の交友がはじまり、中国革命の拠点が東京にスタートすることになった。
 
 
 

 

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『リーダーシップの日本近現代興亡史』(232)/『ロボット大国日本のAIロボットはどこまで進化したか』★『今から5年前の「2015国際ロボット展」(動画5本再録)と比較してみよう』ー石川正俊東大教授、FUNAC,THK,KAWASAKIのロボット展示ブース、プレゼンを見た』

    2015/12/05 &nbsp …

『リーダーシップの世界日本近現代史』(294)★『 地球温暖化で、トランプ対グレタの世紀の一戦』★『たった1人で敢然と戦う17歳のグレタさんの勇敢な姿に地球環境防衛軍を率いて戦うジャンヌダルクの姿がダブって見えた』★『21世紀のデジタルITネイティブ」との世紀の一戦』★『2020年がその地球温暖化の分岐点になる』

 地球温暖化で、トランプ対クレタの戦い』           …

no image
日本最高の弁護士正木ひろし②―ジャーナリストとしての正木ひろしー戦時下の言論抵抗―

―ジャーナリストとしての正木ひろしー戦時下の言論抵抗―   -Hiro …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(209)-『W杯ラクビ―の勝利と「モンスター」井上尚弥の世界一の共通性』★『「できない理由」を探すよりも「何ができるのか」を考える』★『日本社会と同じようなチームを作っても世界では負ける、他のチームの物まねをしてる限り、チームは強くならない』(下)

  W杯ラクビ―の勝利(準決勝進出)と「モンスター」井上尚弥の共通性 …

no image
日本リーダーパワー史 ⑪ 鳩山由紀夫首相誕生―鳩山家のルーツ・鳩山和夫のグローバルリテラシの研究①

鳩山由紀夫首相誕生―鳩山家ルーツ・鳩山和夫のグローバルリテラシー①   …

『Z世代のための百歳学入門』★『昭和戦後の高度経済成長から世界第2位の経大国へ復活させたプロデューサー「電力の鬼」・松永安左衛門(95歳)の長寿10ヵ条①』★『80歳の青年もおれば、20歳の老人もおる、年齢など気にするな』

 2015/08/13 晩年長寿の知的巨人たちの百歳学(111)記事転 …

no image
『なぜ日中は戦争をしたのか、忘れ去られた近現代史の復習問題』―「日清戦争の引き金の1つとなった『長崎清国水兵事件(明治19年)の5年後、再び日本を震撼させた清国艦隊『巨艦』6隻の東京湾デモンストレーション」

   『なぜ日中は戦争をしたのか、忘れ去られた近現代史 の復習問題②』 …

★『リモートワーク動画』★『日本最強のパワースポットへの旅』/『サムライの聖地」、宮本武蔵が『五輪の書』を書いた熊本の霊厳洞を訪ねる」★『宮本武蔵終焉の地・霊厳洞は五百羅漢が立ち並び迫力満点の超パワースポット』★『勝海舟の宮本武蔵評』

 <剣聖>宮本武蔵終焉の地・「五輪の書」を書いた熊本の<霊厳洞>を訪ね …

no image
★5 日本のメルトダウン(534)『福島原発事故から3年ー北澤宏一×黒川清×畑村洋太郎× グレゴリー・ヤツコの座談会』

   日本のメルトダウン(534)   3・11- …

no image
日本リーダーパワー史(515)-日清戦争120年②開戦のきっかけとなった高陞号事件での東郷平八郎の国際性

  日本リーダーパワー史(515) 日中韓150年パーセプシ …