日本リーダーパワー史(626) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑳『ドイツ・参謀総長モルトケはメッケル少佐を派遣、日本陸軍大学校教官となり参謀教育を実践。メッケルの熱血指導が「日清・日露戦争』勝利の主因
日本リーダーパワー史(626)
日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑳
『ドイツ・参謀総長モルトケはメッケル少佐を派遣、
日本陸軍大学校教官となり参謀教育を実践。
メッケルの熱血指導が「日清・日露戦争』勝利の一因
「もし当時の日本にモーゼル・ワインが輸入されて
いなければ、メッケル少佐の赴任は実現しなかった」
前坂 俊之(ジャーナリスト)
川上操六がドイツ参謀本部・モルトケ参謀総長に弟子入りして、ドイツ軍政、普仏戦争に勝利したその戦略、戦術を研究し、そっくり日本陸軍建設のお手本にしたことはすでに述べた。
次に、日本陸軍の参謀づくりのために陸軍大学校を創設し、モルトケに対してその教官には最優秀の参謀の派遣を依頼して、メッケルが来日する経過についてふれる。
もともとは徳川幕府、明治新政府はヨーロッパを制覇したフランス・ナポレオンに学び、日本陸軍はフランス式に組織され、士官学校生徒もフランス人教官によりフランス式に教育されていた。
それなのに、士官学校の上級学校である陸軍大学校を創設し、そこにフランス人教官でなく、ドイツ人教官を招いてドイツ軍政を教えるとなれば、フランスのメンツは丸つぶれとなり、日本側にとっても陸軍教育の一体性は失われることになる。
士官学校教官のフランス人・プーゴアン大尉は、「ドイツ人将校を雇うならば、フランス政府はフランス 教官をひきあげ、日本軍人のフランス留学も拒否する」と厳重抗議した。
山県有朋陸軍卿はこの抗議をしりぞけ、予定通りドイツ士官の招聘を大山巌に指示していた。(明治政府とトップはこの決断力、拒絶力があったのであり、今のトップにはこの肚と度量があるかどうか)
大山巌がベルリンに到着して、陸相P・B・フォン・セレンドルフ中将に「最も優秀な参謀将校の派遣を」依頼した。
陸相セレンドルフは、参謀総長H・G・フォン・モルトケ大将に相談して、候補として参謀大尉K・フォン・デル・ゴルツの名をあげた。ゴルツ大尉は、葦参謀の中で抜群の俊秀として認められ、将来の参謀総長とみなされていた。最優秀の参謀将校という大山巌の注文に、かなった人選だった。
だが、しばらくして参謀総長モルトケはゴルツ大尉の代りに参謀少佐メッケルの派遣を指示した。
ゴルツ大尉を優秀なるがゆえに手放し難いとすれば、メッケル少佐も個性は強いがゴルツ大尉以上の戦術家であった。 メッケル少佐は『未来の歩兵戦』、『戦術学』『兵術入門』『帥兵術』(統帥術)などの多数の著書があり、ドイツ陸軍有数の戦術家として知られていた。
とくに著書『帥兵術』は1881年に出版されると、20ヵ国で翻訳された。
ところが、参謀総長モルトケが直接、メッケル少佐にすすめても、即答をさけ、回答をのばした。1ヵ月ほどしてOKをだしたが、その理由について参謀総長モルトケが問いただすと、意外な返事が返ってきた。
「じっは、本官は晩酌にモーゼル・ワインをたしなみます。これを欠かすと快眠できません。そこで、日本でもモーゼル・ワインが入手できるかどうかを不安に思い、電報で問いあわせたところ、心配ないとの返事を得ましたので、赴任をおうけすることにした次第であります」
メッケルは明治20年1月に来日し、いわば国賓待遇で、
一時、鹿鳴館に寄宿、その後、西欧式の立派な寄宿舎を日本側が新築、そこでほぼ3年間、陸軍大学校教官を務めた。
近代的兵学について、モルトケ流のドイツ将校教育を日本側に伝授、児玉源太郎陸軍大学校長もメッケルの授業を毎回参観。参謀実践教育のための『陸海軍総合大演習』を各地でメッケルが指導する実戦さながらの軍事演習も教えた。
このメッケルの薫陶を受けた川上参謀次長下の参謀将校たちが「日清・日露戦争」での第一線将校となり、日本勝利の原動力となったのである。日本陸軍の建設発展の基礎、その上での乾坤一擲の日露戦争の勝利はメッケルのこの熱血教育に起因する。
明治37年、日露戦争勃発時に、世界中の軍事筋は「日本必敗」を予想したが、メッケルはただ1人り「児玉源太郎(時の参謀総長、川上はすでに5年前に逝去)とスタッフがいる限り、日本の勝利は間違いない」と西欧メディアにもコメントした。
日露戦争勝利の際には山県有朋がメッケルに感謝の電報を打っている。
ここでメッケル来日のエピソードを振り返ると、歴史にifはないが「もし当時の日本にモーゼル・ワインが輸入されていなければ、メッケル少佐の赴任は実現せず、日本陸軍の発展もどうなったものか、わからず、ましてや日清、日露戦争の勝利もなかったかもしれない。
ましてや、日本の今日の発展おやー
歴史はまさに1人の人間(川上操六、モルトケ、メッケル、児玉源太郎)によって動き、変わるのであり、そこに歴史を知る意味、歴史の不思議がある。
関連記事
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(204)記事転載/『新しい女・青鞜』100年-日本女性はどこまで変わったのか①ー100年前の女性、結婚事情』★『働き方改革、女性の社会進出、少子化対策が叫ばれる現在とどこまで女性の地位は向上したのか』』
2011/10/14 『新しい女・ …
-
-
「オンライン回想動画/鎌倉カヤック釣りバカ日記(2015/07/30 )★『海上散歩×釣り×筋トレ×リラックス×釣った魚の刺身×地産地消=最後にきたよ「33センチの大アジが」かわいいね
2015/07/30   …
-
-
『100歳以上の高齢者 全国で9万9000人余 で55年連続で過去最多』★『日本は世界一の百歳長寿者大国で、2位の米国の約2倍、3位の中国の3倍。ヨーロッパ各国の6倍』
「敬老の日」を前に厚生労働省12日までのまとめでは、全国の100歳以上の高齢者は …
-
-
日本メルトダウン脱出法(698)話題の一冊を書いた元国家戦略担当相が指摘 「財政破綻」「ハイパーインフレ」◎プーチン大統領と安倍総理が接近 〜日米関係悪化のリスクにヒヤヒヤする外務官僚
日本メルトダウン脱出法(698) 話題の一冊を書いた元国家戦 …
-
-
日本メルトダウン脱出法(796)「中国企業と国家:一段と厳しくなる締め付け (英エコノミスト誌)」●「古舘伊知郎、「報道ステーション」降板の理由 「12年を一つの区切りと思った」●「軽減税率というポピュリズムが政治を汚染する 200億円で新聞を「買収」した安倍政権」
日本メルトダウン脱出法(796) http://jbpress.ismedia …
-
-
『オンライン/徳川歴代将軍講座』<日本超高齢社会>の歴史とは⑤…<徳川歴代将軍の年齢、実力調べ』★『徳川家康と秀忠、家光の三代将軍の指南役 の天海大僧正107歳?こそ徳川幕府の盤石な体制を築いた<影の将軍>なのじゃ』
2010/01/27&nbs …
-
-
まとめ 『日本最強のリーダーシップー西郷隆盛』 ●『尾崎行雄の傑作人物評― 『西郷隆盛はどこが偉かったのか』 ●『近代日本二百年で最大の英雄・西郷隆盛を 理解する方法論とは・ ●『廃藩置県の大改革ができたのは西郷の一言、 大度量によってのみ』
まとめ 『日本最強のリーダーシップー西郷隆盛』 ●『尾崎行 …
-
-
池田龍夫のマスコミ時評(42)『大阪維新の会,勝利の波紋ー民主主義に挑戦的な言動を危惧』
池田龍夫のマスコミ時評(42) 『大阪維新の会,勝利 …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(164)』「イスラエルに魅せられて再訪 2016 /1」レポート(9) 『古代都市エリコ(Jericho )』パレスチナ自治区②
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(164)』 「イスラエルに魅せ …
-
-
世界リーダーパワー史(949)3週間後に迫ってきた米中間選挙(11/6)の結果はどうなる?ー米中新冷戦に突入へ
世界リーダーパワー史(949) 3週間後に迫ってきた米中間選挙(1 …
