日本リーダーパワー史(72)辛亥革命百年⑪頭山満の孫文支援について
日本リーダーパワー史(72)
辛亥革命百年⑪頭山満の孫文支援について
前坂 俊之(ジャーナリスト)
●「往時を顧みて感無量」(古島一雄の話)
故孫文の革命の門出にあたり十八年前、犬養毅、・頭山満両氏を奉じて上海に来り、孫文を激励したことがあるが、今やその人は故人となったとはいえ、その革命は大体成功し、再び両氏を奉じて空前の盛大なる葬儀に参列するため二十三日上海に到着したについては、両氏はもちろん余もまたその往時を追憶し感慨切なるものがある。
葬儀を前にして蒋介石、馮両氏が争うことは孫文のためにも、支那のためにも悲しむべきことには違ひない。誰が天下を取るにしても国民政府たるに変わりはない。また将来、如何なる政変があるにしても、いづれも孫文の遺訓を無視するととは出きない。孫文の後継者たることを一般に認められるにあらざれば将来支那の政権を維持することは出来ない。孫文の革命は今や絶対的なものである。こ
の点孫文としても慰めとするに足る。
犬養、頭山、孫文三氏の相知ったのは二十数年前のことである。爾来、孫文が革命の遂行上との両氏に負ふところ如何に大なるものがあったか世人の多くは忘れている。国民党員といえどももこれを記憶するものは少いてあらう。
幾度か日本に亡命した孫文が安全に暮し得たのも両氏に負ふところが少くない。山本権兵衛内閣、当時時孫文が神戸に亡命し来りわが官意はこれが上陸を阻止したことがある。余はその当時一代議士として犬養、頭山両氏の意をうけて神戸に出迎へんとしたが、その政府の方針を聞き憤慨おく能はず、代議士たる身分によりどこまでも孫文を保護し東京に拉し去る決心をした。
犬養氏は『そんな手荒いことをせずとも俺がなんとかしてやる』とて山本首相を説き伏せ孫文の上陸が許されたものである。また大正十三年冬、孫文北上の途次最後に神戸に立寄った時にも余は犬養、頭山両氏の意をうけて神戸に出迎へた。
その際孫文の東亜の大局、世界の平和へ全人類の幸福のために抱懐していた政策は実に遠大をもので、孫文はこれを両氏に伝えるべく余に託した。その後世界の大勢および日支の関係を見ると、その当時の孫文の政策と相隔たること遠きものあるは遺憾の極みである。今や日支関係も次第に軌道に復さんとしつつあり。
しかし、犬養、頭山両氏とも昔孫文に与えた好意に対し、今その恩義をむくいられんことを予期して来たのではない。
二十年来の英雄、世界の偉人の遺した業を偲び、その盛大なる葬儀に列することを一生の思ひ出とするため欣び勇んで来たものである。との両氏の意図を察し、両氏が孫文に与えた教々の好意を今多く公表することはやめよう。
●「荒尾精と頭山満」(田鍋安之助の話)
私の承知しているところでは支那に於ける有志者の元組とも云ふべき荒尾精氏と頭山翁とは刎頸(ふんけい)の交りを結んでゐた。荒尾氏の支那における仕事に就いて頭山翁は陰になり日向になり援助したものである。
荒尾氏の仕事は支那調査のため日清貿易研究所なるものを起し、八十余名の人物を上海に於て養成した。量で申せばさう大したものではないが、此の人は支那に於て一番始めに仕事を起した人と申すべく、其の仕事を成すには非常な国難があった。例へば支那の事を諭査するにしても、其の時代には支那には排外の思想が極端に強く、半ば鎖国の欺態であったから、内地に入って調査に従事する者は度々危険に合し、中には行方不明になった者が多かった。
日清貿易研究所にしても、その養成した人間は僅か八十余名であったけれども此の学校が今日の東亜同文書院の前身であった。-体、この荒尾と云ふ人は非常に大望を抱いていた人で、此の東洋の衰運を挽回したいといふ考へで、其れには先づ支那を興さなくつてはならぬ、支那を興して而して後、日本と支那とが提携してアジア諸国を率ゐて行かねばならぬといふ考で、陸軍の現職として支那事業にとり掛ったのである。不孝にして三十八歳にして病気のために永眠せられ其の志は途げ得なかったけれども、其の人の仕事は同志の人々や其の門下生等に依って、其の後ますます拡大されて行きつつある。
此の荒尾氏の事業に対して頭山翁が陰に陽に輿へられた援助は多大なものであった。
その外、頭山翁が孫文、黄興を中心とする支那の革命党に対して輿へられたる援助の力大なりしことは世人の知っている所である。また頭山翁は日露戦争においてて如何なる考を持って居られたか?
思ふに翁の考へは、アジアを興して不当に白人を排斥すると云ふのでなく、現今、アジアは不当に白人の圧迫を受けて居るから其れを取り除かうとしたのである。つまり此の白人の不当なる行為を匡正して、以て真の世界平和を企しようとするのが翁の目的である。
真の世界平和は天地の公道に基くもので、総ての人類は平等でなくてはならぬ。
然るに露国が日本を圧迫して来たと云ふ事は、即ち東洋平和を撹乱する行為であったものだから、翁は憤然として起って対ロシア主戦論を主張したのである。
かの日露戦前の対ロ同盟会、即ち後の対ロ同志会の統帥は近衛篤麿公であったけれども、其の中堅となった人は頭山翁と根津一氏とであったと云って宜しからうと思ふ。而して此の両氏等が近衛公を輔佐して以て各政党を聯合し真に全国民の同盟となしたもので、此れが日露戦争の原動力となったのである。
根津氏は荒尾精氏と同心一体の人であった。思ふに対ロ同志会の任務そのものは、頭山翁の一生に於ても最も心血を注がれた大事業であったと思ふ。翁が如何に偉大なる先見の明があったかは驚嘆の外はない。
●辛亥革命で革命軍へ医療班を派遣
支那に第一革命の勃発をして後間もなく、頭山翁を始め対抗支有志者に依って組織された革命援助の有隣会では、先づ急場の援助として山科多久馬、古住慶二郎、古賀五郎、波野譲氏等の医師や薬剤師に看護婦を附し、多量の薬品を携へ牛丸友佐氏を宰領として戦地に特派し、革命軍の傷病者を救療せしめた。
この救療班一行は南京に陸軍病院が創設されるにあたり、その中心となって献身的努力をなし、多数の傷病者から神の如く尊敬、感謝されたのである。その救護班送別の記念会の写真には牛丸友佐、頭山満、梅屋庄吉、右から小川平吉、葛生能久、本城安太郎、内田良平、大崎正吾らが写っている。
<参考文献「頭山満翁写真伝」(藤本尚則著、昭和10年)>
関連記事
-
-
『オンライン/国難突破力講座』★日本リーダーパワー史(505)幕府側の外務大臣役(実質首相兼任)だった勝海舟の政治外交力を見習え⑦「政治には学問や知識は二の次 」「●八方美人主義はだめだ」
2014/05/27記事再録 日本リーダーパワー史(50 …
-
-
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1065)>★『トランプ真夏の世界スリラー劇場・各国の興亡史は外部要因(戦争などの)より以上に、内部要因による自壊・自滅現象である。オウンゴール連発のトランプ大統領はレッドカードで退場か?』★『米デフォルト・リスク、トランプ政権の混乱で「正夢」も』★『トランプに「職務遂行能力なし」、歴代米大統領で初の発動へ?』●『「トランプおろし」はあるか、大統領失職の手続き』
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1065 …
-
-
記事再録/知的巨人たちの百歳学(117)「超俗の画家」熊谷守一(97歳)●『貧乏など平気の平左』で『昭和42年、文化勲章受章を断わった。「小さいときから勲章はきらいだったんですわ。よく軍人が勲章をぶらさげているのみて、変に思ったもんです」
百歳学入門(151)元祖ス-ローライフの達人「超俗の画家」熊谷守一(97歳)●『 …
-
-
『Z世代のための国難突破法の研究・鈴木大拙(96歳)一喝!②』★『日本沈没は不可避か』-鈴木大拙の一喝②感情的な行動(センチメンタリズム)を排し、合理的に行動せよ
<写真は24年6月3日午前7時に、逗子なぎさ橋珈琲店テラスより撮影したが、富士山 …
-
-
日露300年戦争(5)『露寇(ろこう)事件とは何か』★『第2次訪日使節・レザノフは「日本は武力をもっての開国する以外に手段はない」と皇帝に上奏、部下に攻撃を命じた』
結局、幕府側の交渉役の土井利厚生https://ja.wikipedia.o …
-
-
昭和史の謎に迫る①永田鉄山暗殺事件(相沢事件)の真相
昭和史の謎に迫る① 2・26事件の引き金となった永田鉄山暗殺事件 (相沢事件)の …
-
-
「エンゼルス・大谷選手の100年ぶりの快挙」★『「才能だけでは十分ではない。挑戦する勇気が人々の心を変える」』★『ニューヨークタイムズ特集「日本ハムで入団交渉を担当したスカウトが、ミケランジェロやアインシュタインのように何でもできる天才と評価していた』★『連載「エンゼルス・大谷選手の大活躍ー<巨人の星>から<メジャーの星>になれるか」①『A・ロドリゲス氏は「これは世界的な物語だ」と絶賛』』
「エンゼルス・大谷選手の100年ぶりの快挙」 新型コロナ禍で世界中 …
-
-
『Z世代のための日韓国交正常化60年(2025)前史の研究講座③」★『井上角五郎は苦心惨憺、10ゕ月後に朝鮮で最初の新聞「漢城旬報」を発行』★『清国から西洋思想、日本の宣伝機関である、「井上角五郎を誅戮せよ」と非難、攻撃された』
苦心惨憺、10ゕ月後に朝鮮で最初の新聞「漢城旬報」を発行 http://ja.w …
-
-
知的巨人の百歳学(101)家康・秀忠・家光の三代に仕え、徳川幕府250年の基礎を築いた史上最高の戦略家・南光坊天海(108?)の長寿法は『長命には粗食、正直、湯、陀羅尼(だらに)、御下風(ごかふう)あそばさるべし』
家康・秀忠・家光の徳川三代に仕えた「陰の宰相」南光坊天海(108?)の長寿法 日 …
