前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本経営巨人伝⑫大沢善助ーーーわが国電気事業の先駆者・大沢善助の波乱万丈人生

   

日本経営巨人伝⑫大沢善助
 
わが国電気事業の先駆者・大沢善助
<波乱万丈の京都財界の大立者>
 

 

回顧七十五年
昭和4
大沢善助
大沢善助 1854-1934
(解)前坂俊之
00.09
8,500
大空社
 
前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)
 
大沢善助はわが国の電気事業の先覚者であり、明治大正期に京都財界の重鎮的な存在の実業家である。
大沢は安政元年(一八五四)二月、京都市上京区で侠客の父大垣足音松の二男として生まれた。母は五歳の時に亡くなった。大沢は二人の義母に特に厳しく育てられ、苦労しながら成長し、明治三年(一八七〇)、十六歳で父の親分で武家、宮家への人入れ稼業の元締めをしており「会津の小鉄」として有名だった大侠客・大沢清八の養子となり、名を幸助と改名した。
 
明治四年に家を出て寺町通丸太町の自宅で自米屋を営んだ。近くには米国から帰国したばかりの新島裏が住んでおり、同志社英学校(同志社大学の前身)を開校した。ここに米を卸したのが縁で新島と知り合い、親しくなった。

大沢と新島を結び付けたのは新島の義兄にあたる山本覚馬であった。山本は旧会津藩士で、維新後は京都府顧問として、府政を援助し、京都の政財界のリーダー役として、初代の府会議長、商工会議所会頭なども務めた。同志社の設立にもかかわっており、この山本の知遇を得たことが、その後の大沢の活躍に大きな力となった。

 
大沢は米相場に手を出して失敗、鮮魚商、古道具屋、押絵細工、瀬戸物商などの商売を転々とするが、外国人相手の商売をしたことで、貿易への関心を一層深めていった。
 
 明治十三年に新島嚢から洗礼を受けて、以後、大沢は敬度なカトリック信徒として生涯を過ごすことになる。新島から要請されて大沢は同志社の社員(現在の理事)にも就任した。
 同十五年(一八八二)十月、京都商工会議所(現在の商議所の前身)が山本らによって設立されたが、大沢は二十九歳と最年少ながら七人の発起人のメンバーの一人になった。
 
 この間、明治十四年に京都府知事となった北垣国道は「京都の再生」の決め手として琵琶湖の水を運河によって京都に送って、工業を興そうという琵琶湖疏水工事計画を打ち出した。
 これは当時、わが国最大の土木工事で、巨額の工事費を要するため、京都府民はその負担をめぐって議論が沸騰した。大沢は同十七年に府会議員に選ばれており、「断固計画は推進すべき」と、賛成の大演説をぶって全面的に応援した。
 
 翌年、工事費一二五万円をかけて着工になったが、大沢は疏水常務員に就任して、工事の進行の藍督を行うなど、完成まで全面的に協力した。この関係で電気事業への知識と関心を深めた。
 
 疎水工事は二十三年に完成したが、疎水は水上運搬にも利用され、水力発電のために蹴上発電所が作られた。
 明治二十三年(一八九〇)五月、大沢は京都市魅屋町に柱時計の製造工場を作った。明治六年に太陽暦が採用され、海外製の「ボンボン時計」などの時計の輸入が増加し、国産化を要望する声が強く出されていた。
 
 このため大沢は事業に乗り出し、時計製造を始めるために、当時、時計製造の中心であった名古屋に長男徳太郎を派遣して約一年間、技術の習得に努めさせた。徳太郎は部品から生産、組み立て、仕上げ、製品まで一貫した生産に取り組んだ。
 
 その後、大沢商会は貿易に手を広げて神戸、シドニーにも支店を設けるなど、明治後期には大きく発展した。大正八年(一九一九)には、同商会を株式会社として、大商社への成長の基礎を作った。
 
 日本での電気事業は明治二十年(一八八七)の東京電燈会社(現・東京電力)の営業でスタートしたが、大沢は同二十二年に友人の田中源太郎、西村七三郎らと京都電燈会社を創設し、二十五年には三十九歳で社長となり、以後、昭和二年に退くまでの三十五年間にわたって経営の舵取りを行ってきた。
 
 大沢は横板的な経営と技術的な革新に取り組み、従来の直流式の低圧配電方式を高圧式に変えて、疎水事業の水力電気を採用した。
 明冶二十五年に電気と時計製造を結び付けて、京都時計製造会社を作り、市の水力発電所の完成によって、一馬力の電力の供給を受けて、時計製造に利用した。これが日本最初の電力利用の工場となった。
 明治三十三年(一八九五)、大津市までの遠距離送電に成功し、京都府八瀬村に一六〇キロの水力発電所を建設し、一旦ハ〇キロの発電を行い、京都に送電したが、これも電燈会社による自力水力発電の最初のものであった。
 
 大沢在職中の京都電燈は資本金だけでみても五二〇倍の大躍進を遂げた。
 電気を利用した電気鉄道にも二早く取組み、明治二十七年(一八九四)、大沢は京都電気鉄道を組織して線路を敷いて、京都で開催された第四回内国勧業博で七條から岡崎公園の会場までに水力発電を利用した電車を走らせた。これが最初の電気鉄道の創設であり、その後二番目の名古屋電鉄の創設、経営にも当たり、続いて越前電気鉄道の創設にもかかわった。
 
 このほか、大沢の事業は多方面にわたり、北陸においても水力電気を開発し、釜山電燈を経営、日本水力、大同電力、京都陶器など十以上の会社の創設や経営に参加し京都商工銀行、商工貯蓄銀行、四十九銀行、産業、共立貯蓄両銀行、九十二銀行の合併、救済にも尽力した。
 
 府会議員、市会議員にもなっており、同三十二年には府議会議長になるなど府、市政にも貢献した。長い間、京都商工会議所副会頭としても活躍した。
 このほか、新島喪との関係で同志社大学の創設、同志社女子校の発展にも尽くし、鹿児島、北海道の開拓事業や免囚保護事業にも貢献した。
 
 大沢は生涯、二度も下獄している。明治四十四年に京都電気鉄道の通行税をめぐる横領事件で起訴され、大正七年には京都市長選挙でまきぞえをくった形で逮捕、有罪となっているが、いずれも大沢の予期せぬことで、いわば奇禍ともいうべきものであった。
 
 大沢はカトリック信徒として、信仰心が厚く、いかなる苦難があっても神の試練だとして、こうした事件にも敢然と耐えてきた。また、身分制度が未だ強く残っていた京都という風土の中で、大沢は侠客のせがれであることを、隠し立てすることなく平然と口にしてはばからない気骨の人でもあった。
 
 昭和九年(一九三四)十月、大沢は八十歳で亡くなった。
 大沢幸助の伝記については、大沢善助著『回顧七十五年』(昭和四年、非売品)、三浦豊二『大沢善助翁』(大沢幸助翁功績記念会、昭和四年)、田村栄太郎著冒本電気技術者伝』(科学新興杜、昭和十八年)などがある。本書は『回顧七十五年』の復刻である。経済人の伝記というと、とかく無味乾燥なものが多いが、本書は一味違い、波瀾万丈の大沢の生涯を本人がザックバランに語っており、興味深いばかりでなく、京都の明治、大正の政治経済史を知る資料としても貴重である。
 
                          (2000年執筆、静岡県立大学国際関係学部教授)

 - 人物研究 , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン/吉田茂のリーダーパワー国難突破力講座』★『最後まで日本の戦争を回避する努力をしたのは吉田茂ただ一人。日本の政治家に勇気のある人は一人もいなかった』★『首相なんて大体バカな奴がやるもんですよ。首相に就任するや否や、新聞雑誌なんかの悪口が始まって、何かといえば、悪口ばかりですからね、』

2011-09-25 08:42:55 日本リーダーパワー史(194)<国難を突 …

●『徳川封建時代をチェンジして、近代日本を開国した日本史最大の革命家・政治家は一体だれでしょうか講座④『西郷隆盛の即断即決のリーダーシップ➂』『山県有朋が恐る恐る相談すると、西郷は言下に「至極、結構なこと」と了解し、断固実行した」(徳富蘇峰『近世日本国民史』(明治の三傑))

2012-03-24 /日本リーダーパワー史(246)記事再録   & …

 ★5日本リーダーパワー史(776)ー 『アジア近現代史復習問題』 福沢諭吉の「日清戦争開戦論」を読む』(9)『金正男暗殺事件をみると、約120年前の日清戦争の原因がよくわかる」● 『(日本軍の出兵に対して)彼等の驚愕想ふ可し』は現在の日中韓北朝鮮外交 に通じる卓見、戦略分析である』★『近年、日本のアジア政略は勉めて平和を旨とし事を好まず、朝鮮は明治十七年の甲申事変以来、 殆んど放擲し、清国関係には最も注意して事の穏便を謀り、言ふべきことをいわず、万事円滑 を旨としたのは、東洋の平和のため』★『傲慢なる清国人らの眼を以て見れば、日本人は他の威力に畏縮して恐るに足らずと我を侮り、傍若無人の挙動を演じている』

  ★5日本リーダーパワー史(776)ー   ★『アジア近現代史復習問題』 福沢 …

no image
『明治裏面史』★『日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊴『日本史決定的瞬間の児玉源太郎の決断力と責任⑪』●『日露戦争開戦前-陸海軍統帥部協同の準備と意見相違の内情』★『児玉次長の海軍将校に対する態度は慇懃を極め、あの敏活なる決心も、あの強硬的態度も、あの気短かも海軍の面前に出ては一切控えて常に反対の現象を呈した。』

『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リス …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(17)『日清、日露戦争勝利の方程式を解いた男』川上操六陸軍参謀総長ー日清戦争前に『朝鮮半島に付け火せよ。そして火の手をあげよ。火の手があがれば我はこれを消してみせる』

    日中北朝鮮150年戦争史(17) 日清戦争の発端ー川上操六のイ …

『オンライン/日本恋愛史講座』★『今年は日米戦争から80年目』★『1941年12月、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六連合艦隊司令長官が1日千秋の思い出まっていた手紙は愛人・河合千代子からのラブレターであった』

日本リーダーパワー史(60) 真珠湾攻撃と山本五十六の『提督の恋』   …

no image
 日本メルトダウン( 977)『トランプショックの行方は!?』●「アジア最大の負け組日本」「第2のBrexit」トランプ大統領の誕生に英国は?『アジア最大の負け組日本」「第2のBrexit」トランプ大統領の誕生に英国は?』●『トランプ氏勝利「オーストラリアにとって最悪」「世界に危険をもたらす」豪州メディア』●『米大統領選、中国の反応「トランプくみしやすし」』●『トランプ人気は「憤怒の政治」 世界のトレンドは脱グローバル化』●『トランプ氏勝利に「投資家」が学ぶべき4つのこと』

   日本メルトダウン( 977) —トランプショックの行方!? 「 …

no image
日本リーダーパワー史(292)日本最強の宰相・原敬のリーダーシップーその見事な生き方、人・金の使い方は!④

日本リーダーパワー史(292)   「日本最強の宰相・原敬のリーダーシ …

昭和戦前期に『言論の自由」「出版の自由」はあったのか→谷崎潤一郎の傑作「細雪」まで出版を差し止められた『出版暗黒時代』です①

昭和戦前期に『言論の自由」「出版の自由」はあったのか→ 答えは「NO!」ーー19 …

『日本の歴代首相で英語力・外交力で国際情報発信力をもった『世界的な政治家』は一体誰でしょうか?』★ 『初代総理大臣・伊藤博文(44歳)です』★『1896(明治29)年7月20日の「ニューヨーク・タイムズ」の34頁は全面つぶして伊藤博文が英語で答えたインタビューが掲載されている。』★『日本の女性問題-「吉原遊郭」の問題性について反論した』

  2010/02/08  日本リーダー …