日本風狂人伝(22)日本『バガボンド』チャンピオンー永井荷風と楽しく 野垂れ死に ②
『バガボンド』ー永井荷風と一緒に野垂れ死に②
前坂 俊之
(鎌倉海岸風来人)
1年後、荷風はすでに新婚中から入りびたりだった新橋の文学芸者・巴屋八重次(本名・内田ヤイ)と再婚した。家柄を重視し、芸者との結婚に猛反対した兄弟、親族縁者とは以後、断絶状態となったのじゃ。しかし、荷風の女遊び、遊興三昧は一向にやまず、浮気がばれて、これまたわずか半年で破局してしまう。
荷風先生、どこかのカボチャ娘か、大根女郎とはこりゃひどいね

トホホノホだね。
カントリーパンプキン、カボチャ娘、大根女郎とはこれひどい差別語じゃね。
三下り半を突きつけられた作家は多分、荷風が初めてじゃろう。
あわてふためいて媒酌人の二世・市川左団次らに仲介の労をとってもらったが、効果はなかった。約二週間後に、荷風はしぶしぶ別れの手紙を出した。
未練たっぷりの手紙を出すが・・
「さて、私はそなた去りたる後は、今さら母方へも戻りにくく、これより先、一生男の一人所帯を張り通すよりほかに仕方がありませぬ。朝夕不自由、今はただ途方にくれております。…かえすがえすもこの度、残念至極にて、お互いに一生の大災難とあきらめるより詮方なく・・・・・」
生涯一人、娼婦、芸妓、女給20人以上の女性遍歴を
未練たっぷりの内容である。荷風は生涯二十人以上の女性と深くつき合ったが、八重次以後は女性を入籍せず、気ままに一人暮らしの生活を送った。
妻も子ももたず、生涯単身者として、自由気ままに商売女の娼婦、芸妓、女給らを次々に金で買い、家を与えるなどの女から女を渡り歩く女色、女性遍歴をおくり、父母の葬式にも出ず、家族、兄弟とも絶縁した放蕩生活を送ったのです。
女と別れる時は弁護士を通じて手切れ金を渡すのが荷風のやり方で、「女とできた時から、別れる時の金を考えている」というプレーボーイぶりである。
1930(大正9)年に、41歳で麻生区市兵衛町(現在の港区六本木一丁目)に全く風変わりな水色のペンキ塗りの洋風二階建てを新築した。これを自分の奇人ぶり、奇癖に偏ったに引っかけ、ペンキ塗りにも合わせて「偏奇館」と名づけたのよ。
「偏奇館」へ引きこもる

荷風はそれまでの江戸趣味の和服や浴衣を脱ぎ捨て洋服へ、畳からイスへと180度、生活をすっかり変えた。逸民(世を逃れて暮らす人)と自らを規定した荷風は以後、偏奇館にこもって、世間との交わりを絶った。
偏奇館主人となった荷風は新聞をとらず、門を一切閉ざして誰とも会わず、文壇はもちろん親類や縁者とも付き合わない。中でも新聞記者、雑誌記者を一番嫌った。取材に来ても、居留守をつかって面会を謝絶した。
三省堂編集部員が偏奇館を訪れたときのこと。
「しきりに呼び鈴を鳴らし続けた。突然、ドアがサットと開いて、長身の荷風先生がぬっと現れた。『荷風先生でいらっしゃいますね』と低姿勢で、恐る恐るあいさつしたが『主人はただいま、散歩に出られて留守でございます』と私の三省堂編集部員の名刺を手にしたまま、にべもなく言った。
私は『でもお写真で拝見しておりますので、荷風先生でいらっしゃるにちがいございませんのですが・・』と言ってはみたが、『いえ、私はほんの留守番です。先生はただいまお留守です』、そう当人がいうのでどうにもならず、『では、先生がおかえりになりましたら、お願いの用件があった、とお伝え願います』と頭を下げると、永井先生は『ハッ』と馬鹿ていねいに言うのみで、お辞儀をかえすでもなかった」
荷風は1917年(大正6)9月、38歳の時から、1959年(昭和34)4月に80歳で亡くなる前日まで42年間にわたって、1日も欠かさず日記を書いていた。「断腸亭日乗」で、昭和の日記文学の最高峰といってもいいおもしろさじゃ。記憶が鮮明なうちに、その日のうちに書き記していたようだ。
、「断腸亭日乗」―1日も欠かさず日記を書いていた。
見聞した日常生活を仔細に記録し、庶民の暮らしぶりと同時に、自らの女性遍歴、セックス、漁色とそれを創作の糧にした過程を包み隠さず綴った日記はあまり例がない。昭和時代の生活、風俗をも良くあらわした日記として、高く評価されているが、漁色とその創作の秘密ノートと言ってよいものでもあるのじゃね。これがすごい。
明治38年に18歳の時、吉原で遊んで初体験して以来、米国、フランス留学中も外人娼婦と情交を結び、帰国後は2度の結婚、離婚、単身生活の中で芸者、娼婦、私娼など商売女が多いが、手当たり次第の女性遍歴昭和22年の68歳までの半世紀にわたってを重ねてきた。
そこにはエッチした娼婦の名前がズラリと出てくるよ
昭和11年1月30日の日記では、58歳になった荷風は過去の女性を忘れないように一覧表にして、女性16人の名前、職業、期間、コメントなどを書き付けている。これは長くつき合った女性たちで、行きずりや短期の女性については、末尾に「このほか臨時のものを書くいとまがない」と記しているのをみると、生涯、荷風が関係した女は100人を下るまい。
① 明治41年 鈴木かつ(柳橋芸者)
② 明治42年1月―11月 蔵田よし(浜町の私娼)
③ 明治42年夏―43年9月 吉野こう(新橋芸者)
④ 明治43年10月―大正4年 内田八重(同上、本名・八重次 )
⑤ 大正4年12月―大正5年11月米田みよ(新橋芸者 )
⑥ 大正5年12月―8年 中村ふさ(神楽坂芸者)その後も時々会う
⑦ 大正12年10月―翌年11月 今村栄(新富町の人妻)
⑧ 大正14年中 野中直(神田錦町の私娼、)
⑨ 大正14年12月―大正15年7月 大竹とみ(江戸見坂下に囲い置いた私娼、)
⑩ 大正15年中 古田ひさ(銀座タイガー女給)
⑪ 大正9年 白鳩銀子(女優、陸軍中将の娘)
⑫ 大正11年ごろ 清元秀梅(清元梅吉内弟子)
⑬ 昭和2年9月―6年 関根歌(麹町富士見町芸者)
⑭ 昭和5年8月に見受け、6年9月手を切る 山路さん子(神楽坂芸妓)
⑮ 昭和8年12月―9年中 黒澤きみ(私娼) 毎月50円で3,4回会う
⑯ 昭和9年12月―10年秋 渡辺美代(私娼)
のぞき魔にも!!
明治41年から昭和10年まで約30年間にわたって2年に1人のペースで途切れることなく、次々に女性を取り替えているのよ。
この中で、関根歌には富士見町に「待合」を開かせたが、客があると、荷風は押入れに隠れて、歌と客の痴態をすき間からのぞき見して楽しんでいた。
渡辺美代とは渡辺の男と3人で変態的なセックスにふけったことも書き付けている。ただ、その女たちとの具体的な性戯については日記では一切ふれていない。
「断腸亭日乗」ではインクによる●(黒丸)が日付けの所々についていた。これは一体何の印なのだろうか。研究者がその日の記述内容を検討してみると、どうみてもセックスをした符号としか考えられなかった。その●は昭和4年5月以降から記されていたのです。
●のナゾ、セックスのしるしか、
吉野俊彦著『「断腸亭」の経済学』 NHK出版(1999年7月刊)が、この点を克明に分析しているで紹介しましょうね・・・。
、その黒丸がついているのは昭和4年(荷風50歳)で41回、5年(51歳)で87回、6年(52歳)89回、7年(53歳)69回、8年(54歳)85回、9年(55歳)66歳、10年(56歳)、11年(57歳)60回、12年(58歳)70回、13年(59歳)59回、14年(60歳)72回、15年(61歳)53回、16年(62歳)47回、17年(63歳)64回、18年(64歳)52回、19年(65歳)28回という具合である。
さらに、黒丸が2つついている、つまり日に2回セックスを行ったという印だが、昭和4年12月、昭和5年2月、昭和7年12月にあり、荷風の老年セックス記録というわけだ。
これをみると、51、2歳で平均して4日に1度、このペースが50代までほぼ続き、60歳にして5日に1回という回数は並外れた精力絶倫ぶりである。さすが、65歳になると月2回のペースに落ちているが、それでも常人をはるかに超越した荷風の絶倫、色豪ぶりが示されている。アッチャ、トホホどころではない。
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