日本リーダーパワー史(292)日本最強の宰相・原敬のリーダーシップーその見事な生き方、人・金の使い方は!④
日本リーダーパワー史(292)
「日本最強の宰相・原敬のリーダーシップー
その見事な生き方、人・金の使い方は④
<同僚・後輩には「富と名誉は諸君の取るに任せる。困難と
面倒は自分に一任せよ」が口癖だった>
前坂俊之(ジャーナリスト)
政党人として初めて首相となった平民宰相・原敬は安政3年(1856)2月、盛岡藩士・原直治の次男に生まれた。
もともとは家老の家柄で、20歳で分家したため戸籍上は平民になった。司法省法学校(後の東京大学法学部)に入学、中江兆民の仏学塾(後の東京外大)でフランス語を学んだ。
「薩長藩閥(明治維新を成し遂げた鹿児島、山口県以外の出身者は出世できない」という時代風潮のなかで、賊軍(維新の官軍と戦った)出身者の自分は独力ではい上がるしかない)と、新聞記者から代議士、総理大臣を夢見て郵便報知新聞に入社(明治12)した。
その後、外務省に入省しパリ公使館勤務(4年間)などを経て、43歳で大阪毎日新聞社社長となる。明治33年(1900)に伊藤博文が立憲政友会を結成すると、入党して45歳で初代幹事長となり、実権を握った。
明治35年(1902)、衆議院議員(盛岡)で初当選。1907年 52歳で内務大臣就任した。逓信相、内相を経て、大正7年(1918)9月に63歳で政党人として初めての首相となった。原内閣はわが国初の本格的政党内閣といわれる。
原はジャーナリスト、外交官、実業家、政治家と多彩な経歴から、実体験で鍛え上げた鋼鉄(はがね)のリーダーシップで、政治の近代化を阻害していた山県有朋閥と戦い、山県とひざ詰め談判を重ねながら粘り強くその巨大な壁を崩していった。
原は歴代宰相では数少ない①経綸(国家戦略、哲学)と②「決める政治力」(決断と実行力)を兼ね備えていたトップリーダであった。明治のシャニムニ突き進んで歪んできた国家戦略、外交を大きく軌道修正した。
① まず1つ目として、原は国民のための政治を行い、国民に情報を公開するオープンな姿勢があった。君主制、藩閥政治の欠点に秘密主義があるが、シーメンス事件では大臣、関係者の収入の公開を求め、社会主義政党の結党届にも寛容な態度を示し、大正天皇の病状も積極的に公開した。司法を公開するため、陪審制度も導入した。
② 2つ目は軍縮に取り生んだこと。日本を滅ぼす原因の1つの軍部大臣現役武官制を廃止し、文官の軍部大臣を実現した。ワシントン軍縮会議を成功させた。軍部が統帥権をふりまわして、政治を聾断しようとした時代に、軍部をしっかり抑えたのである。
③ 3つ目は外交面で、国際協調主義をとったこと。シベリア出兵には反対し、米国重視、中国への不干渉と通商貿易を重視した。パリ講和会議では人種差別撤廃法案を提案した。
④ 4つ目として、周囲の猛反対を抑え、首相在任中に皇太子(昭和天皇)に約半年間、ヨーロッパ諸国を歴訪させた(大正10年)。皇太子は広く世界に日を開き、英国流の立憲君主制や王室のあり方を学んだ。このヨーロッパ旅行は、後の天皇としての思想形成にも大きな影響を与えた。
⑤ 5つ目として、83冊にのぼる原敬日記(20歳から殺される1週間前まで)を残したことが挙げられる。首相在任中も、みずからの権力の内幕を記録することで、正確な歴史を後世に残そうとした情報公開の信念、ジャーナリスト魂を持っていた。
原は人使いがうまかった。相手が何を望んでいるかをしっかり見きわめ、名誉を欲する人には勲章や爵位を、金の欲しい人にはカネやそれにあったポストを与えて適材適所に人事をきめた。
●原首相の談話『名と金に無欲な人には困る』
原首相は大臣、高官に任命する人選については、①本人が何を望んでいるか。②適材であるか。③私心がどこにあるのかという点にを考えた。名誉を希望する人には爵位を、金の欲しい人には日銀幹部の地位とか与えていた。
党の役員人選については、自給自足の力ある者を主とした、その人の性格にもよることは勿論だが、金に縁の薄い者が、とにかく間違いを起しやすいという考えであった。
党の役員人選については、自給自足の力ある者を主とした、その人の性格にもよることは勿論だが、金に縁の薄い者が、とにかく間違いを起しやすいという考えであった。
だから閣僚でも党の役員でも本部から援助してもらって、当選するような議員は、あまり用いなかった、換言すれば自立の力ある議員を、主として用いたのである。醜聞などの防止と共に、議員の質の向上にも、寄与するところが、多かったのである。
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(202)「第3の敗戦、この国難を突破できるリーダーは革命政治家・橋下徹以外にはいない』
日本リーダーパワー史(202) 「第3の敗戦、この国難を突破できるリーダーは革命 …
-
-
日本リーダーパワー史(237) <日本議会政治の父・尾崎咢堂が政治家を叱る②>『売り家と唐模様で書く三代目』の日本病②
日本リーダーパワー史(237) <日本議会政治の父・尾崎咢堂 …
-
-
日本風狂人伝③わが愛する頑固一徹、借金大魔王、『美食は外道』とのたまう内田百閒
わが故郷の岡山・百間川が生んだ20世紀最高の頑固一徹、奇人変人オヤジ、内田百閒よ …
-
-
『Z世代への戦後80年の研究講座』★「再録・終戦70年・日本敗戦史(83)記事』★「空襲はない、疎開は卑怯者のすること」と頑迷な東條首相は主張ー田中隆吉の証言➂』
2015/06/02終戦70年・日本敗戦史( …
-
-
知的巨人の百歳学(143)知的巨人たちの往生術から学ぶ②-中江兆民「(ガンを宣告されて)余は高々5,6ヵ月と思いしに、1年とは寿命の豊年なり。極めて悠久なり。一年半、諸君は短命といわん。短といわば十年も短なり、百年も短なり」
2010/01/21/百歳学入門②ー知的巨 …
-
-
『オンライン講座/不都合な真実で混乱する世界』★『コロナ・ウクライナ戦争・プーチン・習近平・金正恩の大誤算』(5月15日までの情況)(下)」★『ロシア旗艦「モスクワ」を安価なドローンが撃沈』★『ウクライナ戦争と日露戦争の比較』★『サイバー戦争完敗のロシア軍、最後は「核使用」か?』
★ロシア旗艦「モスクワ」を安価なドローンが撃沈 ◎「では、ウクライ …
-
-
「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件(1)その全体的な真実を当時の新聞、資料のままで紹介する。
「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件(1) …
-
-
日本リーダーパワー史(73) 辛亥革命百年⑫インド独立運動を助けた頭山満(ジャパンタイムズ評)
日本リーダーパワー史(71) 辛亥革命百年⑫インド独立を助けた頭山満 <ジャパン …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㊱ 』「155百万ドルで田中投手はヤンキースと契約」 (ニューヨーク・タイムズ)1/22
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㊱ 』 &nbs …
-
-
★新連載<片野 勧の戦後史レポート>②「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)②『婦人参政権の獲得 ■『金のかからない理想選挙』『吉沢久子27歳の空襲日記』『戦争ほど人を不幸にするものはない』 (市川房枝、吉沢久子、秋枝蕭子の証言)
「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)② 片野 勧(フリージャーナリスト) …
