日本の「戦略思想不在の歴史」⑸『日本最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ勝てたのか⑸』★『当時の日本は今と同じ『一国平和主義ガラパゴスジャパン』★『一方、史上最大のモンゴル帝国は帝国主義/軍国主義/侵略主義の戦争国家』★『中国の『中華思想』『中国の夢』(習近平主義),北朝鮮の『核戦略』に共通する』
2017/12/01
日本の「戦略思想不在の歴史」⑤「元寇の役」はなぜ勝ったのか』
クビライは第一回の攻撃(文永の役)によって対馬、壱岐、肥前などに大きな戦果を上げたと評価、日本の服属をさらに求めてきた。
翌1275年(建治1)4月15日,正史・杜世忠(と・せいちゅう),何文著ら5人の使節団は国書を持って激戦のあった福岡を避けて長門国(現在の山口県豊浦町)室津にやってきた。
幕府の執権・北条時宗は長門の守護所に命じてこれを鎌倉に護送させ、9月7日、鎌倉の竜のロ(江の島付近、当時刑場があった場所)で全員斬首して,首をさらした。
一行が日本の国情を詳細に調査、偵察、スパイにきた疑いを持っての処刑であった。
幕府のこの決断は蒙古の再征を断固として受けて立つ決意の表明であった。これが第七回目の使節である。
その後、元側はなんどか日本侵攻をなんどか計画したが、北宋との戦争がまだ継続していたので、実現しなかった。
しかし、外交術にたけていた元側はあの手この手で、日本側に執拗な、息の長い外交・交渉を続けてくる。
まるで現在のアジアの国際関係の、20年にわたる北朝鮮との核問題をめぐる6ヵ国協議、その後の安保理決議を核ミサイル実験で対抗し、延々とギリギリの外交交渉カードで対決してくる北朝鮮・戦争外交がダブって見えてくる。
続いて4年後に第8回目の使節がくる。
1279年(弘安2)、南宋の旧臣・范文虎から献策でもう一度、日本への服属(降伏)をせまるという案をクビライは承認し、周福(しゅう・ふく)を正使とする一行に「大宋国牒状」(南宋すでに蒙古に討ち取られ、日本も危うい。元に服属した方がよい)を持たせて,派遣してきた。
この時点で元は,前に送った杜世忠たちが処刑されていた事実を全く知らなかった。
同年6月、周福らは博多に到着し、この牒状を幕府側に見せると前回と同様、幕府は全員を斬首してしまった。元側には8月に杜世忠らが処刑されたことを高麗を通じて知らされたが、すでに周らは処刑された後であった。
ここにおいて、元・モンゴル側で「日本を攻めるべし」との意見が沸騰。クビライは周福らを送った南宋の名将,范文虎(はん ぶんこ)に意見を求め.日本遠征計画を実施に移した。
元は1279年に南宋を完全に滅亡させ,81(弘安4)についに「第2次日本遠征」を決行した。
元・高麗の東路軍4万2000は5月に合浦を出発し,対馬・壱岐を襲い,博多をめざしたが,防塁と日本軍に阻まれ,上陸できなかった。
一方,旧南宋軍を主体とした江南軍10万は,遅れて中国の慶元を出発し,平戸付近で東路軍と合流。7月30日,平戸から鷹島へ移動していた元軍を大暴風雨が襲い,元軍は壊滅的な打撃を被った。第一回目と同じく『神風』によって、日本は救われた。(この項についてはさらに追加する)
以上の文永・弘安の役の教訓はなんであったのか
- 元寇の役は日本建国以来、初めての大国難であった。当時において世界最強最大の強国であった蒙古が、日本を侵略する戦争で、これほどの困難はない。
当時の日本は、今と全く同じの『一国平和主義』に固まり本土防衛一点張りで、外交交渉を最初から拒絶した。元、モンゴル側のあの手この手の交渉術、とっかえひっかえの使節団の派遣に対して、これを全く無視した。
「問答無用」「戦争とは外交交渉の失敗から起きる」という原則を知らなかった、「外交力ゼロ」といってもよい無策で平和主義に徹していた。
一方、世界大帝国を築いたモンゴルは、戦争技術、外交力にたけており、その卓越した外交戦争力を駆使した帝国主義、軍国主義、侵略主義の大覇権国であったが、日本の正義の防衛戦に神も味方してくれて、辛くも勝利したのである。この時、アジアばかりでなく、ヨーロッパ東欧地区もユーラシア大陸の大半がモンゴルの支配に屈したが、日本だけが侵略を免れたのである。
このモンゴル大帝国の覇権主義は現在中国の『中華思想』『中国の夢』(習近平戦略)、朝鮮(韓国・北朝鮮)の『小中華思想』『北朝鮮の核戦略』『帝国主義」に通底していると思う。
関連記事
-
-
高杉晋吾レポート⑤ギネスブック世界一認証の釜石湾口防波堤、津波に壊滅ー巨大構築物建設の危険性!④
2011年3月25日 ギネスブック世界一認証の釜石湾口防波堤、津波に役立たず無残 …
-
-
★⑩日本リーダーパワー史(714)伊勢志摩サミットの陰の主人公はこの人注目!(記事再録)「真珠王」だけでなく『世界の生涯現役・長寿王でもあった御木本幸吉(96歳)』「朝食は茶碗3分目、昼は2分目、夜は「旨い物は2箸残す」
日本リーダーパワー史(714) <記事再録>百歳学入門(69 …
-
-
『棺を蓋うて』ー冤罪救済に晩年を捧げた正木ひろし弁護士を訪ねて』★『世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦いに生涯をかけた正木ひろし弁護士の超闘伝12回連載一挙公開」』
『棺を蓋うて』ー冤罪救済に晩年を捧げた正木ひろし弁護士を訪ねて 前 …
-
-
太平洋戦争プロパガンダ傑作集・戦時国策標語はこれだ
1 静岡県立大学国際関係学部教授 前坂 俊之 太平洋戦争中の傑作コピ-といえば「 …
-
-
日本メルトダウンの脱出法(550)『日中関係最悪ケース、全面戦争か局地戦争か」●『ユーチューブ最大のスター、ゲームで年収4億円」
日本メルトダウンの脱出法(550) ★★<チャイナリス …
-
-
●『徳川封建時代をチェンジして、近代日本を開国した日本史最大の革命家・政治家は一体だれでしょうか講座➂』★『国難の救世主「西郷隆盛のリーダーシップとは『山県有朋から廃藩置県の相談された西郷隆盛は一言で了承し、即、断固実行した』★『規制改革、憲法改正に60年以上かかっている日本サボリ政治の<バカの壁>』』
2012/03/26 日本リー …
-
-
日本メルトダウン脱出法(827)「黒田バズーカ」第3弾を生んだ崖っぷち事情ー計り知れないマイナス金利導入のインパクト」●「鍵は中国「毒」の伝染遮断、資本規制だ 世界株安底入れのかすかな曙光が見え始めたー武者 陵司」●「黒幕発覚はこれから!?ー廃棄食品横流し事件の深い闇」
日本メルトダウン脱出法(827) http://toyoke …
-
-
日本リーダーパワー史(132)空前絶後の名将・川上操六(21)長崎事件の発端は何か
日本リーダーパワー史(132) 空前絶後の名将・川上操六(21)長崎事件の発端は …
-
-
速報(128)『日本のメルトダウン』<徹底座談会・フクシマの教訓③>『事故原因、原子力村、事故処理システム、低線量被爆』(下)
速報(128)『日本のメルトダウン』 <徹底座談会・ …
-
-
日本リーダーパワー史②・「タイム」の表紙を飾った最初の日本人は東郷平八郎
「タイム」の表紙を飾った最初の日本人は東郷平八郎 <1826(大正 …
