世界のプリマドンナ「オペラの女王」・三浦環
一九二〇年(大正9)3月、三浦環はローマの国立コンスタンチ歌劇場で「蝶々夫人」に出演した時、作曲者のプッチーニから自宅山荘に招待された。広い仕事場で、プッチーニはグランドピアノを指さながら、「マダム三浦、私はこのピアノで〝蝶々夫人"を作曲しました。
日本 のレコードをもらい、〝君が代"〝宮さん宮さん″〝越後獅子"などのリズムをとり込んで作曲しました。私が長年夢に描いていた理想の蝶々さんこそあなたです」と環を絶賛した。
大正から昭和初期にかけて、環はヨーロッパ、米国などに約20年間滞在し、世界的なプリマドンナとして活躍し、通算二千回にのぼる「蝶々夫人」の公演記録を作った
イタリアのロジーナ・ストルキオ、アメリカが生んだ最初の偉大なオペラ歌手・ゼラルディン・ファラーと並ぶ、『世界の三大蝶々夫人歌手』との世界的 な名声を獲得したが、日本では反感と冷たい視線を浴び続けた。異国かぶれの女性歌手で、家庭をかえりみないと非難され、軍国主義と排外思想の高まる時代背 景の中で、孤独な晩年をすごして亡くなった。
三浦環は明治17年、東京・芝に生まれた。東京音楽学校(現・東京芸大)に進み在学中に、日本人だけで上演された初の歌劇、グルック作曲の「オル フェオ」で主役を務めた。同校で教授となり若き日の山田耕作を教えた。東京帝大医学部助手の三浦政太郎と結婚、大正3年31歳のとき、夫とともにベルリン へ留学した。
第一次世界大戦が始まり三浦夫妻はロンドンに逃れたが、ここでチャンスがめぐってくる。名指揮者ウッド卿のテストを受けて激賞され、一躍人気歌手になった。
大正4年5月、ロンドンでロシアの名テナー・ウラジミール・ロージンを相手に初めて「蝶々夫人」を演じた。「ある晴れた日に」を歌い、ピンカートン の乗った軍艦が長崎に入港し、合図の大砲が二発鳴る場面となった。ところが、大砲の音がつるべ打ちになり、観客が総立ちとなり我さきに逃げ出した。初舞台 の環はかまわず歌いつづけたが、気がつくと客席もオーケストラボックスも空っぽ。ドイツのツェツぺルン飛行船によるロンドンの初空襲の爆弾だったのだ。
「蝶々夫人」は大成功で、翌年は米国・シカゴ歌劇団に招かれ、一回の出演料が当時では破格の千㌦、1年百回の公演契約を結び北米・南米・ヨーロッパ の劇場を巡演して絶賛を浴びた。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場、ミラノのスカラ座など超一流の舞台にも立った。世界のテナー・エンリコ・カルーソー と共演したこともあった。
一九一八年十一月、第一次世界大戦の休戦条約が出来た祝賀の凱旋式が、ニューヨークのマディソン広場で行われたが、ウイルソン大統領が演説をして、 三浦が歌い大喝采を浴びた。十五年間の米国滞在中、ウイルソン、ハーディング、クーリッジと三代の大統領の前で歌をうたい、度々ホワイトハウスにも招待さ れるなど、日本が生んだ人気最高のプリマドンナとして米国民から愛され尊敬されていた。
ところが、海外での成功者に日本の評価はきびしいのが常である。昭和十一年に八年ぶりに帰国したが、伴奏者の男性と一緒だったため、夫(日本で研究 者として活躍)がある身で不倫だとして強い非難を浴びた。夫は環に「歌をやめて家庭に帰れ」と親族会議を開いて迫り、後援会の面々も帝国ホテルに集まり、 環の今後の海外行きの是非について論議する騒ぎとなった。
これは結局、「これからも環はプリマドンナとして国際文化交流に貢献するべきだ」と決まったものの、以後、環は海外公演をあきらめて、国内に活躍する場を求めた。
しかし、時代はオペラも西洋音楽も歌えなくなる、英米の文化、思想を排撃する戦争、軍国色に一挙に傾いていった。戦時中は山中湖畔で静かに暮らした。
戦争終結の翌21年(一九四六)四月、環はガンに冒された体でNHKで「蝶々夫人」をラジオに録音したが、メトロポリタンに出演した時の衣装を着て 歌ったのが最後になった。翌5月、63歳で亡くなったが、東大医学部での解剖の結果、声帯は蝶々夫人と同じ18歳の若さのままだったという。
関連記事
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(322)★「米国初代大統領・ワシントンとイタリア建国の父・ガリバルディと並ぶ世界史の英雄・西郷隆盛の国難リーダーシップに学ぶ。ー『奴隷解放』のマリア・ルス号事件を指導。「廃藩置県」(最大の行政改革)「士農工商・身分制の廃止」『廃刀令」などの主な大改革は西郷総理(実質上)の2年間に達成された』
2019/07/27 日本リーダーパワー史(858)/記事 …
-
-
『オンライン/武士道講座』『NHK歴史大河ドラマはなぜつまらないか」★『 福沢諭吉が語る「サムライの真実とは・」(旧藩情全文)』★『 徳川封建時代の超格差社会で下級武士は百姓兼務、貧困化にあえぎ、笠張り、障子はりなどの内職に追われる窮乏生活.その絶対的身分差別/上下関係/経済格差(大名・武士からから商人への富の移転)が明治維新への導火線となった』(9回連載/全文現代訳掲載)
2014/03/17   …
-
-
知的巨人の百歳学(126)『天才老人/禅の達人の鈴木大拙(95歳)の語録』➂★『平常心是道』『無事於心、無心於事』(心に無事で、事に無心なり)』★『すべきことに三昧になってその外は考えない。結果は死か、 生か、苦かわからんがすべき仕事をする。 これが人間の心構えの基本でなければならなぬ。』
記事再録/百歳学入門(41) 『禅の達人の鈴木大拙(95歳)の語録』 …
-
-
世界が尊敬した日本人①米国女性が愛したファースト・サムライ・立石斧次郎
1 2004、11,1 前坂俊之 1860年(万延元年)6月16日。ニューヨーク …
-
-
日本リーダーパワー史(44)国家戦略・リーダーシップ・インテリジェンスの日露戦争と現在の比較論①
日本リーダーパワー史(44) 国家戦略・リーダーシッ …
-
-
『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交の研究講座⑫』『1894(明治27)年12月9日 『ニューヨーク・タイムズ』の仰天ニュース/日清戦争の未来図―「日本に世界を征服してもらえば中国もヨーロッパも悪政下に苦しむ一般民衆には福音となるだろう」.
『「申報」や外紙からみた「日中韓150年戦争史」日中韓の …
-
-
『人気記事リクエスト再録』ー<2003年、イラク戦争から1年>『戦争報道を検証する』★『戦争は謀略、ウソの発表、プロパガンダによって起こされる』●『戦争の最初の犠牲者は真実(メディア)である。メディアは戦争 を美化せよ、戦争美談が捏造される』●『戦争報道への提言を次に掲げる』
<イラク戦争から1年>―『戦争報道を検証する』 2003年 12月 …
-
-
世界も日本もメルトダウン(961)★『アメリカの衰退を示す、史上最低の米大統領選挙』ー『米共和党、トランプ氏のわいせつ発言暴露で大混乱に』●『 暴露されたトランプ米大統領候補の女性蔑視発言の全訳』●『コラム:米国で感じた「トランプ大統領」の確率=佐々木融氏』●『 ヒラリーか、トランプか? アメリカ大統領選「第3の選択肢」まで浮上』
世界も日本もメルトダウン(961) 『アメリカの衰退を示す、史 …
- PREV
- 正木ひろしの思想と行動('03.03)
- NEXT
- 「センテナリアン」の研究
