日本の「戦略思想不在の歴史」⑹『日本最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ勝てたのか⑹』★『14万の元モンゴル軍の海上襲来を海戦などで撃退、再び台風襲来で「弘安の役』に勝利した』
『弘安の役』について詳述する。
弘安4年初頭での元軍の日本再征軍の編成は次のようなものであった。
○総司令官 征日本行省右丞相 阿刺罕(あらかん)
○東路軍 司令官 征日本都元帥 忻都(ヒンドゥ)」
〇蒙漢軍 兵力1万5000人
〇高麗軍 長 元帥 洪茶丘
兵力1万5000人
高麗梢工水手1万7000人
総兵力 4万2000人
艦船 900隻
糧株 12万3000碩(約三カ月分)
〇江南軍 司令官 征日本都元帥 范文虎
〇宋軍 長 夏貴
総兵力 十万人
艦船 3500隻
糧株 40万碩(約4カ月分)
その作戦計画はーーー
① 東路軍は高麗の合浦から、江南軍は揚子江河口の慶元(今の寧波)から出発し、日本の壱岐において両軍集結する。
② 両軍集結後に、博多湾に進攻して大宰府を攻略する。一部は長門に進攻する。
③ 作戦開始は弘安4年5、6月ごろとし、両軍の壱岐集結は6月中旬。
④ 作戦期間は3カ月で、さらに長期化することを考慮し現地自活を準備する。
と決定した。
弘安4年5月3日、東路軍は、合浦を出港し、巨済島を経て5月21日に対馬の上県郡の東海岸佐賀村に侵攻。次いで5月26日壱岐島東北岸の瀬戸浦に侵攻した。
6月6日、東路軍は作戦計画とはちがって単独で博多湾に進入した。東路軍は海岸に築造された高さ5mの石塁に阻まれて上陸できず、やむなく志賀島南方海域に仮泊した後、志賀島に上陸した。
同日夜、日本軍は兵船による夜襲反撃をおこした。伊予の住人河野通有の一族が兵船2隻に分乗して攻撃し、兵船の帆柱を倒してはしごにして、敵船によじ登って奮戦し、た王冠をかぶった大将を捕虜にして引き揚げた。
6月8日から2週間にわたって、日本軍の陸路よりする敵の志賀島上陸部隊に対する攻撃が続いた。
一方、この間、東路軍は2面作戦をとり、長門の西海岸へ兵船300隻で3分の2の兵力を攻撃に向かわせて土井ケ浜に約3500、八ケ浜に2000を上陸させたが、長門地区守備部隊により撃退された。
博多方面では日本軍の海、陸よりするゲリラ攻撃に行く手を阻まれ、長門方面では壊滅的な打撃を受けた東路軍は6月13日、博多湾を退いて壱岐に後退を開始して、6月中旬の江南軍との合流海域に撤収した。
「高麗史」によると、東路軍は6月9日に兵士の間に疫病が発生し、死者3千人にのぼったと記されている。
敵の退却を見た日本軍は、鎮西奉行・少弐経資自ら陣頭に立って海上追撃を行ない6月29日、敵の大船団を壱岐瀬戸浦に発見して急襲し、4日間にわたる壮烈な海戦を繰り広げた。劣勢となった東路軍は、江南軍の出発が大幅に遅れたことと集合地点が平戸島に変更されたことを初めて知り、7月2日、肥前の平戸島に向かって南下した。日本軍は平戸への追撃を断念して博多湾へ引き上げた。
一方、江南軍は6月15日までに壱岐の海上において東路軍と合流する予定が、出発直前に総司令官の
阿刺罕(あらかん)が病気のため、阿塔海と交代し、六月十八日に慶元付近を出発。「平戸島付近に到着し江南、東路両軍が合流できたのは7月上旬ではないかと見られている。
3500隻の大艦隊が、簡単に揚子江下流から平戸島に集結できるものとは思われず、平戸島で博多湾攻撃の計画を樹立して、東進を開始してまず鷹島前掲、日本防衛史56-57p)
これを知った日本軍は、水軍をもって鷹島付近の敵船団集結に対して猛攻を開始した。激戦は27日夜から28日にわたり、敵の損害は大きく、そのため、敵船団は鷹島に数日間にわたり滞留を余儀なくされた。そこへ7月30日に台風が襲い、元軍の軍船の多く「艦船同士が衝突し砕け、元兵は叫びながら溺死する者が無数であった」といい、4000隻中9割が沈没したとの元側の史料もある。
これが弘安の役の神風といわれている。
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