日本リーダーパワー史(249)<道州制導入の橋下維新党は竜馬よりも西郷隆盛の超リーダーシップを見習え②
日本リーダーパワー史(249)
<道州制導入の橋下維新党は竜馬よりも西郷の突破力を見習え②>
◎『明治維新最大の改革・廃藩置県を一言で了承、断固
実行した西郷隆盛の超リーダーシップ③』
<野田首相は消費税導入反対の小沢、鳩山、谷垣などは押しつぶせ!>
実行した西郷隆盛の超リーダーシップ③』
<野田首相は消費税導入反対の小沢、鳩山、谷垣などは押しつぶせ!>
前坂俊之(ジャーナリスト)
山口藩知事・毛利元徳の方は、廃藩の方針をとっていたから問題はなかったが、島津久光・忠義の父子は廃藩などとんでもない。西郷は久光がとうてい了解せず、他日、何らかの方法で圧迫してくるのを覚悟の上で、断行しょうというのである。
西郷は山県との約束にもとづいて、10日後の七月九日、九段坂上の木戸の邸に、各藩・長の首脳を集めて、実行の段どりを煮つめにかかった。
この日は大暴風雨で、秘密会議にふさわしかった。夕方から隆盛も、弟の従道、従弟の大山巌を従えて出席した。大久保、山県、井上馨などは先着していた。議論の主眼は、廃藩に反対している雄藩を、どう抑さえこむかであった。一座の人々は見通しに自信がないので、あれこれ不安を訴えて、議論がまとまらなかった。このとき遅れて来た隆盛が、言葉すくなに発言した。
「勅令が出てから、もし暴動でも起これば、責任をもって鎮定します。わしが市ヶ谷の兵舎に寝起きしているかぎり、ご心配なくおやりなさい」(『大西郷全集』第三巻)
『大西郷正伝」によると、翌日の大暴風雨を犯して、隆盛は弟従道と大山巌の二人を従へ、九段坂上なる木戸の邸に行った。
木戸邸には山県、井上の二人が乗合せてゐて、会議が開かれた。誰も廃藩置県に異論はない。しかし、その方策のいかんについて木戸、大久保の間で議論が続いた。新政府に対する反対行動、クーデターがいたるところに.火の手を上げている折り、廃藩置県を突然、強行すると諸藩中に、異論を唱へ、新政府に反旗を翻すものが出てこぬとも限らぬ、という心配。その時には如何なる行動をとるべきかいうのが議論の中心点であった。
木戸邸には山県、井上の二人が乗合せてゐて、会議が開かれた。誰も廃藩置県に異論はない。しかし、その方策のいかんについて木戸、大久保の間で議論が続いた。新政府に対する反対行動、クーデターがいたるところに.火の手を上げている折り、廃藩置県を突然、強行すると諸藩中に、異論を唱へ、新政府に反旗を翻すものが出てこぬとも限らぬ、という心配。その時には如何なる行動をとるべきかいうのが議論の中心点であった。
木戸、大久保らが一向に態度決定しないのをみた、西郷は「貴公等において、実施に関する手順さえつけてもらえば、その上のことは拙者が引受けます。もし、発布してから暴動でも起きれば、兵力を以てそれを鎮圧する覚悟があるから、ご心配なくおやりなさい」と断固たる決意を示した。
これで議論は一決し、三条・岩倉にも同意をとりつけ、七月十二日、一同は参朝して天皇に決裁をあおいだ。いったい明治天皇は、非常に慎重なご性格なので、翌十三日まで持ち越して、なお.リアクションを恐れて、いろいろに尋問された。このとき隆盛が一言、
「おそれながら、吉之助(隆盛)がおりますから」(同上)
と奉答したので、はじめて安心され、この歴史的な大令は、翌十四日に公布された。
朕惟フニ、更始ノ時ニ際シ、内以テ億兆ヲ保安シ、外以テ万国ニ対峙セント欲セバ、宜シク名実アヒ副ヒ、政令一に帰セシムベシ。朕、諸藩版籍奉還ノ儀ヲ聴納シ、新ニ知藩夢二命ジ、各々ソノ職ヲ奉ゼシム。然ルニ数百年因襲ノ久シキ、或ハソノ名アッテ、ソノ実拳ラザルモノアリ。何ヲ以テ億兆ヲ保安シ、‘万国二対時スルヲ得ンヤ。朕、深ク之レヲ慨ス。
すなわ藩ヲ廃シテ県トナス。コレ務メテ冗ヲ去り、簡ニ就キ、有名無実ノ弊ヲ除キ、政令多岐ノ憂ナカラシメントス。
汝群臣、ソレ朕ノ意ヲ体セヨ。
これによって二百六十一藩が廃せられ、全国は三府・三百二県(明治四年末には三府・七二県に統合)となり、旧藩主は統治権を失った。そこでは、中央政府が任命の府知事・県知事が行政に当たることになり、旧藩主はいずれも東京に帰参した。
この政令は秘密裏に準備されたものだけに、雄藩の当主たちは殊に大きな衝撃をうけた。島津久光のごときはもともと進歩政策には反対で、封建のもと一層の栄華を夢みていただけに、不満に堪えることができなかった。
しかし、久光を支持する門閥は惰弱にして力なく、久光を戴いて政府に反抗するの気力もない。ひとり久光は切歯し、彼は廃藩の報知が鹿児島に達した夜はそのうっぷんを晴らすため、侍臣に命じて、その邸内で終夜、花火を打ち上げさせたという。
西郷の心中については執政桂四郎(久武)に出している書翰にその気持ちを述べている。明治四年七月二十日(旧暦)付の書簡で
「…{私の気持ちを}のぶれば、天下の形勢よほど進歩いたし、これまで因循の藩々が却って奮励いたし、尾張藩をはじめ、阿州、因州などの五六藩が建言いたし(大同小異の内容であるが、大体郡県にしたい趣旨)毎日御催促申上げるくらいであり、
ことに中国地方から東の方は、大体郡県の体裁に、ならい改革する様子となり、すでに長州侯(不平分子の島津久光に反省させようという意図で西郷が書いていることは明白である)は知事職を辞せられ、庶人と成られる御ぼしめしで、御草稿までも出来ている由です。
封土の返献では天下の先頭にたちました薩・長・土・肥四藩が、その実積が挙がらなくては、大いに世間の嘲笑を買うばかりでなく、全く朝廷をあざむくことになり、世間一般も進むべき方向を知らず、
有志の者は紛紛議論をはじめるばかりか、外国人からも日本は天皇の威権は立たない国柄であり、政府というものが、国内の四方にあるなどと宣伝し、さっぱり国体は確立しないなどと批評している由です。
今日は万国に対立し、気運もひき立っていきますから、その勢いはとてもふせぎとめることは困難です。
そこで断然、公議により郡県の制度に復せられることになり、命令を下だされることになりました。
おたがいに数百年来の御高恩(いつも忘恩の賊臣として嫌われていることを知っている西郷は、御高恩は忘れないことを強調している)に対しては、私情においてしのびがたいことですが、世の中の全体がこのような世運となりましては、どんなにしましても、十年は防ぐことはできません。この時勢の動きは人力の及ばないところと考えます。
この際となり、封土返献の先頭となり、世間一般も薩藩に着眼していますから、いろいろ議論が起こりましては、これまで勤王のために幕府を掃蕩なきった趣意(幕藩体制を廃止したうえは、当然薩藩も廃止になるしいう条理)も貫ぬかず、ことに薩摩は源頼朝以来私有の権を御一洗あらせられました御功績も立ちがたいことになりますから、決して異論はあるまいと思いますが、なにしろ旧習を突然廃止することですから、ことによっては動乱がないともいえない国々(暗に薩藩が政府反抗の暴挙にでるおそれをほのめかしている)があるかも知れません。
朝廷の方では、その場合は戦争をしてでもこの改革を実行することに決定しています。朝廷は確乎として御動揺はありませんから、それだけは御安心下さい。この時になりまして、藩を私有すべきわけはありませんから、一般に変乱の起こりそうな模様はありませんが、今になって処置をまちがいますと、どのような異常事態に移るかもわからないと考えます。
此の旨大略ながら、なりゆきはこの通りです。なお追い追い申上げますが、大変忙がしく、一筆御意を得奉ります。恐々謹言」
この西郷審翰は、福沢諭吉のもっとも気にいったものらしい。その理由のひとつは、西南の乱は、西郷が薩津守旧士族に味方して起こしたという、政府に婚びた偽作宣伝論を反駁するに足る貴重な資科であるからであろう。また、西郷は、薩藩の利益のために王政復古運動をしたのではなく、場合によっては、薩藩自身であっても、日本全体の改新のためには討伐するのもやむを得ないと決意した、公平心の持主であったことを、世人に知らせるに足る文献であると思ったからであろう。
以上のように、西郷の大決心を以て事に当たったからこそ・用意周到・思慮綿密なる大久保や木戸の危んだ廃藩置県の一大事を断固として乗り切ることができたのである。西郷こそは民主主義者であると、この手紙を根拠に福沢諭吉は絶賛している。
つづく
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(858)ー来年1月からNHK大河ドラマ「西郷どん」が始まる。国難の救世主「西郷隆盛のリーダーシップ」に学ぶ。
日本リーダーパワー史(858) 国難の救世主「西郷隆盛のリーダーシップ」に学ぶ。 …
-
-
日本リーダーパワー史(794)ー 「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、 インテリジェンス』⑪『ロシアのクロパトキン陸相が敵前視察に来日した影響』●『 恐露病とクロパトキン来日疑惑が日本側に疑心暗鬼を生んで露探事件が起きた』
日本リーダーパワー史(794)ー 「日清、日露戦争に勝利」 した明治人のリーダ …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(269)★日本が真の民主国家(自由平等、男女平等)になれない理由は—日本の前近代的な政治閥、官僚閥のルーツはー「日本の秘密結社としての 陸軍は山県有朋の長州閥(山口閥)が作った」,
2012/05/03日本リーダーパワー史(256)記事再録 『明治の巨大国家プロ …
-
-
『「申報」からみた「日中韓150年戦争史」(63)『(日清戦争開戦1ヵ月後)-『日本.まさに滅びんとす』
『「申報」からみた「日中韓150年戦争史 …
-
-
世界/日本リーダーパワー史(909)-米朝首脳会談(6/12日)は「開催されるのか」×「延期になるのか」★『北朝鮮、米朝首脳会談の中止を警告、一方的な核放棄要求に反発』×『 米副大統領、北朝鮮に警告「トランプ氏をなめるな」』
米朝首脳会談(6/12日)は「開催されるのか」「延期になるのか」 …
-
-
日本リーダーパワー史(711)陸軍軍人で最高の『良心の将軍』今村均(陸軍大将)の 『大東亜戦争敗戦の大原因』を反省する①パリ講和会議で、日本は有色人種への 「人種差別撤廃提案」を主張、米、英、仏3国の反対で 拒否され、日本人移民の排斥につながる。
日本リーダーパワー史(711) 『良心の将軍』今村均( …
-
-
『オンライン講座・ウクライナ戦争前史・「ロシア新聞」からみた「日中韓150年戦争史」の研究』(66)『(日清戦争開戦2ヵ月後―「新たな世界的強国(日本)の誕生」と『ノーヴォエ・ヴレーミャ』が報道
2014/09/29 …
-
-
●『三井三池炭鉱炭塵爆発から60年』敗れざる者の豊かさ──「三池」を抱きしめた「半未亡人」たち」ジャーナリスト 池田 知隆著<『現代の理論36号』(23年11月刊)>
戦後最悪の炭鉱事故・労災事故とされる三井三池炭鉱の炭塵爆発。死者458名、一酸化 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(72)記事再録/日露300年戦争(3)『露寇(ろこう)事件とは何か』―『普通の教科書では明治維新(1868年)の発端をペリーの黒船来航から書き起こしている。 しかし、ロシアの方がアメリカよりも100年も前から、日本に通商・開国を求めてやってきた』
再録★2017/11/16/日露300年戦争(3)『露寇 …
-
-
日本の「戦略思想不在の歴史」⑷『日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか④』★『 文永の役はモンゴル軍の優勢のうち、『神風』によって日本は侵略から助かった』
文永の役はモンゴル軍の優勢のうち、『神風』によって助かった。 1274年(文 …
