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[Z世代のため日中交流史講座」★『日中国交正常化50周年前に池田知隆著「謀略の影法師・日中国交正常化の黒幕・小日向白朗の生涯」(宝島社)が出版された』★『伝説の馬賊王(部下約7万人)は英国からは「アラビアのロレンス」に対比されて、「アジアのロレンス」とも呼ばれ、中国全土にとどろき、「蒋介石、毛沢東とは蒋さん、毛さんと呼び合う」仲までになっていた。』

   

 
 前坂俊之(フリーライター)

9月に日中国交正常化50周年を迎える。このドンピシャのタイミングで池田知隆著「謀略の影法師・日中国交正常化の黒幕:小日向白朗の生涯」(宝島社)が8月初めに出版された。
馬賊王「小日向」が大正、昭和前期に、満洲(中国東北部)などで約30年にわたて暗躍した歴史秘話はよく知られている。
本書では1950年に帰国した小日向が1960―70年代のアジア動乱を終息させるために米国・キッシンジャー特使が米中会談を実現し(71年7月)、田中角栄首相が日中国交正常化(72年9月)した、その裏面で秘密工作をして暗躍した事実を初めて明らかにした。
  
               
新潟県出身の小日向白朗(1900年1月~1982年1月)は1920年(大正9)に陸軍諜報部員として満州、蒙古に渡り、中国名「尚旭東」として活躍、中国の伝説の英雄「小目竜」と呼ばれ、「中国全土の総頭目(部下約7万人)」にまでのし上がった。英国からは「アラビアのロレンス」に対比されて、「アジアのロレンス」とも呼ばれた。小目竜の名は中国全土にとどろき、「蒋介石、毛沢東とは蒋さん、毛さんと呼び合う」仲までになっていた。
ところで、米国は、1960年代末にベトナム戦争が泥沼化していくなかで戦争終結の道を模索していた。そのためには中国との国交正常化がぜひ必要だが、最大の懸案が台湾問題だった。中国と台湾に両方に通じる小日向の存在が一躍、米国から脚光を浴びた。
 
『中国の赤い星』の著者・エドガー・スノーは、「米中国交回復の扉を開けるのは、世界でただ一人小日向しかいない」とサジェスチョンされ、キッシンジャー特別補佐官と国家安全保障会議(NSC)のジョン・ホルドウィッチ(キッシンジャー・周恩来会談の通訳をした外交官)から小日向に招請状が届いた。
訪米期間は1970年9月15日から10月10日まで。小日向は「アジアの平和と進歩のために(米国への提言)」(1970年7月5日作成)をまとめ米国へ飛んだ。同時に北京政府にも「ベトナム和平」「ポスト・ベトナム」「中国問題」「アジアの建設」の4項目からなる同一の提言を提出し、米中間の仲介役を引き受けた。
この提言書は本書に全文、資料として掲載している。
小日向の隠密裏の渡米は、当然、パスポートに記録は残されていない。日本国内の米軍基地から軍用機でアメリカに渡った。数多くのアメリカの諜報機関の要員が、日本でフリーパスで活動できるのは、国内の米軍基地に飛んできて、東京の青山公園内の米軍「六本木ヘリポート」から都心に入れる「バックドア」があるためで、小日向もそこから出入りした、という。
小日向は米国からの帰国後、米中接近の極秘情報を生かし、日中友好促進議員連盟結成、台湾などの課題、田中首相の日中国交正常化にも取り組んだ、という。
著者の池田氏は元毎日新聞論説委員、大阪市教育長、大阪自由大学主宰者で、小日向の自伝原稿、録音テープ、膨大な資料と事実のチェックを丹念に行い秘密工作の点と線を克明につないで第一級の外交のノンフィクションに仕上げている。
 
さて、「馬賊」の実態について、小日向は自伝『馬賊王』(1952年)の冒頭で中華人民共和国(1949年)誕生前の満州(中国東北部)、蒙古など中国の荒野は、中世時代の暗黒のなかに閉じ込められた農民たちが生活しており、周辺民族の韃靼人(だったん)、契丹人(きったん)の侵略を防ぐために出来きた農民の自衛組織が「馬賊」である。それが日露戦争ころから、日本やロシアのために情報収集役や、後方撹乱に利用されるようになって軍国主義の手先となった」と指摘、「真の馬賊は、義に堅く情に厚い、義士、烈士であり、前漢の高祖・劉邦、太平天国の洪秀全も、毛沢東も、この真の馬賊の一種であった」とも書いている。
つまり、19―20世紀の日中英米ロの対立、紛争、戦争は「古代からの中華思想」対「近代西欧思想」対「近代日本天皇主義思想」との三つ巴の戦いだったといえよう。
とことで、今年は明治維新(1868年)から154年目にあたり、日本興亡史のサイクル(77年間)の二度目の衰亡、敗戦危機に直面している。この間の日米中のねじれた三角関係は「敵の敵は味方」「今日の味方は明日の敵」とばかり、外交が二転三転し、戦争での勝利と敗北を繰り返した。そして、現在、ウクライナ戦争が始まり、台湾をめぐる日米中の戦争危機が再び高まってきた。
「中国革命の父」、「中国の国父・孫文は亡くなる前年の1924(大正9)11月に、神戸を訪れ 有名な「大アジア主義の覇道と王道」について講演した。
「日本民族は、欧米の覇道の文化を取り入れていると同時に、アジアの王道文化の本質ももっている。日本が今後、世界の文化の前途に対して、西洋の覇道の番犬となるのか、東洋の王道の干城(かんじょう=国家を防ぎ守る軍人)となるのか、日本国民がよく考え、慎重に選らんでほしい」と忠告した。しかし、その後の日本は「西洋の覇道の番犬」となって中国大陸を侵略し突き進み、日中戦争、大平洋戦争で敗戦・亡国した。
5年に1度の中国共産党幹部の人事を決める共産党大会が今年11月に開催予定で習近平総書記の3期目入りが確実視されている。『強中国夢』(中華思想覇権主義)をめざす習近平主席はこの孫文の「覇道」か「王道」かの警告をどう受け止めるのか。日本と同じ轍を踏むのではないかと気になる。

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