前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

[『オンライン講座/平櫛田中(107歳)、鈴木大拙(96歳)の教え」★「六十、七十 はなたれ小僧、はなたれ娘、人間盛りは百から、百から」 平櫛田中』★『人間は過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる。老人は過去から、未来に生きるスイッチに切り換えなさい」(鈴木大拙)』

   

 

 

  2017/11/28 百歳学入門(184)          

私の「自省録」

大学を出て新聞社に入り50歳で辞めた。以後、大学で若い人と共に学び遊んだ。65歳で定年。あとは林住期に入り散歩老人と化した。

海辺の近くに住み「晴耕雨読」ならぬ、「早朝釣り、その後は読書」,午後は近くの山と森と寺社をぶらり散歩する。

陋屋では薄汚れた古本、雑誌を読み、時より東京の変わりゆく街並みをウオーキングしながら自由気ままに晩年を楽しんできた。

かつて、愛読したルソーの『孤独な散歩者の夢想』(新潮文庫)をまねて、ブログ、SNSに毎日ぶつくさ老人の愚痴を書き飛ばして、自己満足してきた。

老人になるということは、過去形が多く脳裏に点滅してくるということだ。老人とは過去に生きるものなり。

「少年老い易く、学成り難し、一寸の光陰 無駄にすべからず」とは、60年以上前の少学3年生の時に、女の先生が詩吟を歌いながら教えてくれた言葉だ。

これは2500年前の古代中国の孔子の『論語』にある有名な言葉だが、「一体なんのことじゃ?」、子供心にはわからなかった。

これも年齢階段を一段一段登るごとに、周囲の風景がより広範囲に見えてくるように、人生山脈(齢を経るということ)が俯瞰できるようになる。

富士山は下から見上げると、上には雲がかかって見ええない場合があるように、若いうちは老人の気持ちも心理も、体力も、その人生行路も、雲がかかっているのと同じで、なかなか理解することが出来ない。

年齢を重ねるごとに「時間こそ人間に唯一平等に与えられた大切なもの」とだんだんわかってきた。

さらに「われ十有五にして学に志し(立志)、三十にして立ち(自立)、四十にして惑わず(不惑)、五十にして天命知る(知命)、六十にして(耳順)=周りの人の言うことに素直に従い、七十にして心の欲する所に従って、 矩(のり=道理)をこえず」の論語の人生スケジュール。

も年齢を重ねるごとにより深く心に染みてきた。

青春時代には人並みに「人いかに生きるべきか」と自問自答し、ひとり悩んできた。

そして「独立自尊」「好きなことをやる」「自由に生きたい」と心に決めた。「書を捨てて街に出る」と実社会に飛び込んだが荒波に容赦なく翻弄された。

30、40は仕事に明け暮れてあっと言う間に過ぎ去る。

自立にはほど遠く、迷いに迷い悩みに悩み、50、60過ぎても、相変わらず惑いっぱなしの人生。

気がつけばいつの間にか、「人生七十古来稀なり」。今や後期高齢者の仲間入りに慌てふためく。

豈、恐ろしや,時のすぎゆくその速さよ、超速よ。時間よ止まれ!、と恨めしくなる。

「少年,青年、中年益々老いやすく、老年さら老耄しやすく、学いよいよなり難し」を痛感する今日この頃である。

さて、西郷隆盛、佐久間象山も愛読した幕末の儒官・佐藤一斎(1772-1859、86歳)の「言志四録」の『言志後録』は57歳からの10年間、『言志晩録』は67歳からの12年間、「言志耋録」は80歳からの2年間、書き続けたアフォリズムである。

その中に「少にして学べば、壮にして為すこと有り。壮にして学べば老いて衰えず。 老いて学べば死して朽ちず」という有名な一節がある。

これに感動して老生は、わが『晩録』「耋録」を創ろうとして、ブログ、SNSを始めた。

サラリーマンには定年があるが、人生には定年はない。毎日毎日「一日一生」と生涯書き続けて「臨終停年」すればよいではないかと、肚を決めた。

世界一の長寿芸術家の彫刻家・平櫛田中翁(ひらくし でんちゅう、1872―1979、107歳)には裂ぱくの気合いの名言がある。

六十、七十 はなたれ小僧、はなたれ娘、人間盛りは百から、百から。いまやらねばいつできる。わしがやらねば、だれがやる」に感電したようなショックを受けた。

玉川上水のせせらぎが響く遊歩道のそばの平櫛田中記念館(東京都小平市学園西町)。田中翁の終の棲家、工房跡である。中に入ると、正面玄関横に直径二メートルを超えるヒノキがドンと置いてある。

田中百歳を迎えた際に、600万円出して木彫りの材料となるヒノキを三本も買いこんだ。10年乾燥させないと使えない代物である。つまり、130歳まで仕事を続けるつもりなのだ。

「わしもとうとう満百歳、まだまだ仕事が残ってる、朝から工房、晩めしがうまい、ぶどう酒ぼっちり、粥(かゆ)一椀、とろりとまぶたが重くなる」との手紙を若い友人あてに出した。

この田中翁の気迫と、不屈の闘志を伝えるためにこの大木をそのまま保存しているのである。

この『パワースポット』は『長寿力』の聖地である。

同じく北鎌倉の東慶寺境内にある松ケ岡文庫は鈴木大拙師(96歳)が禅の研究と執筆に没頭された終の棲家である。

93歳の時に健康の秘訣を聞かれると「わしは過去のことは考えんな。いつも未来のことを考えておる。あれをしなくてはならぬ、これをしなくてはならぬとな。今日から明日へ、来年また来年と、将来に希望をかけることが私の健康法だよ』と答えている。

確かに、人間は過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる。老人は過去から、未来に生きるスイッチに切り換えなさいとの大拙師の教えである。

今からでも遅くない。気がつけばその日が吉日・スタートである。

http://www.maesaka-toshiyuki.com/longlife/3532.html

 

「たゆまざる あゆみ恐ろし、カタツムリ」(彫刻家・北村西望 102歳) http://www.maesaka-toshiyuki.com/longlife/2514.html 

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究, 湘南海山ぶらぶら日記

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
 片野 勧の衝撃レポート④「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)④『占領下の言論弾圧』⓶『マッカーサーの新聞検閲』 ■6000人の被爆者の臨床データも消された ■没収された原爆放射線被害の情報

  「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)④ 片野 勧(フリージ …

★『世界漫遊・街並みぶらり散歩』★『ハンガリー/ブタペスト点描』★『世界遺産としてのブタペストの街はリスボン、パリ、プラハ、ワルシャワの美質を集約した深い憂愁さが漂う』

  2017/08/26  『F国際ビジネスマンの …

新一万円札の肖像画となった渋沢栄一翁(91歳)は「日本株式会社の父」ー「すでに150年前に現在の米国型強欲資本主義」を超えた「道徳経済合一主義(仏教的資本主義)を実践した稀有の資本家」★「人生100歳時代の先駆者として、年をとっても楽隠居な考えを起さず死ぬまで社会に貢献する覚悟をもつ』

  日本リーダーパワー史(88)経済最高リーダー・渋沢栄一の『道徳経済 …

no image
日本興亡学入門①日本没落の20年、平成不況から世界同時大不況へ転落か!?

                     …

no image
★超速ビデオ『10/8鎌倉ワイルドライフ』 ★ 『鎌倉つりバカ・カヤック日記―カツオ・サバ大漁!』『忍者カワハギと秋の決戦』

  ★超速ビデオ『10/8鎌倉ワイルドライフ』   『鎌倉つ …

no image
人気記事再録『「新聞と戦争」の日本史』<満州事変(1931年)から太平洋戦争敗戦(1945)までの戦時期の新聞>

2009/02/10  「戦争と新聞」を検証する  講演録 1995年2月15日 …

no image
日本の「秘境」を往く➊ー熊本県の平家の落人伝説のある五家荘、平家の里、五木村(五木の子守唄の里)へ➊

   <日本の「秘境」を往くー>   熊 …

no image
日本メルトダウン脱出法(609)『ロシア経済危機、世界経済や日本への影響は」●『コラム:2015年の中国は変われるか」

              日本メルトダウン脱出法 …

『MF・ワールド・カメラ・ウオッチ(9)』 「フィレンチェぶらり、ふらり散歩(4/19-4/28)「ウフィッツィ美術館」を見て回る」②

『MF・ワールド・カメラ・ウオッチ(9)』 「フィレンチェぶらり、ふらり散歩(4 …

『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑪』★『児玉源太郎の電光石火の解決力⑦』★『日英同盟によって軍艦購入から日本へ運航まで、英国は日本を助けて、ロシアを妨害してくれたことが日露戦争勝利の要因の1つ』●『児玉、山本権兵衛の『インテリジェンス』と『最強のリーダーシップ』の証明でもあった』

2017/06/04 日本リーダーパワー史(820)記事再録『日清、日露戦争に勝 …