百歳学入門(34)―『百歳長寿名言』★☆『たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ』(彫刻家・北村西望102歳)ほか3本
百歳学入門(34)―『百歳長寿名言』
『たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ』(彫刻家・北村西望102歳)
『いつ何時(なんどき)でも怖れないで死を迎えられる』(徳富蘇峰94歳)
『楽隠居は絶対にしてはならない』(渋沢栄一 91歳)
前坂 俊之(ジャーナリスト)
●『たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ』
(彫刻家・北村西望102歳)
長崎の平和記念像を制作した北村西望(1884―1987)は、生涯たゆまぬ努力を貰き、文化勲章を受賞した彫刻界の第一人者である。
昭和六十二年(1987)三月、百二歳で亡くなったが、平櫛田中に次ぐ日本でも最長寿の彫刻家である。もともと彫刻家には長寿が多いのは、
肉体労働であるからだろう。大作の彫刻に挑むと相当の肉体労働がともなう。それが体に良い、創造力の燃焼によって脳は活性化する。
一挙両得せある。
肉体労働であるからだろう。大作の彫刻に挑むと相当の肉体労働がともなう。それが体に良い、創造力の燃焼によって脳は活性化する。
一挙両得せある。
「わたしは天才ではないから、人より五倍も十倍もかかるのです。いい仕事をするには長生きをしなければならない」が口癖で
、平和記念像をつくるのにも昭和二十六年から四年間をかけて完成させた。
晩年、北村はきごうを頼まれると、よく「決心之大成」「洗心長寿」と書いた。
こんなエピソードが伝わっている。
こんなエピソードが伝わっている。
ある朝、北村が自分の制作した平和記念像を見にいくと、足元に一匹のカタツムリがいた。夕方もう一度像の前に行ったとき、
なんと、そのカタツムリは九メートルもある像のてっぺんに登っていたではないか。いま都会の子供たちはカタツムリなど見たことないかもしれぬ。
昔は梅雨のシーズンなど、どこの木造家屋や庭や道端の雑草にもカタツムリがたくさんいた者だ。可愛い角をだして、歩いているようで一向に
進むのはのろい、動きはあるようなないようなー、それがいつのまにかてっぺんまで登っているではないか。北村は感動した。カタツムリに持続の
エネルギーの驚異をみた。カタツムリを生涯の師としたのである。
なんと、そのカタツムリは九メートルもある像のてっぺんに登っていたではないか。いま都会の子供たちはカタツムリなど見たことないかもしれぬ。
昔は梅雨のシーズンなど、どこの木造家屋や庭や道端の雑草にもカタツムリがたくさんいた者だ。可愛い角をだして、歩いているようで一向に
進むのはのろい、動きはあるようなないようなー、それがいつのまにかてっぺんまで登っているではないか。北村は感動した。カタツムリに持続の
エネルギーの驚異をみた。カタツムリを生涯の師としたのである。
百歳記念のとき、島原市、玉宝寺の聖観音像の台座に、「たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ」という座右銘を書き、その後も研鑚を続けた。
とにかく日々継続、毎日毎日積み重ね,創造し続けていくと、カタツムリの目に見えないゆっくりした動きでも、1年、2年、10年、50年で膨大なものができていくのだ。私もカタツムリを師として尊敬している。
●「九十年間生きてきて、たった1ついえることは、いつ何時(なんどき)
でも怖れないで死を迎えられそうな気がしてきたことです」
明治・大正・昭和三代の評論家・徳富蘇峰94歳
徳富蘇峰は、明治十九年(1886)二十四歳で熊本から上京して、民友社を結成、雑誌「国民之友」、さらに「国民新聞」を創刊。進歩的民主主義の立場から華々しい論陣を張ったが、日清戦争前後から国家主義に転じ、一部から変節者と非難された。
第二次大戦中は大日本言論報国会会長をつとめ、敗戦後、公職追放の身となった。明治、大正、昭和の三代を、一身で体現した人物である。
その蘇峰のライフワークに 『近世日本国民史』がある。大正七年(一九一八) に書き始め、34年間かけて昭和二十七年(一九五二)数えで九十歳になったときに、ようやく百巻目を書き終えた大著である。日本最大、最高の歴史書である。
ここに掲げた言葉は、二十七年、秘書の藤谷みさをに述懐した言葉だ。蘇峰はさらに五年の余命を保ったが、昭和三十一年ごろから病臥を繰り返すようになり、翌三十二年最後の床につくと、十一月二日、九十四歳で亡くなった。
枕もとには、蘇峰の最後のことばを残そうとした紙片が置かれていたが、「イタイイタイ」、「ユックリサセテクレ」であった。
●『楽隠居は絶対にしてはならない』
渋沢栄一(91歳)
第一国立銀行、王子製紙、東京ガスなどを生涯500社以上の企業を創立した「日本資本主義の父」・渋沢栄一(一八四〇-一九三一)は、昭和六年(一九三一)に九十一歳で亡くなるまで「財界の大御所」として最後まで生涯現役を貫いた。渋沢は八十七歳のとき、新聞のインタビューで健康法を開かれて、次のように答えている。
「若返って元気になるには、不断の活動が大切です。つねに計画を立て、六十から九十のあいだに実行することです。同時に節制も大事で、活動が過度にならないように注意しなければなりません。活動と節制とが、車の両輪のように調和してこそ、元気の要素となります」。
また精神的に、憂いがあってはいけません。現状に満足し、穏健で平和な毎日を送る。イギリスの学者は、この活動、節制、平和が完全に行われた人間は百四十歳まで生きられると言っています。
煩悩、苦悩、すべて快活に愉快にというのが、わたしの秘訣です。酒は飲まない、たばこは三十三年前にやめ、食物に好き嫌いはない。畷を見て経書(儒学の経典)を読むくらいですね」
渋沢の九十のときの日課を見てみると、
午前六時から七時に起床。午前八時から八時半に朝食。午前九時から十一時まで読書し、午後は仕事で外出。昼食はとらない。
午後五時から六時に帰邸し、午後六時から七時に夕食芸後は十時まで読書して、十時から十一時までに就寝する。ちなみに渋沢は、昼寝、仮眠などをいっさいしなかった。
午後五時から六時に帰邸し、午後六時から七時に夕食芸後は十時まで読書して、十時から十一時までに就寝する。ちなみに渋沢は、昼寝、仮眠などをいっさいしなかった。
「老人になれば、若い者以上に物事を考え、楽隠居をして休養するなどということは、絶対にしてはいけません。逆に、死ぬまで活動をやめないという覚悟が必要なのです」
関連記事
-
-
『Z世代のための鈴木大拙(96歳)研究講座』★『平常心是道』『無事於心、無心於事』(心に無事で、事に無心なり)』★『すべきことに三昧になってその外は考えない。結果は死か、 生か、苦かわからんがすべき仕事をする。 これが人間の心構えの基本でなければならなぬ。』
2018/12/14 記事再録/ …
-
-
『鎌倉カヤック釣りバカ楽楽日記』★『ストレス発散,太陽光発電,筋トレ貯金に最高のカヤックフィッシング』★『カワハギ、イナダ、シイラ、ソーダカツオも釣れて釣れて困るの巻
2022/08/26 記事再編集 早朝は海で遊び、午前中は勉強する、午後からは野 …
-
-
『百歳学入門』(229)-『 ルノアールの愛弟子の洋画家・梅原龍三郎(97)の遺書』★『「葬式無用、弔問、供物いずれも固辞すること。生者は死者のために煩わされるべからず』
2018/05/27 記事再録 『百歳学入門』(229) …
-
-
I will introduce the Kamakura guidance over KAMAKURA History Road,to foreign touristsー「名越の切通し」「まんだら堂」
湘南海山ぶらぶら日記ー名越の切通し、まんだら堂が「鎌倉古道ウオーキング」 (KA …
-
-
『世界が尊敬する日本人⑥初代ベンチャービジネスの真珠王・御木本幸吉(08、05)
世界が尊敬した日本人(6) 初代ベンチャービジネスの真珠王・御木本幸吉 …
-
-
「Z世代のための『人生/晩節』に輝いた偉人伝』★『日本一『見事な引き際の『住友財閥中興の祖・伊庭貞剛の晩晴学②』★『〝晩成〟はやすく〝晩晴″は難し』★『真に老いに透徹した達人でなければ達し得ぬ人生最高の境地こそ〝晩晴〟である』
有害な …
-
-
記事再録/知的巨人たちの百歳学(142)●長谷川如是閑(93歳)の悠々自適とはー「他からわずらわされない悠々自適の暮しが健康法」 ●「老人になって子供に帰ったのではなく、20歳前後から 同じ気持をもちつづけてきていて、それに帰っただけの話」
2015/08/26/知的巨人たちの百歳学(114) 長谷川如是閑 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(157)再録/『日本一『見事な引き際・伊庭貞剛の晩晴学②『「事業の進歩発達を最も害するものは、青年の過失ではなく、老人の跋扈である。老人は少壮者の邪魔をしないことが一番必要である」』
2010/10/25   …
-
-
『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画録⑫『10年前の鎌倉沖は豊饒の海だった』★『鎌倉は春だよ!カヤックフィッシングー春告魚(メバル)、大アジ、 カワハギ、キューセンと遊んだよ』<鎌倉海を丸かじりする方法は>
2012/04/20 <鎌倉釣りバカ・アホ日記 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史]』(23)記事再録/日本リーダーパワー史(76)辛亥革命百年(14)中国革命の生みの親・孫文を純粋に助けたのは宮崎滔天
2010/07/20 /日本リーダーパワー …
