「オンライン・日本史決定的瞬間講座②」★「日本史最大の国難をわずか4ヵ月で解決した救国のスーパートップリーダーは一体誰でしょうか?」★『何度も死からよみがえった不死身の大人物ですよ』
2021/09/29
-
鈴木は「海戦の勇士」「不死身の貫太郎」
鈴木貫太郎(1868年(慶応3)1月― 1948年〈昭和23年〉4月)は大阪府堺市生。17歳で海軍兵学校に入学、卒業後の日清戦争では「水雷艇長」として大活躍し、その敢闘精神から「鬼の貫太郎(通称・鬼貫(おにかん)「不死身の貫太郎」の異名をとりました。日露戦争の日本海海戦でも大活躍した歴戦の勇士です。
第一次世界大戦が勃発した1914年(大正3)に海軍次官に就任、大正4年6月、50歳の鈴木は足立たかと再婚した。たか夫人は、新渡戸稲造博士らと同学の農商務省技師の足立元太郎の令嬢で32歳。東京女子師範保拇科を卒業後、皇太子袷仁親王(13歳の昭和天皇)の保育係を務めていました。
1918年(大正7)3月,51歳の時、練習艦隊司令長官として2隻の練習艦を率いて米国への友好親善の遠洋航海に出かけた。当時の日米関係は「日米戦争勃発か!」と叫ばれるほどの危機的な状況にありました。日本人移民の排斥問題がカルフォルニア州で起きていた。1920年(大正9)当時、日本人移民は米国全土で約12万人、そのうちカルフォルニア州には7万人。日本人移民は白人労働者の賃金の何分の一でその何倍も熱心に働いて、白人労働者の職場や土地を奪っていた。
白人社会の宗教、文化のマナーを守らず、地域に溶け込まない、などの理由で白人労働者から排斥運動がおこり、1913(大正2)年8月に日本人との土地売買を禁じる「排日土地法」が成立、日系人は移民・帰化を完全に否定されたのです。1924年にはこの法律が拡大され全米で「反日移民法」が成立しました。
日本側から「人種差別だ!」と激しい反対運動が起こり、右翼らも日米戦争近し、「米国を撃て!」と叫び、両国の対立はエスカレーとした。トランプ米大統領による「移民受け入れ拒否問題」の先駆的な事例です。
- 「太平洋は平和の海、戦争の海にするな」と反戦スピーチ
そんな中、鈴木司令官一行はサンフランシスコやロスアンゼルスなどで米海軍、市民などの歓迎パーティーに招かれ、鈴木司令官は毅然として「日米非戦論」のスピーチを行なった。
「日米戦争について米日両国で盛んに議論されている。しかしこれはやってならぬ。いくら戦っても日本の艦隊は敗れたとしても日本人は降伏しない。また、米国にも米国魂があるから降伏はしない。兵力の消耗戦が続き両国に何の利益もない。太平洋は平和の海で神がトレード(貿易)のために置かれたものであり、これを軍隊輸送(戦争)に使ったならば、両国ともに天罰を受けるだろう」と演説し、拍手喝さいを浴びました。
1924年(大正13)1月、鈴木は連合艦隊司令長官に就任、7月1日に30数隻の大艦隊を率いて大演習を実施した。途中、発達中の台風に遭遇し演習を急きょ中止し、母港の大分県佐伯湾に向かって引き返しました。夜になると台風はますます強烈、大型化して、艦隊は木っ端のように大揺れ。全艦隊がバラバラとなり、沈没の危険性がでてきた。鈴木司令官は一晩中,先頭艦の艦橋に立って強風で荒れ狂い、前方が全く見えない台風の情況を注意深く監視していたが、「夜が明けるまで直進して台風圏を突破せよ」と全艦隊に命令、翌朝やっと波もおさまり、無事に帰港できたのです。
鈴木はこうした危機一髪の体験を何度かしています。誰も見ていない夜の荒海に艦上から誤って転落したこともあります。普通なら絶対に流されて死んでしまいますが、船尾のロープに幸運にもつかまって高さ10m近い艦上まではい上がり、奇跡的に助かったこともあった。
鈴木は「自伝」の中で「司令官は当直士官や参謀長の報告を聞いてからではなく、自分の眼で見て即座に命令を出さねばならない。日本海海戦で敵前大回転を命じた東郷平八郎は参謀らのシュミレーションを踏まえて、自分の目で敵との距離を測り、電光石火で決断したのが、私も追体験できた」と語っています。
ある時、その東郷平八郎に「司令官の心得とは何か」と聞くと「国際法の徹底遵守」と「率先垂範のリーダーシップ」と教えられた。鈴木はこの東郷の教えを心に刻み、自らの座右銘「奉公十則」の中の「言行一致、議論より実践」「易(やす)いことは人に譲り、難かしいことを行う」「常に心を静かに保ち、危急時にはなお沈着になるべし」を終生、実践してきました。
1929年(昭和4)に60歳で予備役に編入され、天皇侍従長になり8年間にわたって昭和天皇にお仕えし、土壇場の昭和20年に総理大臣(第42代)にひっぱりだされた。一貫して海軍本流を歩み、山本権兵衛、東郷平八郎、斎藤実、岡田啓介らの良識派・国際通・親米派のグループに属しており「救国の宰相」となって、大日本帝国最後に登場したのです。
- 鈴木首相の「玄黙」の戦略とは何にか
鈴木首相が誕生すると『パドリオ終戦内閣か!』(イタリアのバドリオ内閣は無条件降伏を受けいれて降伏した』と陸軍若手将校らは騒ぎ出した。この時期、和平や終戦は一切タブーであり、鈴木は和平を深く胸中に秘めて、態度には微塵も出さず「国民よ、わが屍を越えて往け」と訴え、陸軍をいかに抑えるかに全精力を集中します。
鈴木首相は戦争を早期終結させる戦略をひそかに練り、長年、戦場で鍛え上げたその決断力とリーダーシップ、インテリジェンス(叡智、情報分析力、国際認識力)、禅で鍛えた胆力(腹芸、大度量)が結実した「長寿逆転突破力」を発揮していった。
その秘訣は一体どこにあったのでしょうか。終戦当時の記録は山ほどあります。しかし、鈴木首相自身が当時の心境について書いたものは全くありません。わずかに、木戸日記(東京裁判口供書)の中、自ら行動について、釈明した部分があり、そこには「玄黙を守り、反対をしなかったために誤解を生んだ」と一行書き加えている。この「玄黙」こそが、鈴木の不動の信念と態度であり、彼のリーダーシップの根本を示した言葉です。
「玄黙」とは彼が愛読する中国古典の兵術書『六韜』(りくとう)の中の一節で「事をおこせば必ず克つ」「用うるに玄黙より大なるはなし」「動(うごくとき)は不意をつき、謀(はかりごと)は他人に知らしめず」とあります。
これが鈴木首相の終戦工作での行動原理で「自分の肚(はら)の内、手の内は一切みせず、また一切弁明しないのが、大事を成し遂げる統率術である」というわけです。
前坂俊之著「トランプ対習近平:貿易・テクノ・5G戦争(22世紀) Kindle版」
関連記事
-
-
『Z世代のための明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力講座⑨』★<日本最強の参謀ー「杉山茂丸」の経済雄弁術⑦』★『細かい数字を百年の国策に取り交ぜ、談論風発、相手を煙幕に巻く』★『 その六尺近い巨体を擁し、堂々人を圧する魁偉なる容貌と、どこまでも相手を魅了せずにおかない長広舌は、まさに座談の雄者(下村海南)』
2014/03/06 日本リーダーパワー史(481)記事再録編集 ① …
-
-
『Z世代のための昭和政治史講座/大宰相・吉田茂論②」★『<国難を突破した吉田茂(84歳)のリーダーシップ』★『吉田茂は戦争反対で憲兵隊に逮捕されたが、そういう政治家でないと本当の政治家ではない。佐藤栄作、池田勇人は吉田学校の優等生だが、彼らは政治上の主義主張で、迫害を受けて投獄されて屈服しなかった本物の政治家じゃない』★『ところが80年たった今や自民党の2,3,4世の政治屋家業が約30%、江戸時代に逆戻したかのような政治状況と化している』(羽仁五郎)』
2024/06/05 の記事再編集 マルクス主義歴史家の羽仁 五郎( …
-
-
『Z世代のための日本リーダーパワー史(380)」★『児玉源太郎伝(3)『日露戦争は民族戦争・宗教戦争ではなく防衛戦争』★『ドイツ・ロシアの陰謀の<黄禍論>に対して国際正義で反論した明治トップリーダーのインテリジェンス戦略に学ぶ』★『英国タイムズ紙、1904(明治37)年6月6日付記事を読めばよく分かる』
2013/05/04 /記事再録編集 …
-
-
『日中台・Z世代のための日中近代史100年講座⑤』★『世紀の恋の果たし状ー九州の炭鉱王の良人・伊藤傳右衛門氏に送った「筑紫の女王」柳原輝子の絶縁状の全文ー愛なき結婚と夫の無理解が生んだ妻の苦痛と悲惨の告白』★『1921年(大正10)10月23日「大阪朝日」朝刊掲載』
1921年(大正10)10月23日 「大阪朝日」朝刊掲載 朝刊新報の「筑紫の女王 …
-
-
「百歳・生き方・死に方-臨終学入門(118)酒で蘇生した「酒仙」横山大観(89)の「死而不亡者寿」(死して滅びざるもの寿)
「百歳・生き方・死に方-臨終学入門(118) 酒で蘇生した「酒仙」横山大観(89 …
-
-
湘南海山ぶらぶら日記 この夏の鎌倉マリンスポーツ/ベストショット選③★5稲村が崎サーフィン(8/26am5,20-6,30)全中継ー 台風10号のいい波きているよ』★『見ているだけでエキサイティング!サーフィンスリップだよ』
湘南海山ぶらぶら日記 この夏の鎌倉マリンスポーツ/ベストショット選③ ★5稲 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(135)/記事再録★『山県有朋から廃藩置県の相談された西郷隆盛は 一言で了承し、即実行したその日本史上最強のリーダーシップ①』(徳富蘇峰『近世日本国民史』(明治の三傑))★『行政改革を毎回唱えながら、中央省庁再編、道州制、都道府県市町村再合併、財政削減などなかなか進まない、リーダーシップ不在の日本沈没政治』
2012-03-24 /日本リーダーパワー史(246)記事再録 …
-
-
産業経理協会月例講演会>2018年「日本の死」を避ける道は あるのか-日本興亡150年史を振り返る⑤
<産業経理協会月例講演会> 2013年6月12日 201 …
