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『オンライン講座/国難突破力の研究』★『明治維新は西郷と俺で起こしたさ、と豪語する勝海舟(74)の最強のリーダーシップとその遺言とは⑨』★『国は内からつぶれて、西洋人に遣(や)るのだ。』★『百年の後に、知己を待つ』の気魄で当たる』★『明治維新と現在とを対比して国難リテラシーを養う』

   

2011年7月14日/日本リーダーパワー史(173)記事再録

 

                      前坂 俊之(ジャーナリスト)

勝海舟は74歳で亡くなる2ヵ月後に明治31年11月に遺言ともいっていい「海舟座談」を残した。その中で「おれほど、この五十年間で国家のいちばん難局に長く当ってきたものはないだろうよ」と自負しながら、国難に処してきた自らの態度と、裂ぱく気魄を次のように語っている。思わじ身が引き締まる思いで、何度もかみしめながら読んだ。

 

 

 人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だ。ナニ、蚤や蚊と思えばいいのサ

② 敵がないと、ことができぬ。国家というものは、みンながワイワイ反対してそれでいいのだ。

③ 相談、相談というのがいかぬ、だからグズグズするのだ。

④ 新陳代謝、新陳代謝でいくのだ。内で喧嘩をしているから分からない。

⑤ 「ナニ、心配はない、西洋人が来れば、それにお前がたは食わして貰うのだ。

⑥ 百年の後に、知己を待つのだ。

 

 
明治三十一年十一月三十日の聞き書き
 

 この一日、ひどく言ってやった。「至誠奉公ということを構いなさらんから、いかん」とひどくやったよ。そして、書記官に書かして出した。それで聴かねは、宮内省に出て言おうという見幕だから、恐れたよ。それが土台になって、アーなったのだ。いくさ人だからネ、わかったようだ。一言で、まとめてやった。いくらできんといっても、それはいかぬ。

ヒラ人ならば、出ないでもいいが、自分で元勲とか侯爵とかいっているじゃアないか。お上(明治天皇)でも、元勲といって、扱ってくださるじゃないか。できるとできぬは別問題だ。そソなことに頓着なく、御用と仰しゃれは、何でもなすべきじゃアないか。西洋は西洋、国が違う。天子様お一人を残して、逃げるというはずはない。

 すると、もう、人が来て、今度はたいそう、力を入れておやンなすったそうだと言うから、「何も知らネー」と言うのサ。「どうか三年くらい持たせたい」と言う。それが間違だというのサ。おれほ「二ヵ月でいい」というのサ。そのうちに、後のことをよくすればいいのだ。もう少し定まると、長く持とうという。それでいけないのだ。

 

 国というものは、独立して、何か卓絶したものがなければならぬ。いくら、西洋、西洋といっても、善いことは採り、その外に何かなければならぬ。それがないのだもの。つまり、亜細亜に人がないのだよ。それで、いちいち西洋の真似をするのだ。西洋は規模が大きくて、遠大だ。チャーンとして立っておるから、ほかが自然に倒れるのだ。まるで、日本などは、子供扱いだ。褒めてやったり、叱ったりする。それで、善い気になってるというものがあるものか。

 

 書記官長〔小牧氏〕がやって来たから、「辞表を出すように、してる」と言うと、驚いて、何か不平があるかと言うから、「満腹の不平だ、三十年、おれが苦心して立ててやったものを、みソなが寄ってたかって、ぶちこわそうとするから、不平だ」と言ってやった。宮島が黒田に行ったら、この間はひどいことを言いなすッたそうだというから「何もひどくはネー」と言ったのサ。

 

 憲政党もだいぶ評判が悪いそうだ。党の者が来て、そう言うから「それがいけないのだ」と言ってやったのサ。「ナニ、みンな、経験で、一度や二度でゆくものでない。だからチャンとして、いちいち練磨しなければならぬ、いまさら驚くということがあるものか」と言うた。ナニ、政党というのではない。少しも政党ではないよ。

 木戸、大久保、西郷は、さすが、チャーンとしていたよ。どうしてどうして、こンなものではない。それだから、いったものだ。今の奴らは、みンな、その尻馬に乗ったのんだもの。

 ソリャア、西郷が第一サ、大久保になると、少し小さくなったナ。木戸とくると、もう、急いで仕方がなかった。ダガ、あの三人は、なかなか今の功臣のような、やにっこいものジャアない。どんなことがきても、その手はとうから知ってるという調子だ。

 西郷くらいのやつが、もしするのなら、ひどく、いじめてやるが、ナニ、今の人は、みんな、人が善いのだもの、気の毒でならないよ、相手にするに足りないジャアないか。

 

 海軍卿の時かエ・…‥。みんな、川村サ。川村純義が次官だから、功はあれに帰させたよ。時々出ていって、小印をつくばかりサ。何もしないよ。だが、今の伊東祐亨ネ、このあいだも来たから、話して笑ってやったのだが、アレが、軍艦に兵糧まで積み、すッかり用意をして朝鮮征伐に行こうというのだ。もう五、六日で行くというようになった。

 

すると、三条から、「お前は知ってるか、どうだか、こういう訳だ」というから、「ナニ、私が海軍卿だから、安心して任せていらッしゃい」と言うてやった。それから、うちへ五、六人呼んで、「お前達は、朝鮮征伐をやらかそうというそうだが、それは男らしくて面白い、おやんなさい。だが、その跡はどうするのだ」と聞いてやると、みンな弱ってしまった。「それではどうしましょう」 というから、「それより先ず支那から台湾のほうへ行ってみろ」と命じてやった。「それができさえすればありがたいが、どうでしょう」 と言うから、「ナニ、おれが許すのだから、構談うものか、行け」と言った。そのころは、まだあの辺へ行くことはできなかったのだからネ。それでみンなが喜んで、行って、初めて外国を見て、驚いてしまって、朝鮮征伐は止んだよ。それから帰って来たから、みンなほめてやって、官を上げてやった。

すると、勝はどうひッくりかえるか知れぬというので、たいそう嫌われて、おれは引込んだよ。

 

 征韓論ナンテ、馬鹿なことがあるものか。西郷の考えも知らないで、その志をつぐなどというからわからないのだ。おれはあの時、海軍卿だ。戦争のつもりなら、話があらあネ。あとで「いったいお前はどうするつもりだった」と話したら、アハハ笑って、「あなたにはわかってましょう」と言ったよ。ソレきりサ。

 

 それから、参議サ。そのころは大木のお伴で、ズンズン印をついた。「あなたは少しもごらんなさらぬようだ」というから、「ナニ、お前が印をつくから、つくのだ」と言ったのよ。大久保はたいへん勉強だからそれをたいそういやがったよ。

 

 それでも、西郷が国に行ってわれた時に、三条さんから、どうかお前に行って買いたいというから、馬鹿馬鹿しいと思って断わると、西郷の手紙を見せて、「それでも、こういうように、ぜひ、勝をよこしてくれとある」というから、おれはコウやってツクヅク見ていたが、ひどく感激したから、「それなら行きます」と言って、翌日、長崎へ御用があって行くという書付をもらって、一人で行って、久光を連れて来たのサ。

 

 十年の時だった、岩倉から話があった。佐野が証人にしてあらあ。「どうぞ行ってくれ」と言うから、「行かないこともないが、その代わり、全権です、ドンなことをするか、知れませんよ」と言ッた。

「どういうことだ」というから、「大久保でも木戸でも、免職させるかも知れぬ」と言ッたから、「それでは困る」というから、「そンなことなら、公卿でもお遣んなさい、私の行くまでもない」と言ッて、やめになった。

 

 これでも、それ相応の奉公はしてあるよ。ただで、飯を食ってはいないから、善いではないか。

 この間の西洋人が祈ってくれたが、「あなたは、神様のお護があったのだ」と、まじめに言ったよ。お世辞かしらと思ったら、そうでなかったよ。私は、人を殺すのが、大嫌いで、一人でも殺したものはないよ。みンな逃して、殺すべきものでも、マアマアと言って放っておいた。ナニ、蚊や蚤(ノミ)は殺すからそう思えば善いのだが、ごく殺人は嫌いだった。それは河上彦斎が教えてくれた。「あなたは、そう人を殺しなさらぬが、それはいけません、唐茄子でも、茄子でも、あなたは、取ってお上んなさるだろぅ、あいつらは、そンなものです」と言った。それは、ひどい奴だったよ。

 

しかし、河上は殺されたよ。おれは殺されなかったのは、無辜を殺さなかった故かもしれんま。刀でも、ひどく丈夫に結わえて、決して抜けないようにしてあった。人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だった。ナニ、蚤や蚊と思えばいいのサ。肩につかまって、チクリチクリと刺しても、ただかゆいいだけだ。生命(いのち)に関わりはしないよ

(みよ、この土性骨】(どしょうぼね)が違うね)!

 

 田舎の議員が来て生意気なことを言うから、「馬鹿め、お前らに分かってたまるものか」と怒ってやった。「お前に、おれが米のことを言っても信じやすまい、笑うだろう。おれに政治のことを言うのは、お前に米のことを言うようなものだ、こっちは、五十年、政治で飯を食ってるものだ」と言ってやった。

 

 徳川氏でも、本多とか、井伊とかいって、軍に骨を折ったようだが、それは短い間だ。元亀天正のころ、骨を折った人もあるが、みンな一局部のことだ。

 
国家のことで五十年骨を折ったのは、おればかりだ。おれほど、長いものはないという見幕だ。
 ナニ、誰を味方にしようなどというから、間違うのだ。みンな、敵がいい。敵がないと、ことができぬ。国家というものは、みンながワイワイ反対して、それでいいのだ。おれなどは、その見幕だった。アと、溝口が知ってらあ。「みんな、敵になったから、これならできます」と言った。あまり大言だというたが、そうじゃあないか。慶喜殿も覚えておられるだろう。
 
 相談相談というのがいかぬ、既に、気が餓えてるどうして、もッと、ひどかろうと思っていたのだ存外だ。こソな、グズグズで済んでしまうのだ。こうなったら、こう、ああなったら、ああと、みんな考えておいたのだ。それで、病気にまでなって考えておいたのだ。一言で治めるようにみな用意がしてあるのだ。ナニ、このくらいのことは、何でもありゃしない。
 
 ナーニ、おれが三十年前にやったのを、少し趣を変えて、やりさえすれば、それでいいのだ。新陳代謝、新陳代謝で、いくのだ。内で喧嘩をしているから分からないのだ。ひとつ、外から見てごらんナ。じきに分かってしまうよ。

 

 ナニ、枢密だとか、何とかいって、そンなものでなくて、できらあナ。

 大久保や、木戸は、こンなものでない。そンなことは、とうから知ってるという調子で、裏をいったからナ。御前で、ひどく、大久保をやってやったのき。

 

 この間、夜、慶喜殿がやって来て、有栖川が来て、ナゼ出ないか、カドカドにはぜひ出るようにというから、どうしょうと相談されるから、それは構わない、お出なさいというた。ダガ、アナタはぶちこわすことが上手だから、いっしょになっておこわしなさい。スルト、私がたいへんにエライ男になります。勝がおる間は、徳川も落着いていたが、アレがなくなったらトいって、たいそう男が上がりますから、ありがたいト言ってやったら、たいへんイヤナ顔をしていたよ。

 

ナニ、節句、節句というような時には、それは出るがイイサ。それも宮さまから、ワザワザさそうのだから、それでもトいうのは、善くない。しかし、慶喜がいま出たって何になるものか。宮さまなどが、何が分かるものかと言ってやったノサ。

 黒田がモ少し分かるといいが、カラ分からなくなったから。それに、年がよると、忌むからネ。うちの婆が、隣の婆さんの悪口を言うようなものだ。じー

よう談じゃアないよ。

 

 二十八から海軍の練習で、それが六年。それから、すぐ亜米利加(アメリカ)にいったろう。五十年だもの。少しも面白いことはない。知らない間に時がたってしまった。

 

 何でも、おれが為そうなそうというのが、善くない。誰が為(なつ)てもいい。国家というものが善くなればいい。第一、その目途が違うのだもの。

 
 田舎の者等から、どうなりましょうどうなりましようと聞くから、「ナニ、心配はない、西洋人が来れば、それにお前がたは食わして貰うのだ。横浜でも、二十人も来れば、それで、あンなに大勢が食ってるじゃないか」と言うと、みソないやがるよ。

 

 内の男でも女でも、みなそれぞれ役があって、それに慣れているのに、急に主人が代って、何でも主人がするということはできまいではないか。今の政治家は、それをしようというのだ。

 世に具眼の士があるから、それから笑われるからネ。あンなことに同じように騒いでると言われるのが、いやだ。

 

 玄徳だってそうだったった、孔明一人を見抜いて、「あれに」というので、ヤイヤイ引張り出した。孔明でも、一人で出て行って、どうか、こうか、やったじゃアないか。昔から、みンな、同じことで、チャンときまってるよ。

 
百年の後に、知己を待つのだ。なにが、分かるものか。昔から、大功のあった人は、人が知らないよ。久しうして後に分かるのだ。それが、たいへん好きで、昔から、それを守ったよ。ナニ、忠義の士というものがあって、国をつぶすのだ。おれのような、大不忠、大不義のものがなければならぬ。
 
 ナアニ、維新のことは、おれと西郷とでやったのサ。西郷の尻馬にのって、明治の功臣もなにもあるものか。自分が元勲だと思うから、コウなったのだ。
 

 江戸の明け渡しの時は、スッカリ準備がしてあっ事の民を殺す前に、コチラから焼打のつもりサ。爆裂弾でもたいそうなものだったよ。あとで、品川沖

へ棄てるのが骨サ。治まってから、西郷と話して、「あの時は、ひどい目にあわせてやろうと思ってた」と言ったら、西郷め、「アハハ、その手は食わんつもりでした」と言ったよ。

 

 ナアニ、おれのほうよりか西郷はひどい目にあったよ。勝に欺されたのだといって、ソレハソレハひどい目にあったよ。

 外国へ行く者が、よく事情を知らぬから知らぬからと言うが、知って往こうというのが、善くない。何も、用意をしないで、フイと往って、不用意に見て来なければならぬ。

 

 人は、公私相半ばすれば、たいへんなものだ。釈迦や、基督(キリスト)のような人は公ばかりだろうが、その外の人は、なかなか公ばかりということはできぬ。公私相半ばすれば、よほどの人だ。これをこういう都合にといってすれば、もう私だからネ。

 

 孟子は、性善といい、有子は性悪といったが、性善でもなく、性悪でもないようだが、まず、どっちかというと悪いほうが多いようだ。新島襄には、それで、ひどく言ってやったが、怒ってしまった徳富蘇峰でも、海老原弾正でも、呼んでソウ言ったものだ。つぶしておしまいなさい。それから新たにするのだと言ったが、馬鹿にして聴かない。分からないのだもの。みンな、覚えているだろう。

 

 慶喜殿だって、お上からお言葉のあった時、私等一門は、せめてジットして、守護しておりますのが、せめてもの御奉公だと存じますと、言ったら、たいへんに立派になるがネ。それができないよ。そう言わせれば、ツケヤキ刃だからネ。何にもなりゃしない。

 

 おれはまず五十年で。これが国家のいちばん難局に長く当ったものだ。いちばん長いだろう。それでも、知らぬ間に、過ぎてしまったよ。みんな不平を洩らしに来るのだよ。たまったものじゃアありゃしない。外国人だってそうだ。

みな政府が約束を破った末をこっちに持って来るのだもの。

また、書いたものを出そうと思って、あそこに書きかけてあるが、どうも、のぼせるからネ。 

国というものは、決して人が取りはしない。内からつぶして、西洋人に遣(や)るのだ。

 

 
 

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