知的巨人の百歳学(139)-『六十,七十/ボーっと生きてんじゃねーよ(炸裂!)」九十、百歳/天才老人の勉強法を見習え!』★『渋沢栄一(91歳)こそ真の民主主義者、平和主義者』★『「社会事業は私の使命である」が最後までモットー。日米関係を打開するため米国へ老体を鞭打ってわたり、「次回ここに来るときは棺を一緒に乗せてくるかもしれない、それでも私は必要とあらば参ります」と断固たる決意を述べた。』
2017年8月9日記事再録/『晩年長寿の達人/渋沢栄一(91歳)④』
渋沢翁は1926年(大正15)3月の報知新聞の記事「私の長寿法」にはこう書いている。
「87歳(かぞえ)の老体を朝7時から夜12時まで(中略)外相官邸、帝国ホテル、議会、何々会場、やっと夕刻にカブト橋の渋沢事務所でお目にかかる。
死ぬまで生きていたい。生きられるだけ生きたいと存じます。それについては私は近頃、英人ラブソン・スミス氏の健康法を読んですっかり感心してその通りを実行しています。
スミス流を学んでの渋沢栄一の『私の健康法9ゕ条』は次の通りである。
- 不断の活動が必要である。計画を立てて60から90まで活動するがいい。
- 第二には節制である。活動が無理になり、過度になるのは注意せねばならぬ。
- 活動と節制とが車の両輪のように調和する時、元気の要素が生まれる。しかし、真の健康法はかくの如く外形的な事ばかりでは駄目で、精神が大切だ。
- 人事を尽くして天命をまつ。平和そして満足が何より必要であろう。
- 活動、節制、平和が完全に行なわれたら人間は140歳までは生きられる。
- 煩悶、苦悩すべて快活に愉快にこれが私の秘訣です。
- 酒は飲まぬ。タバコは33年前に止めた。食物にえり好みはない。
- わずかの時間をぬすんでは経書(四書五経)を読む。
- かくてニコ二コたる童顔にはあくまでも幸福と健康があふれる。
ーーーーーーー
また、同年10月の時事新報に「渋沢流健康法」という見出しで、次のように書いた。
「西欧では健全なる精神は健全なる身体に宿るというが、自分の経験ではそれは逆であって、精神の直きものこそ健康であると信じている。このほど、自宅で102歳の翁と大倉喜七郎翁と自分が会見した翁三人の合計年齢は279歳であった。
その時の感想も矢張り60以後の健康法は精神の持ち方一つにあると思った。
(中略)色々の養生法もあろうがそれは末の問題である。人口問題などから邪魔にされようがされまいが、人はどうせ年をとる運命に置かれている。老境に臨んでの無病息災こそ望ましいもので、自分は90歳までに、まだ三年あるからなお今後、長寿法を研究して紹介したい」とある。
そして、昭和3年ごろから毎朝必ず、屈身運動(スクワット)をはじめだした。
昭和5年10月、九〇歳の時、亡くなる一年前である。「健康時代」性生活問題号には主治医の林正道氏が「日常生活と健康」と題して渋沢について記事を書いている。その小見出し等を拾うと、
渋沢翁は91歳(かぞえ)とは思えぬ若々しさ
○冬に弱く、夏に強い先生
○死生の間を往来せられた
○血圧が非常に低い
〇一日殆ど2食
○先生の楽しみの第一は読書
○決して他人を叱らない
○先生の日課
○齢よりは確かに30歳はお若い。強いて老境を求めれば薄くなった半白の頭髪と義歯くらいである。新聞のルビを読むことができ、隣室の私語も決してもらさないほど敏感さである。
一度興に乗れば一日1000字位かかれるのは雑作なく、感興至ればとうとう数千言書いても殆ど疲労を感ぜられない時もある。(下略)」
そのころの1日のスケジュールは、相変わらず超多忙で、規則正しい。
日課は、起床午前6時より7時。朝浴(夕浴は殆どとられない)
朝食 午前8時より同8時30分
読書(又は音読、聴取、接客、筆硯)午前9時より同11時
中食(この3ヵ年来、自発的に廃止。倭に紅茶、菓子。たまたま午餐会などに臨まれる時は僅かにスープをとられるだけである)
帰邸 午後5時より同6時
夕食 午後6時より7時
読書(音読、聴取)午後7時―10時(何んと毎日3時間の読書を続けていた)
就寝 午後10時より同11時(昼間仮眠、昼寝は絶対取られず。多少の発熱位では端座して静養される)以上」
食事は70歳代では3回だったが、このころからは2回となる。
「朝食はパン五片(半斤の三分の一)、鶏卵二個(半働)、オートミール一合(牛乳1合)、コーヒ一椀、果物。夕食、飯二椀、吸物一椀、魚一皿(塩焼、煮魚、刺身、酢の物、あるいはテンプラ等肉類は稀に用いられる)、野菜一皿(ナス、大根、サトイモなどを好まる)、果物、以上」
この翌年、最後まで生涯現役で精力的に社会貢献事業に携わり、ピンコロで大往生を遂げた。
――――――――――――――
「社会事業は私の使命である」との晩年のモットーは
最後まで、渋沢の信念そのものだった。アメリカで日米の外交問題についてスピーチした際も、「次回ここに来るときは棺を一緒に乗せてくるかもしれない、それでも私は必要とあらば参ります」と断固たる決意を語っている。
昭和に入り、日米関係がますます険悪化する中で、日米協会会長役をつとめた渋沢は、老体にムチ打って民間外交を推進したのである。
渋沢こそ真の民主主義者、平和主義者である。
「民の力を結集して震災復興を」
日本経済の父 渋沢栄一が挑んだ復興事業
http://godo1949.blog.fc2.com/blog-entry-16.html?sp
関連記事
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(108)/ 記事再録☆『世界からは尊敬され、韓国からは逆恨みされ暗殺された伊藤博文(初代総理大臣)の悲劇』★『日韓コミュニケーションギャップ、反日韓国のパーセプションギャップ(誤解、逆恨み)ルーツがここにある』
日本リーダーパワー史(107) 伊藤博文④日本、韓国にとってもかけがえのない最大 …
-
-
明治裏面史ー明治の国家参謀・黒幕の杉山茂丸の正体は・』杉山ぐらい調法がられる人才は未だかつてない』
明治裏面史 『伊藤博文・山県有朋・児玉源太郎らを自由に操った明治の …
-
-
『知的巨人の長寿学』ー『憲政の神様』尾崎行雄(95歳)の生涯現役・生涯勉強・、健康法とは・・②
『知的巨人の長寿学』の尾崎行雄(95)に学べ②<憲政の神様は92歳 …
-
-
日本リーダーパワー史(237) <日本議会政治の父・尾崎咢堂が政治家を叱る②>『売り家と唐模様で書く三代目』の日本病②
日本リーダーパワー史(237) <日本議会政治の父・尾崎咢堂 …
-
-
日本メルトダウン脱出法(893)「ヒラリー大統領誕生で日米関係はかつてない危機も ニューヨーク・タイムズ紙の辣腕記者が明かすヒラリーの本音」◉「サミットでドイツを協調的財政出動に巻き込めない理由」◉「日本の財政拡大提案が独英の理解を得られない理由」◉「ステージに新総統が登場、垣間見えた「中国離れ」」
日本メルトダウン脱出法(893) ヒラリー大統領誕生で日米関係はかつてない危機も …
-
-
速報「日本のメルトダウン」(490)◎「新著『政治の起源』を フランシス・フクヤマが語るー講演動画(90分)』」(11/8)
速報「日本のメルトダウン」(490) ◎「『政治の起源 …
-
-
百歳学入門(71)『トマト王』のカゴメの創業者蟹江一太郎(96歳)の長寿健康・経営10訓 ②
百歳学入門(71) 日本の食卓に長寿食トマトを広めた「トマトの父」 ・カゴメの …
-
-
『60歳以上の人のための元気学入門講座』平櫛田中(107歳)、鈴木大拙(96歳)の教え」★「六十、七十 はなたれ小僧、はなたれ娘、人間盛りは百から、百から」 平櫛田中』★『人間は過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる。老人は過去から、未来に生きるスイッチに切り換えなさい」(鈴木大拙)』
<写真は24年6月1日午前9時に、逗子なぎさ橋珈琲店テラスより撮影 …
-
-
『Z世代のための日本戦争報道論』★『 戦争も平和も「流行語」と共にくる』★『80年前の太平洋戦争下の決戦スローガン(流行語)』★『人々は「贅沢(ぜいたく)は敵だ」→「贅沢はステキだ」●「欲しがりません勝つまでは」→「欲しがります勝つまでは」●「足りん足りんは工夫が足りん」→「足りん足りんは夫が足りん」』とパロディー化して抵抗した』
2014/10/18 記事再録 月刊誌『公評』<2011年11月号掲載>決戦スロ …
-
-
『Z世代への伊藤博文による明治維新講義①』★『なぜ、ワシは攘夷論から開国論へ転換したのかその理由は?ーわしがイギリスに鎖国の禁を破って密航し、ロンドン大学留学中に 「英タイムズ」で下関戦争の勃発を知り、超大国イギリスと戦争すれば日本は必ず敗れると思い、切腹覚悟で帰国したのだ』
★『1897年(明治30)3月20日に経済学協会での『書生の境遇』講演録から採録 …
- PREV
- 知的巨人の百歳学(138)-『六十,七十/ボーっと生きてんじゃねーよ(炸裂!)」九十、百歳・天才老人の勉強法を見習え!』★『日本株式会社の父』渋沢栄一は83歳で関東大震災を体験、自宅、事務所は全焼した。家族は郷里に避難をすすめた。すると、渋沢は「バカなことをいうな!わしのような老人は、こういう時にこそ働かなければ申し訳ない。それを田舎に行けなど卑怯千万な!これしきの事を恐れて八十年の長い間生きてこられたと思うのか」と怒鳴りつけ、翌日から大車輪で復興の先頭に立った』
- NEXT
- 知的巨人の百歳学(140)-『六十,七十/ボーっと生きてんじゃねーよ(炸裂!)」九十、百歳/天才老人の勉強法を見習え!』★『「日本経済の創始者」/「日本資本主義の父」渋沢栄一(91歳)』★『「論語とソロバン」の公益資本主義を実践、その哲学は「会社の用はわがものと思え。会社の金は人のものと思え」★『年をとっても楽隠居的な考えを起さず死ぬまで活動をやめない覚悟をもつ』