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地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

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2025年は太平洋戦争敗戦から80年目となる。今後1年間、日本終戦80年史を振り返り、断続的に連載する。「終戦」という名の『無条件降伏(全面敗戦)』の内幕②

   

  終戦70年・日本敗戦史(111)

戦後70年を考える—<ガラパゴス日本の『死に至る病』は続くのか③>文明の衝突としての大東亜戦争―玉砕、餓死、自決、捕虜殺害の「人権思想」の対立①

前坂 俊之(ジャーナリスト

「出たとこ勝負」の戦略なき開戦から戦局はどう展開していったのか。真珠湾攻撃、シンガポール、マレー半島の電撃的な制圧による予期せぬ大勝利に大本営は舞い上がってしまった。それは日本軍が国力、軍事力、情報力で圧倒的に強かったためではなく、不意打ちの先制攻撃であり、米国のフィリピン、英国のシンガポール、マレー半島などのアジア植民地は本国から遠く離れた現地軍の兵力、装備、準備不足のせいであった。
この電撃的勝利を日本側は「無敵皇軍、無敵海軍」の実力と過信し「鬼畜米英はたいしたことはない」と慢心増長し「本格的な反攻は1943(昭和18年)以降だろうと・・」と情報を誤断してしまう。
ところが、開戦5ヵ月後の昭和17年4月18日に突然、ドゥーリットル攻撃隊によって東京、名古屋が空襲された。「防空対策は十分で、敵機の空襲はあり得ない」ーと豪語していた大本営はメンツ丸つぶれで慌てふためいた。
山本五十六は急きょ、ハワイに近いミッドウエー島を占領して、太平洋上に絶対国防圏を引いて、日本本土空襲を防ぐ計画を実施、ハワイ作戦でも反対した海軍軍令部はこの作戦にも再び反対したが、ここでも強引に押し切り、虎の子の機動部隊空母6隻を派遣した。米軍の暗号解読とレーダーによって事前に情報が漏れていた。
同年6月5日からのミッドウエー海戦では日本は虎の子空母4隻と熟練した歴戦のパイロット110人を一挙に失い太平洋戦争敗北への分岐点となった。海軍はこの敗戦をひた隠しにし、戦闘員を口封じに前線に飛ばした。大本営はスパイにより情報が漏れた勘違いして国内のスパイ狩りを徹底するお粗末である。

地獄の戦場―ガダルカナル島の戦い

それでも「米軍の反攻は昭和18年から」とタカをくっていた大本営は8月7日に米軍がガダルカナルに突然、上陸したことを知って再び慌てふためいた。そして、いつものごとく短兵急にドロナワ式の作戦を立てた。
このガダルカナル島(当時は英国の保護領)は面積は千葉県ほどのソロモン諸島最大の島で、オーストラリアにも近い。
海軍の前線基地ラバウル(パプアニューギニア領のニューブリテン島にある)
から約1100キロ離れており、ジャワ、インドネシアの石油資源を輸送する海路にあたり、海軍は防衛用の滑走路を建設していた。ここに拠点を作りオーストラリア(英国領)を孤立化させ、米国との海路空路の連絡、補給線を遮断する作戦だっだ。
ところが、このガ島を大本営は全く知らなかった。服部卓四郎『大東亜戦争全史』は、「敵が上陸するまで、海軍がガダルカナルに飛行場を建設し、一部兵力を海軍側が派遣していることを知らなかった」と書いている。
「寝耳に水」の大本営陸軍部は急きょ、ミッドウエー島に上陸させる予定だった一木清直支隊長大佐の1000名の先遣隊を駆逐艦六隻に分乗させて急行させた。制空権がないため輸送船での対戦車用の速射砲など、重い火砲は運ぶことができず軽装備でわずか1週間分の糧食を携行させた。
大本営はすぐに占領できるとみて、銃剣突撃による攻撃を指示、飛行場占領までは射撃を一切禁じる命令を出していた。
8月18日に上陸した一木先遣隊は重火器や戦車で待ちかまえて圧倒的な火力を誇る米軍によって一瞬にして全滅した。ところが、大本営は「戦力の遂次投入という最も愚かな戦法をくりかえし、9,10、11月と次々に部隊を軽装、食糧もないまま銃剣で勝てるという妄想のもとに三万を超す兵士を送り込んだ。世界の戦士史上に残る愚かな作戦指揮が続行された。
食糧は現地調達確保が基本の日本の作戦を実施した。南方のジャングルでのマラリアなどの風土病のリスクも一切無視された。この結果、空腹に耐えかねてジャングルの野生の動物、トカゲ、昆虫、有毒植物まで手当たり次第に食べて中毒、下痢を起こして、やせ細り、動けなくなり衰弱、餓死する兵士が続出する。
ある衛生伍長は「海岸、ジャングル至るところでプーンと鼻をつく死臭、そこここに三人、五人と皮ばかり、或はビヤ樽のようにむくみ、無残にも餓死しておる。中にはまだ生きて目をパチパチしておるうちに、耳、鼻、口と蛆虫がわいている。」(藤原彰「餓死した英霊たち」青木書店 2001年)
と餓死、死体、白骨累々の惨状を報告している。死に行く兵士の間では仲間の命が「あといくらもつか」を次のように見立てたという。
「立つことの出来る人間の寿命は三〇日間」
「寝たきりで起きられない人間は一週間」
「寝たまま小便をするものは三日間」
「またたきしなくなったものは明日」
この間、米軍は12月には海兵師団など新たに5万人を投入、飛行場を3つを建設。兵士は死に行く日本兵をしり目に、たっぷり食事をとり海水浴して休暇をすごし、夜は野外映画劇場で楽しんでいた。この圧倒的な戦力格差、戦争の仕方は文明の衝突そのものである。アメリカの近代戦に対して、日本は500年も前の戦国時代とかわらぬ銃剣突撃の、負けると家臣。女子供も含め家の子 郎党が集団自決する武士の忠君愛藩、切腹主義なのである。「武士道とは死ぬことと見つけたり」の「葉隠」の延長線である。

 

天皇ガラパゴス日本の『死に至る病』

 

「地獄の戦場」「墓場の戦場」の文字通り餓(ガ)島と化した悲惨な戦況は逐一、伝えられたが、大本営は作戦打ち切りの決断ができず二月になってやっと作戦中止を命令し、1万600名を米軍のスキをついて3次に分けて撤退させた。
この時の撤退命令には「患者(歩けない兵士)は絶対に処置(殺害)すること」「残留者は機密書類を残さないようにして敵が来たら自決すること」とあった。
結局、送り込まれた三万の将兵中、敵兵火により倒れたれた者は約五千、餓死は約一万五千、救出された一万の兵力は、栄養失調、マラリア病で、ほとんどが餓死寸前の状態だった、という。(藤原前掲書)
この人的被害と同時に海軍では輸送船約百万トンが米潜水艦などに沈められる致命的損害を受けたのである。大本営はこの作戦の大敗北を「撤退」ではなく,他に部署に「転進」すると大本営発表し、事実を覆い隠した。
このガ島の悲劇は戦争中の最悪の例外的な作戦ではない。
そこが筆者の言う<天皇ガラパゴス日本の『死に至る病』>なのである。太平洋上の砂上の楼閣のでの島々を巡っての争奪戦では、この日本のガ島のような全面敗北が続き、日本守備隊,奪回軍はすべての玉砕、全滅、民間人もともに道ずれ自決、自死、自滅の戦いに追い込まれていった。
広大な太平洋上に「絶対国防圏」の机上の線を引き、点となるわずかの島々に兵力を分散配置し最低の作戦は、日中戦争で広大な中国大陸の点と線の占領を勝利と誤解した大本営の「敵を知らず、己も知らなければ百戦百敗」の作戦を繰り返したのである。

 

冷静、客観的な近代合理精神で考えれば、米国の国力、軍事力、資源力、反撃力は日本の一〇倍以上の格差があり、本気で米国が戦争に立ち上がれば日本はひとたまりもないことがわかるはずである。
「絶対国防圏」を維持する輸送船を動かす石油が不足している、装備も食糧も不足して補給できない「ないないずくし」。さらに米潜水艦や攻撃機による輸送船は狙い撃ちにあい輸送網は切断され、島々は孤立無援で餓死、全滅していったのが実態である。

 

降伏の禁止と玉砕の強制―捕虜政策の転換

 

兵士に「自死」を強制した「生きて虜囚になることなかれ」とした戦陣訓こそ日本軍の本質であり、死ぬまで戦い、最後は自決して、捕虜には絶対にならないならない、他国の捕虜も同じように取り扱ったのである。
ヨーロッパでは中世以来たえず国家間の戦争が繰り返され、その悲惨な戦争体験から戦争の悲劇を少くするために、戦争のルール、捕虜の取り扱いと人権の尊重を認めるハーグ陸戦条約が1899 (明治32)年に成立した。捕虜の人権を尊重し、虐待を禁じた戦時国際法だが、1911(同42)年には日本でも批准、公布した。
これを、さらに拡充したジュネーヴ条約(傷病者、捕虜の待遇改善に関する条約)が1929(昭和4)年に締結されたが、日本はこれは批准しなかった。米英側から大東亜戦争開戦後にジュネーブ条約の適用をするかどうかの照会があったが、これには「準用する」と回答した。
しかし,1941年(昭和16)年1月8日に東條陸相が示達した「戦陣訓」では捕虜を認めず日本兵には降伏、捕虜になることを禁止し、自決を命じた。これ戦争中の「バンザイ突撃」や「玉砕」(全滅)、民間人の自決強制、降伏禁止、敵国の捕虜虐待、虐殺につながった。
「戦陣訓}の「本訓その二」の「第八 名を惜しむ」の一部「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過汚の汚名を残すこと勿れ」とほんの短い文であるが、これが絶対的な「死の掟」となった。

 

●もともと「戦陣訓」がなぜつくられたのかというと 
 
1937 年(昭和12)に支那事変(日中戦争)がはじまってから、日清・日露の戦争ではみられなかった戦場での軍規、風紀の乱れがめだち、「非違犯行」(上官暴行、戦場離脱、強姦、放火、略奪など)がかつてないほど増大した。頭を痛めた陸軍教育総監部は、軍規、風紀粛正のためにこれを作ったのである。
ところが、冒頭にも書いたが、昭和十七年四月十八日のドゥリットル攻撃隊で捕まった米国人飛行士8人に対しては極刑に処して、死刑が宣告だし、その後終身刑とした。ハーグ、ジュネーブ条約違反だが、もともと捕虜になることを禁じた日本としては当然の帰結であった。
昭和十七年四月二十九日、東条英機首相(兼陸相)は「捕虜の取り扱い」について次のように厳命した。
「大東亜戦争は過去における日清、日露戦争とはその性質を異にする。亜細亜の解放戦争である、人種戦争である。故に白人捕虜の取り扱いは国際条約の規定に捉われることなく、次の原則に従って処断すべきである。
  • ①アジアの諸民族に対し日本民族の優秀性を示すために、現地のみならず、満洲、中国、朝鮮、台湾などに収容所を設置すること。
  • ②戦争遂行上に必要なる労力の不足を補うため、働らかざるものを食うべからずとの原則に基き、下士官のみならず、将校も総てその有する特技に応じて労働に服させること」
この結果どうなったのか。緒戦の予期せぬ大勝で、これまた予期せぬ多数の捕虜を抱えることになった日本軍はその処置に困った。しかし、「戦陣訓」に基づき、東條首相(陸相兼務)の指示通りに実行したのである。ただし、このあたりは、東條命令と「ハーグ・ジュネーブ条約」との間の解釈が現地軍トップの間でも混乱していたのは事実である。

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