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知的巨人の百歳学(115)-『100歳でロッキー山脈を滑った生涯現役スキーヤー・三浦敬三(102歳)、長男三浦雄一郎氏(86)の『世界スーパーマン親子の100歳実践トレーニングプログラム』★『 86歳・三浦雄一郎さんの次なる挑戦は→→南米最高峰登頂・滑降へ』

   

『プロスキーヤ・三浦雄一郎(86歳)と父・三浦敬三(102歳)の百歳超人物語』、その驚異の 長寿健康実践法は・・・・

米国ユタ州ロッキー山脈にあるスノーバードスキー場。標高3400メートルの白銀の斜面を三浦敬三は、ゆったりとしたシュプールを描いて滑り降りてくる。2004年2月28日。長男のプロスキーヤー雄一郎、孫の雄大、それにひ孫の里緒ちゃん(四つ)も一緒だ。親子四代と“敬三ファン”150人が参加した敬三の100歳を記念するスキー滑走である。滑り終えた敬三は、「親子四代で滑れて幸せ。まだまだ元気なのであと何年滑れるか楽しみ」と話した。

古希の70歳にはエベレストのシャングリ氷河(五六五〇メートル)の滑降をし、喜寿の77歳のときはアフリカのキリマンジャロ(五八九五メートル)から滑った。その三年後、傘寿の翌年の81歳にはヨーロッパアルプスの九〇キロの氷河を数日かけてスキー踏破した。さらに白寿の99歳のときは、フランスの氷河に挑戦、モンブランの中腹、氷点下二〇度の寒さをついて標高四〇〇〇メートルから滑走した。

そして、〇五年二月、101歳になった敬三は札幌市の「札幌テイネ」で開かれたスキー・スノーボード大会に参加、六キロのコースを滑った。その約一年後に死去するのだが、まさに生涯現役スキーヤーであった。

年間120日、スキー漬けの日々

体重50キロ。小柄のその身体のどこに元気のパワーが潜んでいるのだろうか。長男の雄一郎はこう語る。「父の健康法は巷によくある健康法とは違う。“健康のための健康法”ではなく、いつまでも夢を追い続けるための健康法なのです」。

敬三は「年寄りの冷や水と言われようが、年甲斐もなくと言われようが、そんなことは気にせず、目標に向かって積極的に進んでいくのです。私の場合はその目標がスキーでした。ただスキーをしたいという願いから、食事法やトレーニング法を自分で考えてきたからこそ、今の私があるのだと思います」(『100歳、元気の秘密』祥伝社)と記している。“健康のためのスキー”ではなく、“スキーのための健康”というわけだ。

では、そんな敬三の晩年の日常を追ってみよう。11月、敬三のスキーシーズンが開幕する。恒例になったカナダのスキー場で足慣らしをし、帰国後は東京・練馬の自宅から札幌市郊外のテイネスキー場に居を移す。毎日リフトの運転が始まるとともにゲレンデに飛び出し二時間ほど滑る。

午後は用具の手入れや雑誌などの原稿の執筆、休息にあてる。夕食後はナイターで滑ることもある。二月までテイネで過ごしたあとは東北のスキー場にしばらく滞在し、ヨーロッパのスキーツアーに出かける。敬三がツアーリーダーとして毎年開催しているもので、もう四〇回を超えている。帰国後はさらに雪を求めて青森の八甲田や富山の立山で過ごす。滑り納めは五月下旬、年間一二〇日はスキー漬けの日々なのだ。

質素な食事、医者には行かず

オフシーズンはどうだろう。八歳年下の妻むつを亡くしてからずっと一人暮らしだ。敬三の食事は質素である。

トレーニングもそうだが、なにも難しいことや特別なことはしていない。「一人暮らしだから料理も自分でつくるし、すべて自分でやっているので、凝った料理をつくるなどで手間をかけたくない」というのだ。ごちそうばかり食べていると逆に体調が変になるともいう。

朝夕は玄米食、胚芽米を加えることもある。圧力釜で一回に三合炊く。食べる量は朝夕とも一膳ずつなので、これで三日間はもつ。

魚も骨のまま圧力釜で煮る。骨まで柔らかくなるので総入れ歯だがむしゃむしゃ食べられる。ビタミンDが豊富なキクラゲも必須の食材だ。煮干しの粉末と一緒にこれも圧力釜で煮てしまう。ついでながら煮干しの粉末は自家製で、カルシウムの補強とダシになる。

それに具だくさんのみそ汁、納豆。食事の最後には漬け物を食べる。最後に漬け物を食べると口の中がさっぱりするのだという。デザートには定番の「小豆あん」を食べるが、これも砂糖を入れて圧力釜で煮たものである。昼はサツマイモを電子レンジで温めて食べたりしている。酒は飲まない、いや、飲めない。

朝は簡単体操から始まる。起床すると首をゆっくり前後左右に傾けたり回したりし、次いで大きく深呼吸を繰り返す。ゴムのチューブを使った膝や腕の屈伸運動をし、四〇分ほどのウオーキングをこなす。変わっているのは「口開け運動」だ。大きく口を開けながら舌を思いっきり前に突き出す。

右側、真ん中、左側と三方向に舌を出すのだが、これを一五〇回程度繰り返す。この運動によって老人特有の口の回りの細かいシワや鼻の下のシワがほとんど出なくなったという。老人くさいシワをなくしたいというおしゃれ心から思いついたといい、デスクワークの合間にやれば気分転換にもなると皆に勧めている。老人には老人のトレーニングの方法があり、それは無理をせず徐々に、しかし毎日行うことだと敬三は言う。

ところで病気をしたことはないのだろうか。

そんなことはない。それどころか何度か大病を経験している。まず北海道大学の学生時代に結核菌に冒され肺浸潤にかかり完治までの三年かかった。卒業後、青森営林局に勤めるようになってからは、スキーで右足や右肩の捻挫、打撲、アキレス腱損傷、腰の骨の骨折などを繰り返した。

七二歳のときは、フランスのスキー場で転び右足にひびが入った。七〇代後半には右手の小指が曲がらなくなり手術をしたし、八〇代後半には視力が落ち白内障の手術をした。人工角膜になったが吹雪でもスキーができるくらい回復した。同じころ前立腺肥大で頻尿となったが、これは玄米食で治った。

さらに九六歳のとき、二月に北海道のスキー場で転倒し、たぶん肋骨を骨折した。「たぶん骨折した」というのは、この痛みでは骨折に間違いないと思いながら病院へは行かなかったからである。そう、敬三はよほどのことがないかぎり病院へは行かないことにしている。妻のむつは階段を踏みはずして捻挫したことから札幌の病院へ入院した。

三か月の入院で、痴呆が出るようになったのである。「ベッドに横たわっている以外なにもすることがないという環境が痴呆のきっかけとなった。高齢者の長期入院は怖い」と敬三は思う。極力病院は避け、自分自身の治癒力を信じて治すという考えがさらに強まった。家には薬箱もない。

ただ、その代わり健康診断は毎年必ず受ける。「たぶん骨折」騒ぎが起きた96歳の秋も健康診断を受けた。そのレントゲン撮影で背中が圧迫骨折をしていることが判明したのだ。実に半年以上も経過してからである。大転倒で背骨の骨2つが潰れて変形し縮んでいたのである。

好きなことだけを自然体で生涯続ける

三浦敬三は1904年(明治37)2月に青森市で生まれた。北海道帝国大学林学実科に入学。スケートを始めたが氷が割れて池に落ちたことから興味を失った。それで代わりにスキーを始めたのがその後の人生を規定することになるとは、その時敬三も知る由はなかった。

敬三にとってスキーは趣味ではない。「極めるもの」であった。一〇〇歳になっても「もっとうまくなりたい」が口癖だった。一〇〇歳には一〇〇歳の理想の滑りがある。それを追い求めたのである。座右の銘は「探求一筋」。定年後の第二の人生は、決して「余生」ではないし、好きなことだけを自然体で続けろ、と説いた。

〇六年一月五日、多臓器不全で死去した。雄一郎は「父は一〇一歳まで心からスキーを楽しんだ。父の生き様を見て私は七〇歳でチョモランマに挑戦した。一〇〇歳には一〇〇歳の夢があること、チャレンジし続けることの素晴らしささを教えてくれた。遺志を受け継ぎ一〇〇年の夢のシュプールを描きたい」と語った。

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三浦雄一郎氏、エベレストに登頂、史上最高齢80歳の夢実現

http://www.sankei.com/life/news/130523/lif1305230020-n1.html

三浦雄一郎氏 世界最年長登頂し8201m滑降へ

[2018年1月30日

https://www.nikkansports.com/sports/news/201801300000276.html

三浦雄一郎さんが世界七大陸の最高峰でスキー滑降を成し遂げたのが1985年、53歳の時。

そのあと、達成感から気が抜けてしまったのか運動をやめた。近くの「飲み放題食べ放題」の焼き肉店で腹いっぱい食い飲む不摂生な生活が続き、気がついたら体重は九〇キロ近くも増え、生活習慣病的な「おデブちゃん」となり果てた。

六十代になった頃、狭心症の発作に襲われ入院し、本人は死ぬかとおもった、という。

65歳の時の健康診断では身長164センチ、体重85キロ、血圧95~155、体脂肪率39・5パーセントの完全な肥満型となっていた。

そのころ、一緒に生活していた90歳を過ぎた父・敬三さんはまだまだ夢を追って、挑戦を続けていた。

スーパーおじいちゃん″の異名をとっていた敬三さんは、77歳の喜寿を迎えた際にキリマンジャロ登頂に成功、88歳の米寿ではヨーロッパ屈指のオートルート(山岳スキールート、全長120キロ)完全踏破に成功していた。

三浦さんが65歳になった1998年ごろには、敬三さんは5年後の白寿(99歳)でモンブラン山系最長のバレーブランシュ氷河(全長24キロ)をスキーで滑降する計画に挑戦するとして、日々トレーニングにはげんでいた。

三浦さんは父の100歳を前にしての衰えることのないチャレンジ精神に心を打たれ,自らの不甲斐なさを悔いた。

ちなみに敬三さんはこの後、モンブランスキー滑降にも成功し、100歳を過ぎても、まだまだ年間120日以上もスキーを滑っていた。

2004年7月には、トレ-ニング中に転倒して、鎖骨を折ったが、これまた1から出直トレーニングをはじめた。この時の敬三さんの足の骨密度はなんと60代だった、というから驚く。

三浦さんは父親と比べて我が身を深く反省した。「おれも病気を治して、世界一の山一エベレストを70歳で挑戦してみよう」とやる気にスイッチが入った。

早速、トレーニングのつもりで家のそばの藻岩山(500m)に上ったが、足は痙攣するし、息切れ不整脈で脂汗が出るわで登れなかった。

「六十五歳で五〇〇メートルの山を登れなかったじいさんが8848メートルのエベレストを登れ走ら、こんな面白いことはない」と、生来楽天家の三浦さんは「プラス思考」で走り出した。

当時のエベレスト登頂者の死亡率は14%で、これは20-40代のベテランの登山家での数字で、70歳でのエベレスト登頂の死亡率はどのくらいになるのか、70歳の挑戦は初めてで、大きなニュースになった。

三浦さんは片足5キロ、両方10キロ、これに25キロのリュックサックを背負って歩くトレーニングから始めた。

人間は何歳になっても筋力や体力を向上させることができる。いくら歳をとっていても運動するのに遅すぎることはない。

「人は1日寝たきりでいると筋力が3パーセント低下し、1か月何もしないと30パーセントもの筋肉が落ちる。逆に効果的な運動を半年続けると、5歳若返る。1年続けると、10歳若返る」と三浦さんは言う。

三浦さんは当初は25キロほどの荷物を背負って登れなかった藻岩山にも、半年後には1時間ほどでのぼるようになった。めきめき体力、筋力は回復し、そして1年後には血糖値などのすべての数値もよくなってきた。

狭心症など全部直った。ひざは人工関節にしなさいというのが、足首に重りをつけて歩いているうちに、筋肉がついて半月板も復活して痛みも完全に取れた。エベレスト登頂ごろの骨密度はなんと23歳となっていた。


86歳三浦雄一郎さんの次なる挑戦は・・・・南米最高峰登頂・滑降へ

https://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/20181203-OYT1T50069.html

 

 - 人物研究, 健康長寿, 湘南海山ぶらぶら日記

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