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日本リーダーパワー史(807)『明治裏面史』 ★『「日清、日露戦争に勝利』した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、 インテリジェンス㉒『日露戦争4ゕ月前、『今、信玄』といわれた陸軍参謀本部次長・田村怡与造が急死』★『国家存亡を賭けた日露戦争直前に2代続けて参謀総長(次長)が殉職する大国難に襲われた。ロシアは手をたたいて喜んだが、日本は祈るような気持ちで後任を見守った。』

      2017/05/23

 日本リーダーパワー史(807)『明治裏面史』

★『「日清、日露戦争に勝利』した明治人のリーダーパワー、 

リスク管理 、 インテリジェンス㉒

 

日露開戦4ゕ月前の明治36年10月6日、東京の外相官邸で第一回日露交渉(小村、ローゼン交渉)が開始されたが、ロシア側の態度は依然として強硬で、両国の「パーセプション(認識)ギャップ」が大きく,交渉は暗礁に乗り上げた。外交交渉での解決の道はいよいよ難つかしくなってきた。

ちょうどこの1週間前の9月30日、『参謀次長斃れる!』の大激震が走った。日露戦争の戦略、戦術立案のキーマンの陸軍参謀本部次長・田村怡与造中将が危篤状態に陥った。

静脈炎で入院した日本赤十字社病院の特等病室は、急を聞いて陸軍参謀総長・大山厳を筆頭に陸軍大臣寺内正毅、福島安正参謀本部第2部長ら最高幹部が続々と駆け付けてきた。

日赤病院院長橋本綱常は幕末の志士として著名な橋本左内の実弟である。

橋本院長は、ルヴィン・フォン・ベルツ博士に、使いを出して緊急連絡し、往診を依頼した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%84

しかし、そのかいもなく、翌10月1日午前2時、49歳10カ月で亡くなった。

田村は臨終の際、かすれる意識の中で「寺内閣下は」と呼んで、「陸軍のことは閣下におまかせする」

「心配はいらぬ。すべては次長の君がやってくれたから」との会話が最後となった。

 『日本のモルトケ』川上操六参謀総長の後継者である田村参謀次長は、「今信玄」と異名された智将である。

その智将が対ロシア作戦計画に命を削るほどの苦心惨憺し、過労のために病気になり、8月初旬には猛暑に衰弱して参謀本部の2階の次長室までの階段も、手すりにつかまりながら、あえぎあえぎやっと登りおりする状態だった。

このため、無理矢理に鎌倉に転地療養させられた。

しかし、八月半ば過ぎには上京して、執務に復帰し毎夜、深夜までの情報収集と戦術、兵站立案に没頭していた。

9月29日、久しぶりに体調が回復したと、田村は騎馬して、参謀本部から散歩に出かけた。その途中、馬が暴れたのか、田村は落馬して胸を強打した。赤十字病院に運ばれた。前日夜半まで不眠不休の執務に没頭していたが、破傷風におかされていたのを知らずに心臓の痛むのを我慢していたためか、急に心臓昂進症となった。「夢の中に西郷さんが出て来て、しっかりしろと激励してくれるんだ!」とベットでうわ言を繰り返していた、という。

日露戦争開戦のわずか3ヵ月前のことである。

この日総理大臣の桂太郎は、折からの豪雨をもろともせず田村邸に息せき切ってかけつけ、棺を開き、その痩せこけた頬を撫でながら、「ああ惜しいことをした!」と号泣したといわれる。

大国難迫る状況での相次ぐ参謀総長(次長)の急死に満座頭を上げる者がなかった。

また、当時、桂内閣の内務大臣兼台湾総督・児玉源太郎は、馬車を飛ばしてかけつけたが、臨終には間に合わなかった。

「この時期に田村を失うことは、惜しみてもあまりある。今、薩長を見わたしても、田村に及ぶだけの男は見当たらない」と悲嘆にくれた。

 悲報は、京都無隣庵にいた元帥山県有朋にも届いた。山県は訃電を受けとるや「先に川上操六を失ったのに続き、日本は第二の諸葛孔明を失った」と肩を落とした。この時、明治の国家参謀役の杉山茂丸がたまたま居合わせた。山県はこの電報を手にし大に落胆の状があった。杉山は「日本は第二の諸葛孔明を失へり。然れとも第三の孔明あり。これをも用いるべき」と述べた。

山県はその真意を聞いた。杉山は「第一の孔明は川上操六。第二の孔明は田村恰興造、今や二将軍逝く。第三の孔明は児玉源太郎なり。自分は日清戦争の時、後方における児玉の働きを充分に熟知す(当時、児玉は陸軍次官)。田村の後任は児玉をおいて他にはない」と述べた。

山県はこれを了解したが、当時、児玉は内務大臣として桂内閣の重鎮であった。、とにかく、上京して後任人事を議を進めることとなり、杉山も山県侯に随って上京した。

 児玉は大山元帥の下なれば、喜んて働くと申出たので、内務大臣は桂総理これを兼ね、児玉の次長補職、急転実現を見ることになったーと述べている。(「明治軍事史」より)

 

こうして、国家存亡を賭けた日露戦争直前に二代続けて参謀総長(次長)が憤死するという大国難に襲われた。ロシア側は手をたたいて喜んだが、日本では祈るような気持ちで後任を見守った。

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