前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

百歳学入門(57)スルガ銀行創業者・岡野喜太郎(101歳) 『欲を離れるのが長寿の妙薬』

   

  百歳学入門(57)
 
スルガ銀行創業者・岡野喜太郎(101歳)健康長寿法
① 欲を離れるのが長寿の妙薬
② 『昨日から今日へ、今日から明日へと生きてきた。
百まで生きようとは考えたこともありません
』 
 
前坂俊之(ジャーナリスト)
 
◎『長寿の秘薬は少し飲みにくいかもしれないが、欲を離れるという名の薬ですよ。それが妙薬なのです。』
 
岡野喜太郎(101歳) おかのきたろう186444196566
 
スルガ銀行創設者。地方農村の窮乏を目に明治二十年、貯蓄組合共同社を創設。
 
    
 岡野の面目躍如たる話がある。大昭和製紙の斎藤知一郎社長との間で交わされた禅問答である。『岡野喜太郎の追想』(非売品、駿河銀行刊)で、斎藤新作大昭和製紙専務が紹介している。
 あるとき、斎藤社長が岡野頭取との用談をすませた後に、
 
「岡野さん、あなたの長寿と日常の働きぶりには何か秘訣があるのでしょうか。それをぜひ一つお教えくださいませんか」
 と申し出た。岡野は「これにはね、斎藤さん、岡野家家伝の長寿の秘薬があるのですよ」
と言葉をにごした。斎藤はすかさず「その薬は何という薬ですか、どうして求めればよいのですか」と、たたみかけてきたが、
「息子にすら伝授してないのだから、まだあなたに教えるわけにはいきませんよ」
 と岡野はきっぱりと断った。
 
 ところが、斎藤社長も簡単には引き下がらない。「イヤ、どうしても教えてもらいたい」、「いや教えるわけにはいかぬ」「そこを何とか!」「いや、タメです」としばらくの間、押し問答が続いた。
 
斎藤の熱意についに根負けしたのか、岡野頭取はやおら坐り直し威儀を正し、一息ついて話した。
 
「それでは教えてあげましょう。少し飲みにくいかもしれないが……」と沈黙した後に「それはね、……欲を離れるという名の薬ですよ。それが妙薬なのですよ」とポツリと言った。
これを聞いたときの斎藤社長は「!?!?」と、まさしく唖然、茫然、そして得心して大きくうなずいたのである。
 
 
 昨日から今日へ、今日から明日へ、と生きてきたんです。百まで
 生きようなどとは考えたことはありません。
 
 岡野は1864(元治元)年四月、静岡県沼津市の名主の長男に生まれた。1886(明治
十九)年、二十二歳のときに台風で荒廃した村を救うため、近所の十二軒から月額五十銭を集めて貯蓄組合を始めた。
 
このとき、米1俵=1円50銭だったので、決して小さな金額ではなかった。村人を熱心に説得して設立した貯蓄組合が、現在のスルガ銀行の前身である。
 
十年後には貯蓄額は二万円になり、これを基に資本金一万円の地方銀行を創設、1912〈大正元)年に「駿河銀行」と改称、1923(大正十二)年には五十万円を突破し発展して
いった。戦時中、「一県一村」の銀行合併を押し付けた国策に敢然と抵抗して、自行を守り
抜いた。
 
 一九五三(昭和二十八)年に「岡野式二千万円貯蓄法」を発表して世間をアッといわせた。
1日十円、月に三百円、年六分の複利計算で、八十七年で二千万円になるというもの。
 
実際に積み立てる金額は三十一万円、あとは利息が利息を生む。なんとも気の長い話だが、
これが評判となって、預金者を一挙に増やした。
 頭取在職六十二年、会長在職七年余、実に同銀行と通算七十九年七カ月をともに生きた。
 
「若きより勤倹貯蓄する人は 寿ながく家も栄えん」「義をもって利を興し、その道一を以て之を貫く」 が不易の行訓で、地方銀行の雄と評価されている。
 
 
 
九十歳の時のl日生活は・・・・
 
 早起きが若い頃からの習慣で、七十頃までは日の出と共に起きたが、老人の早起きは家人が迷惑するので、今は毎朝七時に床を離れる。
 
朝食をゆっくりすませて、九時半頃、迎えの自動車で銀行に出る。耳は遠いが眼はまだしっかりしている。銀行では頭取として必要な書類に、一応みな目をとおす。来客や仕事の手すきをみて新聞などはこくめいによむ。中食の弁当は家から持参して、よそからも取らないし、よそへも出かけない。
 
 銀行から帰るとすぐ風呂に入る。以前はすっぽり肩まで湯につかったが、いまは乳の辺までにとめ、その代りゆっくりあたたまることにしている。
食べ物は美味は求めないが、栄養分はとるようにする。ごはんは軽く一杯、副食物を多くたべる。好きな物は野菜の煮付と玉子の半熟、弁当にもかならずこれを添える。酒も煙草もやらぬが、番茶に蜂蜜を入れてしょっちゅうすする。夜は十時にはどんなに忙しくても床に入る。
 
 九十一歳のとき、沼津に五階建ての本店ビルを新築したが、エレベーターが設計図にあ
るのを見て怒り「運動不足になるので、やめとけ」とつけさせなかった。開店式のとき、
屋上の式場まで真っ先に上って行ったのは岡野だった。
                                         
 九十六歳のインタビューで、「六十歳から肉を食べない。魚は少し。御飯は軽く一杯、副
食物はタマゴ、野菜、蜂蜜など。とくに、野菜の酢の物を好む。峰蜜は一食にさじ二杯を
薄い番茶に入れて飲みます」と答えている。

 - 健康長寿

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

「オンライン決定的瞬間講座・日本興亡史」⑬」★『国会議員63年間のギネス政治家・尾崎行雄(96歳)の「昭和国難・長寿逆連突破力』★「日本盛衰の原理はー売り家と唐様で書く三代目」で不敬罪で82歳で起訴される』

  第5章―国会議員63年間のギネス政治家・尾崎行雄(96歳) ますま …

no image
『リーダーシップの世界日本近現代史』(101)記事再録/アメリカの石油王・ジョン・ロックフェラー(97歳)「私の健康長寿の8ヵ条」★「 経営の秘訣は数学 ・数学・数学・すべて数学が第一だ。いかなる場合でも』

  2015/09/10/知的巨人たちの百歳学(120)再録 …

『MF・ワールド・カメラ・ウオッチ(1)』 「フィラデルフィアぶらぶら散歩(5/9-5/13)

『MF・ワールド・カメラ・ウオッチ(1)』 「フィラデルフィアぶらぶら散歩(5/ …

no image
知的巨人の百歳学(152)記事再録/日本リーダーパワー史(266)-『松下幸之助(94歳)★『人を育て、人を生かすー病弱だったことが成功の最大の要因』

  2012/05/29 /日本リーダーパワー史(266) …

『逗子なぎさ橋珈琲テラスから散歩した逗子海岸風景(24年4月2日午前8時)』●「キスの投げ釣りで10cm以上が1時間で3,4匹は釣れていたよ‼」
no image
日本メルトダウン脱出法(833)「長期金利が史上初のマイナス、世界的金利下げ圧力-20年まで過去最低 」●「日本国債の7割が水没、マイナス金利策で先行のドイツ国債に追い付く」●「IEA:世界の石油過剰供給見通しを引き上げ-OPEC増産で」●「逆オイルショック:世界経済に与える衝撃は予想以上、サウジが18年破綻の見方も」

 日本メルトダウン脱出法(833)   日経平均900円超安、安全求め …

知的巨人たちの百歳学(114)長谷川如是閑(93歳)「他からわずらわされぬ悠々自適の暮しが健康法」「「老人になって子供に帰ったのではなく、20歳前後の気持を持ち続けているだけ」

  知的巨人たちの百歳学(114) 長谷川如是閑(93歳)の悠々自適 「他からわ …

no image
知的巨人の百歳学(151)ー 東西思想の「架け橋」となった鈴木大拙(95歳)―『禅は「不立文字」(文字では伝えることができない)心的現象』★『「切腹、自刃、自殺、特攻精神は、単なる感傷性の行動に過ぎない。もつと合理的に物事を考へなければならぬ」』

東西思想の「架け橋」となった鈴木大拙(95歳) 前坂 俊之(ジャーナリスト) J …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(173)記事再録/「山本権兵衛(海軍の父、首相)を激賞した福沢諭吉(上)」★『「山本権兵衛は実にエライ男だ、彼は唯の軍人でない、学者だ、全体、薩摩(鹿児島)のヤツには数字の分らぬ男が多いが、彼は徹頭徹尾、実学(現実論)に根拠する話のできる男だ」』

    2015/01/05 &nbsp …

『オープン講座/ウクライナ戦争と日露戦争➂』★『ロシア黒海艦隊の旗艦「モスクワ」が撃沈された事件は「日露戦争以来の大衝撃」をプーチン政権に与えた』★『児玉源太郎のインテリジェンス・海底ケーブル戦争』★『マルコー二の無線電信発明(1895年)から2年後、逓信省は東京湾56キロの通信に成功、海軍艦艇の遠距離無線通信を完成』★『連合艦隊の32艦すべてに世界最新式の三六式無線電信機を配備した』★『日本海海戦で世界海戦史上最高のパーフェクト撃滅を達成した東郷平八郎司令長官』★『世界的な情報通信網と通信技術、インテリジェンスと英米日の三国同盟で日露戦争に勝利した』

  2011/11/30    …