百歳学入門(57)スルガ銀行創業者・岡野喜太郎(101歳) 『欲を離れるのが長寿の妙薬』
百歳学入門(57)
スルガ銀行創業者・岡野喜太郎(101歳)健康長寿法
① 『欲を離れるのが長寿の妙薬』
② 『昨日から今日へ、今日から明日へと生きてきた。
百まで生きようとは考えたこともありません』
百まで生きようとは考えたこともありません』
前坂俊之(ジャーナリスト)
◎『長寿の秘薬は少し飲みにくいかもしれないが、欲を離れるという名の薬ですよ。それが妙薬なのです。』
岡野喜太郎(101歳) おかのきたろう1864・4・4~1965・6・6
スルガ銀行創設者。地方農村の窮乏を目に明治二十年、貯蓄組合共同社を創設。
岡野の面目躍如たる話がある。大昭和製紙の斎藤知一郎社長との間で交わされた禅問答である。『岡野喜太郎の追想』(非売品、駿河銀行刊)で、斎藤新作大昭和製紙専務が紹介している。
あるとき、斎藤社長が岡野頭取との用談をすませた後に、
「岡野さん、あなたの長寿と日常の働きぶりには何か秘訣があるのでしょうか。それをぜひ一つお教えくださいませんか」
と申し出た。岡野は「これにはね、斎藤さん、岡野家家伝の長寿の秘薬があるのですよ」
と言葉をにごした。斎藤はすかさず「その薬は何という薬ですか、どうして求めればよいのですか」と、たたみかけてきたが、
「息子にすら伝授してないのだから、まだあなたに教えるわけにはいきませんよ」
と岡野はきっぱりと断った。
ところが、斎藤社長も簡単には引き下がらない。「イヤ、どうしても教えてもらいたい」、「いや教えるわけにはいかぬ」「そこを何とか!」「いや、タメです」としばらくの間、押し問答が続いた。
斎藤の熱意についに根負けしたのか、岡野頭取はやおら坐り直し威儀を正し、一息ついて話した。
「それでは教えてあげましょう。少し飲みにくいかもしれないが……」と沈黙した後に「それはね、……欲を離れるという名の薬ですよ。それが妙薬なのですよ」とポツリと言った。
これを聞いたときの斎藤社長は「!?!?」と、まさしく唖然、茫然、そして得心して大きくうなずいたのである。
∫
昨日から今日へ、今日から明日へ、と生きてきたんです。百まで
生きようなどとは考えたことはありません。
岡野は1864(元治元)年四月、静岡県沼津市の名主の長男に生まれた。1886(明治
十九)年、二十二歳のときに台風で荒廃した村を救うため、近所の十二軒から月額五十銭を集めて貯蓄組合を始めた。
このとき、米1俵=1円50銭だったので、決して小さな金額ではなかった。村人を熱心に説得して設立した貯蓄組合が、現在のスルガ銀行の前身である。
十年後には貯蓄額は二万円になり、これを基に資本金一万円の地方銀行を創設、1912〈大正元)年に「駿河銀行」と改称、1923(大正十二)年には五十万円を突破し発展して
いった。戦時中、「一県一村」の銀行合併を押し付けた国策に敢然と抵抗して、自行を守り
抜いた。
一九五三(昭和二十八)年に「岡野式二千万円貯蓄法」を発表して世間をアッといわせた。
1日十円、月に三百円、年六分の複利計算で、八十七年で二千万円になるというもの。
実際に積み立てる金額は三十一万円、あとは利息が利息を生む。なんとも気の長い話だが、
これが評判となって、預金者を一挙に増やした。
頭取在職六十二年、会長在職七年余、実に同銀行と通算七十九年七カ月をともに生きた。
「若きより勤倹貯蓄する人は 寿ながく家も栄えん」「義をもって利を興し、その道一を以て之を貫く」 が不易の行訓で、地方銀行の雄と評価されている。
九十歳の時のl日生活は・・・・
早起きが若い頃からの習慣で、七十頃までは日の出と共に起きたが、老人の早起きは家人が迷惑するので、今は毎朝七時に床を離れる。
朝食をゆっくりすませて、九時半頃、迎えの自動車で銀行に出る。耳は遠いが眼はまだしっかりしている。銀行では頭取として必要な書類に、一応みな目をとおす。来客や仕事の手すきをみて新聞などはこくめいによむ。中食の弁当は家から持参して、よそからも取らないし、よそへも出かけない。
銀行から帰るとすぐ風呂に入る。以前はすっぽり肩まで湯につかったが、いまは乳の辺までにとめ、その代りゆっくりあたたまることにしている。
食べ物は美味は求めないが、栄養分はとるようにする。ごはんは軽く一杯、副食物を多くたべる。好きな物は野菜の煮付と玉子の半熟、弁当にもかならずこれを添える。酒も煙草もやらぬが、番茶に蜂蜜を入れてしょっちゅうすする。夜は十時にはどんなに忙しくても床に入る。
九十一歳のとき、沼津に五階建ての本店ビルを新築したが、エレベーターが設計図にあ
るのを見て怒り「運動不足になるので、やめとけ」とつけさせなかった。開店式のとき、
屋上の式場まで真っ先に上って行ったのは岡野だった。
九十六歳のインタビューで、「六十歳から肉を食べない。魚は少し。御飯は軽く一杯、副
食物はタマゴ、野菜、蜂蜜など。とくに、野菜の酢の物を好む。峰蜜は一食にさじ二杯を
薄い番茶に入れて飲みます」と答えている。
関連記事
-
-
『70-80代で世界一に挑戦、成功する方法③』★『長寿は芸術であり、創造者は長寿となる』★『 長寿の秘密「長寿遺伝子」のスイッチをオンにせよ』★『日野原先生流は「腹7分の1日1300キロカロリー」の食事減量』★『三浦敬三・雄一郎親子の運動、スクワット、筋トレの実践』
2018/04/18 『百歳学入門』(225)記事再編集 『長寿は …
-
-
百歳学入門(44)カルピス創業者・三島海雲(96)の健康法>一に散歩、二に日光浴、三に食養生。早朝散歩と日光浴を毎日実行。
百歳学入門(44) <カルピス創業者・三島海雲(9 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史]』(25)-記事再録/トランプ大統領は全く知らない/『世界の人になぜ日中韓/北朝鮮は150年前から戦争、対立の歴史を繰り返しているかがよくわかる連載⑵』ー(まとめ記事再録)『日中韓150年戦争史の連載70回中、21-35回までを再掲載)
日中韓異文化理解の歴史学(2)(まとめ記事再録) 『日中韓150年戦争史の原因を …
-
-
鎌倉カヤック釣りバカ日記(12/22)『カワハギはどこへいったの?「鎌倉海」は死滅しつつあるのか。★『1年前とはこんなに変わった豊穣の海・鎌倉海は海藻が死滅、魚の棲み家もなくなったのか』
鎌倉カヤック釣りバカ日記(2018/12/22/pm8-12)ーカ …
-
-
『Z世代のための日中韓外交史講座⑫』★『 日中韓のパーセプションギャップの研究』★「日本の中国異端視を論ず」(申報、1887年6月3日付)」★『中国人の思考形式、中華思想と西欧列強(日本も含む)のパーセプション(認識)ギャップ(思い違い)がよくわかる』
2019/10/01 /『日中韓150年戦争史』㉚ 2014/08/ …
-
-
『オープン講座/ウクライナ戦争と日露戦争➄』★『国家予算、軍事力とも約10倍のロシアに日露戦争開戦に踏み切った児玉源太郎の国難突破決断力②』★『ロシアと戦ってきっと勝つとは断言できないが、勝つ方法はある』★国破れて何の山河じゃ。ロシアの無法に譲歩すると国民は必ず萎縮し、中国、インドと同じ運命に苦しみ、アジアは白人の靴で蹂躙され、植民地からの脱却は何百年も先となるぞ』
2017/05/27日本リーダーパワー史(815)記事 …
-
-
百歳学入門(244)-『人助けのスーパーマン/尾畠春夫さん(78歳)の行動力とその人生哲学に心を打たれた。これぞ<本物人間>と比べて、わが偽善の人生を反省する』
玄関前に「山口に行ってきます」と書き置き…2歳児発見“スーパーボラ …
-
-
歴代総理大臣の名言・迷言集①』『歴代総理大臣の血圧測定』★『こんな面白くない<商売>をしていて、酒やタバコをとめられてたまるものか』(吉田茂首相)
2019/07/07日本リーダーパワー史(982)記事再録 『総理大 …
-
-
鎌倉カヤック釣りバカ日記(2,020/4/3am730-11)➀-「コロナパニックを吹き飛ばせ」とキス竿が折れんばかりのカワハギ(25㎝)、大サバ(35㎝)が釣れたよ、こいつは春から縁起がいいね。
コロナ自粛で自宅に閉じこもっていると気分も体力もなえて、フニャフニ …
