前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

知的巨人たちの百歳学(137)『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボルー歌手・淡谷のり子(92)、最後の長岡瞽女・小林ハル(105) 

   

 

 知的巨人たちの百歳学(137)

『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボルー

歌手・淡谷のり子(92)、最後の長岡瞽女・小林ハル(105) 

  • 「若く美しくありたいなら、トイレは我慢しないことよ」淡谷のり子

  • 「すべては神様、仏様のお導き。すべてを受け入れ許すことで、自分も救れる」(小林ハル)

「若く美しくありたいなら、トイレは我慢しないことよ」

92歳 歌手 淡谷のり子(1907年8月12日~1999年9月22日)

ブルースの女王、そして日本のシャンソン界の先駆者。地方コンサートを本格的に始めたのは72歳からであった。北海道から沖縄までハードなスケジュールだったが、嬉々としてこなした。冒頭の言葉と「嫌いなことはくたびれるけど、好きなことをするならむしろ若返るものよ」。これが淡谷の健康の源である。

彼女の健康を支えたものは食事と独特の美容法だ。

大の和食党で朝食はご飯と味噌汁と梅干、そして納豆、漬物、シャケ、野菜サラダが定番。食後には果物。肌に悪いとコーヒーは飲まず、よく飲んだのがレモンスカッシュと牛乳、中国茶である。

若い頃は大酒飲みのヘビースモーカーだったが、歌手生命の寿命を縮めるからと禁酒・禁煙。昭和26年、資生堂にエステティックサロンが誕生すると全身美容の常連となって美肌の手入れを始める。

仕事の無い日は一切、化粧をしない。肌を痛めることを知っていたからだ。毎日ぬるめのお湯に小一時間ほどつかり、その日の疲れを取る。

80代からは自宅の庭や周辺の散歩を日課とした。医師に骨の老化を指摘されたからだ。日々のボイストレーニングも格好の健康法となっていた。「複式呼吸はヨガや気功など東洋の健康医学の基本理念。私の歌い方は複式呼吸の唄法だから、それが自然に健康へと導いていたのかもしれません」。

「若く美しくありたいなら、トイレは我慢しないことよ」。これは女優マレーネ・デートリッヒの受け売りである。年を気にして水分補給、排尿を我慢すると肌はかさつき、溜まった尿の毒が肌や美容に悪影響を与えるという。日々の積み重ねが美肌を保った。

「この年になっても歌える幸せを噛みしめています。喜んで聴いてくださるお客様の心が私を呼ぶのです

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「すべては神様、仏様のお導き。すべてを受け入れ許すことで、自分も救われる」

105歳 最後の長岡瞽女 小林ハル (1900年1月24日~2005年4月25日)

小林ハルが瞽女(ごぜ)として入門したのは5歳のときである。

厳しい師匠の下での稽古は幼いハルを泣かせた。三味線の弦を押さえる指はすぐに皮がむけて血が吹き出る。真冬の寒稽古では足が凍傷になり歩行困難となった。さらに強制的発生で喉を痛め、咳をすると出血した。家族のためこうした稽古を14年間、21歳になるまで続けた。

瞽女の世界では師匠と姉弟子は絶対であり、口ごたえや批判などは許されない。それ犯せば厳しい折檻が待っている。生死にかかわる罰をハルは何度も受けた。師匠が教えてくれた唄とは違う唄を唄い、山中に置き去りにされた。

男もののシャツを洗濯したとの理由から、殴る、蹴るの折檻を受けた。年上の手引き役の女からは逆恨みをかい、杖で局部を傷つけられて子供が産めない体となってしまった。それでもハルは詫びを入れるしかなかった。瞽女としてしか生きられなかったからである。

21歳のときにようやく独立。親方となって収入と生活は安定したかに見えた。しかし4歳の養女を急性肺炎で失ったり、弟子の男関係や不祥事に悩まされ続け、穏やかな生活はなかなかやってはこなかった。こうした逆境にあってハルが会得したもの、

それが冒頭の言葉。

「嘆き悲しんだり、怒りに任せても仕方ない。すべてを受け入れてこそ人生なのだ」。

73歳で瞽女を廃業。養護盲老人ホームに入所して初めて穏やかな生活と心境を手にしたハルは、自身がもつ瞽女唄の全曲の記録録音作業を開始、78歳で文化庁から無形文化財に選ばれ、79歳で黄綬褒章、102歳で吉川英治文化賞を受賞した。辛酸続きの忍従生活がもたらした晩年の幸福である。

 - 人物研究, 健康長寿

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

知的巨人たちの百歳学(131)『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボル・平櫛田中翁(107歳)の気魄に学べー『いまやらねば いつできる わしがやらねば だれがやる』

 知的巨人たちの百歳学(131) 『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボル …

no image
知的巨人の百歳学(155)/記事再録/百歳学入門(46)原安三郎(98歳)「いつでも平常心を持って急迫の事態にも冷静に対応し、判断せよ」長寿10ヵ条とは

  2012/08/11  百歳学入門( …

『リーダーシップの日本近現代史』(64)記事再録/『天才老人NO1<エジソン(84)の秘密>➁落第生 アインシュタイン、エジソン、福沢諭吉からの警告』★『天才、リーダーは学校教育では作れない』★『秀才、優等生よりは、落ちこぼれ、落第生の方が天才になれるのよ』

    2014/07/17 &nbsp …

no image
現代史の復習問題/「延々と続く日韓衝突のルーツを訪ねる⑥ー日清戦争敗北後の中国紙『申報』1895(明治28)年2月21日付『『日本が中国と講和すべきを建議す』

2011年3月15日の記事再録中国紙『申報』が報道する『日・中・韓』戦争史 &n …

no image
日本のメルトダウン(538)海外活躍選手の勝負脳に学ぶ>●「岡崎慎司独占インタビューVol.1:◎「早くも偉大な才能を見せつけた田中将大」

   日本のメルトダウン(538)   …

no image
 日中朝鮮,ロシア150年戦争史(50)ー副島種臣外務卿(外相)の証言②『明治の外交の争点はいつも朝鮮問題』 日清、日露戦争の原因は朝鮮をめぐる清国、 ロシア対日本の紛争である。北朝鮮問題のルーツ・・

 日中朝鮮,ロシア150年戦争史(50) 副島種臣外務卿(外相)の証言―② 『明 …

★『Z世代のための日本人セレブの歴史研究』★『192,30年代に芸術の都・パリで世界一の『プレーボーイ』は誰でしょうか?』★『滞仏三十年、使った金は約500億、花の都パリで豪遊したバロン-サツマこと薩摩治郎八ですよ」

逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/10/11/am700) 2009/12/ …

『Z世代のための中国近代史講座①』『辛亥革命100年で孫文を助け、辛亥革命を成功させた最大の日本人は宮崎滔天で、宮崎家は稀有な「自由民権一家」であった。(上)

2011/10/21  日本リーダーパワー史(201)記事再編集&nb …

no image
日本リーダーパワー史(154)野球の神様・川上哲治の『常勝の秘訣』とはー「窮して変じ、変じて通ず」

 日本リーダーパワー史(154)  「国難脱出に名将から学ぶ」 (野球 …

『Z世代への昭和史・国難突破力講座㉗』★『本田宗一郎の名語録10ヵ条』★『成功は失敗の回数に比例する』★『どんな発明発見も他人より一秒遅れれば、もう発明、発見でなくなる。』★『時間こそすべての生命』★『頭を使わないと常識的になってしまう、頭を使って〝不常識″に考えろ』などなど』

日本リーダーパワー史(733)    2016/0 …