前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(502) 勝海舟の外交突破力④オランダ、イギリスとの紛争をアッっという間に解決した>

   

  日本リーダーパワー史(502

 

 

いま米国の一国支配構造は崩れ、中国の躍進で国際秩序は大きく変化

している。そんな中で、憲法改正、集団的自衛権の論議、TPP加入問題、

尖閣問題などによる日中韓との対立の長期化懸念―など外交的懸案

が山積しているが、<外交力のある政治家>がいないのである。

明治維新の国難で幕府側の外務大臣(実質首相兼任)の、

勝海舟の外交突破力を見習え。④

 三国干渉くらい朝飯前だよ。幕府がオランダから購入した軍艦

「開陽丸」のお雇い海軍士官をめぐるオランダ、イギリスとの紛争を

アッっという間に解決したタフネゴシエータぶり>

 

 

前坂俊之(ジャーナリスト)

  

「海舟先生氷川清話」(吉本襄 撰著 大文館書店 1933)にみる勝海舟「外交談」

 

 

 

三国干渉くらい朝飯前だよ

 

             

 そこで、さういふ小さい量見(りょうけん)であるから、やれ外交が面倒だとか、これほど困難な仕事はないとかいって、はしの上げ下げにまで泣面をするが、おれにはいっさいこの人達の気が知れない。

 

 

 まあ聞きなさい、御一新前にはかういふことがあったよ。幕府から開陽丸といふ軍艦を、和蘭(オランダ)に注文した時に、榎本武揚や赤松則良(大三郎)などを、海軍伝習生として、和蘭に派遣したよ。

 

ところがちゃうどそれが出来上って、いよいよ日本へ回航して来る時分には、この伝習生らも、少しは海軍の様子が解って来たものだから、自分で開陽丸を乗り廻して、日本へ帰って来た。

 

さあ、この時のことだが、改陽丸には、幕府から雇ひ入れた和蘭(オランダ)の海軍士官十三名といふものが、日本の海軍御雇師として便乗して来たのだ。

 

 

 ところが、これが図らずも外交上のひと悶着の種となったのだ。それをなぜといふに、これより先き、英吉利(イギリス)の海軍士官を、日本の御雇教師として、かねて頼んでおいたので、和蘭の士官の方が、まだまだ到着しないずつと以前に、早や日本へ来て居たのだ。

 

そこへ重ねて、和蘭からもの度、雇い入れたといふのだから、和蘭の士官も、英吉利の士官も、双方ながら大怒りに怒ったのさ。

 

 まづ、和蘭の海軍士官は、かういふことを言って怒り出した。

 

「全体われわれは、和蘭国王からの勅命をもって、幕府に雇われて来たものだ。その雇われて来るのにも、無条件ではない。是の海軍を、われわれ和蘭士官の一手で、教育して貰ひたいといふ御申出によって来たものである。それを何

ぞや、われわれを差し措いて、英吉利から教師を頼むなどとは、実に以ての外の事である」と言ふ。

 

                               もつ  

それからまた英吉利(イギリス)の方で見ると、「全体幕府は、われわれ英吉利海軍士官に、日本の海軍を一手に教育してくれとあるからして、はるばるこの極東までやって来たものだ。しかるに、今更、無断で和蘭の士官を雇い入れ、しかそれに、海軍教育の全部を一任するなどといふ約束をするとは、われわれ

の顔へ泥を塗るものだ。かうなった上は、われわれに対してお結びになった約束は、どうせられるお考へであるか」と理くつをいふ。

 

 

さー大変なことが持ち上ったといふ急で、幕府の外国奉行達は、かの三国干渉当時の伊藤さん(博文)や、睦奥さん(宗光)と同じく、大狼狽(おおあわて)に狼狽へて、やれ今日も相談で御座る、やれまた明日相談で御座ると、

毎日毎日、相談ばかりに日を暮したけれども、どうして始末を付けてよいやら、とんとまとまりが付かなかつた。

 

そこで、奉行達から、おれのところへこの始末を付けてくれと頼みに来た。おれは、この時分には、もはや外国語も使って居るし、外国人にも幾らか名前が知れて居るし、外国の事情にも相応には通じて居たから、それで是非に御頼み申すと泣き付いて来たのだ。

 

そこで、おれはすぐに、外国奉行などが額を集めての、相談最中の席へ罷り出て、

 

『皆様方において、この度の一件の善後策を、勝に御頼みなさるといふ御事ならば、私はあらかじめ一応申上げておかなければならないことが御座ります。

 

そは、別儀ではない。もしこの事件に関するいっさいの全権を私に御任せに相成らば、私は万事御引き請け申して、幕府には少しも御迷惑を相かけないやう御取り計らひ致しませうが、しかしながら左様でなくて、たゞ一部分のみを御任せになって、談判の進行中に、私を制肘せられるやうなことならば、私は真平御免(まつびらごめん)を蒙ります』と、かう申出た。

 

さうしたところが奉行達もこの際、困り切って居る最中だったから、「何条異存を申すべき、全権を任せて勝さんに御頼み申します」と言ったから、

 

それではと、おれは直ちに開陽丸へ舟を漕ぎつけて、まづ和闇の方から談判に着手した。和蘭公使にも無論立会はせておいて、さて、おれは、

 

『幕府はいろくの入り組んだ事情が御座いまして、せっかく皆様が万里の波涛を破って、はるばるここまで来て下さいましたけれども、到底今のところでは、この折り重なって居る事情のために、皆様を御頼み申しておくわけには参りません。

 

 

その代りに、皆様方の約束の報酬三年分は、只今一時に差上げますから、一まづ帰国して下さい』と言ひ出した。

 

全体この場合では、とにかく理由がなくつて約束を破るのだから、なかなか、やかましいのは、初めから覚悟して居たのだが、しかし向ふもおれの顔に免じて、思ったほどはやかましい理くつも言わずに、たうとうおれの申出の通り承知してくれて、和蘭士官は、一同折りかへして帰国することとなった。

 

そこで、おれは気転を利かして、一同を築地のホテルへ連れて来て、酒肴料として金を千両くれてやった。さうしたところが、大層おれに礼を言って帰った。

 

                                つづく

 

 

 

 - 現代史研究 , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン講座/総理大臣と日銀総裁の決断突破力の比較研究』★『<男子の本懐>と叫んだ浜口雄幸首相は「財政再建、デフレ政策を推進して命が助かった者はいない。自分は死を覚悟してやるので、一緒に死んでくれないか」と井上準之助蔵相を説得した』

 2019/10/23  『リーダーシップの日本近 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史]』(28)-記事再録 2014/12/09 /安倍首相は「土光臨調」で示した田中角栄の最強のリーダーシップを見習えー『言葉よりも結果』

  2014/12/09 /日本リーダーパワー史(533) …

知的巨人たちの百歳学(107)ー『世界天才老人NO1・エジソン(84)<天才長寿脳>の作り方』ー発明発見・健康長寿・研究実験、仕事成功の11ヵ条」(上)『隠居は非健康的である。死ぬまで研究、100歳までは引退しない』

   再録 百歳学入門(93) 「世界天才老人NO …

no image
『東京裁判のその後』ー裁かれなかったA級戦犯 釈放後、再び日本の指導者に復活した! 

裁かれなかったA級戦犯 釈放後、再び日本の指導者に復活!             …

no image
速報(286)『世界初の内部被曝研究会が発足、総会を開催ー肥田舜太郎氏『内部被曝の真実』『『澤田昭二氏の講演』①

速報(286)『日本のメルトダウン』 ●『世界で初めての内部被曝研究会が発足、総 …

『オンライン/藤田嗣治講座』★『1920年代、エコール・ド・パリを代表する画家として、パリ画壇の寵児となった藤田は帰国し、第二次世界大戦中には数多くの戦争画を描いたが、戦後、これが戦争協力として批判されたため日本を去り、フランスに帰化、レオナール・フジタとして死んだ』

  2010/01/01    前坂 俊之(静岡県 …

日本の最先端技術『見える化』チャンネル★5『TOKYO GAME SHOW 2016』(『東京ゲームショウ2016』(9/15-18)の全ブースを動画紹介、SHOW UP!①

 日本の最先端技術『見える化』チャンネル 『東京ゲームショウ2016』(9/15 …

no image
知的巨人たちの百歳学(165)ー『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボル・植物学者・牧野富太郎(94)植物学者・牧野富太郎 (94)『草を褥(しとね)に木の根を枕 花を恋して五十年』「わしは植物の精だよ」

    94歳 植物学者・牧野富太郎 (1862年5月22日 …

no image
『F国際ビジネスマンのニュース・ウオッチ(99)』内向き志向の強い日本人へ、現実を正確に直視させるのがジャーナリズムの役割

  『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(99)』 &n …

no image
速報(407)『日本のメルトダウン』『景気認識が好転=「アベノミクス」効果か』『日経平均2万円超え長期繁栄の予兆=武者陵司氏』

    速報(407)『日本のメルトダウン』 &n …