『国難の研究』日露戦争開戦の外交交渉の経過と政府の対応③『明治の国家参謀』怪傑・杉山茂丸の証言
―国難の研究―
日露戦争開戦の外交交渉の経過と
政府の対応③-
政府の対応③-
―『明治の国家参謀』怪傑・杉山茂丸の証言―
前坂俊之(ジャーナリスト)
① 日露戦争勝利の第一の要件は陸軍では山県有朋、川上操六参謀総長らの戦略、海軍では山本権兵衛の戦略と小村寿太郎ら外務省の外交戦略とが三位一体で調和し、緊密な連絡により『元老会議』などで、総合調整1本化して、参謀指揮命令系統をトップダウンでスピーディーに行ったこと。
② このためには強力で総合判断力をそなえた適材適所の人材の配置が必要だが、明治の諸葛孔明といわれる川上操六、田村恰興造、児玉源太郎が見事にバトンタッチされて、陸軍参謀総長(次長)となって、国難に最強の布陣を引くことができた。こうした人材を早くから海外留学によって、勉強させて養成してきた明治初期の人材育成の取組、システムに学ぶ必要がある。
③ 杉山茂丸については明治史の教科書には登場しない人物である。登場しないというか、無視されてきた人物である。とくに右翼、大陸浪人,玄洋社のメンバーとして、歴史学では抹殺されている人物だが、この中にトップシークレットの「無隣庵会議」に、山県、伊藤、児玉の影の参謀として、1浪人ながら登場しているように、明治史の主要な事件の陰には杉山の存在があると言われたほどの重要人物である。
④ 杉山の軌跡の解明なくしては明治権力史の構造はわからないといっても過言でない。
その杉山は明治政府のインテリジェンス(情報諜報機関)長官的な役割を果たした。
杉山は玄洋社の頭山満との盟友関係をバックに、その抜群の行動力、コミュニケーション力、交渉力をいかしてアメリカのCIA長官、大英帝国の諜報機関(SIS)、イスラエルのモサド、ソ連、ロシアのKGBなどに比肩する役割を果たしたが、彼は自らを「モグラ」としょうして政治世界の地下で暗躍したのである。
その杉山は明治政府のインテリジェンス(情報諜報機関)長官的な役割を果たした。
杉山は玄洋社の頭山満との盟友関係をバックに、その抜群の行動力、コミュニケーション力、交渉力をいかしてアメリカのCIA長官、大英帝国の諜報機関(SIS)、イスラエルのモサド、ソ連、ロシアのKGBなどに比肩する役割を果たしたが、彼は自らを「モグラ」としょうして政治世界の地下で暗躍したのである。
この大きいモグラを追跡しないことには、明治史の影の部分は検証できない。
以下は『明治軍事史』より。
◎〔陸軍大将尾野実信談(日露戦争中、その前後に大山厳元帥副官を務む)

日露戦役の全期間に亘り、大山元帥が総司令官として児玉総参謀長に満幅の信頼を置き、万事、総参謀長に任かせられたのは斯くの如き、人物関係が根本基礎の一つであったと思ふ。
又、児玉総参謀長の側に於ても、かくの如く信任を受けたからとて、いささかも専断の処置に出つることなく、重要の問題は必ず総司令官の決裁に待つを常とし、両者の関係は一層、円満適当に保持せられたり。
大山元帥夫人がかつて「主人は児玉さんとあなた 尾野)が一番好きな方」と自分に語られた一事は、この般の消息を充分に裏書きするに足るものと思う。
元帥の眼中には全然藩閥等の顧慮なく、公平無私重要の人事を処理せられたことは前に田村次長補職の場合に見るも明かなり。
当時、薩摩出身の有力者間には次長の後任として極力、薩系の伊地知幸介少将(第一部長)を推したるも、大山総長は断然之を斥け、「次長は自分が使ふのでその適任者は田村の外にない」との決意を以て、田村少将(総務部長)を起用せられたり。これ元帥か直接自分に語られたる直話なり。
(写真は杉山茂丸)
●〔杉山茂丸談〕
◎児玉次長補職の経緯
田村参謀本部次長の訃電、在京都無隣庵の山県侯に達したるとき、自分は偶々山県の許に居合せたり。山県は右の電報を手にし大に落胆の状あり。
自分は「日本は第二の諸葛孔明を失へり。然れとも第三の孔明あり。以て用ゆへきにあらずや」と述べる。山県、其意を問う。乃ち答へていわく。
「第一の孔明は川上操六。第二の孔明は田村恰興造、今や二将軍逝く。第三の孔明は児玉源太郎なり。自分は日清戦争の時、後方に於ける児玉の働き振を充分に熟知す(当時、児玉は陸軍次官)。
田村の後任は児玉をおいて他に之を求むへからす」と。山県侯、これを諒とせるも、当時、児玉は内務大臣として桂内閣の重鎮たりしを以て、兎に角出京の上、議を進めらるることとなれり。自分も侯に随ふて上京せり。
児玉は大山元帥の下なれは、喜んて働くへき旨を申出て、内務大臣は桂総理、之を兼ね、児玉の次長補職、急転実現を見るに至れり。
★秘密結社
之より先、児玉は明治三十一年以来自分と共に秘かに露西亜との戦争を盟ひ、三十四年、桂内閣の成立に際し、児玉か其産婆役を勤むるや、桂もまた秘密結社に加はり三十六年四月、露国の満洲不撤兵は愈々対露問題解決の機運を促進せり
●無隣庵会議

同年四月二十一日の無隣庵会議は即ち其第一歩たり。
是日伊藤は伊勢大廟に参拝して、京都に来り。
桂と小村は大阪より来り合し山県等四名は同庵階上の一室に於て対露問題に関する長時間の密議を逐け、児玉と自分は呼ばれて同席階下の別室にその成行を待てり。
此会議の結果、日本は戦争を賭するも、完全に朝鮮を領有する事を最小限の基礎とし、露国と談判を開始するの方針を内定せしか、児玉と自分は大に其決議の安価なるに驚きたり。
斯くの如き経緯の下に対露強硬主義の児玉か参謀本部枢要の職に就き、戦争指導の一中心となりたるは、蓋し偶然にあらさるなり
(写真は満州での児玉源太郎と杉山茂丸)
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