渡辺幸重原発レポート②4月11日の現地ルポ「震災は現在進行形である」「原発から避難せざるをえなかった人たち」
渡辺幸重原発レポート②4月11日の現地ルポ
●「震災は現在進行形である」
「原発から避難せざるをえなかった人たちの声」
渡辺幸重(ジャーナリスト)
『3・11から1ヵ月―マスコミ報道について考える』
東北地方太平洋沖大地震、東北関東大震災、東日本大震災、東日本大地震ーーマスコミや各機関によって名称が異なる今回の地震と津波被害だが、それによって引き起こされた福島原発事故はいまだに予断を許さない危機的状況にある。
当然、大きな不安を社会一般に与えているが、必要以上の不安から社会がパニックに陥らないようにするためには正確な情報の公開と的確な判断が必要であろう。その視点からマスコミ報道について考えてみる。
一般の人が知りたいことは、この先自分たちがどのような準備や行動をとらなければならないのかであり、そのための情報が欲しいということである。たとえば、子どもの甲状腺ガンを心配する人に、海藻を食べても効果がない、うがい薬を飲まないように、必要なときには行政からヨウ素剤が配布される、と言われても、自分が住んでいる自治体がヨウ素剤を用意しているのか、どうすればもらえるかの情報はない。
また、どういうときにヨウ素剤が配られることになっているかもわからない。今回の原発事故の場合、1・2号機では外からの放水はしなかったのに3号機で急に自衛隊や米軍の放水車まで出てきた理由がわからない。
その間1・2号機に関する情報は流れない。さらに、5・6号機の温度が上がっていることもほとんど知らされない。3号機が再臨界になって、水蒸気爆発し、関東、東北一円に放出されるのではないか、という漠とした不安を一般の人は持っている。このことに政府も報道機関も答えられていないのではないだろうか。
もし、大雨が降ってきたらどうなるのだろうか。冷やされるからいいのか、逆に水蒸気爆発の危険性があるのか、あるとすればどういう条件のときか、そのとき、どの地域の人たちがどのように対処すればいいのか、このようなことに対する答えを示すことはできないのだろうか。少なくとも妊婦や乳飲み子を抱えた母親だけにでも先にやるべきことを伝えられないのだろうか。
冷静に対処しなければならないことはわかる。そのためには災害弱者だけでも安心できる場所に移せば、我々は覚悟して最悪のシナリオにならないように心を合わせるということができるのではないか。
IAEAも「現在の放射線レベルでは都内は安全」というような表現をする。私たちが知りたいのは、現在の評価だけではなく、予測される事態に対していま準備すべきことは何か、である。そのための情報を政府や行政が発し、マスコミが伝えて欲しい。
が、もしかして政府やマスコミに要求しても無理なことだったら、NPOなど“新しい公共”セクションを作って私たち自身が取り組まなければならないことなのかもしれない。他人に対して要求することだけでなく、自分たちが自らの力でやることがなければ、適切に動けないということも痛感するのである。
現地ルポその1「震災は現在進行形である」
東北の桜がいつものようにほころび始めた。しかし、誰も花見の準備をする人はいない。花の下での結婚祝いを若者がキャンセルしたという話を、福島県いわき市で聞いた。
大震災1 ヶ月後の4 月11 日、私はまだ大地が振動するいわき市に高速バスで入った。乗客は36 人。朝確認したら常磐線はやっといわきまで開通したものの各停で2 回乗り換えをしなければならないということだった。
現地ではいわき出身の知人と海岸端のがれきの中を歩いた。道路は整備され、がれきはあちこちにまとめられている。海に近いところでは、家が津波にさらわれて遠くまで見通せるなかに1階部分をさらわれて柱がむきだしになった家や鉄骨の曲がった工場などがぽつんと立っている。立っている家の多くには「解体を承諾します」という貼り紙がしてある。まれに「壊さないでください」というのがあった。
ここは、小名浜港に近いいわき市南部の豊間地区である。明日から重機が入ってがれき処理が始まるのだそうだ。知人の説明を聞き、あまりのひどさに胸を詰まらせながら回ったあと、さて帰ろうとしたとき、大きく地面が揺れた。時間もこれまでよりも長い。やっとおさまった後、目の前で作業をしていた3 人に聞いた。
「津波は大丈夫ですか?」 トラックの荷台で海を見ていた一人が「大丈夫」と答えた。ともかく急いで帰ろうとしたとき、一段高い道路にいた人が両手で大きな×をし、戻れという大きなポーズを繰り返した。するとその人たちの乗ったトラックが猛スピードでバックのまま去っていった。すると目の前の乗用車が動き出したかと思うと急加速し、見えなくなった。建物の横にあったトラックもいなくなった。あっという間の急展開だった。
私たちもあわてて足を速めようとしたところで道路脇のいわき病院の二階から声がかかった。「二階に上がってください」。そこは大津波で一階がやられ、患者全員が他の病院に転送されたと聞いていた病院だった。私たちは二階に上がった。そこでは十数名の人たちがテレビから情報を得ていた。津波の心配はなくなったようだが、「大津波の一波がすぎた後戻って二波でやられた人がいるから慎重に」とアドバイスされた。
現場の緊迫した雰囲気を肌で感じた出来事だった。まだ震災は終わっていないのだ。その地震は午後2 時16 分に起きた、震度6、マグニチュード7 の余震だった。
その日、一時停電になった。翌12 日の朝、一部地域に「水が止まるかもしれないので汲み置きをしておくように」という情報が流れた。大きな余震が続き、ライフラインがおぼつかない。さらに原発が不安を加速する。被災地ではまだ災害が現在進行形で進んでいる。
現地ルポその②「原発から避難せざるをえなかった人たちの声を聞こう」
大震災に大津波が加わり、これまで経験したことのない復旧復興の努力が求められているのに、手探りの対応が続く原発事故がさらに大きな悲劇と不安を招いている。それに風評被害が加わり、東北の人たちは“四重苦”にある。その中で政府は11 日、福島第一原発周辺の半径20 キロメートル以上の地域に「計画的避難区域」「緊急時避難準備区域」を設定した。それがまた自治体を困惑させ、住民が振り回される事態となっている。
福島県楢葉町は「避難指示区域」「屋内待機区域」の指定を受け、役場と住民全員が町外に避難している。その中心は会津美里町にあるが、私は11 日、楢葉町の一部の住民が避難するいわき市の中央台南小学校を訪れた。
その日体育館で寝起きしていた人は131 人。他に教室を1つ借りて役場の現地対策本部が置かれていた。
学校は授業が始まっており、隣の教室も使われているので対策本部は週内に他の場所に移るそうだ。この日はちょうど大震災の1 ヶ月目にあたり、14 時26 分には犠牲になった人を悼んで黙とうが行われた。
楢葉町民は、大震災が起きた3 月11 日、町内各地の集会所に避難し、避難指示圏が第一原発20km 内、第二原発10km内に広がった翌12 日、全員8 千人弱がいわき市など町外に避難した。楢葉町は一部が屋内待機区域になるがほとんどは避難指示区域に入っている。
中央台南小学校の対策本部で税務課長、松本和也さんに聞いた話を次にまとめる(文責:筆者)。
・いつ帰れるかわからないので仮設住宅を準備している。数はいわきに240 戸、会津の方に550 戸。全部で2800 世帯あるので足りないから抽選になるだろう。6 月中がめどだが、まだ建設場所が決まっていない。当面、県が準備したホテルや旅館への移住を進めており、この避難所から60 名程度が13 日ころまでにホテルに移る。
・楢葉町の被害は死者3 人、行方不明者10 人だが、確定ではない。普段から避難訓練をしていたから最小の被害に抑えられたと思うが、あとの現実的な対応(原発への)に戸惑っている。地震や津波の被害規模もわからない。航空写真からでは予想できない。
・町民のうち、住所や電話番号がわかって連絡ができる人は約50%、安否が確認できた人は86%である。・町民の65%は原発関連の就労者で、東電の社員もいる。いま原発で作業している人たちの家族にとっては心配の域を超えている。
・時間帯によっては数本の電話がなりっぱなしで、8 割がたは分散している住民との対応に追われている。役場機能は皆無に等しく、やっと先週になってどうにか少しはできるようになった状態である。防災関係者は現地に入れるので1 日1 回程度立ち入り、役所の重要文書や契約・支払い関係、卒業証書などを持ち出している。
・なかにはうちを離れたくないと避難しない人がおり、いまでも12 世帯17 人が残っている。そのなかには独り暮らしの寝たきりの人もいる。自衛隊員が説得に当たっており、今日(4 月11 日)1 人連れてきた。携帯電話も通じないので、予備自衛官の人に寄ってもらい、安全の確認や生活支援を行っている。
・避難命令や警戒区域に指定すれば強制的に避難をさせることができるが避難指示のレベルではできない。国は警戒区域を指定する方針で、その前に自衛隊の指揮の下に一時帰宅を認めるという報道もあるが、まだわからない。
・避難所生活は一見問題ないように見えるが、住民にとっては現金がないので不自由に感じていると思う。また、住宅に対する希望が大きいだろう。
・一刻も早く原発を安定させてもらいたい。そして一日でも早く楢葉町に戻って復興の作業に当たりたい。まずは上下水道などライフラインの整備、道路の整備からだろう。
・みんながんばって、いずれは楢葉町に帰ろうと思っている。
政府はこの日、第一原発から20km 圏内の避難指示区域はそのままに20km 以上のところに計画的避難区域と緊急時避難準備区域を設けた。楢葉町の屋内待機圏内の区域は緊急時避難準備区域になった。
子供や妊産婦、病人などは避難し、緊急時に自力避難できる人は残る地域で、幼稚園・保育園・小学校・中学校・高校は休校となる。政府方針に対して楢葉町は全町避難を続ける姿勢を示した。住民は原発の恐怖と避難生活の苦労に加えて政府の現地無視の避難策に翻弄されている。政府は唐突に方針を出すことをせず、現地自治体や住民の意向を第一に考えるべきだ。
現地ルポその3「神戸と東北をつなぐ“希望の灯”~私たちにとって
“本当に大切なもの”“本当に必要なもの”とは~
“本当に大切なもの”“本当に必要なもの”とは~
福島県いわき市の避難所のひとつ、高久小学校の空には4、50 匹のこいのぼりが泳いでいた(4 月11 日)。
これは甲南女子大学の前田豊稔先生らが神戸から持ってきたもので、神戸の小学生が作った、神戸と東北を結ぶ“再生のエネルギー”の象徴である。阪神淡路大震災のときに被災地に揚がって神戸市民を勇気づけたこいのぼりの話から前田先生は神戸の小学校で、大震災を伝え、考える授業「空の魚」を行い、体育会や音楽会などのイベントで神戸の空に子どもたちのこいのぼりを泳がせた。そしていま、神戸から東北に伝えられた希望の灯としてこいのぼりがはためいている。
前田先生によると、阪神淡路大震災直後、神戸の冬の空にこいのぼりを見たという。その後、全国からこいのぼりが届けられ、瓦礫の街を何百何千ものこいのぼりがいつまでも泳いでいたそうだ。前田先生は「子供への愛しさを通して生きていくのだ」という決意を感じた。愛する人のため、大切な子どものためならばまたがんばろうという気持ちが沸いてくる、そういう再生のエネルギーを沸き立たせる希望の灯なのだ、と。
それは逆に、子どもから勇気をもらうことでもある。そういう思いを込めて小学生たちとこいのぼりを作り、震災について考える「空の魚」の授業を行った。
東日本大震災が起きたとき、前田先生はどん底にあるだろう被災地の人たちに神戸の思いを伝えたかった。
そして、4連残っていた「空の魚」を車に乗せ、友人、学生らと東北の地に運んだ。いま高久小学校のほかに、福島県相馬市、宮城県の石巻市、気仙沼市の避難所でも神戸の子どもたちが作ったこいのぼりが希望の灯を掲げながら泳いでいる。
福島県内を歩いて、駅の売店や温泉街に観光客の姿を見ることはほとんどない。だが街のあちこちに「がんばろう、ふくしま」「がんばっぺ、いわき」などの言葉が書かれ、店先には割引きなど被災者への支援策が表示されていた。「ふくしまは負けない」という手書きの張り紙も見た
福島駅の売店に聞くと売り上げは通常の半分以下だという。案内所では「そんなもんではない」とも言われた。しかし、工場が被災して休業している店にも「4 月15 日開店」という張り紙とともに復興への決意が書かれていた(4 月12 日)。
いわき市中央台南小学校の体育館では楢葉町の高校1 年生3人が千羽鶴をつなぐ作業をしていた(4 月11日)。聞くと、避難所の人たちがみんなで作った折鶴を飾れるようにひもでつないでいるという。小学生の発案でやることになったそうだ。
この千羽鶴もどん底にありながらも再生のエネルギーを産み出す、ひとつの「希望の灯」になるだろう。前田先生は阪神淡路大震災の中で「本当に大切なこと、なくてはならないものごととは何か」「本当に必要なものは少なくていいんだ。それを大事にすればいいんだ」ということを痛切に実感させられたという。私は、神戸の思い、東北の思いを感じながら、これから“本当に大切なこと”をしっかりと考えていこうと思った。
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