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大阪地検特捜部の証拠改ざん事件を読み解くために③死刑・冤罪・誤判事件の続発ー30年変わらない日本の体質①

   

大阪地検特捜部の証拠改ざん事件を読み解くために③
 
裁判官・検事・弁護士・新聞記者の徹底座談会
死刑・冤罪・誤判事件はどうして起きるのかー30年変わらない日本の刑事裁判の体質①
月刊『サーチ』19839月の再掲載
 
 
免田事件、松山事件、島田事件、財田川事件と、誤った裁判によって、二十年、三十年を獄中にすごした死刑囚の再審開始が決定した。一国の政治文化の水準はその国の裁判の正しさによるといわれる中で、法治国日本の名に恥ずべき誤判の続出は、一体何が元凶なのか、あらめて司法官の法意識、人権感覚が問われる今、元判事、元検事、弁護士の体験を通して、冤罪をなくす裁判への課題をきく。この座談会は免田判決(七月十五日)の前に行ったものです。
 
<出席者=樋口 和博(弁護士) 安倍 治夫(弁護士) 佐伯  仁(弁護士) 前坂 俊之(『毎日新聞』記者>
 
身体を張って、法廷で身柄を確保する
 
本誌 本日は冤罪をテーマに各先生方にお話を伺いたいと思います。今年に入って一月には松山事件の再審が下されましたし、その前に梅田事件の再審開始が決定しました。最近では島田事件です。このように、死刑が確定した事件の再審決定がこれまでに四件もありましたが、死刑という、最も慎重に裁判されるべきものが、二十年も三十年もたってから、どうもおかしいから裁判のやり直しをするということで、一般の国民は、裁判というものがいったいどうなっているのか、という疑問を持つわけです。
 
 今日は判事、検事、弁護士のど経験を持っておられる三人の先生方にお集まりをいただいて、それぞれの立場から裁判のあり方というものについて忌たんのないど意見をお聞かせいただきたいと思います。
 
前坂 佐伯先生、免田事件の弁護人をずっとなさっておられて、とくにいま一番問題になっているのが、免田被告の身柄釈放の問題ですね。その辺について弁護団としてのお考えを伺いたいと思いますが。
 
佐伯 免田事件にかかわらず、こうした一連の事件で再審開始決定が出た段階から、被告人の身柄問題については、弁護団の方からも、なぜ釈放しないのかという問い方をしてきたわけです。免田事件でも、再審公判に入ってから、冒頭陳述で身柄を出せという要求をしたし、最終の弁論でもやりました。七月十五日に判決をむかえる前に、弁護団として検察庁、裁判所に再度の身柄釈放要求をやります。
 まあ、いろいろ理屈はあるにしても、未だかつて日本の司法の場において、無罪を言い渡された被告がそのl場でふたたび手錠をかけられて、つれていかれるってことはなかったことですよ。ところが裁判所側の見解としては、再審開始決定が下されても死刑の確定判決の効力は消えていない、というんですね。したがって免田君が解放されるのは、再審公判による無罪判決の時ではなく控訴上告を経て、最高裁で無罪判決が確定した時になるという理屈をうち立ててくるわけです。
 
 拘置執行を停止しないのは、つまり刑法十一条が規定するところの、死刑確定判決の効力に基づいた独特の拘禁であるという解釈が大きな根拠になって、今まで身柄を留められてきたんですよ。
 
本誌 つまり、免田さんの場合、再審公判中は刑事被告人であると同時に、死刑の確定判決を受けた受刑者として、つまり死刑囚でもあるわけですね。それで身柄の釈放がむずかしいわけですか。
佐伯 そうそう。裁判所が、併有説っていうおかしな理論をもってきたんです。
本誌 そうすると、再審で無罪となっても、さっき先生がおっしゃったように、無罪の人の手にふたたび手錠がかけられるわけで、検察の控訴、上告を待って、最高裁で無罪判決が確定するまで、さらにこの先、何年か拘禁されるということも有りうるわけですか。
 
佐伯 だからものすごい矛盾なんですよ。わが国の司法制度上かつてない、とんでもない矛盾をいまやるかやらんかっていうところなんですよ。
本誌 そのことについて、免田事件の場合、検察側の意向はどうなんです
佐伯 最近の感じでは、法務省および検察庁の空気が少し変わってきています。辻検事総長のころは身柄釈放は絶対認めません、という人もおられたけれども、あの頃と雰囲気が少し変わ人の身柄については検事が手をつけられないんだ、つていう説明で逃げていたんです。しかし最近は手がつけられないんだとは言わなくなったんです。要するに、検察官の裁量でやれるかも知れない、みたいな雰囲気が出ている。
 
 それから、法務大臣がその辺に大分関心を示してるってことを、新聞記者の諸君もさかんに言ってるんです。.
 ただ、弁護団会議でも、われわれが身体を張って、法廷で彼の身柄を確保するか、というような論議も、じつはあるんですが、そこまで、法延という場においてできるかどうか、それは現場状況によるだろうということで、実力で彼をかばうか否か、の論議はしたけれども、まあそこまでは無理だろうということで、今のところは検察庁、裁判所に、もう二田、判決に先立ってわれわれが要請文書を持って行って迫ってみよう、ということになっています。
 
安倍 免田事件は新刑訴法でしょう。
佐伯 ええ、新刑訴法の時です。
安倍 だったら、身柄釈放の要求は問題ないんじゃないの?
佐伯 それは、苦しいところですよ。死刑囚だってことはまだ変わりませんから、併有説で、執行のために留めておくことはできますからね。今度それで無罪になったときは、死刑囚かどうかということも、わからなくなってくる。最高裁で確定するまではふつうの人ですからね。
樋口 新刑訴法だったら、無罪の言い渡しをうけたら、その場で身柄を釈放すべきですね。確定するまで待つ必要ないでしょう。
 
前坂 検察は一応控訴する方針だと言っていますが、今度もし免田さんの身柄が拘束されて、しかも控訴で第一審が始まるとしますね。そうすると第二審、三審といくのかどうか、もしそうなると、まさに前代未聞っていうことになりますが…‥・
 
佐伯 この間検事総長に会ったんだけれども、控訴の話は常識的に考えます、つていうんです。私としてはまあとにかく控訴しないではしいですよ。こんなに時間がかかっているんだから、国に償いができるとしたら、控訴をやめるってことしかない。三十四年目に、裁判が間違っていたとわかって、国がそれを償うための方法としては、控訴しないことじゃな小か、と言うと、検事総長は、とにかく常識的に対処いたします、と、言うんですよ。
 
これは前とはかなり違う態度です。だからといって控訴しないとは言い切れませんけど、そういう姿勢の変化が見られることは事実です。新聞記者の観測も最近わりに楽観的なんですね。だけどぼくらは最悪の場合を考えて、控訴までは京心がまえとしてもっている。でも、それにしても、何とか免田君の身柄釈放を、と思っています。
 
 (昭和五十八年七月十五日免田事件判決公判において免田被告に無罪がいい渡され、逮捕から三十四年ぶりに身柄が釈放された。検察側は控訴期間満了の前日の7月28日、控訴を断念し、免田氏の無罪が確定した)
 
免田事件で検察側がものすごい赤恥をかいた
 
前坂 この間の爆弾事件の判決のとき、伊藤次長検事の談話で、検察は良識的な判断でやりますよ、といったのがありますね。少しは変わったのか、ということになるとまだ疑問なんですが……。
佐伯 変化は感じましたね。私の事務所の西口先生というのが、松山事件を担当しているんですけど、それも最終公判の準備段階の打ち合わせのことなんか聞くと、私たちが免田事件に取り組んだときと、対応がだいぶ達うんですね。まあ、あまり無理なことはしません、なんて言い出しましてね(笑)。
 
 免田事件のときはひどかったですよ。新たな裁判だからわれわれは自由にやりますっていうんですよね。検察官が立ち会った証拠まで、自分らに都合の悪いやつは全部つまみ食いして否認してるんです。証拠の組み立てまで全部やり直ししようとするんです。・・
 それからくらべますと、松山事件はわりに常識的だったですね。全体に、そういうような、検察内部の誠意を感じる、というような面もあります。そういう事から考えても、免田事件については控訴はないんじゃないか、という希望的観測は多少前よりは強くなっているようです。ぜひそうありたいと願っていますが……。
 
安倍 免田事件にしても他の事件にしても、検察側には、もう再審の段階」つまり二度目の一審の段階では目新しい証拠なんてないわけですよ。三十年も四十年も経って、いきなり再審開始決定をやられたら、どの裁判所も検察庁もお手上げですよ。これだけ年月が経って風化した事件に、フレッシュな証拠なんてあるわけがない。結局、私は無罪にする以外方法はないと思います。
 
 
(昭和五十八年七月十五日熊本地裁八代支部で開かれた「免田事件」の判決公判において免田栄再審被告に無罪が言い渡された)
 
佐伯.免田事件で、検察側が赤恥をかいたのは、Hっていう証人なんです。免田被告を、事件当日の朝、彼の家で目撃した証人として出してきたんです。この人の存在なんて、事件発生から三十数年、ちらっとも出なかったのに、突然ひょいと出てきた証人なんですが、これがまたすさまじい人なんですよ。言っていることに嘘が多く、当時の金の話にしても、千円札のない時代に、千円札をどうこうしたとかね、でだしから、でたらめなんです。
 
安倍 三十数年も前のことを、そんなにありありと覚えているようなことを言ってもね……。苦しまざれに、いい加減な証人を出してきて、なお、検察側で控訴するって言ったら、笑いものになりかねない。
 
樋口 それはね。いま佐伯さんが、検察庁の考えが非常に弾力性を持ってきた、とおっしゃいましたが、何といっても、これは世論が許さないと思います。どんな法律上の理屈よりも、ここまでやってまだ拘置所に入れとくかって、国民の批判の声が大きくなる。三十何年も入れられている死刑囚の心理状態というものを考えてどらんなさいよ。
 
 私も、いろいろな死刑囚と会ってきましたが、十二月三十一日と、元日と二日以外、日曜と土曜を除いて、毎朝九時の看守の靴の音が、どの部屋の前で止まるか、おびえ続け、死の恐怖に日夜苦しんでいる。それを三十何年問か耐えてきたっていうのは、ぼくは大変なことだと恩うんです。
 それを無罪判決をうけていながらまた、何年か拘禁するなどということは、ぼくは世の中が許さんと思います。
 検察庁といえども、それはよくわかっていることじゃないでしょうか。だからそういう弾力性をもった見解がでてきたんじゃないでしようか。当然だと思いますね。
 
警察の調書などというものは、まず信用できない
 
前坂 おっしゃるように、そういう死刑囚の再審裁判が、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件、続いて始まったわけです。こういうふうに、死刑が確定されてから三十何年も経ってからやっと再審になったような事件が、四件も連発しているというのは、世界の再審裁判にも例がない大問題です。
 
樋口 イギリスでなんとかという女の死刑囚が無罪になったことを、議会が問題にして、死刑廃止の国会決議が出たでしょう。だから日本のように、ぞろぞろかたまって出るってことは珍しいんじゃないでしょうか。恥ずかしいですね。
 
前坂 樋口先生に伺いたいんですが、これまでいろいろな冤罪事件があったなかで、日本の裁判では無罪率が非常に低くて、〇・二%ぐらいと言われていますが、過去に死刑を言い渡した人がじっは無罪だったとか、死刑を執行したあと真犯人が出てきたとか、記録には相当数の誤判例が残っているんです。長く裁判官を経験されて、そうした問題についてどう思われますか。
 
樋口 私も、死刑判決はずいぶん下しました。十数件も死刑の判決をしてますけど、私の場合は幸いにして後から問題の起きた事件は一件もありませんでした。ですが、戦前には非常にいやな事件にぶつかったことがあるんですよ。これは昭和十三年頃の話で、記録もないんですが、東北のある裁判所にいたときに、寺女をしていたおばあさんが火をつけたという事件で起訴された。

調べてみますと、警察から検察庁、予審判事、公判とも、全部事件の筋が一貫しているんです。どこからマッチを持ち出して、どんな風に火をつけて、そのあとどうやって逃げて、そのあとどうしたって、もうまったく一字一句違わない。そこで、調べが全部終わって、論告があって、弁論があって、そうして最終陳述になった。そこで、裁判長が「最後に何か言うことがありますか・」って聞いたら、そのおばあさんが、ニコッと笑ってーまたこの笑いは残念なことながら記録にはでないのよね ー もう本当になんというか無邪気というか、なんのこだわりもない子供みたいな笑いをしてね、
 

 「裁判長はじめみなさんはおわかりにならんでしょうけれど、私が無罪だってことは仏さまだけが知っています」って、「一度だけ本当のことを申し上げますけどね、私は火をつけていないんですよ」 っていうんだ。求刑は確か十年ぐらいだったと覚えていますが、そのおばあさんは、「私は火をつけてなんかいないけど、誰かがつけたことは間違いないんだから、本当に火をつけた人はきっとどっかにいるでしょう。私は刑務所へ行きますけれども、本当は私じゃありません」っていうんです。
 
 さあ、最終陳述になってそれが出たもんだから、大変なことになっちゃってね。それから急いでまた事情を聞き直したんです。それでよくよく聞いてみますと、初回の警察官の調書から白日ですよ。ぴしゃっと自白。それが検察庁でも、昔は予審判事っていうのがありましてね。その予審判事の段階でも公判でも、書いてあることが一字一句違わない。

ところが、その最初の調書をとったのが、逮捕されてからとても長く経ってからです。その間何をやっとったか、ということですよ。いまなんか考えられないでしょう。旧刑訴法っていうのはそういケもんだったんです。何日かけようが制限ないんですね。勝手にやれたんだから。だんだん聞いていくと、本人が「私はやってない」っていくら言っても、刑事が「お前がやった」というんだね。それで毎日否認をくりかえしてもさっぱり聞き入れてくれないんで、ある日突然、しょうがないから「私が火をつけました」、とこういったというんです。そしたら何とかなるかと思って。そしたら「そうだろう、お前がつけたんだろう」と。そして「どうやってつけたんだ」と聞いたんだそうです。

本当はつけてないから答えようがなくてまた「本当はつけてません」と言う。そうすると、「お前何言ってんだ。自分でつけたって言ったじゃないかっ」とまたおどかされる。そんなことがくり返されているうちに、マッチがどこにあった、どういうぐあいに火をつけた、それからどんなふうに逃げた、と事件の筋書が全部できあがってしまって、長い期間それをくり返されているうちに、いつの間にかおばあさんの方で、本当に自分がやったような気になってきたっていうんです。
 

これは安倍先生なんか検事のころど経験があったかどうか知りませんがね(笑)。私はそれ
以来、警察とか検事の取り調べに開しては不信を持つようにしています。もう必ず疑ってかかるんです。自白なんか絶対に鵜呑みにしない。これは私がそのとき得た体験なんですよ。
結局そのおばあさんには無罪を言い渡しましたけど、とにかく自白っていうものをあまり信用しちゃいかんと、むしろ疑ってかかるのが裁判官の仕事だと思いますね。私は長いこと刑事裁判をやりましたけど、検事の調書はまだいいんです。警察の調書などは、.まず疑ってかかる必要がある……。
 
安倍 検事もよくないんじゃないですか?(笑)
樋口 そう(笑)。検事は警察から尻をつつかれてね、やっぱり警察の顔もたてなきゃいかんということもないとは限らないでしょう。ですから、検事の調書も疑ってかからなきゃなりません。

                                                 (つづく)

第2回座談会  http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=512
第3回座談会  http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=513
第4回座談会  http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=515

 
 
 
 

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