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『Z世代への昭和史・国難突破力講座⑧』『吉田茂の国難突破力④』★『吉田は逮捕され40日間拘留された』★『日本人の国民性の欠点ついて「重臣たちも内心戦争に反対しながら主張せず、後になて弁解がましいことをいう』★『吉田はジョークの達人』★『「いまの代議士はポリティシャン(政治屋)で、ステーツマン(国士、本当の政治家)ではない」

   

「日本史決定的瞬間講座⑦」再録再編集
  前坂俊之(ジャーナリスト) 
  • 吉田は逮捕され40日間拘留された

  • 1945年(昭和20)に入り日本の敗北は決定的になった。昭和天皇は事態を憂慮し、近衛文麿ら重臣の意見を聴取することになった。この近衛内奏文に吉田は「敗戦だけならば、国体まで憂うる要なし。最も憂うべきは、敗戦に伴って起きる共産革命」とつけくわえて2月14日に提出した。

同年四月、吉田は憲兵隊に連行、逮捕され40日間拘留された。5月末にやっと不起訴となり、仮釈放となった。逮捕理由はグルー大使との間で密会する約束をしていたというものです。

同大使が交換船で帰国するというので吉田が出した手紙の最後に「Same better days」と書いたが「これが密会の約束だ」ときびしく追及された。「これは何時か機会があったらまた会いましょう、単なるサヨナラという意味だ。」と何度も説明しても無知な憲兵は承知しない。英語の知識のかけらもない憲兵隊員の馬鹿げた話だが結局、分らずじまいで終わって、不起訴で釈放されました。以後も、不屈の闘志を燃やし「和平工作」を続けていった。

1945年(昭和20)8月15日敗戦。国民の大半が茫然自失した中で、吉田は意気軒昂で日本再建に思いをめぐらしていた。吉田は8月27日、親友・来栖三郎に次のハガキを送っています。

「わが国の負けっぷりも、古今東西未曾有の出来映えといえましょう。日本再建の気運も自ら生まれてきて、軍部の政治のガンの切開除去、政界明朗化か国民道義の昂揚、外交自ら一新すること、科学振興、米資本誘致により経済、財界は立直り、この敗戦必らもしも悪からず、…」(外務省外交史料館別館所蔵)と土壇場での驚くべき逆転長寿突破力を示しています。

  • 日本人の国民性の欠点ついて

吉田は当事者として昭和の軍閥勃興から敗戦に至る修羅場を体験したわけですが、『日本人の国民性の欠点ついて)こう回想しています。

 

「(軍閥の一部の策謀に対して)東郷君はもとよりのこと、当時、私が接した重臣層をはじめ、政治上層部の誰もがこの戦争には賛成していなかった。国民の大多数もまさか戦争になろうとは思っていなかった。

しかし、これらの重臣層の人々は内心戦争に反対しながら、その気持ちをどうもはっきり主張したり、発言したりしなかった。こんな時にこそ国民性が現われるもので、平素とかく大人ぶったり、知ったかぶったりするくせに、いうべき時にいうべきことを言わず、事後において、弁解がましきことを言い、不賛成であったとか、自分の意見は別にあったなどいう者が多い」(回想10年52P)と嘆いています。

  • 吉田首相はジョークの達人!マッカーサーと5分の勝負

1945年の敗戦後、占領下という最も困難な時代に、吉田はマッカーサー元帥を相手に臆することなく、堂々とわたりあった。深刻な食糧危機のため占領軍の食糧放出を要請した。

「四五〇万トンの食糧輸入がないと、餓死者が出る」と農林省の統計に基づいて陳情したが、実際は七〇万トンで何とかしのげた。数字のデタラメさにマッカーサーが怒ると、吉田がケロッとして答えた。「わが国の統計が完備していたならば、あんな無謀な戦争はやらなかったうし、また戦争に勝っていたかもしれない」これにはマッカーサーも大笑いして、それ以上責めなかった。

吉田首相のこうしたジョークとウィットによってマッカーサーとの意思の疎通がスムースになっていきます。マッカーサーは話をしながら、司令部の広間の中を、大股で歩き回るクセがあった。会談が白熱すると一層激しくなった。まるで、オリの中を歩き回わるライオンにそっくりで、思わず吉田は笑い出した。

すると、マッカーサーは腹を立て、なぜ笑うと怒った。「実は元帥がオリの中を行ったりきたりしながら、お説教をしているライオンに見えて、つい笑ってしまったのです」と吉田は平気で答えた。

マッカーサーの前では、縮こまってモノもいえなかった日本人が多い中で、吉田のように図太い人間に会ったのは初めてであった。最初にらみつけていたマッカーサーも笑い出して、二人は意気投合したのです。

●インドネシアのスカルノ大統領が対日賠償の請求問題

1958(昭和33))年1月、インドネシアのスカルノ大統領が対日賠償の請求問題で来日した時、吉田は「閣下の来日を待ちかねていました。賠償の支払いは、その原因を作った側にあるとお考えでしょうね」とズバリと切り出した。意外な問いかけに、スカルノは面くらい、そして賛意を表し「その通りです。実は今度参りましたのも、その賠償の問題です。はなはだ気の重い仕事ですが、いま閣下の言葉を聞いてホツといたしました」

吉田は安心した表情のスカルノにこう言った。わが国は神代の昔から、貴国がつくった台風で毎年莫大な損害を、こうむっております。いまその計算をさせておりますので、いずれわかり次第、請求書をお送りしましょう」

スカルノは二の句もつげず引き下がった。

吉田首相は五次にわたる内閣で、実数79人、延べ114人の大臣を『粗製乱造』しています。その『吉田ワンマン学校」で、「果たしてステーツマン(政治家)を何人つくることができたか」と記者に質問されると聞かれると、ケロとして次のように答えた。

「いまの代議士はポリティシャン(政治屋)で、ステーツマン(国士、本当の政治家)ではありませんよ」「国会は動物園でねー。サル山のサルがいくらもいますよ」と冗談を言ったり、「国会出演料は無料です」とか、ある女優との対話では、「わたしだって国会がはじまると毎日映画に出ていますよ、出演料は無料のね。それにあなた方のマネごとと違って、こっちは本気なんですから」と大笑いしていた。

 

その「永田町」の大ボスザルの吉田ワンマンを政治評論家・阿部真之助は「吉田は傲岸そのもの、民衆は眼中になく、専制君主の観がある」とやっつけています。たしかに、吉田も永田町の1番のボスザルだったが、あの未曽有の占領期を見事にのり切り、細いつり橋のような復興・再建の道をなんとか突破して自由民主党結成(昭和30年)へバトンタッチさせたその功績は、昭和戦後政治家の中ではダントツのリーダーシップです。

  • 珍答弁、冗談、ジョークの連続のワンマンショー

警察予備隊は違憲ではないかと国会で追及されると、これは「戦力なき軍隊であります」(1953年(昭和28)11月の衆院予算委員会)と珍答弁でけむに巻いた。かとおもうと、同年2月の衆議院予算委員会で、右派社会党・西村栄一氏の質問にむかっ腹をたてて、『バカヤロー』の一言をあびせ、懲罰動議が可決され「バカヤロー解散」となった。吉田首相が座右の銘としていた格言が、フランスの政治家タレーランの「パ・トロ・デ・ゼール」(ムキになるな)であったというのだから、これまたマンガのような話です。

延べ114人の大臣を粗製乱造した吉田首相は「その件につきましては大臣に答弁させます」を国会で乱発した。まるで、吉田ワンマン学校の校長が先生に答弁させるような形で、この文句を平気で使える総理大臣は先にも彼以外にはなかった。

1953年(昭和28)7月、衆院予算委員会でのこと、吉田の外交を追及した河野一郎に「キミは外国と交渉したことがないから そんなバカなことをいうのだ」とにらみ返して、タンカを切った。吉田が一番嫌いな政治家がこの「河野一郎」で、自分の政権を奪い取ったというので「盗っ人」呼ばわりまでした。

1963(昭和38)年7月15日に神奈川県平塚市にあった河野の自宅(建設大臣)が右翼に放火され全焼した。翌日、三木武夫(後の首相)が大磯を訪ねると、吉田は上機嫌で「三木君、今日は愉快だ。河野邸の焼き討ちだ」と毒舌を吐いたといいます。

1954年(同29)、国会で造船疑獄を追及された際、「流言輩語であります」と答えて国民の憤激を買った。この指揮権発動は吉田首相の最大の汚点だが、本人は総裁として自分の身内をかばうのは当り前という親分子分、ボスな発言だった。

高知へ後輩代議士の応援にかけつけた時のこと。冬で寒かったため、オーバーを着たまま街頭演説を始めると、「オーバーを脱げ!」「失礼だゾ」と会場から激しいヤジが飛んだ。野党側のヤジだが、吉田はあわてず、騒がずで、オーバーのエリをつかんで引っぱりながら「これが、ほんとの街頭(外套)演説です」。この当意即妙なジョークに、会場は大爆笑の渦に包まれた。

政界を引退した吉田は、元老として大磯で悠々自適の生活をしていた。トレードマークの葉巻、和服、白足袋は全く同じで、飼っている犬には、講和条約の締結記念として「サン」「フラン」「シスコ」とそれぞれ名づけて可愛がっていた。

月刊「文芸春秋」がそんなワンマンに取材に行き、6人の首相の対談の企画を申し出た。吉田は「そんなヒマはないよ。大体、首相なんてバカなヤツがやるもんですよ。首相に就任するや否や、新聞雑誌の悪口がはじまって、何かといえば、悪口ばかりを書かれる。そんなバカが集まって、話をしたっておもしろくも何ともないよ」と毒舌を吐いて断ってしまった。

首相を引退後、選挙運動の応援で高知の田舎を回っていた時のこと。腹痛を起こし、山の中の一軒家のトイレを借りたが、家人はおらず、車に乗ろうとすると、帰ってきた。

翌日、同じ道を通ると、村長以下が正装して迎え、「世界の吉田先生をお迎えできて光栄です」とあいさつした。吉田もていねいに返礼し、車に引き返すと、秘書官が「この村の票は全部いただきですね」と笑った。吉田は「君!、選挙は黄金に限るよ」とまぜかえして、大笑いしていた。

1960(昭和35)年の日米修好百年祭に、吉田は日本政府代表として訪米しました。記念パーティで外人記者から「八十二歳にしては元気ですね」との質問が出た。「イヤ、元気なのは外見だけですよ。頭と根性は生まれつきよくないし、ロはうまいもの以外受け付けず、耳ときたら、都合の悪いことは一切聞こえませんよ」

「特別の健康法は何か」よの質問にも「イヤ、別に。しいていえば、年中ヒトを食っているということかな!」と破顔一笑していたといわれる。。

吉田は総理を退いて八年目の1963年(昭和38)に『大磯随想』を出版した。この間に、吉田への評価が「アメリカ一辺倒の売国奴」から「日本再建の恩人」へと180度変わったのです。

あいさつに立った吉田は「私の思い出を本にするから、原稿を書けというバカがきた。そんな本を買うバカがあるかと言ったら、何万人ものバカが買って読んだらしい。こんどは出版記念会をやるというバカまで現れた。会費まで出してくるバカがあるかといったら、きょうはこんなに大勢のバカが集まった」会場を埋めた満員のバカから、割れんばかりの拍手が起きた。

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