前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『戦争と新聞」-日本海軍と新聞記者のインテリジェンスの明暗

   

日本海軍と新聞記者のインテリジェンスの明暗
 
前坂俊之(元毎日新聞記者・静岡県立大学名誉教授)
 
日本の新聞の歴史は約百四十年になるが、そのうちでも最大のスクープといえば、『毎日新聞』の太平洋戦争開戦スクープであろう。三重四重のきびしい検閲と報道規制の中で、国家の最高機密をすっぱ抜いたのである。
 
太平洋戦争開戦当日の昭和十六年(1941)十二月八日午前七時、NHKラジオから流れる大本営陸海軍部発表のかん高い臨時ニュースとともに、『毎日新聞』(当時は『東京日々新聞』『大阪毎日新聞』)朝刊の一面を見た読者は驚いた。
「東亜撹乱、英米の敵性極まる」
「断乎駆逐の一途のみ」「養進一路・聖業完遂へ」
の大見出しが躍り、戦争勃発をピタリと予告していたからだ。他の『朝日』『読売』ほかの各新聞はすべて「戦争」の「戦」の字もなく、まさに晴天の霹靂、寝水の特ダネであった。
 
この日本の新聞史上に輝くスクープをはなったのが、後藤基治記者である。
日米間に風雲が迫っていた昭和十六年十一月初め、後藤は米内光政の私邸を訪れた。
米内邸訪問は、後藤の〝定期便″であり、夜討ち朝駆けである。その頃はまだ政治家の間でも新聞社でも、戦争突入を予見する気配はなかった。海軍黒潮会の記者連中でも、戦争開始三、回避七ぐらいの見込みだった。
 
 午後二時に勝手に訪問すると、「よう、あがれよ」ということで、女中の運んできた紅茶に、上等のブランデーをたらし込んで一緒に飲んだ。
 
後藤が「雲行きは、だんだん怪しいんじゃないですか」と突っ込むと、米内は「気違い沙汰だ」と吐き捨てるように言った。「じゃ、やるんですか」とたずねると、米内は急に「ちょっと、厠(トイレ)へ行ってくる」といって、机の上に置いた大きな黒カバンを開けて、中からザラ紙のファイルを取り出そうとしたまま部屋を出ていった。
 
後藤は「このファイルを見ろ」の合図だと思い、カバンからそっと抜いてめくると、フィリピン、シンガポール、ジャワなどと書いた作戦計画書があり、「開戦時期は十二月一日から十日までのⅩ日」と書いてあった。戻ってきた米内は「このカバンの中には、君が見たがっている書類がある。だがこれを見せたら、僕は銃殺、これだよ。重臣、大臣でも同じだ」と、手で首を斬るマネをして急いでカバンをしまった。
後藤が「開戦のⅩデー」を知った瞬間である。
 
 このあとの「世紀のスクープ」をものにするまでの、陸海軍の動向、取材ルートとその情報入手方法、毎日新聞社内の動き、軍当局との折衝などは本書で詳細に語られている。
 
 十二月一日から十日までの、「運命のⅩデー」を、「八日」という一日にしぼりこんでいく過程は、凡百のスパイ小説を超えて、手に汗握るスリリングなおもしろさである。
 
 後藤は昭和五年に毎日新聞大阪社会部に入社しており、昭和四十四年入社の私などのはるか及ばない大先輩だが、仕事を終えた酒の席などで、この「伝説の大記者」の数々のスクープ秘話はよく聞かされたものだ。
 
 日本の新聞界では、頭の東京政治部、足の大阪社会部という伝統がある。記者クラブに座って記事を書く東京の記者と違って、ドブ板をはいずり回って丹念に取材する大阪の事件記者は、猟犬のような鋭い勘と取材力を鍛えられる。「取材の裏打ちは女中さん、運転手、電話交換手などでやれ」とはよく言われたものだ。
 
 東京政治部に乗り込んだ後藤記者はこの基本を忠実に守り、数々のスクープを連発した。開戦日の「Ⅹデー」とは、いつなのか12月7日の休日に海軍省に取材に出むき、自動車部の運転手から耳よりの情報を聞き出す。この日早朝、海軍大臣と軍令部総長がそろって明治神宮へ必勝祈願に出かけたことを知り、翌八日の開戦を確信する。後藤記者のインテリジェンスの勝利であった。
 
  本書の第四章で、海軍最大のスキャンダル「海軍乙事件」の真相に迫っているのも圧巻である。いうまでもなく、太平洋戦争の最大の敗因は日本軍のインテリジェンスの欠如である。米軍の新型レーダー開発、暗号解読「マジック」によって作戦は筒抜けで、艦船、戦闘機の動きも手に取るように把握された。
 
開戦直前の外交暗号から真珠湾攻撃の海軍暗号まで、「マジック」で日本側の情報や海軍の作戦行動は丸裸にされていたのである。
  海戦や戦闘の敗北につぐ敗北の結果から、普通なら米側のレーダー開発、情報漏れ解読されて撃墜死した(海軍甲事件)。

後任の古賀峯一長官も同十九年三月三十二日、搭来した飛行艇が遭難して「殉職」した。この時、二番機に同乗していた福留繁参謀長もセブ島に不時着した。だが、最重要の軍機書類を地元ゲリラに奪われながらも生還した。この重大な事実は隠蔽され、海軍上層部も事実を糊塗して、責任追及も、解読された暗号の改変もせず、筒抜けの作戦を継続して多大な犠牲を出した。これが海軍乙事件だが、海軍のインテリジェンスの欠如以上に、その無責任体質を示した事件だった。
 

本書は、海軍の戦争遂行の内幕を克明に取材した後藤記者をはじめ、戦時報道に命がけで働いた記者群像を感動的に措いた第一級のドキュメンタリーである。海軍記者による戦記ものの古典的作品といってもよい。
 
昭和四十九年、後藤の追悼録『戦時報道に生きて』(私家版)として少部数が刊行され、好評だったため、昭和五十年に『海軍報道戦記連合艦隊長官謎の「殉職」』として刊行された。本書は、この本の文庫化である。
本書は一九七五年五月、新人物往来社より刊行した『海軍報道戦記連合艦隊長官謎の「殉職」』を改題し、再構成したものです。
 
(以上は後藤基治著「日米開戦をスクープした男」新人物文庫、2009年12月刊の解説です。)
 
 

 - 戦争報道 , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日中北朝鮮150年戦争史(27)『南シナ海,東シナ海紛争で、国際法を無視、暴走する中国は120年前の日清戦争開戦の「高陞号」(こうしょう号)事件と同じパターン。 東郷平八郎の「国際法遵守」が完全無視 の中国に完勝した。

 日中北朝鮮150年戦争史(27)   ★(記事再録)2014/07/ …

『オンライン講座<イラク戦争から1年>『戦争報道を検証する』★戦争報道命題①「戦争報道はジャーナリズムのオリンピックであり、各国メディアの力量が問われる。★⓶『戦争は謀略、ウソの発表、プロパガンダによって引き起こされる』★『➂戦争の最初の犠牲者は真実(メディア)である。メディアは戦争を美化せよ。戦争美談が捏造される』

  2003年12月5日<イラク戦争から1年>―『戦争報道を検証する』 …

no image
明治150年「戦略思想不在の歴史⑾」ー 『ペリー黒船来航情報に対応できず、徳川幕府崩壊へ』★『「オランダからの来航予告にまともに対応せず、 猜疑心と怯惰のために,あたら時間を無駄 にすごした」(勝海舟)』

 (ペリー黒船来航情報に対応できず、徳川幕府崩壊へ 「オランダからの来航予告にま …

「トランプ関税と戦う方法」ー「石破首相は伊藤博文の国難突破力を学べ⑧』★『日本の運命を変えた金子堅太郎の英語スピーチ②』★『ハーバード大学クラブで講演、満員の大盛況』★『時間延長して講演、拍手喝采を浴びた』★『「日露戦争は正義のための戦いで日本が滅びても構わぬ」』★『「武士道とは何か」ールーズベルトが知りたい』

1902年(明治37)年四月二十八日、これは私が八年間アメリカにいて、うち最後の …

no image
★『明治裏面史』/ 『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー, リスク管理 ,インテリジェンス(53)『宇都宮太郎の大アジア主義思想④』★『朝鮮軍司令官時代に、三・一独立運動での強硬弾圧を拒否、大衆運動に対する実弾の発砲を禁止した』

 ★『明治裏面史』/ 『日清、日露戦争に勝利した 明治人のリーダーパワー,  リ …

『オンライン/2022年はどうなるのか講座④』★「日米戦争80年」―インテリジェンスなき日本の漂流は続く』★『コロナ敗戦、デジタル敗戦、超高齢少子人口減少社会で2度死ぬ日本は「座して死を待っている状態だ」』

  「日米戦争80年」―インテリジェンスなき日本の漂流は続く    前 …

no image
日本リーダーパワー史(738)『大丈夫か安倍ロシア外交の行方は!?』(歴史失敗の復習問題)『プーチン大統領と12/15に首脳会談開催。三国干渉のロシアと「山県・ロマノフ会談」の弱腰外交でていよくカモにされた②

 日本リーダーパワー史(738) 『大丈夫か安倍外交の行方は!?』 -プーチン大 …

世界/日本リーダーパワー史(959)ー『明治大発展の基礎を作った史上最高の戦略家、影の黒幕は『法螺(ほら)丸』、『モグラ』を自称し、宰相・元老、将軍たちを人形遣いのように自由自在に操り「日露戦争」を勝利に導いた。この稀代の戦略家は一体誰でしょうか?。答えは・・・忘れられた杉山茂丸だよ、彼はスーパーマンだよ!』★『孫の杉山満丸氏の語る「杉山家三代の系譜』(講演動画30分付)

    記事再録・2009/09/27 &nbsp …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(8)記事再録/日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑨『日中韓の誤解、対立はなぜ戦争までエスカレートしたか」ー中国・李鴻章の対日強硬戦略が日清戦争の原因に。簡単に勝てると思っていた日清戦争で完敗し、負けると「侵略」されたと歴史を偽造

    2015/11/28 &nbsp …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(132)/記事再録★『昭和天皇による「敗戦の原因分析」①★『敗戦の結果とはいえ、わが憲法改正もできた今日において考え て見れば、国民にとって勝利の結果、極端なる軍国主義 となるよりもかえって幸福ではないだろうか。』

    2015/07/01 &nbsp …