『Z世代のための日中韓外交史講座』 ㉔ 」★『英国タイムズ報道の「日清戦争4ヵ月後―『日本と朝鮮―日清戦争の真実』(上)』1894(明治27)年11月26日付)
2014/10/21 2015/01/01/記事再編集
英国タイムズ報道の「日清戦争の真実」①
日本の歴史学者の多くが福沢諭吉の『脱亜論』の主張を根拠に、日本開国の恩人の福沢に「侵略主義者」のレッテルを張り、中国・韓国はこれを逆手にとって日中韓150年史で、今だに日本を加害国として攻撃して、歴史歪曲を繰り返している。
日本政府も外務省もチャイナロビーもマスコミも長くこの歴史歪曲をそのまま、見過ごしてきて、中国に未だに「習近平国家主席は安倍首相にあってください」の朝貢外交を続け、最悪の人権弾圧国家に対しても、「拉致家族の真相を教えてください」と平壌訪問の朝貢外交を繰り返す。
私は「日清戦争までの道」を外国新聞がどう報道してきたのかを、「日中韓150年戦争史」というタイトルでこのブログで連載してきた。
その中で、以下の英国『タイムズ』の記事が一番、日中間の外交のねじれからの戦争への発展を正確に分析していると思うので、ここに紹介する。
英国「タイムズ」の『日本と朝鮮―日清戦争の真実』(上)』
今や中国軍は朝鮮から完全に姿を消した。中国軍が容易に駆逐されたことは,中国は朝鮮を属国として主張しながらも朝鮮を守る資格が全くないという日本の主張の正当性を立証するものだ。
この際.もし西洋の国,たとえばロシアが日本の立場にあったとしたら.中国はもっと頑強に抵抗しただろう,あるいは中国軍を鴨緑江の向こう側に追い払うことはもっと困難だっただろう,と推定することは妥当だろうか?既定の事実を考慮すれば,日本の態度について一般的な説明をすることは容易になる。
日本は過去25年にわたり,隣の大国と,それに国境を接するいくつかの小国との奇妙な関係をつぶさに観察してきた。中国がこういった国々を,外国からの影響力の衝撃を和らげる緩衝国として利用しながら最これらの国々がその役割を演ずる際に押つぶされないように守る意志も力もなかったことを,日本は見てきた。トンキン.安南,ビルマ,シャムと緩衝国が次々に減っていき,残るは朝鮮だけになったのだ。
北京の政治家はこういった経験から,なんらかの知恵をつけるべきだった。中世の時代でなら中華帝国の威厳により,その変則的な主張にいくらかの実質的価値が与えられたかもしれないが,19世紀においては.そのような空虚なペテンによって,西洋諸国の侵略を防ぐことはできないということに.中国は気づくべきだった。
しかし中国の政治家たちは歴史を実際的な目で読み取ることをしなかった。朝鮮の場合においても,中国は朝鮮を属国とみなすと同時に.諸外国に対し.朝鮮の独立を主張するという茶番劇を演じ続けた。まもなく中国は,その政策に新たな悶着の種をつけ加えた。中国は朝鮮に.諸外国との通商友好条約を結ぶよう勧めたのだ。
その小国が条約締結によって生じる利害関係をめぐる争いの中で.安泰であることを望んでいたのだ。しかし中国は再び自らの経験による教訓を無視した。なぜなら西洋の国との交際を始めた東洋の国は,進歩主義をとるか,それとも深刻な混乱状態に直面するかのどちらかになるということを.中国は忘れていたからだ。
依然保守的な中国自身.多くの困難に適ってきたし,その困難から抜け出すたびに甚大な被害を被ってきた。南も北も領土のかなりの部分を削られ,賠償金は絶えず支払わなければならず,宗主権も1つずつ奪われていった。
もし領土の保全が維持されるとしたら,それは中国が大きいため.多少の災難には比較的影響されにくいからだ。そのような打撃に耐えるには小さ過ぎる朝鮮も,中国の一方の手で諸外国を紹介され.もう一方の手で昔ながらの停滞の状態に縛りつけられたとき,必然的にそのような目に遭うことになった。
中国が自らの唯一の実質的な進歩的要素である能率的な税関管理を朝鮮に与えたことが,中国の肩を持つために主張されてきた。中国の税関が完全に外国人の手によって管理,運営,組織されていること,またそれに関する中国の唯一の功績は.中国自体の大きな便宜と利益のためにそれが存在することを許すという消極的なものであること,そしてそれを朝鮮にまで広めることは,朝鮮における対外貿易の開始によって必要であると同時に,小王国の政府にかなりの税収入をもたらし,中国の朝鮮に対する支配を固めることになるため,お互いにとって好都合なことを思うとそれは確かに奇妙な主張だ。しかし,中国は自国では進歩するという手を取ることを断固拒んでいる一方で,隣国に開明的な傾向を促すということが論理的に期待できるだろうか。
中国による属国・朝鮮の干渉制度、朝鮮の腐敗政治と無統制、国民の幸福を無視
中国はそのような矛盾の罪は一切犯さなかった。中国の朝鮮における影響力は,保守主義の方向に向けて着実に与えられ続けたのだ。さらに.その影響力は中国のすべての前例を超えた.実質的かつ断固としたやり方で行使された。ソウルに駐在官が置かれ,朝鮮の内外情勢に関する着実な,しかし隠れた干渉の制度が始まった。
朝鮮の保守的な政治家は,あらゆる開明的な衝動を抑えるために.中国の外交上の同盟を当てにできること.そして攻撃的な進歩主義勢力を抑えるために中国の武力を当てにできることをすぐに知った。
中国は保守政権を脅かす反乱を鎮圧するため,5年の間に2回出兵した。(壬申の変、甲申事件)このような隠れた干渉のもとで,朝鮮の統治者たちはあらゆる意味での国家に対する責任の感覚を失い.自分本位の野心を野放しにしたのだ。貴族階級は.政権獲得をめぐり絶えず陰謀を企てる.相争う派閥の寄せ集めだったが,今や進歩派と保守派の2つの党派に分かれた。
進歩派は外国の好意を期待していたが,実質的な援助はなにひとつ得られず,その存在は小さくなってしまった。そして直接あるいは間接的に中国の支持を受けている保守派が政権を独占した。事態はますます悪化していった。司法.行政いずれの職務も,贈賄によってのみ果たされるようになり,一族の利益が国の利益に優先した。課税は地方官吏の貪欲さ以外の規準を持たなくなった。
国民の幸福や国の資源の開発には.なんの注意もれなかった。個人の責任というものは官吏の間には存在せず,一族の権勢によってすべての悪弊が守られ,官位の授受もすべて取り仕切られた。
関連記事
-
-
『Z世代のための日清戦争原因講座』★『中国行動学のルーツ③』-150年前の明治維新後の「日中外交交渉」での異文化コミュニケーションギャップ <中華思想対日本主義=エスノセントリズム(自民族中心主義)のすれ違いが日清戦争に発展した。』
逗子なぎさ橋通信、24/0704/am700]梅雨の合間の晴天なり。富士山うっす …
-
-
お笑い日本文学史『文芸春秋編」ー直木三十五『芸術は短く、貧乏は長し』 と詠んで『直木賞』に名を残す』●『菊池寛・文壇の大御所を生んだのは盗まれたマントだった。
お笑い日本文学史『文芸春秋編」① ●直木三十五-「芸術は短く、貧乏は長し」 と詠 …
-
-
『オンライン/サーフィン』史上最大級の台風10号九州接近中の稲村ケ崎サーフィンー稲村ケ崎先端100m沖の逗子側のポイントでビッグウエーブが立っていた、プロ級を含め約50人がチャレンジ!すごい迫力満点だね!』
前坂俊之チャンネル、鎌倉サーフィンチャンネル 『速報①』史上最大級の台風10号接 …
-
-
明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変③』- 『ドイツ、ロシア、フランス、イギリスらの清国侵略に民衆が立ち上がった義和団事件が勃発』★『清国侵略の西欧列強(英国、ドイツ、フランス、ロシアら)の北京公使館は孤立し、敗北の危機に陥り、日本に大部隊の出兵を再三、要請した。日本側は三国干渉の苦い教訓からなかなか出兵に応じず・』
明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変③』- 7月6日、日本政府は「 …
-
-
日本リーダーパワー史(446)「安倍外交を検証する②」再録「小泉元首相の終戦の日の靖国参拝問題を論ず(2006年/09/01)
日本リーダーパワー史(446) 「安倍靖国参拝外交を検 …
-
-
名リーダーの名言・金言・格言・苦言(20)『買ってもらう。作らしてもらっているとの気持ち』豊田 喜一郎(トヨタ創業者)
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言 ・千言集(20) 前 …
-
-
陸羯南(くがかつなん)の日清戦争論⑥―日清戦争は約1800年前の神功皇后の三韓征伐、秀吉の朝鮮出兵以来の壮挙
陸羯南(くがかつなん)の日清戦争論⑥ 韓国問題が日清、日露戦争の原因―『我東洋問 …
-
-
『震度6、大阪北部地震発生、参考記事を掲げる②』―★記事再録『2016年4月の熊本地震から2ゕ月』(下)『地震予知はできない』ー政府は約3千億円を つぎ込みながら熊本地震まで38年間の『 巨大地震』の予知にことごとく失敗した。<ロバート・ゲラー東京大学理学系教授の正論>』
『地震予知はできない』ー政府は約3千億円を つぎ込みながら熊本地震まで38年間の …
-
-
現代史の復習問題/「延々と続く日韓衝突のルーツを訪ねるー英『タイムズ』など外国紙が報道する120年前の『日中韓戦争史④』<清国新聞『申報』<明治27年(1894)8月20日付>『日本の謀略がすでに久しいことを諭す』
清国新聞『申報』<明治27年(1894)8月20日付> 『日本の謀 …
