『リーダーシップの日本近現代興亡史』(218)/日清戦争を外国はどう見ていたのかー『本多静六 (ドイツ留学)、ラクーザお玉(イタリア在住)の証言ー留学生たちは、世界に沙たる大日本帝国の、吹けばとぶような軽さを、じかに肌で感じた。
日本リーダーパワー史(651)記事再録
日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(44) 日清戦争を、外国はどう見ていたのか、
<以下は『日本の百年〈第8巻〉強国をめざして』鶴見俊輔、筑摩書房 (1963年)より>
若き日本の哀歓ーー日本はどこの国?
九州から北海道までの島々に四千万の人口を擁した日本は、開国以来20余年のあいだ、懸命に西洋文明を追いかけて、ついに東洋最初の立憲国家となった。
いわば日本は、黒船以来、紅毛異人たちの青い眼の環視に悩みつづけたと言ってもいい。欧化といい、国粋というのも、その環視にたいする反応の二つのタイプということもできるだろう。
だが、その日本は、広い世界の五大州のなかで、現実にどのように認識され、どのような比重を与えられていたでぁろうか。それをまず、文明開化の尖兵ともいうべき、当時の留学生の記録から見てゆこう。
東京農林学校林科生の本多静六(1866一1952)は、
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/本多静六
一八九〇年(明治23年)ドイツのターラントにあるホルストアカデミー山林専門学校に留学した。ターラントは人口二千足らずの静かな学校町だった。
「私の下宿は飲食店につづいた下宿屋で、ほかの一人ばかりの山林学校の助手連が下宿していたが、たちまち友だちになり、なにくれと世話になった。
学校のある日は懸命に勉強するのでたいくっしないが、休日にはさびしく、懐郷病(ホームシック)になりかけた。なんといっても日本人は自分一人、半歳あまりまったく日本語をしゃべったことがなかった。
犬やニワトリまでドイツ語でワウワウ、クックリケトと鳴いている。夕方、停車場に行って、だれか日本人が汽車で通りはしないかと見ていたが、いつも失望して帰るのがつねで、たまたま日本人に似た人が停車場にいたので話しかけると、それは中国人であった。
中国人のほうが日本人よりはるかに多くドイツにも来ていた。たまたま独りで村落のほうに散歩にいくと、こどもたちが『中国人(キネーゼ)が来た』と群がってくる。
私が『おれは中国人ではない、日本人だ』と言うと、日本という国はどこにあるのかと聞くので、アジアのいちばん東にある独立国だと言うと、一人16、7のこどもが学校で習った世界地図に、たしか中国の東のほうに細長い色の違った島国があったが、あれは中国の領土の一つと覚えていた。それがいつ独立国になったのだ、と言う。ドイツも田舎に行けば、日本帝国の存在は知られていなかった。」(本多静六『体験八十五年』1952年)
留学生たちは、世界に沙たる大日本帝国の、吹けばとぶような軽さを、
じかに肌で感得しなければならなかった。
しかし、外国に暮らして、日々おのれが異邦人であることを自覚しないわけにいかぬ日本人にとって、祖国の戦争は最大限に民族の自意識をかきたて、民族の血潮を躍動させた。文字通り女こどもにいたるまで例外ではなかった。
日本の美術学校創設者の一人ヴィソチェソツオ・ラグーザは美校教授として在職6年ののち、日本娘・清原玉(きよはらたま)(1861-1939)をともなって故国イタリーのシシリー島バレルモ市に帰った。
https://www.google.co.jp/webhp?source=search_app#q=%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%82%B6%E7%8E%89
結婚してエレオノラと名のったお玉は、戦争がはじまったとき33歳、渡伊以来十二年、女流画家として名をあらわしていた。
「知人の、どこへ参りましても、『きっと日本が負けるだろう』と申していました。
まずそれが当時においては、世界どの国でも立てられていた予想だったのでしょうが、私としてはそう言われるのが残念でたまりません。それで朝早くから起きては、戦勝の御祈願をいたしました。
じつのところを申せば、私は結婚いたしましたときから、カトリック教徒になったわけでございます。そしてカトリック教では、偶像崇拝と申しまして、ほかの神仏を祈願することを何より忌むのです。
それは私も百も承知でございましたが、いざ、日本の戦いの大勝利を祈るという段になると、イエス様、マリヤ様ではどうもぴったりと胸に落ちつきませぬ。
そこで第一がお伊勢様。-それからは八幡様、お富士様、香取鹿島様、水天官様、観音様、毘沙門様など、神仏混合で、思い出せる限りの、ありとあらゆる神様、仏様に、一心をこめてお祈りいたしました。
ところがどうでしよう。来る報知(ニュース、新聞)も、来る報知も、日本の連戦連勝を報じているではありませんか。
そのころは、いまのように通信機関が完備しておりませぬから、イタリーの新聞には、三、四カ月目に一度位ずつしか詳報は伝わらなかったと覚えておりますが、それが載った朝は、平常は見向きもしない小新聞まで買い集めて、みんな眼を通し、それでも飽き足りないで、詳しく書いてある新聞の記事は、三度でも五度でも読み返しました。
あの小さな日本が、こんなにも強いのかと思うと嬉しくてたまらず、東洋地図を開いては日本の図面の上に、何度接吻したもりかわかりません。
戦勝国民のありがたさは、ちょっと買物に出ましても肩身が広く、『奥さん、おめでとうございます』と、会う人ごとに挨拶をかけられたものです」(木村毅編『ラグーザ玉自叙伝』1939年)
戦争が終わったとき、ラグーザ家では盛大な戦勝祝賀の晩餐会を開いた。ラグーザ玉はロには出さなかったが、招待した客たちに、どんなものだと言ってやりたい気持ちでいっぱいだった。
彼女は、シシリー島の一端で、ひとり日本を代表し、心の中で戦争に参加していたのである。
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