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日本リーダーパワー史(612)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑦明治政府が直面した「日本の安全保障問題」対外的軍備を充実、ロシアの東方政策に対する防衛策、朝鮮、 中国問題が緊急課題になる>

      2015/11/25

 日本リーダーパワー史(612)

日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑦

『明治新政府が直面した「日本の安全保障問題」ー

<対外的軍備を充実、ロシアの東方政策に対する

防衛策、朝鮮、 中国問題が緊急課題になる>

この連載の前回は2度にわたり、末広鉄腸の帝国主義、

植民地主義、弱肉強食、優勝劣敗の

国際情勢について、彼の世界旅行談(明治21年)

から学んだ。

ここでは、明治政府が直面した「日本の安全保障問題」についてふれる。

島国日本は世界の大半の大陸国家と違って、四海によって侵略から守られていると同時に、海軍力がなければ裸同然で、国土を守ることはできない。徳川幕府がたった4隻のペリーの米黒船艦隊によって滅ぼされたように、国際関係の緊張度が高まると、軍備の増強、海軍力の整備が緊急の課題となる。(太平洋戦争の場合は米軍の空軍力によって、全国の都市が空襲で破壊、焦土と化し数十万人の犠牲者を出した)

日本の国防問題は外国艦隊の脅威から始まった。米国のベルリ提督が浦賀にやってきた時にはこれに対抗できる軍艦もなければ、あの久里浜に大砲、砲台もなかった。明治新政府は、国防の要務は海軍の建設であり、外国の艦隊が来ようと思えばどこかでも攻めて来れるのだと骨身にしみてた。長州も薩摩も外国艦隊の攻撃を受け、その威力を目のあたりに見て、開国に転じ、海外に留学生を派遣して、西洋技術、軍艦を購入して防備に当たった。

だが、明治新政府にとっては大砲もないし、金もないし、東京湾の入口の要塞にしても、実際に着手したのは西南戦争後の明治13年から。この要塞はこのあと長年にわたって数多くの場所に砲台が築かれ、明治13、14年の観音崎、富津崎と猿島の砲台が築かれ、いづれも明治17年に竣工した。しかし、日本の直接的国防は当時これだけに過ぎなかったのである。

一方、陸軍はどうか。

明治初期の日本軍の編成はどうだったかというと、鎮台という名前の示すとおり、国内の内乱を鎮めるのが主目的だった。

しかし、萩、佐賀、熊本の乱、西南戦争(明治十年)を最後に内乱はなくなった。逆に大陸に出兵させる危機は年ごとに増大、ロシアは虎視眈々と満州、朝鮮を狙っている。朝鮮が脅かされれば、日本の横腹にドスをつきつけられた形となり、鎮台から機動本位の師団編制への変化が急務となった。 陸軍は、それまで幕府以来のフランスの陸軍将校を顧問として、着々とした兵制の整備を進めてきたが、明治15年にこれを一挙にドイツ式に切り替えていった。

ドイツ参謀本部推薦のメッケル少佐は明治18年1月に来日するが、このときの日本陸軍は歩兵13旅団一連隊、願兵、砲兵、屯田兵などの各大隊で、総兵数はわずか3万しかなかった。これを、20年後には、兵力100万を超え世界一のロシア陸軍と戦うことのできる陸軍を作るのである。ヨーロッパの強国以外、こんな長期大戦略を実行した国はなかったが、これが日本発展の礎になったことは間違いない。

先を急がずそれまでの経過を順番に述べていく。

1870年(明治3)7月、明治新政府は山県有朋、西郷従道等らを軍事研究のため欧米に派遣し調査させ、同年10月に兵制を改革し、陸軍はフランス式、海軍はイギリス式を採用し、軍服は西洋式を採用し、軍靴とともに大阪で国産で製造することを決定した。

徴兵令の改正

1872(明治5)年には「国民皆兵」となり、明治六年に徴兵令が発布した。ところその内容たるや厳密な意味での国民皆兵とはほど遠いものだった。

徴兵される兵は「全国の壮丁」で身分の別はなく「全国士民二十歳に至る者はことごとくく兵籍に編入する」を原則としていが、これには兵役を免除する例外規定があった。身体の不適な者の免除は当然として、「官省府県に奉職の者」は免除された。国家公務員、地方公務員などは兵隊にはならないでよいというのだ。

このほか、「文部、工部、開拓その他の公塾(高等教育)に学んだ専門生徒、洋行修業の者(海外留学生)、医術、馬医術を学ぶ者」も学問をした者は除外された。

こもほか、家族制度に基く除外があり「一家の主人、嗣子、一人っ子、一人孫」は兵隊にとられない。養子も、家を支える者、兄弟がすでに徴兵在役中の者も免役され、さらに問題なのは、代人料(270円)を納めると兵隊にとられないですむという規定まであった。金持には兵役を免除するという内容で、国民皆兵どころではなかった。

結局は貧乏人の二、三男以下が兵役の対象となる不公平な徴兵令であり、その後の何度もの改正で免役制、代人制は廃止されていく。

明治4年12月に、兵部大輔・山県有朋、兵部少輔・川村純義、

同西郷従道の連名で軍事新政策の建議が出された。

・①軍備の重点を対内的な国内の反乱の鎮圧から、対外的軍備増強にに移すこと。

・②「将来的には対外的で対外的軍備が充実すれば、対内的問題は順次解決される。

  • ③国防の急務はロシアの東方政策に対する防衛策であるとした。想定敵国にロシアを決定している。
  • 徴兵制度の必要性と、造兵廠、兵器庫、兵学校の必要性をも指摘した。

この中で注目されるのは③で元寇の役、徳川幕府の国防政策の失敗の教訓を生かしたものであった。

明治維新後の内政混乱がなお続いていた時代に、近代国家建設のための防衛政策として、早くもこれだけの戦略思想を持っていた点は注目に値する。

韓国との通商、外交関係の話し合いは明治維新の直後から日本側から交渉を何度も持ち掛けたが、朝鮮側はそれを拒否、遅延、引き延ばし戦術で外交交渉はとん挫し一向に進まなかった。

これに日本側は憤激して明治5年には征韓論の論議が噴出して、西郷と大久保との路線対立が表面化、国内分裂時代に入る。

1878年(明治10)の西南戦争によって維新の大立者・西郷隆盛が斃れ、相次いで大久保利通の暗殺、木戸孝允の病死で『維新三傑』が政治の舞台から去り、国内内戦は終結した。

しかし、明治陸軍は、薩長の藩閥抗争が依然としいて尾を引いて、陸軍トップは旧藩派閥解消に努力はしたが、旧弊の打破は容易でなかった。
明治15年、17年と相次いで朝鮮をはさんで清国との間に対立、紛争がおこり日本防衛という問題が大きくクローズアップしてきた。

日本陸軍は国際舞台へ登場せざるを得ない事態になってきた。明治15年の朝鮮での「壬午事変」で、初めて鎮台兵は外国へ出動することになった。

山県有朋の「陸軍省沿革史」ではこう書いている

「明治十五年七月、朝鮮乱る。これより先、朝鮮、我陸軍工兵中尉・堀本礼三を招聘し、洋式の操練を教習せしむ。大院君これを喜ばず。ひそかに軍人を煽動し、堀本中尉及び学生七人を殺し、わが公使館を襲う。公使花房義賢は仁川に走り、英国測量船に搭じ長崎に連す。ここにおいて公使に訓令を伝え、陸軍少将高島柄之助、海軍少将仁商景範をしてこれを護衛し、罪を問わしめ、今歩兵二中隊を駐めて公使を護衛せしむ。この間、当局者は東京鎮台の騎兵一小隊、軽重兵一小隊及び輸卒、憲兵若干を福岡に派し、熊本鎮台の兵と共に混成旅団を編成し、これに備うるところありしが、朝鮮わが要求を容れて事なきを得たり。』

いわゆる「壬午事変」である。鎮台兵を外国に用いねばならない情勢になってきた。

「明治十七年、京城再び乱る。十二月朝鮮国乱れ、国王援(たすけ)を我公使館に乞う。弁理公使・竹添進二郎は護衛兵を率いて王宮に至る。たまたま清国の将卒又到り、我兵を砲撃し、国王清兵に投ず。我兵守りを撤して公使館に帰る。暴民従って之を襲う。陸軍歩兵大尉・磯林真三はこれで死し、公使仁川に逃る。朝廷、外務卿・井上馨を以って全権大使とし、陸軍中将高島輌之助をして熊本鎮台の歩兵二大隊を率いてこれを護衛し、行きて処理せしむ。」(「陸軍省沿革史」)

この『甲申事変』は朝鮮の金玉均、朴泳孝ら開化派のクーデターであった。そして結局は、朝鮮をはさむ清国と日本との争いの一因ともなった。

「明治十八年三月。参議伊藤博文を全権大便とし、参議陸軍中将西郷従道と共に清国に赴き、その大臣李鴻章と天津に会し、両国の朝鮮駐割兵を撤回し、他の外国人を傭いて兵士を教練せしめ、将来もし兵を朝鮮に出すことあらば両国互いに相通報することを約す」(「陸軍省沿革史」)

。英国やフランスなど欧州諸国には散々に、いためつけられている清国ではあるが、朝鮮や日本に向っては誠に強腰であった。話し合いで片づく相手ではない。となると陸海軍ともうかうかとしてはおれない。

一方国内では大きく近代化へ向って動いていた。

明治14年には明治23年を期して国会を開設すべき詔勅が下った。これを前にして憲法調査のためヨーロッパに派遣された伊藤博文も帰国し、明治17年春には制度取調局が設置され、明治18年には太政官制度が廃止されて内閣の制度が創設された。

こうした内外の情勢から、陸軍も海軍も急いで近代的軍隊への脱皮を図らねばならない事態となった。

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