終戦70年・日本敗戦史(136)新渡戸稲造が事務局次長を務めたことのある名誉ある国際連盟理事国を棒に振ってまで死守した「ニセ満州国の実態」とはー東京裁判での溥儀の証言
2015/08/15
終戦70年・日本敗戦史(136)
<世田谷市民大学2015> 戦後70年 7月24日 前坂俊之
◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』
<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、
どこに問題があったのか、
500年の世界戦争史の中で考える>⑮
新渡戸稲造が事務局次長を務めたことのある名誉ある国際連盟理事国を棒に振ってまで死守した「ニセ満州国の実態」とはー東京裁判での溥儀の証言
前坂 俊之(ジャーナリスト)
「ニセ満州国の実態」とはー
ニセ満州国はこうして作られた。
<以下は前島省三「昭和軍閥の時代」(ミネルヴァ書房、1969年、132-135P)による>
6年12月23日の牛荘占領から七年一月三日、鈍州入城をもって、中国東三省の中酔軍隊が駆逐され、満州事変は一段落となるが、それよりさき昭和6年12月から板垣征四郎、石原莞爾ら関東軍によって、満蒙新国家のプランが進められていた。満州事変勃発当時、森島守人奉天領事が入手したところの関東軍の機密書類によると、満州新政権の施策や機構の大綱が記載されていたといわれる(森島守人『陰謀・暗殺・軍刀』)。
また満州独立計画は犬養内閣によって黙認された形になっていた。
6年12月21日-威式毅省長による奉天新政府樹立、七年一月一日-馬占山省長による黒龍江省独立、ついで日本軍の錦州進出と同時におこなわれた熱河・湯玉麟の独立など、新国家のプランがあいついで進められ、七年二月一八日には委員長張景恵の名をもって独立宣言が発せられた。
さらに、七年三月一目には元首執政薄儀のもとに、国務院・立法院・監察院の三院七部制による人口三四〇〇万人の新国家建設となる。
執政の諮問に応ずる参議府議長には地方軍閥の巨頭張景恵、国務院国務総理には清朝の遺臣・鄭孝胥(福建省の人、辛亥革命後は実業に従事〕らがえらばれ、皇帝には清朝の廃帝・薄儀がひき出された。
溥儀は1906年の生れで、三歳で即位し、宝統帝となったが、辛亥革命のため退位し、袁世凱の庇護のもと北京・紫禁城に住んでいた。しかし蓑の死後、馮玉祥によって北京を追われた。
その後、天津に住んでいたが、奉天特務機関長土肥原大佐の手で天津から旅順へ、さらに満州へつれてこられた。日本はこの皇帝に対して三種の神器の崇拝を強制したと、のち敗戦後の東京裁判で薄儀は証言している。
満州国の最高首脳者になる経過について溥儀はーー
「当時、私はまだ若く、政治に対する経験を持っていなかった。私の4人の顧問(鄭孝胥、羅新玉、鄭無ら)は、私が板垣征四郎関東軍参謀(大佐)の要求を拒絶すれば殺されるだろうといっており、私も恐怖心を抱いた。また私は満州の将来と人民のことを考えていた。
私はまず満州国へ入り、軍隊を訓練し、人材を養っておき、適当なとき、中国と呼応して起ちあがらんとしていた。こうして私は虎穴へとびこんだ」。
王道楽土・五族協和というスローガンは美わンしいが、満州国は偽国であった。薄儀はさらにこうつづけた。
満州国の「5族協和」の実態についてはこう証言する。
「大臣は飾り物にすぎず、裏面では日本人の次長が行政を操縦していた。関東軍司令部の中には司令官がいて、すべて参謀長より司令官を通じて色々のことがなされた。参謀部のなかに第四課があって、これが満州のことを司っていた。満州国政権において権限の最も大きいのは日本人の総務長官である。
その権限は造かに国務総理以上であった。すべての勅令あるいは国務院令は、全部、総務長官が会議の首席になり、第四謀が副首席となり、各次長が関与している秘密会議できめられ、我々はこれを火曜日会議といっていた。この会議のあとに、各部次長は担当事項を起草し、関東軍の承認を得ることになる。承認を経たなれば、この案は動かすことのできないものになる」。
溥儀のいう最大の権力者になった初代総務長官は、七年四月一九日に就任した駒井徳三である。
小磯国昭中将との古いつながりで、軍の絶対的支持をうけ、『陰謀・暗殺・軍刀』の著者森島守人氏によれば、角帯飛車の一鶴》であった。駒井は札幌農業大(北海道帝国大学農学部)の出身で、東亜経済調査局に八年間勤めたのち退職し、外務省に入った。ここで三年間おり、さらに満鉄へ戻って九年間勤めている。事変勃発と同時に間東軍顧問となり、統治部長を経て総務長官に就任した。
警備局長になったのは関東大震災のとき大杉栄らを暗殺した元陸軍憲兵大尉甘粕正彦である。そのほか外務省の大橋忠一ら、満州国へは、主として満鉄から二十数名の高級官僚がひろいあげられた。満州政権初期の人事は、昔の〝田舎芝居″同様、早いものがちで、満鉄の衛生課長(高橋忠雄)が一やく奉天省の総務司長になったりするような事例が稀でなかった。
こうして七年九月一五日、首都新京において、日本帝国全権武藤大将と満州国全権鄭孝胥との間に、議定書の調印がおこなわれ、満州国は法的に承認された。そしてまたのちにはドイツ・イタリアなどファッショ同盟国によっても承認される。
満州国建国に対する国民の反応はどのようなものであったか。早くも、大記者徳富蘇峰が、「我らは満州国の創立を祝福す」を『東京日日新聞』(七年三月〓ハ日)に書いてから、正式承認にいたるまで、新聞論調はいずれも大同小異であるが、『東京朝日』(七年九月一六日)は、社会面には「あゝ、けふの歓び日清要人に感想と覚悟を聴く」をのせ、論説には次のように書いた。
「満州国承認の日が来た。切実なる満州国の願望と、熱烈なる我国の信念が結びついて、世界史上に1新紀元を画し、東亜和平を保証する礎石としての独立国の新生が唇歯輔車、共存共栄の関係にある日本によって公公然とその独立を祝福される日が来た。……」
「東亜和平の確立という烈々たる大信念から積極的に列国の迷蒙を覚まさざればやまない外交方針をもって、国際連盟や列強に徹底的に応酬するほかはない。……」
ここには、偽国を批判するどころか、満州国に対する、まるで歯の浮く〃ような〝チョウチンもち〟しかなかった。
またそのほか、事変が始まったとき、戦争不拡大に孤軍奮闘したはずの民政党総裁・若槻礼次郎さえも、「列国よ!この事実を如何せん、満州国の存在は厳乎たる事実である」と軍部に追従した(七年九月一六日『朝日』)。
少数の左巽的インテリゲンチャや左翼的労働者は別として、大多数の国民が蘇峰的新聞論調にひきずられていたことは、むしろふしぎではない。なぜなら日清・日露戦争いらい、国民大衆の思考は、いわば単純素朴そのもので、忠君愛国主義に慣らされていたからである。
もちろん、内心では、いくらかの疑問をいだくものが無いはずはない、しかし残念ながら、中島健蔵氏が『昭和時代』にいみじくも指摘したように、「政府のやること、天皇の名においておこなわれることに対しては、口をとがらせながら服従する」というのが、この国の民衆の精神的な姿勢であった。
国民の多数が、満州建国を歓迎したのは、一つには、経済的理由がそこにある。
それは新興の満州国へ行けば、何かすばらしい金儲けのチャンスにぶつかる、あるいは〝豆の山〃を探しあてるような、漠然たる期待がありたからである。
「満州問題が一段落ついたら、何か彼地で、事業を試みようという、いわゆる仕事師、思惑師、利権屋という連中が、今から早くも押すな押すなと出かけていく。満蒙とは特殊の関係ある当大阪市でも、近く商業会議所、実業団体等で一団を組み、視察の名のもとに利権あさりの瀬ぶみをやることになった」(7年2月22日『九州日日』)。
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