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晩年長寿の知的巨人たちの百歳学(111)戦後の高度経済成長の立役者・財界の巨人「電力の鬼」 の松永安左衛門(95歳)の長寿10ヵ条ー「80歳の青年もおれば、20歳の老人もおる、年齢など気にするな」

      2018/11/01

 

晩年長寿の知的巨人たちの百歳学(111)

戦後の高度経済成長の立役者・財界の巨人「電力の鬼」

の松永安左衛門(95歳)の長寿10ヵ条

何事にも『出たとこ勝負』が一番」

80歳の青年もおれば、20歳の老人もおる、年齢など気にするな」

前坂 俊之(ジャーナリスト)

第1条 115歳? 日本一の天海大僧正の健康法を見習え

有名な天海大僧正の「養生訓」に、一、日湯。二、少食。三、だらりとある。日湯と少食は分かるが、だらりはなんだろうと疑問にする人もあろう。これは男子の持物のだらりであって、けっして心身のノンベンだらりではない。

しかし、私の解釈によれば天海の述べようとした具体的養生訓は、追って事に加えられた「折々に放屁なさるべく候」にあるように思う。

第2条 天海大僧正の健康法「ガスがたまればオナラを遠慮せずに出しなさい」

人間の生活はつねに緊張を欠くのもいかんが、緊張しすぎるのもいかん。健康上でも、世すぎ身すぎの上でも、腹中にガスがたまったらフープー放出したいときに放出して、体も気分もゆっくり落ちつかせるに越したことはないようだ。

何もこせこせ気にするな、押さえても出るものは押さえるな。放つべきときに放つべきを放って、あとは精いっぱい気持よくやらかすのが、健康にも、処世上にもいちばんよい振る舞いと私は考えている。何事にも「出たとこ勝負」が一番のようだ。

第3条―何事にも「出たとこ勝負」が一番、前もってくよくよ考えるな。

八十八歳での現役活動、それには私は次のような生活の繰り返しをしている。早寝早起がまず根幹、夜は宅に客がなく、外に宴会がなければ七時に夕食をとって、八時にはもう床にもぐってしまう。だから、睡眠時問もたっぶりあって、しかもなかなかの早起き、冬は六時、夏は四時半から五時には必ず起きる。

第4条―[早寝早起]「睡眠をたっぷりとる」

かるい体操、ちょっとした散歩、食事をすませて自動車で家を出るのがきまって七時半だ。

この頃は交通も比較的楽なので毎日七時四十五分には会社につく。社内のだれよりもいちばん早い。営業時間中は別に変わったこともなく、五時にはキチンと退出する。

食事は朝が味噌汁にパン、昼が果物一個、夜に初めてメシをかるく1杯、おかずはうまいと思うものを二、三種、ただし医者のすすめで晩酌一本をかかしたことがない。

第5条―個人生活はむろん、会社事業にも借金をしないことが、いちばんの健康法

この他にはなんにもとくに健康上の注意はしない。それから個人生活はむろん、会社事業にも借金をしないことが、いちばんの健康法といえばいえるだろうか。

第6条―時間と年齢は単なる便宜的な便宜的な呼び方にすぎない。

三百六十五日が一年と決まっているのは層の上の便宜的取り決めである。その一年がすぎると一つずつ年をとるというのも、これまた人間社会での便宜的取り決めである。

だから体質もちがい、生活もちがい、心境もちがう人間が、一様に一年に一つずつ年をとって、五十年たてば五十、六十年たてば六十だということも単なる便宜的な呼び方にすぎない。

第7条―80歳の青年もおれば、20歳の老人もおる、年齢など気にするな

五十歳と称しながら、六十、七十の実質的な老齢者もあれば、六十、七十で結構まだ、五十歳の年しかとっていないものもある。年齢と健康というものは、かならずしも名目どおり一致するものではない。

第8条―「もういくつだ」、「もういくつになった」と年齢ばかり気にする日本人が多すぎる。愚かである。わしは「八十歳の青年」を自負しておる。

人それぞれに、老化をおこすのだから、「もういくつだ」、「もういくつになった」と、暦の上の計算ばかりしてヨワイ(年齢)を談ずるのは愚かである。私は八十歳になって、「八十歳の青年」を自ら意識し、呼号した。人は爺さんの負け惜しみと笑ったかも知れぬが、これ位の強がりがなければ、人間はすぐおいぼれてしまおう。

第9条 無病息災よりは、一病息災が長生きする

どこにも病気がないという人よりも、どこかにわるいところがあったり、何か一つぐらい病気をもっている人の方が、かえって長生きする場合がある。

むかしから、無病息災は少なく、一病息災が多いといわれている。

これは、どこかにすこしでもわるいところがあると、その人は非常に健康に注意するし、ムリやムチャをつつしむ。その結果、持病もあまりひどいものでない限り、むしろ健康的に役立つことを意味している。

だから、無病の人に、何か病気をつくれとまでいわぬが、あまりの健康自慢で、知らず知らず、働きすぎや過労におちいるよりは、少しわるいところがあって、それをいたわることで、体全体をいたわることが、かえって健康長寿の基となるのはだれにもうなづけよう。

第10条 すこしぐらい悪いところがあっても悲観するな。気に病んで、くよくよするのが一番悪い。 

したがって、すこしぐらいどこかわるいところがあっても、人はそうそう悲観するには当たらない。それを気に病んで、絶えずくよくよするのがいちばんいけないのである。

百歳学入門(62)「財界巨人たちの長寿・晩晴学①」渋沢栄一、岩崎久弥、大倉喜八郎、馬越恭平、松永安左衛門―

http://www.maesaka-toshiyuki.com/longlife/1997.html

 

       2008年8月30日

世界が尊敬した日本人(41)世界第2の経済大国の基盤を作った『電力王』・松永安左エ門

前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授)

焦土の中から奇跡的な高度経済成長を遂げて、世界第2の経済大国化への発展をグランドデザインしたのは政治家では吉田茂であり、経済人では松永安左エ門である。

日本の資本主義をつくった渋沢栄一が明治、大正期の最大の経済人とすれば、松永は昭和期を代表する財界の巨人であった。

松永は明治8年、長崎県壱岐生まれの野生児である。慶応に入り藩閥、官界を嫌った独立自尊の福沢諭吉の薫陶をうけて、自らを徹底して実学で鍛え上げた自由主義的経済人となった。

福沢諭吉の女婿である桃介と手を組んで、株で大もうけしたあと、電力事業に取組んだ。石炭にかわって電力が産業発展の中心エネルギーとなり、電灯で家庭生活を明るくする「大電力時代」の到来を一早く予見した。

大正当時、電灯会社は全国に乱立、公益事業にあぐらをかき暴利をむさぼっている電灯会社も少なくなかった。松永は「大量の電力を安く消費者に」を旗印に九州電灯で成功し、桃介の名古屋電灯と合併し東邦電力となり、今度は東京に殴りこみをかけて成功、東京電力などを買収して全国制覇し、昭和初期には『電力王』と呼ばれるまでになった。

昭和12年の日中戦争以後、電力は国家統制、国営化の時代に入るが、松永は1本化された「日本発送電」に反対して軍閥、官僚と戦うが敗れた。松永は関係する会社を処分して電力業界から去って太平洋戦争中は別荘にこもって隠遁、茶道三昧の生活を送って時節到来を待った。

昭和20年敗戦、松永に再び出番が回ってくる。GHQに占領され、国民全体が打ちひしがれている中で、「これからアメリカと戦争を始めるぞ」と意気ようようと宣言。昭和24年、75歳にして経済産業の復興の根幹を審議する『電力再編成審議会』のトップに返り咲いた。

政・財・官界、GHQの利害が入り乱れて、会は容易にまとまらない状況だったが、松永は強力なリーダーシップを発揮、反対を押し切って現在の9電力体制に分割することを決定、一方、電力料金は大幅に値上げして、世間からは「電力の鬼」だと非難を浴びた。78歳で公益事業委員長代理を降りたが、以後も財界トップに君臨、「国づくり」に情熱を燃やした。

松永は数少ない哲学をもった経済人であると同時に、晩年になって益々その能力を発揮した稀有な財界人である。80歳代となった松永は電力中央研究所理事長や産業計画会議を主宰しながら、『東海道新幹線』「東名高速道路」「新エネルギー政策」などのビックプロジェクトを次々に政府に提言、実現させた。池田勇人内閣の「所得倍増計画」の影の参謀役を果した。

一方、松永の目は世界にも向いていた。

「井の中の蛙」、島国根性の日本人に一番欠けているものは世界的な視野の歴史観であり、世界の中の日本の複眼的な視点である。そう考えた松永は『日本人への遺書』として、当時、世界一の碩学といわれた英国のアーノルド・トインビー博士の「歴史の研究」【全24巻】の日本語翻訳版の刊行を決意した。同書は世界史、比較文明論の名著で、20世紀で最も難解といわれた歴史書である。

80歳になった松永ははるばるロンドンまで飛んで、トインビー博士と交渉し、東西の文明の対話、哲学問答をかわして、全巻の翻訳権を獲得した。この翻訳を最晩年のライフ・ワークとして取り組み、日本語版『歴史の研究』の第1巻刊行は昭和41年、92歳の時である。

この「刊行の辞」を書くためにシュペングラーの『西洋の没落』の原書を読んで、アンダーラインを引きながら毎夜、勉強に余念がなかったというから、その努力は超人的である。

これも、90歳代の時の話だが、周囲からの「疲れましたか」といういたわりの言葉に、『疲れるということは敗北主義であって、僕の一番嫌う言葉だ』一喝したというから、その気迫、闘志には圧倒される。

昭和45年6月、95歳で亡くなったが、遺言により葬儀、告別式は一切行なわれなかった。生前、本人は「生きているうち鬼といわれても、死んで仏となり返さん」とよく詠んでいた。

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