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終戦70年・日本敗戦史(119)日清戦争は日中韓認識ギャップ(思い違い)の対立で東学党の乱から日清出兵⑥

      2015/08/03

 終戦70年・日本敗戦史(119)

                  <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月24日  前坂俊之 

◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』

<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、どこに問題が

あったのか、500年の世界戦争史の中で考える>⑥

日清戦争はなぜ起きたのか

ー日中韓認識ギャップ(思い違い、無理解)の対立から戦争へ②

原因としての東学党の乱(甲午農民戦争)から、日清出兵へ②

 

『東学党、虐政に反撃 [明治26411 時事新報]

甲午農民戦争

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%8D%88%E8%BE%B2%E6%B0%91%E6%88%A6%E4%BA%89

〔朝鮮京城通信四月二日発〕 東学党と称する一派は四、五十年前に起こり、風を呼び水火の術を行い、名づけて仙術と祢し、信徒すこぶる多く、全羅、忠活、江原、慶尚の四道に蔓延し、その数おおよそ十七万余ありという。鄭、権、金、孔四姓の人を戴き四先生と称し、各々連絡を通じ、一棟の下に多数の徒党を招集することを得。先月中の事なりとか、忠清道監司

趨乗式氏は管下の人民に苛税を課し、すこぶる厳酷の処置ありしをもって、東学党は大いにこれを憤り、直ちに遠近に激を伝え、集合せし者四、五千人、監司に迫り、その非を訴えて止まず。監司はついにこれを謝し、金を返付し、大いに饗応したれども、党与の者はなお肯ぜずしていわく、朝鮮全国今や外教の入る者すこぶる多く、これらは措いて問わず、かえって我が正教を排斥せんと東学党の乱に乗じ朝鮮出兵―虐政に怒り、東学党が農民と蜂起するはすこぶる当を得ざるものなりとて監司を脅し、これを賛成せしめ、ついに二十余名を撰び京城に入らしめ、去る三十一日、大闕に迫り請願する処ありたりという。請願の筋は判然せざれども、外教国を乱し、外人渡来後物価騰貴し、四民困弊を極む、よろしくこれを救わざるべからずというにある由。

外国人排斥を訴える(明治26419 東京日日)

〔十日京城発〕 今回東学党は世子宮の誕辰を好機として数百名上洛し、その内より総代ともいうべきもの数名を更に撰び、総代は韓暦二月八日より十日まで四日間、王宮光化門側に土下坐して、赤布に包みたる一封の上疏を前に据え、ひたすら執奏を乞いたるも、朝鮮においては古来、庶民より上疏するには至って厳しさ掟ありて容易に取り上げらるべきにあらざれば、このたびとても相当の手続きを践まざる以上は取り上げずとて却けられたり。ただし掛り官吏はただ上疏の趣意だけを聴き置かんといい聞け、総代は東学教の禁を解きて外教を排斥すること、及び教祖等の罪名を除きて功績を追賞することの二大宿願を述べて、ひとまず引き取りたり。

東学党が趣意を貰徹するあたわざししは、もとよりそ東学党の乱に乗じ朝鮮出兵の挙動の不穏にして、厳格なる上疏の方式をびょう視したるによるべしとはいえ、その実は大学派儒生の反対を受けたるに職由せずんばあらず。却説、東学党の憤懣はいよいよ激属し、その末檄を四方に飛ばしたり。その略にいわく、陰暦三月七日を期し、大いに同志を京城に会し非常運動を試むべしと。また東学党与は耶蘇教を痛斥し、在京城の外国人を逐い掃うべしとの恐嚇文を街衝に掲示せしめ、他の一面には同一の手段をもって当国人に暁すに、和交を破り先王の法を明らかにすべLとの趣意の諭示文を貼付せしめたり。(中略)

東学党の名称は多少話柄となるの今日なれば、その要を摘まんに、彼党与は外教を見て西学となせるより、自ら東学と称して反抗の意を表したり。かつその外教排斥の理由にいわく、東学はすなわち儒・仏・仙の三通を折衷してその精華を抜きたるものなれば、教理の玄妙なる天地に貫通し、宇内広大といえども東学の右に出ずるの道なし、しかるに韓人はこの絶美なる自国の教義を捨てて、みだりに狼狐多偽の外教に依帰すと。これ彼等の自ら東学と称する所以なり。

「斥洋倭唱義」の旗のもと二万三千人集結[明治26・5・31 東京日日>

本月十八日付、在京城社友よりの特報にいわく。東学党は本月初句より陸続忠清適報恩邑に集まり、不日京城に出で更に請願する所あらんとす。これがため人心やや不穏なりとの報、韓延に達したれば、韓廷は直ちに忠清監司並びに

忠川兵学にちょく令して詳細通報せしめたるに、忠清監司趙秉式よりは早速その実際を究め、東学党およそ二万三千人、報恩邑俗離山に屯集し、塁を築き、砦を設け、唱義の五字を大書したる大旗を翻し、その他幾多の大小職旗ありて、その旗号は「尚功、清義、水義、慶義、洪慶、青慶、光義、広義、成義、竹慶、振義、杖義、茂義、龍義、楊義、黄豊金義、忠巌、江慶」等にして、末だ暴発

には及ばずといえども人心きょうきょうたりと電報しぬ。(後略)             

「開城府で蜂起」 <明治27131 時事>

〔朝鮮京城通信一月二十三日発〕 (前略)開城府民乱の原因を聞くに、同府留守金世基はかねてより人民を適するすこぶる苛酷にして、本官李春興と心を一にし、或いは苛税を徴収し、暴虐もって賄賂を収め、府民皆堪ゆるあたわず、一同不平の折柄、去る韓暦十一月中、同府の金満家十余名に向かって種々の難題をいいかけ、ついには無法にも捕えてこれを獄に下し、金数七万両を納むべしと強迫し、しからざれば所有の人蓼圃を納むべしと命じ、日々の厳責に堪えかね、殊に有名なる豪家甲斗山なる者は、既に七万両を納めしにもかかわらず、なお放免せらるるの模様なく、苦痛の極ついに自殺を企て咽喉を刺したりしが、幸いに死に至らざりしという。

府民はこれらの事どもを伝聞するや激昂はなはだしく、なかんずく同府の侠客金司果燻伊及び趙守門将の両名は、貪吏を課して良民を救うべしとの旨意をもって三万余名を煽動し、同月十八日、官庁に押し寄せ庁舎を破壊し、官吏を殺傷するに至れり。留守金世基は早くもこれを探知し、その前、京城に逃げ上りて難を避けたりしも、本官李春興は暴民の揃うる処となり、身体隙間もなく乱打せられたり。暴民はいよいよその暴を達しくうし、獄を開きて囚人を放ち、各所に集合して重も解散するの色なく、事態すこぶる穏やかならざりしをもって、政府はまず柳礼烈をもって中軍となし、韓暦十一月二十二日、京城を発して同地に到り百方鎮撫に尽力せしより、少しは解散の模様ありしも、なお二、三百名ずつ各所に屯集し、政府向後の措置を伺うもののごとし。(後略

「全羅道・黄海道でも蜂起」 (明治2748 時事)

昨年は平安、成鏡、黄海等の諸道に民乱あり。殊に東学党のごときは忠活、全羅の両道に跨り、一時は全国を震動せしめたり。本年に入ても早く既に開城府に事起こり、近頃に至りてようやく東学党の乱に乗じ鎮定せしが、このほど全羅遺古阜郡にもまたまた民乱起

こり、末だ討平するを得ず。(中略)また聞く処によれば、黄海道黄州にも民乱蜂起し、官兵に抗し殺傷すこぶる多く、事態はなはだ穏やかならずという。要するにみな虐政暴徴の結果なりといえり。 

「反乱軍の勢い強し」<明治27522 時事>

〔朝鮮京城通信五月十四日発〕 全羅道の乱民はいよいよその勢いを増し、今は官軍もその鋒(ほこさき)に当たるべからず。両三日前、全羅道監司の急電によれば、威勢いよいよ猖獗を極め、破竹の勢いに乗じ全州を陥れんとす。官軍防ぎ戦い、ついに賊の破る処となり、敗走四散すとあり。(中略)いずれも民望を得たるもののごとし。慶尚道金海府下の民八千余、府城を襲い、直ちに府庁に入り府使を放逐したりとの噂あり。

東学党の檄文 [明治27524 時事]

人の世において最も貴きはその人倫をもってなり。君臣父子は人倫の大なるもの、君仁に臣直に、父慈に子孝にして、しかる後すなわち家国をなし、

よくむ彊(きょう)の福に逮す。今我が聖上仁孝慈愛、神明聖睿、

賢良正直の臣、賢を翼け、明を佐くれば、すなわち尭舜の化、文景の治、日を指して希うべし。今の臣たるもの報国を思わず、いたずらに禄位を窃み、聡明を掩蔽(えんぺい)し、意に阿り、容に諂いい、忠譲の士これを妖言といい、正直の人これを匪徒という。内に輔国の才なく、外に虐民の官多く、人民の心日にますますゆ変、入りては資生の業なく、出でては保躯の策なく、虐政日にほしいままに、怨声相属す。(中略)八路魚肉、万民塗炭、守宰の貪虐、まことに以あるなり。これをいかんぞ、民窮しかつ困しまざらんや。民は国本たり。本削らるればすなわち残す。

報国安民の方を念わず、外卿第を設け、ただはい全の方を謀り、いたずらに禄位を窃む、豈にその理ならんや。吾が徒草野の道民といえども、君土に食い、君衣を服す、国家の危亡を坐視すべからず。八路同心、億兆詢議、今義兵を挙げ、もって公に報じ、治国安民、死生の誓いをなす。今日の光景驚骸に属すといえとも、切に恐動するなかれ。各々その業に安んじ、ともに昇平の日月を祝し、ことごとく聖化に沐せば千万幸甚。

「朝鮮出兵を促す」福沢諭吉の論説<明治27530 時事新報>

朝鮮における東学党の騒動は勢いすこぶる猖獗なるがごとし。いわゆる百姓一揆の類いにして一時の騒ぎなれば、意に介するに足らざるがごとくなれども、ただ掛念すべきは朝鮮政府の威厳行われずして容易に鎮制することあたわざるの一事なり。

(中略)その成り行きはいかにしても他国の事にして、我が国人のあずかり知らざる所なりとはいえども、我輩の所見をもってすれば、朝鮮の内乱は日本立国の利害のために、決して等閑に付すべからざるものありというは外ならず。もしも威勢焼結を極めて、政府の力をもって鎮制することあたわざるのみか、政府自身さえもほとん

ど危急存亡に瀕して、一国制御の権力を失い、あたかも無政府の有様に陥るに際し、もしも他の強国がこれを機会として大いに干渉を試みるがごときこともあらば、いかんすべきや。今日の実際にあり得べき出来事にして、実に容易ならざる次第なれば、我が国人たるものは、かの騒動を他国の内事なりとして看過することなく、鋭敏

に観察を怠らずして、その騒動いよいよはなはだしく、自国の力にて鎮制の見込みなきに至らば、我が兵力を仮して鎮制の効を奏せしむるの覚悟なかるべからず。

他国の内事に関してみだりに兵を発するはもとよりあたわざる所なれども、その政府よりの依頼とあれば国交際の慣例において差し支えはあるべからず。その辺の機宜を料理するは、一に外交当局者の手腕に存するものにして、我輩のあらかじめ注意を乞わんと欲する所なり。

もしも我が国にしてこれを等閑に付し相関係せざるときは、朝鮮政府は危急の場合に至り、必ず支那に向かって援兵を請求することならん。支那は元来朝鮮を属国視して、常にその保護に怠らざるが故に、かかる場合には請求までもなく大いに兵を発して鎮制の労を執ることならん。もしも支那の兵力をもって朝鮮の内乱を裁定し、

その政府の自立を助くるにも至らば、かの半島国の全権はますますその手中に帰して、朝鮮独立の実を害し、その結果は東洋における我が国権の消長にも影響すること明白の成り行きなれば、吾々日本国人はあらかじめここに着目して機会を誤らざるの覚悟肝要なるべし。

或いは仮に一歩を退いて、ひとり自ら先んずることあたわずとするも、支那政府が援兵を発するの場合には日本もまた彼と同勢力の兵を発して、ぜひとも対等の地位を占めざるべからず。(中略)兵隊をかの地に置くは、天津条約の東学党の乱に乗じ朝鮮出兵を許さざる所なれども、朝鮮多事の今日に当たりてはおのずから臨機の工風なきを得ざるべし。我輩のあえて当局者に望む所なり。

 

「日中韓150年戦争史」(72)「朝鮮王朝が行政改革を行えば日本は東学党反乱を鎮圧にあたる』『ニューヨーク・タイムズ』http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/133.html

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉟「日本が民情に従い、善隣関係を保つべきを諭ず」

http://ameblo.jp/toshiyukimaesaka/entry-11943997757.html

 

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