終戦70年・日本敗戦史(67)徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑯日本の統一教育の欠陥ー「個性無視、型にはまった人間を 粗製乱造した教育制度で日本亡国」
2015/05/12
終戦70年・日本敗戦史(67)
A級戦犯指定の徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑯
日本の統一教育の欠陥ー「個性無視、型にはまった人間を
粗製乱造した画一的な教育制度が日本を滅ぼした」
ーいまも政府、文部省の中央直轄のダイバーシティー(多様性)
無視の失敗教育を相変わらず繰り返している。
統一教育の悲哀暴露
日本の人材欠乏が、官学に基く事は、私は久しい以前より、憂慮した所であった。そこで明治の末期から大正の初期にかけて、予は「統一病」と題し、今のように型にはまった人間を製造する教育では、到底、国家の御用に立つべき人間は、出来るものではない。一旦緩急あれば、国家はたちまち人材の欠乏に困るであろう事を、しばしば警告した。
しかし当時は、誰れも顧みる者はなく、ただ官学で世の中を吹き回し、単に官界ばかりでなく、民間私立の事業にも、採用される者は、まず官学の秀才という事になって来た。
即ち官学と私学とに差別を置くばかりでなく、官学中でも卒業の成績によって、その採用は定められた。つまり、官学における試験の点数が、社会での出身のために、物を言う事となった。こうして社会の各方面に、配置されたる人間は、植木屋がハサミで揃えたような人間、活版屋が活字で印刷したような人間、トコロテン屋が器械で押し出したような人間が出で来たのは、当然でもあり、必然でもある。
とにかく今日では、昔の事といえば、一切合切が悪い事にしてしまう癖があるが、我等は如何なる場合でも、物には表裏があり、楯には両面ある事を、忘れてはならぬ。
明治維新の際に、人物の輩出したのは、徳川氏時代は各藩割拠の賜といわねばならぬ。同じ日本人でも、維新頃の薩人(鹿児島県人)と長人(山口県人)は、必ずしもアテネ人とスパルタ人程の相異はなかったとしても、相当の相異があった。また肥前(熊本)といい、土佐(高知)といい、皆なそれぞれの特色があった。その他、越前にせよ、肥後にせよ、筑前にせよ、金沢、仙台、米沢、庄内、会津、桑名、何れもそれぞれの特色を持っていた。
幕府その物もまた、一個の特色があった。
それで維新の事業には、皆なそれぞれ相当の道具立てが揃っていた。公家からも武家からも、江戸の通人、各藩の田舎者が皆な銘々の特長を持っていた。それでそれぞれ用に立ったのである。しかるに維新以来、殊にその中期以後は、官学全盛の世の中となって、それが社会の中堅所を支配した。いやしくも法学士の銘を打てば、津軽人でも鹿児島人でも、壱岐対馬人でも、北海道人でも、ちゃんと立派に、法学士的のタィプが出来上がっている。
それが何年組とかいう事になり、陸海軍では、それが何期生という事になり、何れも学校その物を、社会に延長させて行ったからして、なるほど品物は揃うたが、揃った品物は、唯だ一色という事になった。あたかも満洲で大豆が出来るように、如何に大豆が出来ても、大豆以外には何物もないという事では、全く困るに相違ない。
ところが日本の人物は、いわば大豆一式であって、米もなければ麦も無く、馬鈴薯もなければ、サツマイモもなく、野菜もなければ魚肉もななく、肉類もなく、豆ばかりでは豆腐を造る事さえも出来ない。今度の亡国も、いわば統一教育の悲哀を示したものと、いう他はない。
我が官学の教育では、文武何れの方面にしろ、一通りの技術だけは教えたが、如何にしてこれを用い、如何なる場合にこれを用い、如何にこれをその時、ところで適用させるかという事は、一切教えていなかった。
従って官学の秀才は、学校で教えられたものを、そのままこれを鵜呑みにして、これを実際に応用する事になったから、応用された社会こそ、実に当惑千万といわねばならぬ。
要するに総ての学問は、教えられたとしても、我が官学には、人間学なるものは、全く抜きにしておかれた。そのために、政治方面においては、人間学を知らない地方官、司法方面においては、人間学を知らない裁判官、実業方面では、人間学を知らない実業家、軍隊におてもまた同様であって、彼等は唯だ士官学校や、兵学校や、陸海軍大学校で教えられた通りの事を、施こすばかりで、同僚が何者であるか、上司が何者であるか、部下が何者であるか、敵が何者であるか、味方が何者であるか。それ等の点には、一切無頓着であった。
こんな人間をかき集めて、彼等に軍国の大事を托したる、日本国こそ不幸なるもので、遂に今日の状態まで、我れ自から我れを引きずり落として来た。今更ら誰をか怨むべき。今更ら誰を咎むべき。我等はいわゆる亡国の種を播いて、亡国の巣を収穫したる事の現在を見、今更らながら、因果応報の恐るべき鉄則に、戦慄する者である。
官学のみを咎めるたが、日本の私学も、明治の中期頃までは、やや特殊の気風を持っていたが、明治の末から大正昭和になっては、私学は全く官学に似て非なるものとなった。私学はただ田舎娘が、都会の女を学ぶように、官学を模倣して、一歩でもそれに近かづく事を祈願としていた。
例えば政党などというものも、従来は特色ある人物が輩出したが、やがてはその総裁幹部には、官僚の古手、即ち官学出身の人間を迎え、彼等の手によって、支配される事となり、政党その物も、また一種の官僚的雰囲気の中に、棲息する事となった。新聞なども、また殆どその通りと言うさしつかえあるまい。
(昭和22年1月30日午前、晩晴草堂にて)
関連記事
-
-
『百歳長寿名言』★『公園の父・本多静六(85歳)の70,80歳になっても元気で創造する秘訣―『加齢創造学』★『忙しさ」が自分を若返らせる、忙しいことほど体の薬はない。』
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/10/26 /am1100) …
-
-
Advice for “Foreign Tourists Wanting to View Mt. Fuji from the Shinkansen” (2017/12/25 Morning) – Beautiful! You can see a clean view of snowy Mt.(『富士山を新幹線から眺めたい外国人観光客』へのアドバイス(12/25朝)―ビューティフル!雪の富士山がクリーンに見えるよ。
『富士山を新幹線から眺めたい外国人観光客』へのアドバイス(12/2 …
-
-
終戦70年・日本敗戦史(72)「新聞界一致で「米英撃滅国民大会」開催」「米英撃滅・屠れ米英、我等の敵・進め一億火の玉だ」
終戦70年・日本敗戦史(72) 大東亜戦争開戦の「朝日, …
-
-
日本リーダーパワー史(711)陸軍軍人で最高の『良心の将軍』今村均(陸軍大将)の 『大東亜戦争敗戦の大原因』を反省する①パリ講和会議で、日本は有色人種への 「人種差別撤廃提案」を主張、米、英、仏3国の反対で 拒否され、日本人移民の排斥につながる。
日本リーダーパワー史(711) 『良心の将軍』今村均( …
-
-
日本リーダーパワー史(653) 日本国難史の『戦略思考の欠落』(46)日清戦争開戦での中国側の対日観『日本の謀略がすでに久しいことを論ず』(申報)➡『中華思想、事大主義」から最後まで脱皮できない中国、この 日中異文化理解ギャップを知らないと何度でも誤る。
日本リーダーパワー史(653) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 …
-
-
『Z世代のための新日本・世界史クイズ?『「歴史の研究」(12巻)などの世界的歴史学者アーノルド・トインビーは「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をしのぐ業績を上げた」と最大評価した日本史上の偉人とは一体誰でしょうか?③」★『答えは「電力の鬼」・松永安左ェ門で昭和敗戦のどん底ゼロからわずか20年で世界第2の経済大国にのし上げた奇跡の名プロデユーサー兼監督です』
『電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の75歳からの長寿逆転突破力③』が世界第2の経 …
-
-
『最悪の国難(大津波)を想定して逆転突破力を発揮した偉人たちの研究講座①』★『本物のリーダーとは、この人をみよ』★『大津波を予想して私財を投じて大堤防を築いて見事に防いだ濱口悟陵のインテリジェンス①』
2012/09/11 日本リーダーパワー史( …
-
-
日本リーダーパワー史(822)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、 インテリジェン㊲『日本史決定的瞬間の児玉源太郎の決断力⑨』★『『児玉の危機突破力の3番目は開戦論に反対の伊藤博文元老の説得である。』●『『児玉の4番目の戦略は、開戦時から戦争の終結、講和の引き際を考える』
日本リーダーパワー史(822)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利 …
-
-
★10 『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ (171)』 『オーストリア・ウイーンぶらり散歩⑤』(2016/5) 『旧市街中心部の歩行者天国を歩く②』
★10 『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ (171)』 『オース …
-
-
日本メルトダウン脱出法(797)「インターネット」こそがナショナリズムと宗教対立をもたらしたのか」●「ドルが基軸通貨でなくなる未来へのシナリオ」●「昆虫を害虫としか見ない日本は「宝の持ち腐れ」 欧州で勢いづく昆虫食、本当は「昆虫先進国」の日本では?」
日本メルトダウン脱出法(797) 「インターネット」こそがナショナリズムと …
